フィルツ=オルストイ3
王国神教大神殿の地下深く、そこに複数人の武装した者達の姿があった。
「フィルツ隊長、こちらの処理は終了致しました」
「おう、ご苦労」
フィルツ=オルストイは眼下に広がる半径50m深さ2mの大穴の底で作業する部下達の姿を眺めていた。
弟子であるヴァージニア=マリノとその仲間達を救出してからすでに2時間が経過していた。フィルツは上からの命令に従い、部下達に完全に沈黙させた遺跡の装置の調査と大穴の底の大量金貨と黄金の遺物の回収を急がせていた。
「フィルツ、あの子達の身体に問題ないってさ」
「了解。というか、俺は一応お前の上官なんだが?」
馴れ馴れしく話し掛ける女性の姿に、フィルツは呆れ顔で答える。
「これは、これは申し訳御座いません。フィルツ=オルストイ王国特務隊隊長殿」
「うるせぇ。大体こんな大層な役職につくことになったのも、全部お前のせいだからな、アマンダ」
彼の言葉に女性は悪びれせず、にっこりと微笑む。
「感謝しております、隊長殿。お礼は今夜にでもお返し致しますわ」
「ったく、周りには他の人間もいるんだからな。とりあえず外で待つ兄貴に伝言を頼む。ここの処理は大体終わった、撤収準備に取り掛かると」
「了解。気をつけてねフィルツ。完全に遺跡は止まっていると思うけど、この装置の目的も解らないし、油断しないでね」
「ああ」
王都の地下にこれほど巨大な遺跡が存在する事を、彼はもちろん十数年間、王国に仕えてきた彼の兄ヴァイス=オルストイも知りはしなかった。
古くから大神殿の地下には封じられた扉が存在しており、その先へ進む事は禁忌とされていた。その理由について遺跡の存在同様、教団内でも明らかにされてはいなかった。
(その封印をあいつらが解き放ち、そしてこの遺跡への道を見つけ出したか)
それが出来た理由はヴァージニア=マリノの持つ予言の記憶によるものだと、フィルツにはすぐ理解出来た。
「隊長、指示通りもう一つの入り口の閉鎖は完了致しました」
「よし、他と合流し撤収作業にあたれ」
「はっ!」
部下達が自分の命令に従い、行動する姿を見つめながら、フィルツは2時間前に初めてこの場を訪れた時の事を思い出していた。
□□□
フィルツ=オルストイが王国特務隊隊長として国から命じられた任務は――
ヴァージニア=マリノ及びその他戦技課の人間の救出
遺跡の装置の無力化
遺物の回収
――の3つであった。
アマンダの報告を受け、急ぎ遺跡へと向かったフィルツとその部下は、そこで巨大な大穴に吹き荒れる炎の罠を目撃する。その中央では激しい突風が炎を散らし、巨大な氷の壁が炎の進入を防いでいた。
氷の壁が彼の弟子の魔術によるものだと、すぐに気づく事が出来た。だが、炎の熱で大きく亀裂が入っているあの氷の壁を維持し続ける事は、あの弟子の力をもってしても難しいように思われた。
(強烈な風の魔術で炎を散らし、ぎりぎりの状態で氷の壁を維持しているのか)
どちらか片方の魔術だけでは、遺跡の炎の罠を防ぎきることは出来ないだろう。2つの強力な魔術によって彼らの命はぎりぎりのところで、保たれていたのだ。
「すぐにあの巨大な罠を停止させる。ドロシー、あの装置の魔術紋を探り出せ!」
「わ、わかりました先輩」
フィルツの言葉にドロシーはためらいがちに頷き行動を開始する。
『隊長の命で、今から貴女の生徒達の救出に向かいます。場所は王国地下に存在する遺跡。隊長は貴女の魔導の才能を必要とされているわ。ついて来なさい!』
魔術師時代の友人であった魔術課教員レイン=マークレスが、自分と同じように戦技課の教員として配属される事を、ドロシーは心待ちにしていた。だが、そんな彼女の正体が、聞いたこともないような国の特殊部隊の一員だと知った時、彼女は大いに驚いた。
自分に魔導の才能があるなんて話をドロシーは聞いた事も無かったし、そのような才能を認める人物に心当たりは無かった。
それがまさか、自分をキメラ研究所に引き抜いた、あのフィルツ=オルストイだと知った時、ドロシーはレインの正体を知った時以上に驚く事となる。
「ドロシー、お前ならすぐに魔術紋を探り出せるはずだ。お前のオドの流れに対する感応力は俺を超えている。自信を持て!」
「は、はい!」
「レイン、アマンダ。ドロシーをフォローしろ。見つけ次第、魔術紋を破壊する!」
「「はっ!」」
敬愛していた人物が自分を認めてくれていたのだ。ドロシーはその言葉に応えるために必死で意識を集中させる。彼女が魔術紋を発見した時には、中央で炎を吹き散らす風の勢いはずいぶんと弱くなっており、氷の壁は今にも砕け散りそうな程の亀裂音を立てていた。
「み、見つけました!大穴の壁の内側を走るよう刻まれています」
「よし、魔術紋に干渉し破壊する。アマンダ!力を貸せ!」
「了解!」
フィルツはアマンダの腕を取り意識を集中させる。ベイルファーストでヴァージニア=マリノとヴァイン=オルストイが行った合体魔術。その技術はヴァイス=オルストイの手により王国内でも研究が進められ、極一部の人間の手で実用化にこぎつけつつあった。
互いの魔術を融合する事により、一方の人間が内在オドの供給を行いながら、もう片方の人間が一人の力ではなしえない大魔術を行使出来るこの技術は、魔術師にとって非常に画期的なものであった。だが、使用するには、いくつかの問題が存在する。一つは合体魔術を行う魔術師のうち一名は優れたオドへの感応性を有する必要がある事。そしてもう一つは合体魔術を行う魔術師同士が互いを深く理解し合っている必要がある事。
「ああっ!」
アマンダ=リューヴェルの嬌声が遺跡の中に木霊する。ただ手を繋いでいるだけの二人の姿が、なんだか淫靡な物に見え、ドロシーは目をそらしてしまう。
「炎のオドよ転き換ぜよ、天上天下に存在せし炎の根源たる世界の核心よ、煉獄への門を開き導け。灼熱の業火にして原初の炎、我が声に応えて三界を焼け!【熱核】」
遺跡内に轟音が響き渡り、大穴を形成していた壁を破壊しながら、いくつもの火柱が舞い上がる。
【熱核】。王国随一の魔術師と言われるフィルツ=オルストイの力をもってしても外部からのオドを供給して、やっと現出する事が出来るレベルの炎魔術。燃えあがる高温の炎は魔術で保護された遺跡の壁さえも焼き溶かしガラス化させていく。その過程で刻まれた魔術紋はすべて溶解し破壊されていた。
火柱の勢いがおさまると同時に、遺跡の炎は完全に消失していた。
「すぐに大穴の中の人員の救出に向かえ! ……アマンダ、大丈夫か?」
崩れ落ちそうになるアマンダの身体を、素早くフィルツが抱き支える。
「う、うん。でも身体に力が入らないから、しばらくこうしていて」
「ああ」
そんな二人の姿を、彼の部下達は見て見ぬふりを決め込む。
合体魔術の副作用を知る彼らには、そうする事しか出来なかった。
□□□
「……あの二人、付き合ってるのかな」
自らの生徒を無事を確認した後、未だに抱き合う二人の姿に、ドロシーは思わずそう独りごちた。
「何? あんた隊長の事狙ってたの?」
「ちょ、何よ。そんな事は……ない……事もないけど」
それまでの公人然としていた態度のレイン=マークレスから、彼女の親友だった頃の態度に戻っている事にドロシーは気が緩み、つい本音を漏らしてしまう。
「あはは、堅物のあんたがねぇ。そうかぁ、魔術師団を抜けてからいろいろあったんだね」
「いろいろって……先輩は単に研究所の先輩で……」
ドロシーの脳裏にあの頃の思い出が蘇る。直向に研究に取り組む自分を、優しく諭しながら支えてくれフィルツ=オルストイの事を意識し始めたのはいつ頃からだろうか。
彼が研究所を去り、ベイルファーストへ向かった事を知った日、ドロシーは自分の気持ちに正直になりきれなかった事を悔いて泣いた。そして再び会えた彼の傍には、10年以上も前に別れたと噂されたアマンダ=リューベルの姿があった。
「ああ、くそっ。失恋しちゃったかな……」
自分から何も動かなかった。ただ、彼を好きだという気持ちをずっと打ち明けれずにいた。
そんな自分が失恋しただなんて、言える立場にはないかもしれない。
「泣くな泣くな。しかたない、今度おごってあげるから」
ドロシーはレイン=マークレスに慰められながら、俯き涙を流す。
これが終わったら、この友人に思いっきり奢らせ酔いつぶれよう。そして、自分が彼の事をどれだけ好きだったかを嫌というまで聞かせ続けてやろう。
ドロシーは涙を拭い、ほっとした表情の彼女の友人に微笑みかける。
□□□
あれほど強力な風の魔術の正体が戦技課員がその場で作り出した魔導具によるものと知った時、フィルツと彼の部下達は驚きを隠せなかった。
(戦技課という学課を作らせたのは陛下だ。あの方はこうなる事まで予見されたというのか)
兄ヴァイス=オルストイと王国騎士団長アゼル=オーガストがヴァージニア=マリノの処遇に関して上申した相手は国王ボイル=ファーランドその人だった。
『あの者の能力は、技術課という枠には収まりません。是非とも魔術課に!』
『何を言っておるのだ! あ奴の能力は剣術にこそ特化しておる。あれの親である西方守護伯を見てみよ!』
国王の前だというのに、互いに譲り合うことを知らない二人の姿に、王国特務隊隊長としてその場に同席していたフィルツは心底呆れていた。それと同時に、この二人にそこまで言わせる自分の弟子の存在に不安を隠せずにいた。
『ならば、魔術と剣術、そして技術の3種をまぜればいいではないか。ヴァイスよ、お前が持ち込んだあの娘が作ったというガントレット。俺も見せて貰った。あのままでは実用化は困難だろう。だが、あれを盾にでもする事が出来れば、王国の兵士は敵国の敵勢魔術を容易く凌ぐ事が出来るようになるだろう』
ボイル国王にとって、ヴァージニア=マリノの存在は、すでに軽視できるものでない事を、フィルツは理解していた。彼女を王国に縛り付ける楔としての存在が自分やアマンダであり、極秘裏に彼女の動向を監視するために、今もアマンダが彼女の専属メイドとして仕えているのだ。
『魔術師としても、騎士としてもあやつは十二分に力を発揮するだろう。だが、それ以上にこの国の力となるのは、あやつの持つ我々には無い未知の技術力だ。ヴァイス、合体魔術のほうはどうなっている』
『はっ、一部の魔術師には使用可能である事が判明致しました。ただし、使用者に及ぼす精神的な影響は軽視出来るレベルのものではなく……』
兄ヴァイスの説明にボイル国王は満足げに頷く。
『期待しているぞ、ヴァイス。次にアゼルよ、あやつが用いた自己強化魔術の実用化は可能か?』
『はっ! 騎士団に所属する者のうち、魔術の素養を持つ者を探し出し、そちらの件の調査を進めておりましたが、その内の1名の者が瞬間的では御座いますが、飛躍的に能力を向上させる事に成功いたしました』
続き説明するアゼル=オーガストの言葉に、ボイル国王は声を上げ喜ぶ。
『ははは! すごいではないか。あの娘がこの国にもたらす未知の技術の福音は。ただの魔術師や剣士という枠では収まらん。あの娘にはこれからもどんどん、この国の為になる技術を生み出してもらわねばならん』
『『はっ!』』
『そうだな、周辺敵国を攻め滅ぼす戦の要となる技術。それを生み出す学課。戦技課とでも名乗らせるか』
そうして誕生した王立学院の新学課【戦技課】。
建前上は【戦闘技術開発課】という名前が当てられ、それを略し【戦技課】とするとされていたが、その実、他国への侵略戦争の為に誕生した学課であった。
(この陣地型魔導具もまた、国の技術として取り込まれるだろう)
すべてはボイル国王の思う通りに進んでいるのではないだろうか?
その事がフィルツには恐ろしく思えていた。
『お前は15歳になると学院で断罪され、死ぬ運命にあると……』
『はい、そうなります。私はその未来をなんとしてでも回避したいと考えております』
学院で断罪され死ぬという事はこれまでの王国史上ありえない事。
だが、王立学院は言ってしまえば国の組織であり、その長は誰かと問われれば国王ボイルその人となる。
(ジニーの死の運命に、ボイル国王の存在が大きく絡んでいる)
彼女を利用しようとする国王が、どうして彼女を排除しようと考えるようになるのか。
そこにこそ、彼女を救うヒントが隠されているような気がした。
だが、今の自分は王国に縛られた存在だ。以前のようには動けない。
『あんたが、どうして俺にそれを託そうとしているのかまでは分からないが、あいつが助けを求めるなら、俺があいつを助ける力になる』
せめてもの救いは、彼女の事を慕い続ける甥の存在。
(あいつも一端の男の顔をするようになったな)
子供達の成長の早さに、フィルツは嬉しく思いながらも、少しだけ寂しい気持ちに苛まれていた。