7-8 黄玉の薔薇
「で、結局フォルカス殿下はお前に何の用だったんだ?」
雨に濡れた髪を布で拭き、櫛をいれとかしている最中、髪を布で荒っぽく拭いていたヴァインが私にそう尋ねてきた。試験場には休憩用に、いくつかの仮設テントを設けていたが、このテントには私とヴァインの二人以外の姿は見られなかった。先程迄、フォルカス殿下が私を尋ねていらっしゃったのがその理由だ。
「月末に開かれるボイル国王の生誕祭に、婚約者として出席しろって事みたいよ」
「……そうか」
私の言葉に、ヴァインは俯きそう答える。彼が何を思っているかは解らないが、表情からは彼があまりよくは思っていない事が感じられる。
私としても別段、参加したい訳では無く、可能であればむしろ全力で辞退したい所と言える。
だが――
『この俺の即位式でさえ出席しなかったお前の事を、あまり良くは思っていない貴族の連中も中にはいる。流石に今回ぐらいは、俺と一緒に出席してもらうぞ』
――と、フォルカス殿下から直々に出席するように申しつけられてしまっては、逃げ出す事は難しい。
(しかも、わざわざこんなものまで用意するなんて)
私は机の上に置かれた、小さな宝石箱を手に取る。
中には、オレンジ色の宝石を中央に据えた、薔薇の意匠のブローチが入っている。
(土の魔素が濃いし、ダイヤとかじゃなくて石と同じケイ酸塩系かな。王族が黄水晶は考えにくいし、色味から石榴石もないか。なら黄玉あたりかな)
こちらの世界での宝石の価値はわからないが、ブローチに据えられた宝石は縦に長く、その色合いからインペリアトパーズあたりだと思われる。
ふと、向こうの世界で、宝石が擬人化したソーシャルゲームに嵌った咲良に連れられ、買いもしない宝石店何時間も彼女の講釈を聞かされた事を思い出す。
(だとすればそれなりの価値のある代物って事なんだろうけど)
普通の令嬢であれば、こういったプレゼントに対して諸手を挙げ喜ぶかもしれない。だが――
(これに合うドレスを見繕わないとだめなのかぁあああ)
以前に比べ、ドレス等に対する違和感はかなりは薄れているが、それでも動きづらく着慣れないドレスを好んで着用する気にはなれなかった。その為、こういったプレゼント品に合うような、ドレスのレパートリィなんてものを私が持ち合わせている訳は無く、今から仕立てようにも、たったの一ヶ月程度ではどうにもならないのが現状である。
「はぁ、まったく余計なものを……」
「殿下のプレゼントを余計なもの扱いする奴って、たぶんお前ぐらいだよ」
私の呟きを聞いていたヴァインは、やれやれといった表情で私の事を一瞥する。
「ヴァイン、言っておくけど貴方も参加するんだからね!」
「は?」
「護衛よ護衛。実際、私の参加も、半分は殿下の護衛だから」
国王の誕生祭では、武器の携帯に関しては硬く禁じられている。武器を所持できるのはホールを警護する衛士達にのみだ。王城内の、しかも衛士達の警護の下、何が起きる訳でもないだろう。だが、5年前に発生したオーガスト邸襲撃事件の事もある。そこで、フォルカス殿下は王族の警護として私とヴァインの参加を検討されたという流れだ。
「俺そんな話、ぜんぜん聞いていないんだが?」
「あら?今、話したわよね」
「お前なぁ……」
フォルカス殿下からは、ヴァインも出来れば参加するように説得してくれと言われていたが、こうなれば彼の意思など知った事では無い。絶対に参加させてやる事にする。
「ヴァインは魔術狂いだからクローゼットの中には烏みたいに真っ黒なローブしか入ってないでしょうけどね」
「お前がそれを言うか!お前が!」
「ふふふ。残念ながらローブしかないクローゼットとは4年も前におさらばしたのですよ」
「それって、自慢するような事でも無いよね?!」
流石の私もフォルカス殿下の婚約者になってからは、何かとドレスの着用を求められる場面が増えていた。その為、私のクローゼットは、以前とは異なり三分の一程度は普通の令嬢のクローゼットらしきものへと変化していた。
(まぁ、それでも魔術ローブの利便性や、剣術修練着の動きやすさは捨て難いけどね)
だが、目の前の彼にそんな事を言ってやる必要性は一切感じない。
「くそ、親父とお袋に頭を下げるしかねぇか……」
「なんだヴァイン。私に頭を下げるとは、また何かしでかしたのか?」
私とヴァインが驚き、仮設テントの入り口の目をやると、王宮魔術師団長ヴァイス=オルストイ様がこちらを見て、不思議そうに顔を傾げていた。
「えっと、いらっしゃいませ。ヴァイス様」
「あぁ、ヴァージニア嬢。今日の実験のデータを貰いに来た。私はこれでも戦技課の顧問のような存在だ。見る権利があるはずだ。もちろん、渡してくれるのだろ?」
そう言うとヴァイス様は、こちらの意図をまるで無視し、机の上の私の書きかけの実験報告書を我が物顔でひったくってしまう。
「……まだ、書き終えていませんよ?」
「なに、かまわんさ……ふむ、やはり降雨領域の指定までは難しいか」
「はい。さすがにそこまでの制御は。現在の魔導具では今のレベルが限界かと」
「そうか。で、招雷実験のほうはどうだ?」
「そちらは、まだ魔導具の開発を進めている段階です。現在は、風のオドを調整し真空誘導路の形成に取り組んでいる所です」
ヴァイス様は私の言葉に何度も頷き、いくつかの質問をされた後、私のレポートをまるで自分のもののように懐に入れてしまう。毎度の事ではあるが、また書き直しだと思うと少しだけうんざりした気持ちに苛まれる。
「で、ヴァイン。私に頭を下げるとはどういう事だ?」
「いや、別に悪いことをしたってのじゃなくて……その、俺もそろそろ正装がほしいかなぁと……」
ヴァインはしぶしぶ、ヴァイス様に現状の説明を行う。
「なんだそんな事か。お前も魔術師の端くれなら魔術師のローブでよかろうに」
「親父。さすがに国王陛下の誕生祭にそんな格好で出席する訳にはいかねぇだろ……」
「ほう、お前もあれに出席するのか。なら、私のほうからレオノーラに伝えておこう」
「まじか、サンキュー親父」
レオノーラとはヴァイス様の奥方レオノーラ=オルストイ様の事だ。何度か私も顔を合わせており、その度彼女には優しくしてもらっている。レオノーラ様が対応されるのであれば、ヴァインの正装の件は何とかなるに違いない。
こうなるとドレスの見通しがたっていない今、ヴァインの自慢げな顔が非常に憎憎しく感じ始める。
「君達も誕生祭に出席するのかい?」
ヴァインをどうしてやろうかと頭を捻っている最中、急な声に驚き私は仮設テントの入り口に目をやった。
すると、そこには意外な人物が立ちつくしていた。
「アイン殿下?」
「やぁ、ヴァージニア嬢。ヴァイス様とこちらの試験場の様子を見に着たんだが、ヴァイス様がテントの中に入られたまま一向に出ていらっしゃらないのでね。失礼ながら、中の様子を伺わせて貰ったという訳なんだ」
「そうでしたか」
そう言うとアイン殿下はテントの中に進み、私の傍へとやって来る。
「降雨実験だったか。見事な結果だったようだね。おめでとう」
「ありがとうございます。殿下」
「君達、戦技課の事は他の学課でも毎日のように噂されている。同じ学年の生徒として僕は君達を誇りに思うよ」
社交辞令であっても、戦技課が褒められるのは嬉しい。
私は改めて、アイン殿下に頭を下げる。
だが、たった一日で、こんな小汚いテント中に王国の王子が2人もやってくるとは驚きだ。
「……それは?」
私の手元にある宝石箱をアイン殿下は目ざとくお見つけになられる。
「これは、フォルカス殿下から頂いたもので……殿下?」
フォルカス殿下から頂いたブローチを説明する途中、アイン殿下は俯き不快感をあらわにされる。
「いや、なんでもない。そうか、兄上がそのオレンジの薔薇を君に……」
「はい。婚約者として誕生祭に出る際、これを身につけよと申されまして」
私の言葉にアイン殿下はより一層、不快感をあらわにされる。
「ヴァージニア嬢。今日はこのへんで失礼させてもらうよ。また、今度ゆっくり話そうじゃないか」
アイン殿下は突然そう言うと、踵を返し、テントの外へと歩き出される。
「ふむ。では私もこれで失礼しよう。ヴァイン、後でレオノーラの所に顔を出すようにな」
「へいへい」
ヴァイス様はそうおっしゃると、アイン殿下を追いテントの外に向かわれた。
テントの外では、ブリジット嬢達が殿下達の事を待っていたのだろう。
彼らの声は試験場に響き、そしてその音は徐々小さく遠ざかっていく。
「……ほんっと、お前って鈍感だよな」
「はぁ?」
一体、急に彼は何を言い出すのだ。
謂れの無い彼の物言いに、私は不満の声を上げ続ける。
「……まぁ、俺も人の事いえる立場じゃねぇか」
「何が言えないって?」
「さぁな。ほら、今日の実験の打ち上げするんだろ?技術棟に戻って準備するぞ」
そういい、ヴァインはテントの外へ駆け出していく。
「ちょっと、何が言えないってのよ……あーもう、今日の実験報告書まだ出来てないんですけど!」
私は白紙の紙の束を引っつかみ、ヴァインの後を追いかける。