7-3 名前
周りの暗さに徐々に目が慣れくる。
空中回廊からなだらかに降りた先には円形のくぼ地が広がっており、辺りには多くの瓦礫が転がっていた。
上を見上げると崩れた回廊の跡が小さく見える。
(あの高さからよく無事に降りられたものだ)
自分の行動に、今更ながら冷や汗が流れる。
「お前って、ほんっといつも無茶ばっかりするよな!ったく、おいちょっと自粛ってものをだな……」
ヴァインは私に手を差し伸べながら、ぐちぐち小言を言い続けている。
まぁ、今回に限っては流石に無茶のレベルを超えていると自分でも思っている。
「おぃ、ブラッド。フロストが目を覚ましたのか?」
「あ、はい。今、目を覚ましたとこです」
フォルカス殿下の問いの、ヴァインが声を上げ答える。
殿下は、サイファ様達に2,3何かを指示した後、大股でこちらにやって来る。
「あ、勝手な事をして申し訳……」
「この馬鹿者が!」
突然の大きな声に、私だけではなくヴァインも驚き目を見張る。
いつもは何かと軽い態度ばかりを見せる殿下が、私を相手にこれ程の怒声を浴びせられるとは思いもしていなかった。
「下手をすれば……いや違うな、下手をせずとも、普通なら死んでいてもおかしくない行動だ。お前は自殺志願者か何かか。違うだろう。無事だったからよかったものの、お前にもしもの事があったらどうするというのだ!」
「本当に申し訳御座いません……」
「あーー、くそっ。違う!……いいか、ヴァージニア。お前の行動は確かに尊いものだ。あの場で誰より早く、あの娘を助けに駆け出したお前の行動は、非常にすばらしい。だが、同時に恐ろしいほどに、己が無価値だと思い込んだ行動といえる。お前を失えば、俺はもちろん、ブラッドや他の仲間達も酷く心を痛める事になるのが分からんか?俺達がどう思うか、これからはそういう事もを考えて行動してほしい。わかるな?」
まるで赤子を諭すかのように、ゆっくり私に話される殿下の態度に、自分の行動が恥ずかしくなる。
だが、あの時は考えるより先に、体が動いてしまっていた。
私が、とった行動は非常にシンプルなものだ。
崩れゆく床を、すべり落ちていく少女の手を掴み、全身のオドを活性化させ、自らと少女に【纏縛】を発動。
【纏縛】で二人の体を真横に吹き飛ばし、外壁に激突させる。
激突の瞬間、【破砕】の詠唱破棄をし、防衛魔術だけを抽出。その力で激突の衝撃を緩和させる。
あとは、これは数度繰り返し、外壁伝いにバウンドするかのように奈落の底へと下っていった。
(途中で内在オドが尽きて意識を失っちゃったけど、ぎりぎり足りた感じなのかな)
数度のバウンドの後、私の内在オドは殆ど使いきってしまい、【纏縛】を発動することができず、私と彼女はそのまま落下してしまったはずだ。
内在オドがもっと早くに尽きていてば、そこに横たわる双頭魔犬のように、私と彼女の命は無かったかもしれない。
本当に無茶なことをしたと自分でも思う。
もう一度やれと言われても、全力で辞退する事だろう。
「まぁ、無事でよかった」
「ありがとう御座います」
殿下はそう言い、微笑みながら私の肩に優しく手を置かれる。
こうして殿下と交流を持つうちに、殿下が思っていた以上に気さくな方であり、自分の見知った人間が傷つく事を嫌う性質があるのが分かった。
王の資質という点では、それは弱さとして欠点に見られるかもしれない。
だが、少なくとも彼の傍にいる者にとっては、その慈悲深さは非常に得がたいものだった。
「ったく、もっと言ってやればいいんスよ。こいつは、そのぐらいだとまた同じことしでかしまいますよ」
「うるさいなぁ。もうしないっていってるじゃない」
「ははは、ブラッド、そう責めてやるな。今はフロストの言葉を信じるとしよう。さて、二人ともサイファ達の所まで一緒に来てもらえるか。フロストが助けた少女もちょうど目を覚ましたようだ」
殿下の指し示す方向に目をやると、サイファ様がこちらに手を振っているのが分かる。
どうも、少女が目を覚まし次第、こちらに合図を送るよう、指示されていらっしゃったのだろう。
殿下に連れられ、私たちはサイファ様達が看病している少女の下に訪れる。
少女は全身に多少の傷は負ってはいるが、別段大きな傷等は見当たらない。
(無事なようで良かった)
自分を断罪する原因となる少女であったとしても、こんな所で命を失われれば、さすがに目覚めが悪いというものだ。
「ここは……」
「気がついたか」
「貴方達は一体……、そうだ私、魔獣に襲われて……」
まだ、意識がもどったばかりで混乱しているのだろう。
無理もない。少女は額に手を当てて、自分が置かれている状況を整理しているかのようだった。
「君の名前を教えてもらえるかな?」
フォルカス殿下の言葉に、少女はおずおずと自らの名を口にする。
それは、私にとっては非常によく知った名前であり、この世界にもっとも愛された人物の名前だった。
「私は、シトリー=フラウローズ。フラウローズ男爵家の長女です」
「フラウローズ男爵家……。知っているか?」
「ええ、元はリンクスの派閥に属し、今はフォルカーの傘下かと」
フォルカス殿下の問いに、サイファ様が答える。ゲームではあまり明記されていなかった情報だ。
フラウローズ家が元リンクスの派閥の家と知り、意外に感じた。
元北方守護伯であるリンクス元侯爵家は21年前の内乱で、頭首を失い、その上で守護伯の任を解かれ男爵の地位まで降格させられている。
その時、派閥に属する家々もまた、多くの場合その地位を失っていたはずである。
だが、フラウローズ家はフォルカー侯爵家の傘下に入り、今でもその地位を保ち続けている。
「なるほど、あのフラウローズか」
「うちをご存知なのですか?」
「いや、大した事は知らん。だが、剣の腕が立つ娘がいると聞いた事があったんでな。なるほど、君がそうか」
「そ、そんなことは!」
殿下は言葉を濁しつつ、そう答える。
その言葉にシトリーは頬を染めつつ、両手を振り謙遜を繰り返す。
だが、双頭魔犬を2匹も相手にし、結果的には折れたとはいえ、細身の剣1つで、あの攻勢をしのぎきっていたのだ。そこいらの剣士では到底まねできない程の腕前といえよう。
「そうだ、私、力が暴走してしまって。それで体が動かなくなって……回廊が崩れて、それで私もそのまま落ちていって……あれ、どうして私、生きているんですか?」
「あぁ、ここにいるフロストが、君を助けたんだ」
フォルカス殿下はそういいながら、私を彼女の前に押し出す。
「えっと、フロストさん? その、助けていただいて、ありがとう御座います!」
「……いえ、お気になさらないで」
彼女の言葉に一瞬、言葉を失った。
彼女は、私が誰だか気がついていないのだろうか?
さすがに、ゲームのように煌びやかなドレスを身には纏ってはいないし、あの特徴的な髪型(縦ロール)をしてはいない。だが、14になった今、顔つきはゲームに登場するヴァージニア=マリノそのものだ。
ゲームの知識がある人間であれば、私が誰かなんてすぐに気がつくはずだ。
何より、私のすぐ横でにやにや笑みをうかべる少年にいたっては、黒いローブを身には着けているが、顔だけではなく髪型もゲームに登場するヴァイン=オルストイそのものである。
「俺の名前はフォル。で、こいつらがゼクとサイで、あの黒いのがブラッド。であっちのがマーク。」
「シトリーと申します。ゼクさん、サイさん、ブラッドさん、マークさん。よろしくお願いします」
殿下がパーティーメンバー達を彼女に紹介していく。
それぞれの偽名をまったく不審に思った様子もなく、シトリーはメンバー達と挨拶を交わしていく。
(もしかすれば、彼女は転生者では無いのかもしれない)
予想外の事に、心が乱れる。
ずっと、自分を断罪する彼女は、自分と同じようにあちらの世界からの転生者だと考えていた。
だからこそ、彼女が現れる前に可能な限り力をつけ、死の運命から回避しよう行動を進めていた。
だが、彼女が転生者ではないなら、私は断罪の未来を回避する事が可能かもしれない。
(まだそうと決まったわけではないわ。もしかすれば、気づいているが知らない演技をしているだけかもしれない)
高ぶる心を抑え、笑顔を浮かべ、彼女と仲間達の会話に相槌を打つ。
「よし、とりあえずダンジョンから脱出する。ブラッド、探知術を頼む」
「了解!」
殿下の合図と共に、ブラッドが霧の魔術を展開開始する。
まずは、ここから脱出してから考えよう。
シトリー=フラウローズ、彼女との偶然の邂逅は、私がまったく予想だにしないものとなったのだった。