同類
「話、まとまったよ。館長さん。これから私達はどうしたらいい」
ソラは大袈裟に鼻息を鳴らすと、毅然とした態度で館長へ向かい合う。
「情報には対価が必要だ。戦うのは貴様ら二人か? それともどちらか一人か? 手を血で汚し、己のために他者を踏み台にする覚悟がある者だけがこの栞を取ればいい」
少女は一人と一機に栞を見せつける。レイルとソラは奪い取るように栞を手に取ると、ソラだけが酷く不満げに黒い頭部をジッと見上げ睨んだ。
「……今、私の分も取ろうとしたでしょ」
「俺は人を殺すのには慣れている。何かを壊すことにも慣れた」
「嘘。慣れっこなんかない。でも私だって覚悟はした。それを無視しないでよ。……私はきっと、レイルが思ってるより綺麗でもなんでもない」
(そうだぜレイルさんよォ。てめえがあの子の殺人ヴァージン奪ったんだ。責任は取りな。目を向けな。目がねえならレンズでも向けるんだなァおい)
館長がからかうように口笛を吹いた。レイルが敵意を向けるものの動じる気配はない。むしろ彼女を楽しませるだけだった。
「くか……! 初ぃ、初ぃな。そしてそっちの機械は想像以上に……嗚呼。貴様らの感情のデータを読んでみたいところだが、それは対価の結果次第か。いい相手を用意しよう。まるで貴様らのような奴だ。微妙に違うが」
館長が軽快に指を鳴らすと、ソラ達の持っていた栞が線香のように燃え始める。微かな焦げ臭さと花の匂いと共に視界が虹彩を描いて歪んだ。
館長の姿が、周囲の本棚が絵具をぶちまけたような景色に塗り潰され、頭のなかを蠢く酩酊感が上下左右の感覚を奪う。
「限定的な空間転送だな。科学の力ではない。しばらく動かなければ眩暈も消えるはずだ」
レイルから手を握った。玉虫色の輝きに覆われたソラの脳に金属の冷たさと硬さが入り込む。
ソラはぎゅっと握り返して、どうにもならない酩酊が過ぎ去るのを待ち続けた。……手の感触がある限り平静を保つのは容易だった。
平衡感覚と共に視界が開けていく。ふらつきそうになる身体を一歩踏み出して食い留まった。電気で灯るランタンの薄明り。円状に広がる書架。
数メートル先、無骨な小銃を構えるスーツの男と、その一歩後ろで拳銃を握り締める黒い髪の少女がいた。
「大丈夫だぞ。――――。これで汚れ仕事も最後だ。……これさえ終わればもう戦わなくていいんだ。企業戦争も終わる」
男は励ますように少女の名前を呼んでいた。ソラには聞き取れなかったが、黒髪の少女は深く息を吐いて頷いた。ゴムで纏めた髪が尾のように揺れる。
「……あれが敵か」
無機質な声が重く威圧的に響いた。スライドする腕の装甲。カチリと鳴る僅かな金属音に、ソラは少しばかり肩を跳ねた。
展開された青い光刃が空気を歪ませる。機体を覆う肉の根が音を立てて脈打ち、レイルの全身へ広がっていく。
「ねぇ。……私を怖がらせようとしても意味ないからね。気配の色、見えてるし。レイルが怖いことぐらいとっくのとうに知ってる。私のパパを殺した。いろんな人、殺してた。血まみれになってるの。全部見た」
自衛のための拳銃と、クロロインを刺し貫いた異界道具のナイフを握り締める。ソラはゆっくりと息を吸った。白銀の髪を分け、視線を一点に研ぎ澄ます。
「……怖くても。レイルが望んでなくても。私は――もうとっくに覚悟をつけたの! ソラって呼んでくれたときから! ずっと……! ずっと!!」
目の前の二人に恨みはなかった。酷いことをされてもいない。
脳裏にべったりと、拭いきれない嫌悪が蠢く。だがそれ以上に瞳の輝きは強く、強く、業火のごとく紫紺の光を灯していた。
「……結局のところ、どれだけ説得しようとも。最終的に俺が出来ることはこれだけか。戦うことでしか、壊すことでしか何も叶わないのか」
【紫紺の涙】が共鳴するように輝きを増す。レイルは観念したように倒すべき敵二人を見据え、加速した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
死体が二つ転がった。骨まで両断された肉のピースと、じんわりと服を血に染めた少女の亡骸。ソラはなんてことのないようにナイフを引き抜いて、長い深呼吸をついた。
何度も。何度も。数分かけて荒く浅い呼吸を整えていく。
――――命乞いをされた。化け物。怪物だのと罵られた。レイルも殺戮機械だとか、怪物だとか。酷い話だけど、レイルが同じような罵倒を受けたとき、私は少し安堵していた。
「ソラ、怪我は」
レイルはゆっくりと膝をついた。視線を合わせ、黒い手が頬に付いた血をぬぐい取る。ドロリと鉄臭さに濡れたナイフ。持っていた手まで真っ赤に染まり、華奢な腕は強張ったまま震えていた。
「大丈夫……。ただ、前に人を刺したときのことを、少し思い出したんだ。あのときは……何も考えられなかったけど、今は……凄い、冷静で」
ぼろぼろと涙が零れていた。ソラは自分の表情も分からないまま空元気を振り絞り、作り笑いをレイルへ向けた。
「…………すまなかった。俺に力があればキミが泣く必要もなかった。俺に合わせようとして、ソラが自分を傷つける必要もなかった」
「違うよ。レイルに力があったとしても。一人にこんなことを背負わせたくない。見てるだけ、だとね。自分が刺されたみたいに胸が痛くなるんだ。誰かを刺したときよりも苦しくなるんだ」
手の回りの血をぬぐい取った。ピクリとも動かない二人を見下ろすと、すでに彼らの肉体の半分以上が光の粒子になって消えていた。宙を踊る理解できない文字の羅列。データになっていく過程だった。
「結局、……同じだよ。どっちを選んでもレイルが傷つくの、分かってるのに。どっちかしか選べないんだ。話し合って、理解しあえて、殺し合う必要がなければそれが一番いいことだって。皆分かってるのに」
ソラが背伸びをすると、レイルは熟考したまま彼女の頭を撫でた。子供扱いしないで欲しかったはずなのに。ソラは金属の手の重みに寄り沿うように俯いた。
「……終わらせよう。全てを終わらせて便利屋も辞めにする。リーミニと合流して…………。そうすればもう傷つかないはずだ。――キミも、俺も。そしたら別のことを考える。こんな世界でも殺し合う以外の仕事はいくらでもあるはずだ」
気休めの言葉。先の見えない無責任な発言。思考メモリが小刻みにフリーズを起こして酷い目眩を錯覚した。
「決着がついたようだな。ならば貴様らの望む情報を与えよう」
館長の声。靴音が歩み寄る。
次の刹那、知りもしない情報の濁流が一人と一機へ。
脳と記憶メモリに流し込まれた。




