7-6 身分
「え、アイン=ファーランド殿下って第二王子様?!」
「ええ、そうよ」
シトリーの問いに私は頷き答える。
シトリー自身の自己紹介は行ったが、生徒達についての説明は特に行っていなかった。
その為か、シトリーは教室にいたアイン殿下の事を正しく認識していなかったようだ。
同学年で最も権威を有しており、決して逆らうべきでは無い相手。
それがアイン=ファーランド殿下であった。
「シトリー=フラウローズだな。私はギヴェン王国第二王子、アイン=ファーランドだ。本日より午前は君と同じ教室で学ぶ事になる。よろしく頼む」
「シ、シトリー=フラウローズです!こちらこそ、よろしくお願いします!」
シトリーは緊張のせいか、椅子から立ち上がると顔を真っ赤してアイン殿下に頭を下げる。そんなシトリーに対し、未だアイン殿下のお供を続けているブリジット達は冷ややかな目で見据えている。
「シトリーさん。貴女は一番最初に挨拶すべき相手を間違えていらっしゃいますわ。マリノ嬢と面識があった御様子ですが、この学院は特殊な環境であっても、身分をわきまえない愚か者にはそれ相応の躾が必要となります。貴女も男爵家の令嬢であれば、そのぐらいの事は理解なさってますわよね?」
ブリジット嬢はいつぞやの仕返しとばかり、当時の私の言葉を用いてシトリーを攻め立てる。
「おぃ、てめぇ……」
「黙って、ヴァイン。これは私達がでしゃばっていい話ではないわ」
これはフラウローズ家とフォルカー家との問題だ。フラウローズ男爵家がフォルカー侯爵家の傘下である以上、シトリーとブリジット嬢の問題はフォルカーの派閥内での問題であり、マリノや貴族でさえないオルストイが口出しをしていい話ではない。
「くっ」
「下手な言動はシトリーさんの迷惑になるわ。分かって」
これはヴァインにだけではなく、彼と同様に憤りを隠しきれていないトミー達に対してもの警告だ。
この学院は見方によっては社交界の縮図といえる。
学院内において生徒の間に貴賎の差はないと思っている人間は、よっぽどの世間知らずか、恐れ知らずの愚か者のどちらかだろう。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。フラウローズ男爵家シトリーと申します。どうぞよろしくお願いします」
「他家の紹介も無しに、私に名を告げる無礼は殿下の手前、許しましょう。ただし殿下を差し置き、マリノの家の人間に声を掛けた事に対しては、釈明を求めます」
ブリジット嬢の言葉にトミーは眉間に皺を寄せ、怒りに震えだす。ヴァインもまたトミーと同様、手を強く握り締め、湧き上がる怒りを抑えるのに必死の様子だ。
(貴族社会では当たり前の事なんだけど、貴族でないものには奇異に見えるんだろうな)
特に、戦技課のように身分を気にせず、互いを尊重しあう環境にある生徒なら余計であろう。
「ブリジット嬢、そこまでにしておけ。可哀想に、震えているじゃないか。フラウローズ嬢、今回の件は大目に見よう――」
ブリジット嬢をたしなめ、寛大な態度を示すアイン殿下に、まわりで聞き耳を立てていた生徒達も安堵の息を漏らす。さすがに、彼らも殿下への挨拶を優先すべきと分かっていたにもかかわらず、シトリーに忠告しなかった事に後悔していたのだろう。
「――ただし、これよりしばし私に付き合ってもらおう。何、私はそこのマリノ嬢と共に中等部の代表委員をしている。ローラ講師からも、君を案内するように言われているからな。君がよければだが、これから学院を案内しようと思っている。どうかな?」
「は、はい。喜んでお受けいたします!」
シトリーは顔を上げて、笑顔で殿下の申し出を受ける。何を言われるかと思えば、逆に学院を案内してくれると言うのだ、シトリーでなくても快諾するに決まっている。
「これでいいだろう?マリノ嬢」
「アイン殿下の寛大なお心使いに感謝いたしますわ」
最初から決まっていたシナリオだとしても、結果的に、誰一人責め苦を受ける事が無いのであれば、ここは素直に殿下に対して、感謝しておくに越した事は無いだろう。
「では、行こうか」
「は、はい!」
そういって、アイン殿下達はシトリーを連れ立ち、食堂を後にする。その際、シトリーはこっそりこちらに振り返り、私達に軽く手を振っていく。
それを見たトミーは大げさに両手を振り、彼女を見送る。
殿下達の姿が見えなくなり、食堂にはそれまでの喧騒が蘇る。
「ったくあの女、いけすかねぇ!なーにが「躾が必要です」だ。てめぇのくそったれな態度を躾し直してこいっての!」
「だめよトミー。それは不敬だわ。いくら学院内でも危険だから」
私の忠告を受け、トミーは黙りこむ。トミーだけでなくヴァインやレビン、それにフィーアまでもが納得がいかないという顔をしている。
「まぁ、貴族同士の付き合いってのは、分かりづらいしね。彼らが不満に思うのもしかたないわ、ジニー」
ナータの言葉通りだろう。リズもこの結果に関してはむしろ良いほうだと頷いている。
「俺達戦技課が逆に、特別なのか……。でも、そんなの窮屈すぎるじゃん」
「そうですね、あんなのでシトリーさんは学院を楽しめるんでしょうか」
トミーの言葉に、フィーアが賛同の意を示す。
妹と二人、教会から出る事なくすごしてきたフィーアにとって戦技課での生活は、新しい世界に触れる貴重な体験であり、これまで感じえ無かった仲間同士の触れ合いや、共に何かに打ち込む楽しさを知る事が出来るようになっていた。
そんなフィーアだからこそ、学院を楽しめていないかもしれないシトリーの事を気に病んでいるのだろう。
「兄様……」
「ああ、分かっている。僕らは幸せ者だ。だからアンナ。僕はシトリーさんにもやっぱり楽しんでもらいたいって思うんだ」
アンナの手を握り締め、フィーアはそう呟く。その声はいつもは穏やかな彼にしては、珍しく強い意志がこめられている気がした。
「そうだぜ、やっぱりシトリーちゃんにも楽しんでもらいたいよ。だよなヴァイン、レビン!」
「まぁな」
「そうだね。でも、どうすればいいんだろう」
「そりゃぁ、もちろんこういう時は俺達のリーダーが……」
はて、戦技課にリーダーなんていただろうか。少なくとも私は一切、聞いた事がない。
「ちょっと貴方達。ちゃんと言わないと、この子はそういう事にはすっごく鈍いわよ」
「うん、ジニーは自己評価が低すぎるのが問題。だから自分が戦技課でどういう立場なのかまだ分かって無いと思うの」
鈍いとか分かっていないとか、ちょっときつすぎないだろうか。
いくら私でも、そこまで言われたら流石に理解する。
「つまり、貴方達は、シトリーさんの件を私になんとかしろっ言いたいのね」
「さすが、リーダー!話が早くて助かる」
「まぁ、俺達も出来る事はするからさ」
トミーとヴァインが呆れ顔の私の肩を叩き励ます。
まぁ相手がブリジット嬢なら、同じ侯爵令嬢である私じゃないと角が立つだろう事は、容易に予想出来る。
それを考えればマリノ家令嬢の私を責任者にする事は、あながち間違ったものでは無いかもしれない。
「オッケ。ただし、全員ちゃんと手伝う事。いいわね?」
「「「了解!」」」
こうして、戦技課と有志によるシトリー歓迎会が計画される事となった。
いつもより少し短いですが、次話の長さを考え3000文字程度で切らせていただきました。