弔花 ♯6
「ちくしょう、やられた……! あの取引場所は誰にも漏らしてねえつもりだったのに……」
バンを飛ばし、旧世代の携帯の電波圏内まで急いで運転しながら、アラタはぶつぶつと呟く。電波圏内になれば、救援を呼べる。あのスパイクブーツの男は、誰の目にも、救援無しで戦って良い目の見込める敵ではなかった。
後部座席に乗ったショウは、隙を見て新世代携帯で短いメールを作り、二人の依頼主へと送った。『取引失敗 邪魔者介入 事件』。AIが見ても何のことやらさっぱりだろう。だがこれで十分だ。
一人からはすぐに返信が来た。『すぐに来い 話がある』。ショウは素早く電源を落とし、何事も無かったかのように、あくまで不安げに前を見る。
そんな落ち着かなげなショウの様子に気付いたのか、アラタは憔悴したような顔で笑みを浮かべ、バックミラー越しに目を合わせた。
「大丈夫だ。悪い、新入りのお前は不安になるよな……大丈夫、ゴライアスさんは強いから、平気だ。救援が到着する頃には、あのクソ野郎をブッ倒してるさ」
それだけ言い終えると、アラタはまた前方、整備されていない荒れ果てた道へと視線を戻す。その顔に笑みは無い。何処か疲れたような目だ。
そんなアラタの様子に、どこか違和感を感じながら、ショウはバンに揺られていた。やがて旧世代の携帯が震え、電波圏内に入った事を知らせた。
◆
「ハアッ、ハアッ……」
ポタポタと、血が垂れる。
今の組織に入る前、ゴライアスは地下闘技場に覇王として君臨していた。ダーティファイト大歓迎、死人怪我人当たり前の、最悪のリング。何も暴力を好いていたわけではない。そこでしか生きられなかったからだ。
だから、今のボスに拾われ、信じられないほど平和な生活を手に入れた時……彼は、組織に絶対の忠誠を誓った。新たな生き方を教えてくれたボスは、自分に新たな命を与えてくれたのと同義だったからだ。
「しぶといな、デカい口叩くだけはあるぜ」
アロンは両拳の血を振り飛ばし、面倒そうに首の骨を鳴らす。彼の鋼鉄の身体には、数か所のアザ。ゴライアスの決死の拳は、何度かアロンを芯から捉え、着実なダメージを叩き込んでいた。
対するゴライアスは、左腕をぶらぶらと遊ばせながら、よろよろと血の水たまりから立ち上がる。その全身はアザまみれだ。左肩の骨が砕かれ、内臓破裂も数か所。それでも、ゴライアスは両の足でしっかりと立つ。
「フン、政府の刺客ってのは随分ヌルいな。俺のおふくろでももっと強く殴れるぜ」
「そうかい、そろそろあの世のおふくろに会いに行ったらどうだ?」
「おふくろは元気に生きてるよ、クソ野郎」
言いながら、ゴライアスは深呼吸し、重いステップを踏み始めた。片腕で拳を構え、痛む身体を気力で黙らせ、サイのような瞳からは闘気が失せる事はない。
アロンは溜息を吐き、拳を持ち上げた。それとほぼ同時に、ゴライアスは凄まじい気迫で踏み込み、暴走するサイの角の一撃じみたパンチを繰り出した。彼の拳は破滅的な弧を描き、アロンの頬へ到達しようと……。
その時、ゴライアスは自分の拳が僅かに逸れた事に気付いた。暴走するレーシングカーが、ガードレールに沿って軌道修正されるかの如く……力の流れが、阻まれた。地下闘技場の覇王は原因を探し、そして目を見開いた。
鋼の腕が、ゴライアスのパンチの軌道の内側に入り込み、その拳を伸ばしてくる。この技は、クロスカウンターだ。相手のパンチの威力が高ければ高いほど、掛け算じみて自分のパンチが強くなり……
「っぐ……」
頬に突き立った拳の感触に、ゴライアスの意識は真っ白に染まった。一瞬後、彼はたたらを踏み、倒れそうになる自分を知覚した。
操縦不能となった飛行機のコックピットから墜落を眺めるかのように、ゴライアスはある種の諦観を持って己の敗北を受け入れた。自分は、目の前の男には、勝てない。自分は平和に慣れ過ぎた……。
巨体が倒れ、地面が揺れた。アロンは手首をぶるぶると振り、倒れたゴライアスを見下ろす。白目を剥き、口の端から血を流している巨躯を。気を失っているようだ、もう動かない。
「ケッ、こんなモンか」
毒づき、アロンはゴライアスの身体を引き起こそうとする。が、廃工場の外から響いてきた複数の車の音に動きを止め、じっと耳を澄ませた。
慌ただしく車から降りて来る靴音。アロンは即座に撤退を決定した。雑魚が増えるのは面倒だ。
(強えヤツと戦えるならまだしも)
小さく舌打ちし、アロンは迫る靴音とは反対方向へ駆けだした。ヒーロー由来の脚力により、彼の姿はすぐに見えなくなる。
数秒後、アラタが呼んだ増援が到着し、満身創痍のゴライアスを発見した。