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一人

 映り変わる視界。ソラだけが勢いのまま白い地面に顔面を擦り付ける。ダンと、静寂のなか音はよく響いた。


「痛ったぁ……! レイルは大丈夫?」


「すまない。顔をぶつける前に手を掴めればよかったんだが」


 ソラは顔に垂れた血を袖で拭い、立ち上がった。壁、天井、床。どれも白一色に統一された部屋。金棚に置かれた無数の円筒。人間の脳みそが飾られていた。


 嫌悪が身体を撫でたが。ソラは平静を保ったまま部屋の主を一瞥した。


「久しぶりね」


「昨日ブりではないカ。しかし生まれテ数日かかも分からナいキミからスれば、久しぶリ。トも言えるのだろウか」


 ぶよぶよと膨らんだピンクの頭部。海老のような甲殻。節のある脚。人間ではないそれは瞳のない視線をレイルとソラに向けた。


「俺と彼女がここに戻ってくることを視ていたんだろう。最初から分かっていて依頼したな」


 無機質な声に怒りが滲む。


「言っタだろう。我々は感情デ動かなイ。だがレイル・ヴェイン。キミは最も知りたかっタ真実を、正体を知ルことができタではないか。少なからズ、人が死んだこトは詫びよウ。シかし秩序のなイこの都市で誰も死なズ、幸せナ結末は。叶わナいことダった」


「御託はいい。仕事の内容を話せ」


「キミ達に協力シよう。【隔絶空間キューブ】を使いたイのだろう?」


 怪物の肢に握られた淡く輝く立方体。空間を拡張し、この世界とは全く別の時空を形成する尋常ではない科学の結晶。


「全テが終わっタ時、カノン・クロムウェルの機体を我々が受け取りたイ。それが仕事ダ。必ズ彼女は白の十三番を追うダろう。かつテのレイル・ヴェインのようにナ」


 【隔絶空間キューブ】がソラの手に渡された。瞬間、周囲の空間に亀裂が走った。ソラを中心に白雷が飛び交う。鼓膜を震わせる振動。視界が朦朧と眩んだ。


「空間が広がるぞ。手を掴め」


「ッ――。離さないでね」


 キューブを手に取ったまま、ソラは手を握った。視界を埋め尽くす玉虫色の光の歪み。白一色だった部屋が崩れ、目の前にいたはずの怪物の姿も見えなくなって、一人と一機は虚空に放り出された。



「高ッ――眩し……!?」


 四方八方が目の眩む青色に包まれた。足の着く場所はなく、レイルとソラは宙を飛ぶように落下した。


 荒々しく靡く銀の髪。黒いコート。レイルはすぐにソラの身体を引き寄せ、抱きかかえる。


「怖がらなくていい。言われなくとも離さない」


「ゅえッ!? レイルにしては急に。だ、大胆」


 ソラが緊張し、心臓を激しく打ち鳴らすのをよそに、レイルは宙で回転しながら態勢を整え、周囲を見渡した。


 奥行の見えない晴天。眼下に映る摩天楼。ソラにとって見慣れていた小さな世界が造られていく。ソラとレイルしか存在しない隔絶された空間が広がっていく。


「どうしよう。地面が……!」


「問題ない。勝手に減速する。実際に動ける範囲もそう広くないようだ。青空も、ビル群も。全て見せかけでしかない」


 急速に近づくビルの屋上。落下による相対風が轟々と響いていたが、着地を目前に、ふわりと。反動もなく速度が消えた。音は途絶え。逆靡ていた髪が肩に降りる。ゆっくりとレイルは地に足を着けた。


「能力の継承はどうすれば行える」


 淡々と発せられた言葉がソラに重く圧し掛かる。


 決着をつけなければならない。……分かっている。


 そのためにここまで来た。戻ってきた。…………分かっている。


 閉塞感が胸を締め付けて、ソラは脱力するように息を吐いた。レイルの腕から降りて、自分の足で彼の前に立つ。


「……時間、どれくらいあるのかな」


「分からない。長くはないだろう。カノン・クロムウェルは必ずここまで追ってくる」


「…………そっか」


 華奢な手が屋上の手すりに触れた。金属の冷たさが伝う。柵に寄り掛かり、かつて窓から眺めていた景色をぼんやりと見据えた。


「話、したいな。……継承はどんな行動でもいいんだ。私とレイルが納得できて……お互い、同じ想いなら」


 レイルは何も答えなかった。言葉を待つように沈黙し、ソラと偽物の晴天をジッと見据えていた。


「私ね。今でも……自分の考えがよく分かんないことだらけなの。でもレイルのこと考えると。力が湧いて、レイルが傷つくこと考えると、息が苦しくなって…………。それだけは確かにハッキリしてる」


 ――きっとそれが、好きってことなんだ。


 ソラはとっくに理解していた。紫紺の光の根源。これからレイルに渡さなければならない……想いの力。


「……便利屋、この仕事で終わりにしてくれるんだよね。私、力……無くなったら。きっとレイルの隣にはいられない。一緒にいようとしても、自分の足で立てない」


 最初の頃のようにレイルに抱えられてしまうだけだろう。どれだけ善処しようとも、彼の手だけを汚すことになる。


「嗚呼。約束する。もう便利屋を続ける理由はない。結果としてだが、知りたかった真実は全て理解できたからな」


 無機質な声に反して暖かな気配の色がレイルを覆っていて。グッと、燃えるような熱が込み上げた。


 ソラは胸に手を当てる。こんな状況なのに笑みを抑えきれない。……嬉しかった。


「ふへ……えへぇ。やっぱり、着いてきてよかった。普通の人からしたらほんの数日のことかもしれないけどさ。私にとって、この空間が壊れてからが人生のほとんどなんだ」


 ゆっくりと肩の力を抜いた。紫紺に輝く双眸がジッとレイルの顔を見上げる。言葉が途切れた途端、世界から音が消えた。一人と一機だけの空間。風もなく、静寂の残響が空間の限界にまで広がっていく。


「……レイルは。レイルはどうなの?」


「どう、とは?」


「聞かなくても……分かってほしいなぁ」


 呆れたような呟き。ソラは小さなため息をついて、緊張した面持ちでレイルの言葉を待ち続けた。小刻みに脚が震える。


「……後悔が無かったかと言われれば嘘になる。最初こそ面倒事を抱えたと思った。キミは無知なうえに強情で、我が儘で、見ているこちらが不安になるほど無謀だった」


 一瞬で震えが止まった。不満を露わにする冷ややかな眼差し。ソラはぎゅっと手に力を込めてすぐに言い返した。


「何それ。……レイルだって強情で危なっかしいとこ沢山あって、盗み聞きばっかして、私がシャワー浴びてるときに入ってきて、勝手に身長とか体重とか測定してて…………!」


 ソラが思い浮かぶ限りの不満を羅列する最中、レイルは不意に彼女の目前にまで歩み寄って、膝を地面につけた。視線の高さが並び合う。ソラの口に金属の指が触れて……言葉が途切れた。


「だが、――――感謝している。最初は同情と共感だった。明確に、いつからかは分からない。気づけばソラ、キミが大切な存在になっていた」


 ハッとしたように瞳孔が大きく見開いた。僅かに漏れる呼気。息が喉の手前で止まった。


「…………傷ついていると、言われたのは初めてだった。あれは……嬉しかった。本当にだ。声も、表情も変えられないが。嘘ではない。キミのおかげで真実を知ったうえで俺は俺のままでいられた。黒機と決別できたんだ」


 考えていた言葉を見失って真っ白になる頭。


 レイルの声だけが空間に響いていた。


「だから――俺は総合的に鑑みて断言できるだろう。ソラ、キミと会えて良かった」


 ソラは言葉を返せず、呆然と見据えた。遅れて、堪えることさえできずに涙の筋が頬を伝っていく。


「嬉しい。のに、どうして…………。涙が出るんだろう。ごめん、ね。ごめん……。少し待って。すぐに……」


 ぐしぐしと何度袖で拭おうとも双眸の熱が収まることはなかった。ソラは紅潮したまま、隠すように顔を深く俯けた。足元に涙が零れ落ちていく。


「決着をつけよう。……全てが終わったとき、隣にいられるように。約束しよう。……自慢だが、俺は約束は破らない」


 その行動が正しい自信は皆無だった。少女の華奢な身体が壊れないように、ほんの僅かだけしか触れないほど、慎重に、優しく。肉の根が巡った黒い腕を回し抱き締めた。


「…………ありがとう」


 時間が迫っていた。空の彼方から僅かに感じ取れる銀色の気配。――すべきことは行っていた。想いは同じで、後悔はない。言いたいことを言った。


 だからソラは、泣くのをやめた。柔らかな笑みをレイルに向けて、抱擁に答えた。目を閉じて、冷たい身体に身体を委ねた。



 ――――力の継承。



 紫紺の光が宙で瞬き一人と一機を包み込んだ。空間を震わせる音が遠ざかっていくように巨大な残響を空間の奥底へと曳いていく。


 ……力はきっと無くなってしまう。想いは? 記憶は? 残ってくれるか分からない。感情の力を渡すというのはあまりに曖昧で、不明瞭で。――だから、後悔したくなかったんだ。


 ソラの双眸から急速に紫紺の光輝は褪せていく。不安、恐怖と共に朦朧とする自我。意識。全身に巡っていたはずの力。


 レイルの頭部から軋めく音が響いた。膨大な力を前に装甲に亀裂が走り、紫紺の光が漏れ出て行く。機体を覆う肉の根が膨張し、破裂し、だらだらと鮮血を垂らしていく。


 不意に晴天に亀裂が走った。背筋を凍り付かせる悍ましい殺意がソラの肌を突き刺す。


 継承の最中、紫紺の光に惹かれるように、一人と一機のすぐ傍で、純銀の気配は舞い降りた。

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