宿命
「《十三の紫》の信者にある刺青ですねー……。別世界の神様……醜悪な怪物から力を貰うための非科学装置とでも言えばいいのでしょうかね」
レイルはスラムで見た白装束の集団を思い出す。……終末信仰。破滅主義のカルト。祝福なるものを受けた彼らは瞳が紫紺に変色し、異形の力を得た証明のように刺青と共に紫に煌めく。
「…………」
特徴を確認するように、だがソラには何も伝えないまま彼女の双眸を注視した。――青く透き通った瞳がうっすらと光を灯し、宙に濁った瑠璃色の軌跡を描いていた。
「レイル。私、は……!」
ソラは吐き気を押し殺し嫌がらせのように名前を呼んだ。心臓もないはずなのに締め付けられるような錯覚を覚えて、レイルは一歩後ずさる。
動揺したのは一瞬だけだった。刹那の反応を【色彩音】が鋭敏過ぎるくらいにソラに伝える。
ソラは瞠目を返した。感情を露わにするように、見開く瞳に紫紺の煌めきがうつろう。達観するように頬が吊り上がって、どうしようもなく嗚咽が込み上げていた。
「だいじょウぶでスか?」
子供を慰めるかのように声をかけたのはエヴァだった。重い足音を鳴らしてソラに歩み寄ると、数分前に義体の人間を叩き潰した巨腕で優しく頭を撫でる。白い髪にべちょりと、得体のしれない血と粘液がこびりついた。
「私は……パパに……愛されてたのかな。パパは……何のために私を……庇ってくれたんだろう」
何を呟いても言葉にならない焦燥が頭を激しく揺さぶっている。理解するほど、自覚するほど、危うい瞳の輝きが増していく。
「私もここにいたんだよね。ここで造られたんでしょ……? ……ねぇ、私の背中にも同じのがあるの? リーミニが言ってた。私の背中に《十三の紫》が施すものと同じ術印が、刺青があるって……!!」
真っ白になった頭は衝動的に体を突き動かした。ソラは躊躇いなく自身の服をめくりあげると一人と一機に背を見せつける。
露わとなった華奢な肉付き。白い柔肌に刻まれた逆さ十字と翼の刺青が、共鳴するかのように仄かに紫紺の蛍光を発していた。
「――――ソラちゃん。わたしは否定するつもりはありませんよ。あなたはここで造られたと考えていいでしょう。わたしと社長にとっての目的である白の十三番の可能性が高いです」
言葉を失うような緊張は肌で理解できた。レイルが思考するように俯いている。……青い点滅。顔部装甲から光が漏れていた。クロロインが飄々とした面持ちで見つめている。
「…………パパは私を、娘として……見てくれてたのかな。それともその、生物兵器としてしか見てなかったのかな。……私は、パパが好きで。でもこの記憶も、偽物で……」
焼き切れそうなぐらい思考が巡る。――記憶は偽物で、自分が造られた人間だと。外の世界に出て早々に教えられたはずだ。理解していたつもりだった。
「……クロロインさん。私は、あなたにとって敵なの? 破壊すべき、殺すべき生物兵器なの?」
口にすることに躊躇いはなかった。分かり切っていた。【色彩音】の所為で何もかも見えている。彼女の敵意。警戒心。罪悪感。正義感。ごちゃごちゃに入り混じって、灰色に濁っている。
見透かされたことに気づいてか、クロロインは開き直るように微笑んだ。エヴァを、血肉の怪物を手招いて寄せる。
「殺しませんよ。いえ、殺せませんが正しいですね。《十三の紫》の祝福を受けた人をですねぇ。殺しちゃうと生まれ変わるんです。異界の怪物に。フェンリル人体工房を破滅寸前まで追い込んだ生物兵器に」
クロロインはゆったりと脱力しながら注射拳銃を握り締める。マガジンの挿入部分に突き刺さった円筒。中には粘性の液体が詰まっていた。光のない真っ黒な瞳がソラを見据える。
青紫の双眸で睥睨を返した。……吐き気を抑えられそうになくて、押し殺そうと頭を抱える。歯が軋む。ついさっきまで普通に話していたはずの、自分よりも小さな女の子が銃口を向けている。
「…………嫌だ。争いたくない。私だけなの? ……世界がこんな風になる前の、昔の話……聞きたいって言ってたじゃん」
「――わたしはですねぇ。自分のために、世界のために、そんな大義名分のために犠牲にした子のことはですね。覚えておくんです。友人になりたいと思うんです。だって、何も背負いもせずに利用して忘れるなんて……まるでマッドサイエンティストみたいじゃあないですか」
ガチャンと。小さな手で注射拳銃の安全装置を外した。円筒が銃身の奥へと装填される。即座にレイルは前に出ると【肉の剣】に手をかけた。一人と一機に躊躇はない。
クロロインが敵意に晒されると、血肉の怪物もまた臨戦態勢を取った。脈打つ肌を強く打ち鳴らし、口腔から白い吐息を荒く漏らす。
「彼女に何をするつもりだ」
「エヴァちゃんやレーシェちゃんと同じようにするんです。いえ、少し勝手は違いますがね。この薬液を差して、体を全て液体にするんですよ。脳みそも内蔵も溶かして。そうすれば痛みも狂うこともなく、死ぬこともありません。これがわたしたちの仕事です。白の十三番が暴走することもありませんね?」
何もかもを諦めきった眼が大きく見開いていた。小さな銃口がソラのすぐ目の前にあった。
『危機回避プログラムを起動します』
ラビットサイトが明確な危険を告げる。視界に映る弾丸の予測軌道。………恐怖はなかった。ただ胸に穴が開いたような感覚が体を強張らせる。脚は一歩だって動けそうにない。指先がチリチリと痺れている。
「彼女は守ると約束している」
『ギャハ! 悪いけどオレもよおおお! 飼い主の言うことは聞かなきゃあいけねえんだわ!』
「なら契約破棄でもしますか? あなたの仕事はわたしと一緒に白の十三番に対処することです。……便利屋風情がフェンリル人体工房を敵に回しますか? 落ち着いて考えるべきですね。心の声に耳でも傾けてみたらどうですか?」
存在しない心臓が強く脈打った。痛みなど感じないはずの機械の体が軋むような頭痛を訴える。
(彼女を渡すべきだ。必要になると言っただろう。今がそのときだ)
強く響く命令が【肉の剣】を握る力を弱める。思うように機体を動かせない。人間性に反した作動が勝手に働こうとする。
「……ジャミング? 彼女と会ってからこの声が時々聞こえていたのはお前の仕業か?」
「どうでしょう。けどこうなることが偶然だったと思いますか? わたしは思いませんよ。最初からソラちゃんを悲しませる覚悟がありました。でも嘘はついていません。……本当に、聞けることなら聞いてみたかったんです。昔の世界の話」
――滲み出る同情と自嘲の色。今に泣いてしまいそうな表情を鉄面皮で覆う顔。嘘がないことは明らかだった。説得したって無意味だと、嫌になるくらい理解できた。
「クロロインさ、ん。私、は…………! 私は――ッ!!」
爪が食い込むくらい握り拳を作った。目頭が熱い。乾き切ったはずの瞳が潤む。熱い。……熱い。焼けそうなくらい熱を帯びている。声を出そうとすると喉の奥が震えていた。
「…………私は。ケリをつけたかっただけだったの。殺すにしても、殺さないにしても……納得行く結果が欲しかった。……だから、できない」
「そうですか。ですがあなたがなんと言おうがわたしは変わりませんよ。白の十三番を処理するだけですから」
クロロインは一歩、踏み込んだ。レイルは反射的に【肉の剣】を握りなおす。剣先を彼女の額に突き付けた。
「ああ……俺は何をしてるんだ。金がなければ何もできない。契約に逆らうなんてどうかしている。……声の言う通りにすべきなんだが」
自分が誰の手によって機械に変えられたのかを知るために、罪悪感もなく人を殺してきた。必要な犠牲だと考えていた。金が必要だったから、便利屋として仕事をしていた。
だが契約に逆らったとなれば金輪際依頼は来ないだろう。企業の粛清も来るはずだ。たかが一日一緒にいた少女のためになぜここまでリスクを冒しているのだろうか。
――否。合理的に考えて間違っている。機械的判断に逆らっている。
「エラーの通告でも出てくれればいいものを。俺は人として。こう説明するべきだと考えている。――――彼女は白の十三番ではない。ソラだ」
「……そうですか」
白髪の少女は瞠目した。涙が頬を伝うのに、真っ白だった頭が不自然なくらい整っていく。喉奥の震えが一瞬にして消えていた。
「こんなときになって初めて名前を呼ぶのね」
「生憎、俺が知っているソラは白の十三番ではない。複製されたいくつもの彼女達でもない。彼女一人だっただけだ」
ソラは無自覚のままに腰に下げたナイフを握り締めた。レイルに渡された異界道具が、【紫紺の涙】が共鳴するように強く輝く。
「……そうよ。私は白の十三番じゃない。レイルと一緒にいた私は私だけなの! ――――こいつらなんかと! 一緒にしないで!!」
「…………そうですか」
クロロインは憂いげに呼応すると、脱力したまま引き金を振り絞った。




