斬撃
「不思議な場所…………」
ソラはゆっくりとしゃがみ込んだ。足元の苔を恐る恐る撫でて、ぼんやりと仰ぐようにラインフォード商会の建物を見上げる。
「綺麗、ですよね。でも――」
クロロインはソラの感想を代弁するように呟くと、表情を変えないまま嬲るように苔を踏み締める。
「でも、異界の植物です。本来あってはいけないものです。ラインフォード商会も、【十三の紫】が信仰する異形の神も。得体の知れない怪物も。それに……こんな肉っぽい森よりも、この星には本当はもっと綺麗な場所だったらしいですよ」
「昔の話をするなら彼女のほうが俺達よりも詳しい」
「そうなんですかぁ? わたしが聞いた情報だとその辺の来歴に関しては知りかねるので、もしよければ後で色々と聞いてみたいですね」
「私はいつでもいいけど……待って。何か来てる……!」
ソラは顔を歪めて、反射的にレイルの背に隠れた。【色彩音】によって視認できた気配の色は四方八方を囲んでいたが、実際の視覚では何一つ見えなかった。
「なにかいるのか?」
レイルはソラの反応を見て【肉の剣】を構える。うじゅうじゅと脈打つ深紅の剣は目を見開いて、周囲を一瞥すると下品な笑いを吐いた。
『ギャハ! オレも見えるぜえええーッ!ありゃ人間か? 臭いが若干違ぇが八名のお客様だッ! 真っ赤なボディスーツ着てるけど関係ねえな。斬れるぜ』
「……歓迎されていないなら身を守るしかない」
レイルは冷酷に言い切ると同時、地面を蹴り込んだ。ラビットサイトの補助もあったうえで視認できないほどの加速。漆喰の影が横切り、遅れて赤い軌跡が走る。
何もない場所から血飛沫だけが噴き上がった。【色彩音】によって見えていた曖昧な色すら消えて、緋色の苔が血を吸っていく。
『ソラ様。しゃがんでください』
側頭部で電磁浮遊したままのラビットサイトが警告を発する。すぐさま身を屈めると頭上を弾丸が掠めた。血の気が引く。後悔する気はなかったが、握り拳を作ったままの手はひどく汗が滲んでいた。
「……ッ、敵! 増えてる!! 色が見えた」
『予測回避プログラムを起動しました』
脈打つ樹木。赤く濁った枝葉をかき分けるような音と、敵意を帯びた気配の色。不可視なのは本体だけだった。劈くような銃声が連続して轟く。
脳に電流が走るような錯覚がこれから放たれる弾丸の軌道を笑えるくらいスローに描写していく。
真っ白になりかけた頭が急速に冷えた。震える手で銃を握り締め、引き金に指を押し込む。射出したエネルギーの塊が半透明の膜を広げた直後、放たれた銃弾が衝突した。
金属を打ち鳴らす音。衝撃によって生じた火花が散る。
「クロロイン。悪いがそっちの敵は頼んだ。見えない敵というのは面倒だ」
「あいあいあーい。それじゃ、仕事ですよ。レーシュちゃん」
クロロインは自嘲的な笑みを浮かべると注射器を取り出し、同行させていた白いフードの被検体に打ち込んだ。
悲鳴にも近い幼いうめき声がこぼれ、白いフードの中で肉が蠢く。ぼたぼたと血を滴らせながらフードの奥に隠れた双眸が赤く輝く。
「……なにそいつ」
「ええ。彼女はレーシュちゃんです。年齢は十四。超能力に関する実験で失敗したので私が資源を有効利用する感じですね。それじゃあレーシュちゃん。嬲りなさい」
「―――――――■■――■■■■■■!」
空気を震わせる絶叫をあげて白いフードを被った怪物が触手を縦横無尽に這い伸ばす。見えない何かを縛り、鷲掴み、金属が軋む音がギリギリと鈍く響く。そして――つぶれた。鉄の臭いが一瞬で鼻腔を満たす。
『ギャハ!! レイルさんよぉー! 四人食った! 咆哮はぁーッ、五回だぜ? 魔力が多くて旨んめぇ食事だった。ドブネズミの唐揚げには負けるけどよッー!』
【肉の剣】が見えない敵を両断するたびに血を吸い、牙が肉を貪り抉る。刃がぶくぶくと気泡を形成しながら肥大化していた。
ソラが【肉の剣】の変化に気づいたときにはレイルの等身を超えるまでになっていた。
「三回分だ。道を作る。――――叫べ」
無感情な声にソラは強く胸を押さえた。ドクンと。一度強く心臓が跳ねる。吐く息が震えた。
次の刹那、突風が貫いた。空間を吹き飛ばした不協和音が轟く。赤い森が抉れ気配の色が一瞬で途絶える。僅かな血飛沫がソラの頬へ飛んだ。
生じた風によって白銀の髪が靡く。衝撃が消え静寂が包み込む。
「片付いたが――急ごう。すぐに増援が来るだろう。威力が過ぎた」
『三回分の咆哮だぜーッ! あと二回だ。補給がねえならな!』
空間を削る斬撃は一直線にすべてを消し飛ばしていた。空気、土、樹木、人間。ラインフォード商会の研究棟……聳え立つような白亜も例外ではなく、鋭利な刃物で切り取ったような傷跡だけが残っていた。
「…………敵は。見える限りだといないよ。もう。……生きてる人は誰もいないよ」
ソラは頬についた血をぬぐい取って、周囲を見渡した。無意識のうちに青い眼に涙が溜まる。レイルが振るった一撃が自分に向けられたものではないと分かっていても手足は震えて凍り付くように動かせなかった。
父親が跡形もなく消えてしまった瞬間が蘇って、顎骨の根本にまで酸っぱい臭いが這い上がる。
「…………もう大丈夫。行こう? あの建物のなかに、【白の十三番】があるんでしょ」
ぐしぐしと目を拭った。腰に吊るされていた【紫紺の涙】がうっすらと輝いていたことに気づいていたのはクロロインだけだった。




