戦士グリン
戦士グリンは勇者一行最後の加入者だ。所属していた傭兵団に勇者が訪ねて来たのは2年程前になる。魔王の存在を各国が把握し、その討伐をガレージア国が画策し始めたのが5年前で、それから1年後に勇者ロークを中心として魔王討伐計画はスタートした。魔王が拠点とする場所、その戦力規模と魔物全体への影響力を探りながら討伐の最善手を模索する中、少数精鋭で構成されたメンバーは増減や入れ替えを繰り返し、歴戦の傭兵として名の知られたグリンはその戦闘力はもちろん、多様な戦場経験を買われて勇者一行に加わった。多様な戦場経験とは森の中での戦闘、そして森の中を逃走する敵の追跡も含まれている。
魔王殺しの魔剣を追って森に入ったグリンはまずその痕跡を逃さないよう注意をはらった。森の中は木々の間を縫って走れる程度に開けているが、視界は重なる木々の影に遮られ見通しが悪い。足元の落ち葉を蹴り飛ばした跡や枝を払った跡を見極めながら走るのは神業に近くさすがに100%見逃さないというわけにはいかない。グリンはかすかに耳に届く逃走者の行動音をも聞き逃さぬように集中している。さらに頼るのは驚く程に鋭敏な違和感の感知である。獲物の通過により、一見なにも変化が無い場所にも不自然な空気の流れが残る。あらゆる戦場を経験し、実戦の中で五感に加え知覚外の感覚すら研いてきた彼だからこそその空気の違和感を読み取れる。そして逃走路の予測。グリンは傭兵以外に猟師として活動することもあり、森の中で逃走する獲物がでたらめに移動するわけでなく、逃げ道にしやすい地形の選択を繰り返していることも経験上知っている。
優秀な追跡者であるグリンだが、森の中はやはり逃走者に有利だ。グリンは背負っていた大戦斧を放り捨て、身に付けていた籠手やすね当てを走りながら外した。身軽になって追いつくことは出来ないかもしれない。だが諦めるわけにもいかない。見失う前に相手が疲労で失速する可能性にかけるつもりだった。
だが、すでに分かれ道の選択を何度か外し、痕跡も何度も見逃していた。追っているのは人外の走力を持ち、森の中の移動にも慣れている相手だ。どんな優秀な追跡者でも容易には捕らえられない。かすかに感じる気配を追い、なんとかそれらしい痕跡を見つけるのを繰り返しているが、
(すでに挽回不能な距離まで引き離されているのかもしれない。)
グリンがそう思いはじめた頃、不意に戦闘音が耳に入った。すぐさま音の方へ向かう。近付くにつれ、戦闘音は激しくなる。目の当たりにしたのは森の中で活動する魔物、トロール達だった。トロールは人間より一回り大きい身体を持つ亜人系で、知能は低い。関節がやわらかく体表にはぬめりがあって、その体躯のわりに身軽に素早く動き木々の合間を器用に移動する、森の中で戦う相手としては厄介な魔物だ。5体のトロールの中心に疲労困憊ながら剣を構える猫耳の娘を見つけた。トロール達はボロボロになっている金属性の槍、斧、剣を持っている。おそらく過去に襲った人間の持ち物だろう。力任せに武器を振り回しているが、娘はダメージを喰らうこと無くさばいている。
(いや、娘ではなく魔剣が辛うじてさばいているのか。)
娘の様子を見るにすでに体力は限界で足が動いていない。転げるように何とか移動している。
その時、娘と魔剣、さらにトロール達がグリンの存在に気付いた。娘は絶望的な顔をした。矢を射かけた時に薄闇の中とはいえ姿をみている。その特徴的に大柄な体格から勇者側の追っ手である事を察し、この状況では逃げきることが不可能だと思ったのだろう。そして、トロール達はグリンを新たな獲物と認識した。3体が向きを変え襲いかかる。
「チッ、敵の敵と戦うってか、ややこしいな!」
メインの武器は先ほど放り捨てた、が腰には予備としてククリナイフを携帯していた。歴戦の傭兵グリンは武器を選ばない、状況に応じて剣でも槍でも弓矢でも使いこなす。
間延びした「く」の字の形状の、剣としては短いククリナイフを1体目の首に巻き付けるような動きで食い込ませる。グリンは非常に大柄な体躯を持つが手足の回転が速く、そのスピードは仲間の勇者や武術家と比較して見劣りしないレベルだ。付いてこれないトロールが遅いわけではない。一体目の首をはねた直後、低い姿勢から2体目の斜め後ろに飛ぶように移動した瞬間にトロールの脇下から胴体が切られている。3体目はあまりのスピードについていけず、グリンを見失った。グリンはすでに背後をとっている。首をはねると同時に娘と魔剣の方へ向きを戻す。
と、向こう側も残された2体のうち1体を魔剣がつらぬいている。が、娘のほうがへたりこみ敵から剣を抜くことも出来ないようだ。
(あの様子じゃもうなにも出来ないな。)
勇者との戦闘を見るに万全なら身体能力は高いはずだが、今は見る影も無い。
(持久力は大したこと無いようだな、猫娘は。)
放っておけば残ったトロールに殺されるだろう。別に不都合はない、どうせ始末する相手だ。リバの言葉が頭をよぎる。どうみても子どもの姿だ、グリンは頭を掻いた。
「くそっ、ロークてめえ見る目あるぜ。」
あっさり倒された最後のトロールの側に立つ中年の戦士を恐怖の目で娘は見つめた。すでに立ち上がる体力も無く、頼みの剣はさっき何とか1体だけ倒したトロールに突きささり手元を離れている。
「おいデクノボウ、こっちを向け。」
唐突に声をかけられて、グリンは剣の方に目を向けた。
「用があるのははワシの方だろう、その娘はたまたまワシが操っておっただけじゃ。ワシが相手をしてやる、そいつは放っておけ。」
魔剣が娘を逃がそうと庇ったことに、グリンは困惑した。
(この魔物2体、剣が猫娘を力で従わせているか操られているものだと考えていたが、情があるのか?)
「おい娘、そこにいたら邪魔になる。さっさと遠くにでも行け、ノロマめ!」
「そんな、剣さん動けないのに置いていけない!」
「たわごとを言うな!ワシが動けないわけがなかろう、期を伺っておるだけじゃ!さっさと行かんか!」
どうせ勝機はない、それならば…、と剣は自分だけで目の前の強者と対峙することを画策していた。娘にいつの間にか情が湧いている。こいつは助けてやりたい、自分でも驚くべき心境だった。剣が娘だけでも逃がそうと相手を挑発していることに娘は気付いている。何度も命を救われ、自分の為に屋敷への道中付いてきてくれた(持ち運んでたのは娘なので齟齬があるが)剣が、敵意を持つ相手になにも出来ないであろう状態を放って逃げるなんて出来なかった。たとえ自分が危険な目にあうとしても。
一方でグリンは完全に気を殺がれていた。何かしら狙った演技かと思ったがそうとも見えない、やけに人間くさいやり取りに吹き出すのを我慢するほどだった。こいつらには仲間を殺されている。アスフィンとはそれほど親しくしてはいなかったが、目的を共有した同僚のかたきに対し、攻撃的になれない自分に戸惑いがある。が、根が単純で自分に正直なたちでもある。これまでの人生でも大事な場面では自分の感情に従いふるまってきた。それが自分らしさだと考えて生きてきたのだ。奇妙な人間味を見せた2体の魔物、特に娘に対してもはや敵意は失っている。
「まあ、落ち着けお前ら。」
グリンは地面に座り目線の高さを魔物達に合わせた。いきなりフランクに話しかけられて、剣と娘はキョトンとした表情を見せる。
「少しばかり話をしようぜ、お前らに興味がある。」
「興味だと?なんのつもりじゃ?」
剣は敵が急に軽い態度で接してきたことにむしろ警戒を強めた。今朝、自分たちを殺そうと乗り込んできた連中だ、何か企んでいるにちがいない、そう思うのが当たり前だ。グリンのほうも心得ている。持っていた武器を柄の方から娘に差し出した。
「受け取りなお嬢ちゃん。」
「待て!罠かも知れん、簡単に信用…!?」
素直な娘は剣が言い切る前に受け取っていた。
「お嬢ちゃんは純粋な良い子だな、お前さんも少しくらい信用してくれ。」
「くそっ、何のつもりだ?」
「魔王を殺したってのは本当にお前らか?違うなら俺がお前らと敵対する理由が無くなる。今日のお前らの戦いぶりで倒せるもんじゃあ無いだろう?」
「…なるほどな、ワシらが弱すぎると言いたいのか。舐めた口を利く奴じゃな、魔王を倒したのはたしかにワシじゃ、ワシだけでやった。」
「このお嬢ちゃんは?動けもしないお前がどうやって?」
「ワシは魔力を使いきっただけじゃ、本来の力なら貴様なぞ相手にもならぬわ。その娘はたまたまワシが助けてそれから…」
そこで娘が言葉を挟んできた。
「わたしがお願いしたの、自分のことがわからないから調べたいって。それを手伝って欲しいって。」
「ほう、優しいじゃねーか。で、お前自身の目的はなんだ?魔王を殺して何をするつもりだ?」
剣は沈黙した。自分の目的、改めて考えると魔王をなぜ殺したのか、自分が何をしようとしていたのか、そもそも自分が何者なのかわからない。
「剣さんも自分のことがわからないって言ってた。それを思い出すのが目的になるんじゃないかな?」
「それ以上言う必要はないぞ、娘。貴様はどういうつもりでそれを聞いてくるんじゃ?」
「お前の目的が人間にとって害をなすか、大事な事だろう?お前が有害な存在なら当然討伐する必要があるよな?」
グリンの口調に威圧が混じる。そして明らかに剣だけを対象とした言い方に変化している。娘の方は討伐対象から外すつもりのようだ。
剣は不愉快だった。この男が見せる余裕の態度と、自分が現状その態度を覆させる力を失っていることに苛立ちを見せた。しかし、娘を見逃すつもりならそれは剣としても望むべくことであり、この男の気が変わらぬ方向で話をおさめたい。
「ワシの目的は当面力を取り戻すことじゃ。本来の力なら人間にとっては敵対した場合脅威となるかもしれんな、まあ、ワシとしては人間なんぞ気にもしとらんが、ようは…」
グリンの目にその単眼を合わせ、嘲るような声色で剣は言う。
「ワシが怖いかどうかの問題じゃ、人間にとって害をなすか、ではあるまい。ワシから手は出さんよ、貴様らが勝手に怯えて退治したがるなら自分の身は守らせてもらう。」
グリンの表情に苦味が走る。今のところ確かに自分から人間を攻撃したわけではない。仲間のアスフィンは攻撃を仕掛けたから返り討ちにあった。こいつが例え魔王より強い存在だったとして、人間に敵意をむけるかどうか攻撃してくるまではわからない。
「その娘は、どうかな?人間に敵意も無く力も大して脅威にならんぞ。まさかそれも退治するのか?弱いものいじめは人間の美徳かね?」
剣の目的はこれだ。挑発的な態度は娘を完全に標的から外す為だった。人間は、特に自分の実力が高く他者に余裕を持って接してくる強者は自己のプライドに反する行為を毛嫌いしがちだと剣は知っている。激昂して娘に手を出すようなタイプじゃないはずだ、とある意味目の前の戦士を高く評価していた。
グリンは単純だが、鈍くはない。剣が何を意図して挑発的態度に出たのか察している。心境を言えば娘はもちろん剣に対しても既に好印象を持っていた。が、娘はともかく剣を見逃すのは自分の立場上難しい。報償金のこともある。相当な覚悟を決めなければならないが、ほんの15分程会話をしただけの相手にそれが出来るわけがない。グリンはしばらく思案を巡らせた。
「お嬢ちゃん、自分のことを調べたいと言っていたな。これから何をするつもりだったのか教えてくれないか?」
「わたし…?これからお屋敷へ行こうかと…」
「屋敷?」
娘は事情を話した。剣は苦々しい目で沈黙している。
「お嬢ちゃん、もとは人間だったってのかよ!?ちょっと信じられない話だが、確かに今まで見てきた獣人達に比べて獣要素が少なすぎるか…。おい、有り得る話なのか?」
「ワシに聞いとるのか?有り得ないとは言い切れんな。そもそも魔物とそれ以外の区別は体内に魔素と呼ばれる、魔力の素となる成分が組み込まれているかどうかで決まる。魔素は後天的に取り込むことも可能で、それを利用して魔物を作り出せる種族もいるしな。だがそれで作る魔物は総じて知能が低い、というのも…」
「あー、もういい。途中から頭に入ってこなくなった。要するに可能性はあるってことだな。」
「無くはない、だが獣人のように人間と同等の知能を持つ魔物が作れるものかワシにはわからんがな。」
「決めた。俺も屋敷に同行する。」
娘と剣は驚いた顔をした。
「なんだと?ワシらを手伝うつもりか?自分の仕事は放棄するのか?」
「お嬢ちゃんが元々人間なら、助けるのが俺の仕事だ。魔王を倒す旅の中で人助けは何度もやっている。」
「剣さんのことは?助けてくれるの?」
泣きそうな娘を見て、グリンは言葉に詰まった。剣を見逃すという選択肢はあり得ない。
「それは…、保留だ。俺の一存では決められない。魔物の処遇については勇者が決定権を持っている。だが、お嬢ちゃんの助けになるなら、悪いようにしないはずだよ。俺からも進言する。」
正直なところ、あの勇者が魔物に甘い態度をとるだろうか?との思いがある。が、自分でもまずは剣の性質を見極めたい。人に危害を加える存在かどうかはまだ、これまでの言動では判断出来ない。
「そもそもワシのほうが貴様を信用しとらんぞ。何を企んでおる?娘、ワシらの方こそこいつを見極める必要がある、油断するなよ。」
「でもわたし達に酷いことするつもりなら今じゃないかな?わたし達何も出来ないし、この人はきっといい人だと思うよ。」
「お嬢ちゃんの言うとおり、やろうと思えば今勇者達を呼ぶことも出来るんだぜ?一旦はお前さんを取っ捕まえるのは待ってやる、そのうえそっちの事情に手を貸してやるってんだ、どのみち損は無いだろ?」
グリンは先ほどまで討伐という言葉を使っていたが、捕まえるに変えている。娘も剣もそれに気付いた。娘はもちろん、剣の方もしぶしぶながらグリンの同行を受け入れることにした。
設定
戦士グリン
非常に体格がいい。傭兵と猟師を生業としている。戦場経験は勇者の仲間で最も豊富。腕力に関しては並ぶものはいない。単純かつ熱血漢で周りから慕われる兄貴分。頭が悪いと思われがちだが、学が無いだけで知識は広く判断力に優れている。39歳、既婚。
トロール
森の魔物。妖精、亜人系。知能は低く攻撃的。体毛は少なく体表にぬめりがあり皮膚に傷が付くのを防いでいる。腕力があり素早い。目が良くない。木登りは苦手。雑食だが肉が好物で森に迷い込んだ人間は積極的に襲う。複数体で群れをつくり生活している。