7-2 少女
「ブラッド、あとどれぐらいだ?」
「もうすぐっスよ。この通路を抜けた先に、下層へとなだらかに続く空中回廊があって、その途中でまだ戦ってる!」
ブラッド-ヴァインの言葉で、全員に緊張が走る。
これまでの戦闘は、ヴァインの探知魔術による先導もあり、比較的安定した場所を選んで行っており、危険な場所での戦闘は極力避けていた。
それに対し、これから待ち受ける戦闘は、そういうわけには行かない。
空中回廊ということは、戦闘するには十分な広さは期待できず、また、下手をすれば回廊からはじきとばされ、落下する可能性さえありうる。
「戦闘が見えたら、ゼクスとマークは急いで敵視を取れ。いつもどおり、お前達がフロントだ。俺とサイファで相手を削る。ブラッドとフロストは魔術で相手の動きを制限しろ」
「「「了解」」」
フォルカス殿下の言葉に各自が武器の準備をしながら、歩を進める。
「ブラッド、私が【霜の領域】を発動するまで、時間を稼いで」
「わかってる。相手が生物ならある程度は【抑制】が通る。それで動けても、ゼクスの盾を抜く事はできねぇだろ」
彼の言うとおりだ。ここまでだって、それで相手の動きを抑制した上で、フォルカス殿下の剣と石弓、やサイファー様の弓で魔獣をしとめてきている。だが――
(さっきからする、この妙な胸騒ぎは何?)
確かに、狭い回廊内での戦闘や、戦う相手が何か分からないという不確定要素は存在する。
だがそれ以上に、ここから先には進むべきではないという、言い知れぬ不安が先ほどから付きまとって一向に消えない。
「大丈夫か?」
そんな私に、ヴァインが小声で心配そうに尋ねる。もしかすると顔に出ていたのかもしれない。
「ええ、今はやるしかないから」
漠然とした不安があったとしても、このまま、何もせずただじっと誰かが魔獣に屠られるのを待っているわけには行かない。
(たぶん、彼ならそういうはずだ)
彼?
彼とは誰の事だろうか。
ずきりと胸の奥に鈍い痛みが広がる。
4年前から幾度かこういう事が続いていた。
何か大事な事をすっぽり忘れているような。それでいて思い出そうとすると、今と同じように胸の奥に鈍い痛みが広がり、上手く考えがまとまらなくなる。
「おぃジニー。本当に大丈夫か?」
「え、ええ。大丈夫。それからフロストよ、ブラッド。誰が聞いているか分からないしね」
「お、おう」
今はとりあえず目の前の事に集中しよう。
この胸の痛みに関しては時間が取れたときにでも師匠に相談してみればいいだろうし。
「よし、抜けた!」
「ゼクス!マーク!」
「「了解!」」
薄暗い通路を抜けた先には、まるで奈落に続くかのような大穴があり、その穴を囲むかのように空中回廊が続いていた。回廊はそのままなだらかに大穴の下へと続いており、下層に行くにはこの回廊を突破する必要がありそうだった。
「おぃ、なんだ……あれ」
「おぃおぃ、まさかキメラ研究所から逃げ出した何かとかないよな?」
目の前の魔獣の姿に、前衛二人の動きが止まる。
漆黒の体毛を纏ったそれは、大の大人の3倍以上大きさであり、首の周りには鬣のような、無数のうごめく蛇が威嚇音を発している。
だがそれ以上に、奇異なのはその魔獣の頭部がひとつではなく、2つであったことだろう。
「お、おぃジニー。あれって前に森で戦ったキマイラじゃねーのかよ!」
私とヴァイン、そして師匠の3人は過去、ベイルファーストの森で不完全体ではあったが戦術兵器キマイラと戦った事がある。3種の魔獣の首と蛇を尾を持つ合成生物で、ゲームでは戦争パート後半に登場するユニット中でもかなり郡を抜いた存在だ。
その脅威に比べば、今目の前のそれはまだ可愛い部類といえよう。だが、あくまで戦術兵器と比べればの話だ。
(まさか、こんな層に双頭魔犬がいるなんて)
敵としてのそれと対峙するには、少なくとも学院を卒業しているレベルの実力がなければ歯が立たないだろう。ましてや、そんな魔獣と1対1で戦うとなれば、戦争パート後半以降の鍛え上げられたユニットでも難しい。
(それを2対1で戦っているの?!)
信じれない光景だった。たった一人の少女が、2匹の魔獣の攻撃をすんでのところで回避し、さらに返す刃で切り返している。
まるで剣舞のように軽やかに戦うその姿は、見る者の心までも釘付けにしてしまうかのような美しさを感じる。
だがいつまでも続くかに思えた美しい剣舞も、終わりを告げることになる。
キーンッ!
彼女の剣が折れ、高い音が回廊内に響きわたる。
双頭魔犬の漆黒体毛は、鋼のように硬く、ただの鋼の剣では厚い外皮を貫くことさえ適わない。
ましては、少女の持つ剣は、細身の剣。ここまで折れずに戦えた事のほうが不思議なぐらいだ。
「急いでカバーにはいる!ゼクス、マーク、一体だけでもいい、敵視を集めろ!」
「ちくしょう、簡単に言ってくれる!マークやるぞ!」
「こんな化物相手になんで俺が……くそぉついてねぇ!」
ゼクスの剣と、マークの短槍が1匹の双頭魔犬の後ろ足を切り裂く。
2体の双頭魔犬のうち1体が新しくやってきた愚かな獲物に怒りを向け始める。
「もう一体のほうに、攻撃を集中する。サイファ、俺に合わせろ!」
「了解!」
フォルカス殿下が石弓を構え、今にも少女に襲い掛かろうとしている双頭魔犬の眉間に狙いを定める。
シュン
鋭い音共に、打ち出された矢は2つあるうちの1頭の眉間を見事に打ち抜く
「グオオオオオ!!!」
泣き叫ぶもうひとつの頭にも、ふかぶかと矢が突き刺さっている。
フォルカス殿下の石弓の射出にあわせて、サイファ様が放った矢は見事に、もうひとつの頭の目を打ち抜いていた。
その様子を見た少女が、こちらに振り返る。
肩で切りそろえられた淡い薄紅色の髪、幼さを残した可憐な風貌、少し垂れ気味だが人好きしそうな円らな瞳。
この世界でたった一人、神に愛された存在。
「そんな、どうして彼女がこんな所にいるの!?」
「……フロスト?」
あわてて口を噤む。
ヴァインが訝しげにこちらを目を向ける。
幸い、フォルカス殿下とサイファ様は攻撃に意識を集中しているようで、聞かれてはいなかったようだ。
「ううん、なんでもない。ブラッド、彼女を助けましょう!」
「あ、あぁ」
今は、彼女がここにいる事を考えている暇はない。一刻も早く双頭魔犬を処理しなければこちらに犠牲がでる可能性がある。
「始めるわ!ブラッド、支援をお願い!」
「あぁ、まかせろ!」
大気中の魔素を集める。ダンジョンの下層に進むにつれ、漂う魔素は濃くなっていく為、思ったより時間はかからないだろう。
「?」
一瞬、少女と目が合う。
少女の目が大きく見開かれ、何かを口にしたように見える。
だが、次の瞬間、少女を中心に光の奔流が溢れ出し、暗い回廊を一気に白く染め上げていく。
「駄目!殿下、みんな!すぐにこちらにきて、早く!!」
「フロスト?」
「いいから、早く!急いで!!」
私の声で、殿下達は戦闘を放棄し、急ぎ私とヴァインの所まで下がり始める。
「ヴァイン合体魔術で壁を作るわ!【奔流】で合わせて!」
「お、おぃ。急に何を」
「いいから急いで!」
私の差し出す手を、ヴァインはためらいがちに握り返す。
「水よ炎よ、拡がり阻め、徴を刻め 霜よ結界となりて、我が身を守れ。 楔となりて我が敵を蝕め 霜の守護者よ、我が真名おいて命ずる。その姿を現出し今こそ刻め、樹霜の氷針――」
「水のオドよ転くるめき換ぜよ、大河の息吹よ、深き脈動よ、己が行く手を示し、奔命せよ――」
私のオドとヴァインのオドが互いに交じり合い、私たち全員を包むように回廊一杯に広がる。
(こんなところで、そんなもの使わないでよ!)
白光に包まれていく少女のあまりの無謀さに、心底うんざりする。
「【霜の領域】!」
「【奔流】!」
私とヴァインの詠唱が重なり、大きな氷の渦となり、私たちの周りを包みこむ。
合体魔術【霜龍】
【霜の領域】で超低温に冷却された【奔流】が流動の特性を維持したまま成長を続ける。それはまるで、氷の竜がとぐろを巻くかのように、私達を包みこんでいく。
「すごい……」
「話には聞いていたが、これが合体魔術か」
サイファと殿下は成長する氷の壁に感嘆している。
ゼクスとマークもまるで生きているかのように渦をまく、氷の壁に呆然とする。
だが、少女がいたあたりから響きだす轟音に全員の意識が少女が立つであろう白光の中心へと向けられる。
「あれはなんだ」
「光魔術の中でも最も範囲攻撃に秀でた殲滅魔術――」
ゲーム【ピュラブレア】において、光の封剣守護者を公式チートと言わしめた範囲攻撃魔術。その一撃はたった1体のユニットで数千の敵部隊の壊滅に追い込む脅威の破壊魔術。
「――【光輝】です」
瞬間、光は収束し、そのエネルギーをすべて熱と音へと変換する。
爆音が響きわたり、回廊を覆う屋根や柱を吹き飛ばしていく。
暴虐の白い奔流は氷の壁へと押し迫り、幾度か壁に亀裂を入れる。
だが、その都度氷の壁は再生し、死の光による浸食を押さえ込む。
寸刻の後、光は失われ、あたりは薄暗い回廊へとその姿を戻していく。
ただその姿はもとの回廊とは大きく異なり、ところどころが大きく崩れ去っている。
「なんて威力だ……」
「たった一人の魔術でこれほどの破壊が」
焼け焦げた匂いが回廊内に立ち込める。
「グルゥゥウ」
2体の双頭魔犬のうち1体は【光輝】の光を直接浴び、体の一部を炭に変え絶命しているが、もう一頭は身を柱の影に隠し、光による熱線の直撃を回避していたようだ。当の少女は力を使い果たしたのか、ゆっくりと膝からくずれ落ちる所だった。
同胞を屠り、自らにも多大な傷を負わせた少女に向け、双頭魔犬が一気に走り出す。
あと数歩も走れば、双頭魔犬は少女をその爪で肉塊へと変えていただろう。
だが、双頭魔犬の爪は少女に届く事は無かった。
ゴオゴゴゴォオオオ
鈍い音と共に、少女を中心に回廊の床が崩れ始める。
「キャウンキャウン!」
少女へと襲いかかろうとしていた双頭魔犬も、傾き崩れていく床から暗い奈落へとすべり落ちていく。
「おぃ、どうすんだよ。って、ジニー!お前何を!」
氷の壁を解除し、私は走りだしていた。
どうしてそうしたのかは、自分でも分からない
でもきっと、あの人ならそうしたから
奈落へと落ちていく少女の手を掴みながら、私は持ちうる限りのオドを展開した。