不幸な心
ある部屋の隅で男3人に囲まれ、蹴り続けられている私が居る。どうして私は彼らに蹴られているのか。そんなこと、私がわかる訳がない。どうせストレスが溜まったからだとか、イライラしていたからなどと、そんなしょうもない理由だろう。私達のような高校生の人間が暴力をふるう理由なんて、全部がしょうもないものだ。
私が虐められてる現場を見た人は
「不幸だね」
と思う人も中にはいるだろう。この言葉に私は疑問を持つ。これはよく報われない酷い人や馬鹿にされる人が言われる言葉。
しかし考えてみて欲しい。果たしてそれは、誰を基準として不幸と呼ぶのだろうか。何を基準にして不幸と言うのだろうか。本来ならば、明らかに誰もが平等な社会なはずだ。
平等ではない?確かに生まれや才能、容姿等は個々で全く違うだろう。例えばそれが、人間全員が全て同じだったとする。果たしてそれは「楽しい」だろうか。同じ見た目、同じ才能、同じ容姿。恐らく、全員が同じ思考になるだろう。
全員があいも変わらず、発展もない世界。全部が天才だったとしても突発的なアイデアが出る訳でもない。
では逆に「幸福な人」をあげてみよう。それは恐らく、日常に不自由や不満がなく満たされている人にあたる。だがこれも不幸と同じで、何を基準に幸福だと言えるのだろうか。周りの人?自分の中で?例えそう誰かに問いかけてみても、自分の事を幸福だと答える人はごく少数だろう。どちらかと言うと、これは誰かから言われる言葉だ。当然その場合の基準は自分では無く、その人の基準になる。
それならば人間は、何が不幸で幸福なのだろうか。私は今このようにして彼らに虐められてはいるが、それでも私は自分のことを不幸だとは思っていない。寧ろそれは、虐めている彼らのほうが不幸だと私は思う。
人を虐めなければ満たされない心。
人の不幸が幸福だと思う心。
その心を持つこと自体が、不幸なのだと私は思う。
ならば、その人を救う為にはどうするべきか。
改心させる?それは無理だろう。何故ならその心を持った時点で、もう既に手遅れなのだから。
ならどうすればいいか。そんなのは簡単だ。
「人の心を壊せばいい」
「ん、なんだよ。聞こえねぇよ!!もっと大きな声で喋れよ!!」
「そうだよ!なんだよ言ってみろよ!」
彼らの怒りは更に激しさを増し、私を蹴る力も強くなる。
「なんだよ。何も喋らないで。気絶したか?」
「もう面白くないからここまでにしとこうぜ」
とうとうその場に倒れてしまった私を見て飽きたのか、ようやく男達が居なくなった。これでもう、終わったのだろうか。
「心を壊すまで復讐してあげる」
そう独り言を告げる私の口元に、無意識の笑顔がこぼれた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます!
虐められる側も辛いですが、どちらかと言うと、虐めてる側も不幸ではあると言うのを伝えたいと思いました。