弔花 ♯4
「よせ……よせ、俺は何も」
「あぁ? 俺が断罪の天使にでも見えるのか? テメェの都合で現れたんじゃねえ」
打撃音が鳴り響く。身体を折り曲げた男が、薄暗い室内を吹き飛ばされる。電灯の下へ転がる男を追うように、スパイクブーツが床を歩む。
床に倒れた男の顔は、もはや原型も怪しいほどにボコボコにされていた。手や腕は青あざだらけになり、相当殴られ続けていただろう事が伺える。指の内の何本かは奇妙な方向へ折れ曲がり、骨が皮から飛び出している。
そんな状態に追い詰められ、男はうめくように命乞いを口にした。
「待て、やめてくれ。俺を殺しても良い事はねえ」
「誰が殺すって言ったんだ、雑魚が。テメェは連れて行く」
床に転がっていた男は、その言葉に、驚いたように目を開き、顔を上げる。連れて行く? 自分は殺されないのか?
その時、ボコボコに殴られていた男の脳裏に、奇跡的に閃くものがあった。ここ最近の連続誘拐事件。組織での行方不明者の続出。『ヒーロー』を狙った犯行。目の前のスパイクブーツの男の、圧倒的な強さ。全ての点が繋がり、線になる。
「じゃあ……お前が、皆を……」
「ああ? 違うな、それはよ……ハハハ、テメェを売ったのは別の人間さ。俺は収穫しに来ただけだ」
「クソ野郎が!!」
殴られ続けていた男は、それまでの憔悴が嘘のように機敏に立ち上がり、スパイクブーツの男に抱き着いて全身に力を込める。直後、信じられぬ光景がそこに現れた。
抱き着いた男の全身から、鋭利で屈強な棘が、何千、何万本と飛び出したのだ。見れば、肌の細胞から変質し、硬化して、それらが針のように変化して飛び出している。明らかに、ただの人間の振る舞いではない。
彼は一体何者なのか? だが、スパイクブーツの男は、そうした疑問をおくびにも出さなかった。全身を貫いたであろう針の感触にも、一切たじろぐ事なく溜め息を吐く。そして、乱暴に針の男を押しのけた。
「な……」
驚くのは針の男であった。何故死んでいない? 今頃、目の前の男は、穴だらけになって死んでいなければおかしいのに。一歩退き、逃げるように距離を取る男。
それを追い、スパイクブーツの男が一歩距離を詰めた。電灯の下にさらされた肌は、鈍い銀色に輝いている。肌が、鋼鉄と化しているのだ。
「……お、お前も、ヒーローなのか」
「気付くのがおせえんだよ、三下が」
鋼鉄の拳が振り抜かれ、男の頬を捉えた。
◆
『H.E.R.O.』
『世界への爪痕、未だ消えず』
『ヒーローは人間なのか?』
新聞の切り抜きをまとめたスケッチブックを開き、ショウは暗い自室で溜息を吐いた。
「H.E.R.O.」。ヒューマン・エボルブ・レコーテッド・オブジェクト。第4次世界大戦中、兵士たちは競うようにその新薬の被験体に志願した。摂取すれば超人的な身体能力を手に入れられたからだ。
多くの陣営で新薬が出回り、しばらくは超人同士の戦いが続いた。だが、半年ほど経過してから、副作用が表れ始めた。皆、一様に死んで行くのだ。事前の研究不足か、それとも意図的な誰かの思惑が働いていたのか。
いずれにせよ、副作用による死人は多すぎた。事態が終息を迎えた時、死者数は全兵士の実に7割に達していた。
もともと疲弊していた世界は、この事態にあっさりと停戦を承認。くすぶる戦線をいくつか残しつつも、戦争は終わりへ向かった。
では生き残った者は? 一筋縄では行かない症状に見舞われ始めた。身体から炎を出したり、帯電したり、全身が岩になったり。
良く言えば、彼らは異能力に目覚めた。
悪く言えば、彼らは発病した。
『ヒーロー』。これは決して、現代では良い意味の言葉ではない。H.E.R.O.を摂取し、副作用を乗り越えた者達は、手に入れたくもない異能を手に入れ、一般人に疎まれる日々を過ごしている。そうした人間を、『ヒーロー』と呼ぶのだ。
今回の『ヒーロー誘拐事件』は、ショウにとっても他人事ではなかった。彼も過去に戦場へ赴き、ヒーローとなって帰って来ている。
国の為に戦場へ行き、命の為に新薬を摂取し、生きて帰れば腫れ物扱い。そこへ来て、この誘拐事件だ。全く他人事では済まされない。
「……」
軽く溜息を吐き、ショウはスケッチブックを閉じた。彼は優れた探偵だが、たまにこうして考えのまとまらない時がある。
彼は声が出せない。H.E.R.O.は、彼の脳の、発声を司る部分を破壊した。後遺症だ。感情が極度に高ぶった時は、この枷も外れるのだが……普段のコミュニケーションは絶望的だ。
「……」
携帯が震えた。アラタからのメールだ。どうやら今から仕事があるらしく、集まるように指示されている。あまり時間の余裕はない。
了承の意を込めたメールを送り、ショウは立ち上がる。そしてナイフ、拳銃、黒いコートを引っ掴んで着用すると、駆け足で出て行った。
(声が無くても、文は書けるしな)
玄関の扉を開きながら、ショウはぼんやりと考えた。