自責
「レイル、まだ敵が……四階に三人。気配の色が――」
「全員殺す」
足音から位置を予測し、レイルは一気に強襲を仕掛けた。握っていた手はすり抜けて、黒い残像がソラの前を過ぎる。
空気を震わせる銃声。弾丸を避け、壁を蹴り跳ねて敵兵の頭部を掴んだ。抵抗を許す間もなく振るい薙ぎ、もう一人へと投げつける。
瞬間、【肉の剣】で纏めて突き穿いた。うじゅうじゅと牙が血肉を貪るなか、残された敵が光刃で斬りかかる。
剣を引き抜くと同時に柄での打突。敵の剣撃をいなし、腕を捉えて装甲ごと皮膚を捩じり千切る。
敵は苦痛に悶えることもなく、無事な腕で銃を手に取り、
「……痛みも恐怖もない。単調だ。スラムのおんぼろ共のほうがマシだな」
銃口が向かうことはなかった。視認不可能な速度の蹴りが前顎を吹き飛ばす。弧を描く黒い軌跡。遅れて、音が轟いた。金属片、歯と骨が足元に散らばっていく。
『ギャア! レイルてめぇ、キレてんのかァ? 自分で選んだコトだろォが』
「…………いつも通りだ」
呼びかけるようにレイルはソラへと視線を向けた。彼女はびくりと半身をのけぞらせた。慌てて駆け寄ったが、脚の震えが止まらなかった。
隠すように握り拳に力を込めて、言おうとした言葉が詰まる。
頭が真っ白になっていた。必死に爪を喰い込ませた。滲む痛みが手の内に広がっていく。
「敵は、この階には……もういないよ」
――――レイルが人を殺すのはもう何度も見ていた。今更、動揺する理由なんてないはずなのに。
怪物でも見るかのように、釘付けになっていた。……目が合った気がした。それでようやく我に返って、ソラは咄嗟に首を振った。笑みを取り繕う。
レイルに表情はない。いつ見たところでその顔が変わることはない。
「…………責めてはいない。むしろ感謝している。ソラ、キミは――俺が人を殺すたびに傷ついていると言ってくれたな」
――なのにどうしようもなく呼気が狭まる。肺が萎んで、何かが突き抜ける。彼に殴られたときよりも、ずっと、ずっと痛くて、……苦しい。
「嬉しかった。初めてそんなことを言われた。だが、違う。俺は元々こういうことに躊躇いはない。惨たらしく、殺そうと思えばこうなる。……怖がらせるつもりはなかったんだ。すまない」
「違う。私は――!」
「急ぐぞ」
ソラは何も言えないまま、もう離さないように手を掴み直した。知らない誰かの血が流れ伝う。無理矢理にでも指を絡めた。
……六階、七階、八階。気配の色は見当たらなかった。死体だけが転がっていた。
今も外で人の叫び声が、銃撃が響き続けているにも拘わらず、張り詰める緊張と沈黙が静寂を錯覚させる。
「リーミニ! リーダー!!」
ソラには一瞬、声が誰のものか分からなかった。鼓膜を震わせる合成音。感情を込めることのできない声色。音量だけが響き渡る。反響し、静寂が立ち込める。返事はなかった。
「いないのか!? いるなら返事をしろ!」
――九階。リーミニとリーダーがいるはずの部屋は通路の奥で、重い鉄扉は金具が外れて横倒しになっていた。【色彩音】が無情にも色を見せつける。……それを口にすることはできなかった。
ただ呆然と部屋の惨状を目の当たりにして、顔が歪む。鼻腔に漂う血と焦げた異臭。敵兵の四肢が転がっていた。床に散らばるボディーアーマーの残骸。引き千切れた肉の塊。
……空いた桃の缶詰。今朝、彼に渡したものだった。彼は、リーダーはすぐ隣にいた。
剥き出しの壁に寄り掛かり、ほとんど閉じてしまった双眸で必死にレイルを見上げていた。赤い瞳が鈍く煌めく。
「へへ、へ…………兄貴ぃ。よかッ、た。生きてたん、スねぇ。信じ、て……よか、った。マジで……。ソラ、ちゃ……んも。無事で」
腹部を押さえたままヘラヘラと笑みを浮かべ口元を拭った。名前を呼ばれて、ソラは深く息を吐いた。リーダーの手を握り締めて、不安定に揺れる紫紺の瞳で彼を見詰めた。
「オレのこと、嫌いじゃあ……ねェのか?」
「好きじゃない。でも、嫌いになったつもりもない」
「……ハハぁ。照、隠しかぁ……? ガホッ! ッ!」
咳き込むと口からどうしようもなく血が垂れ落ちた。荒く、肺に届かない呼吸をかいて、それでも飄々とした態度を崩そうとはしなかった。
「喋るな。安静にするんだ」
傷口を確認しようとレイルは膝をついたが、リーダーはその手を力強く握り、必要ないとでも言うように首を横に振った。
「リーミニが……上に、まだ。だから…………あいつに、謝っといて。くれないスか、ねぇ……。缶詰、俺がほとんど食べちゃって、だから」
「ダメだ。自分で謝れ」
レイルは穏やかに頼みを断った。リーダーは最初から分かっていたように笑ったまま。
「厳しいなぁ……兄貴は。でも、オレ。頑張った、んだぜ……? 怖かったけど、女の子を守るために戦ったんだ。それってすっげえ格好いいことだろ? レイルの兄貴、みたいに、オレ……」
「ああ、お前は頑張った。リーミニも認めてくれるはずだ。許してくれるはずだ。だから――」
リーダーは手を伸ばしてレイルの顔部装甲に触れた。指が撫でて、血の跡を描いて、滑るように落ちる。
「嘘だぁ。あいつは、絶対に怒る……って。だから、今は、会えねエ…………な。……へへ」
気配の色が途絶えた。
力なく息が零れて、項垂れる頭。
もう起きることはなかった。瞳に灯る光が失せていく。黒い手が優しくリーダーを撫でると、彼はそのまま瞑目した。
レイルは数秒、見つめて。何も言わないまま立ち上がった。
「……ごめんなさい」
ソラは無意識のままにそんなことを口にしていた。危うく揺れる紫の瞳。涙が出ることはなかった。泣くこともできずに睨み据えた。
「なぜソラが謝る」
「わかんない。……わかんないよ。でも、私がいたからこうなったんだ」
嗚咽が込み上げて、ソラは何度も深く呼吸を重ねた。自責が苛む。
――いっそ殴られて、拒絶されたかった。そんなこと、しないって分かってるのに。
「もう何も考えるな」
「けど――――!」
黙々と梯子を立て直す黒い背を見ていると、眩暈がした。どうしようもなく痛みが突き刺して、鈍く残り続ける。
「誰かが殺して、誰かが殺された。よくある話だ。ソラの所為じゃない。どうこうできることでもない。キミが傷つく必要はないんだ」
血で汚れた手で白銀の髪を撫でようとして、寸で留まった。
「私、酷い人間だ。…………人間ですら、ないかもしれないけど。レイルが、責めないって分かってて……こんなこと、言って」
ソラは吐く息を震わせて、視線を合わせないまま背を伸ばす。レイルの手を、自分の頭に押し付けた。髪に赤黒い血の跡がこびりついていく。
「もう平気か?」
「…………うん」
顔が熱っぽい。冷たくて重たい手が触れて、ようやく涙が滲んだ。
――本当に、最低だ。
「気配の色は見えるな? リーミニを探そう。合流して、街を離れて、そしたら休めるはずだ。そうすれば落ち着くはずだ」
ソラは弱々しく頷いて、グシグシと強く涙を拭った。
「もう、大丈夫。……ありがと」
凛とした表情を取り繕う。誤魔化すように梯子に手をかけた。カツン、カツンと。足をつけると音が鈍く響いた。




