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兄と妹と

 

「すごい……」


 目の前に広がる白銀の魔術にアンナは目を奪われていた。

 ヴァージニア=マリノとヴァイス=オルストイ。魔術師として2つ名を持つ彼らの事は、規格外の存在だとは思っていたが、目前で展開されている魔術の規模に自分の認識が甘かった事をアンナは理解していた。


 アンナは兄フィーアが用いる【癒しの祝詞】の助けるため、水魔術を学び始めていた。

 それにより余計に2人の魔術の凄さが理解できた。何よりこの世界には、氷属性というものが存在しない。そのため氷魔術とは基本的に水魔術の派生となる。水魔術で作られる氷を用いた魔術は、氷自体の硬度と取り回しにくさから、硬度なら土魔術を、取り回しなら炎魔術を用いるほうが効率的と言われている。


 だが目の前の氷魔術はまるで生きているかのように砕けるたびに再生を繰り返し成長を続けている。


「これが、【霜降(フロストフォール)】と呼ばれる魔術師の力……」


 わずか10歳で大人の魔術師の実力を超えるような存在。それが自分のすぐ傍で、普通に接してきていたのだ。


『アンナ、貴女がこれまでしてきた事は、もしかすると許されない事かもしれない』


 そんな彼女に告げられた言葉を思い出し、アンナは身が竦みそうになる。彼女は自分の事を知っていたのだ。その上で、普通に接し続けていた。自分がどう行動するか監視されていた可能性さえ考えられる。

 実際、彼女が自分の事どう思っているのかは判らないが、彼女の力ならいつでも自分を殺す事が出来たのだけは理解できる。


『だから、私に力を貸してくれるかしら?』


 その上で彼女は自分に力を貸せと言う。まるでそれさえすればすべてを許すというような優しい顔を見せながら。


(ジニーの言葉に応えなければ)


 ジニーの期待を裏切る事はできない。それは、自分の罪を知りながら静観を続けていた強者への畏れであり、そして罪人である事を知りながらも友と呼んでくれた友人への誠意であった。


「アンナ、一人で抱え込むな。彼女が言うとおり、私がお前をフォローするから」


 フィーアの言葉は、アンナの緊張感で固まっていた身体を解していく。


「兄様……」

「アンナ、お前にすべて背負わせてしまっていた、この兄を許してくれ」


 突然頭を下げる兄に、アンナは戸惑う。


「や、やめてください兄様。私は自分の欲望にかられ、犯してはならない禁忌を行ってきました。もし、無事にこの場を切り抜けたら……私がしてきた事をすべて憲兵に話そうと思います」


 よくて投獄、悪くすれば処刑となるだろう。だが、愛する兄や尊敬する父に迷惑はかけたくは無い。


「そのときは、私もお前と共にいこう」

「駄目です、兄様! 兄様まで私の犯した事に巻き込みたくは御座いません!」


 兄の言葉をアンナは嬉しく感じていた。だからこそ、余計にそんな兄を巻き込みたく無かった。


「お前が、何かをしていただろう事は、私も父上も知っていた。その上でお前を止める事が出来ずにいた。こんな愚かな兄をお前は蔑むかもしれない」

「え……」


 兄も父も自分の行為を知っていた? その上で自分を止めようせず傍観を続けていた事を知り、アンナは驚きを隠せずにいた。


「父上は、大司祭様が行方不明になられた時、前後に何があったのかお調べになられたんだ。そして、お前が大司祭様に何かを告げた事を知った。まだ幼いお前が大の大人をどうこう出来るはずないと、私は父上に申し上げた。だが、父上はそれでもお前の事をずっと気にされていた」

「……」

「お前が何をしていたのかを父上と私が知る事になったのは、ティリアの失踪が原因だ」


 兄を誘惑しつづけた修道女の顔をアンナは思い出す。自分や兄に対して表面上は綺麗に飾り立てられた言葉を投げつけてきた彼女だったが、裏では酷いものだった。兄を封剣に侵された化け物と罵り、私の事を兄妹の立場でありながら懸想する気狂いと罵っていた。自分の事はいい。兄を誘惑した上で裏で化け物呼ばわりするような人間だけは許す事が出来なかった。


「私は……」

「彼女が私を裏で何と言っていたかは知っている。そしてお前がそれを良くは思っていなかった事も。父上からティリアの失踪の話を聞いた時、お前が彼女に何かをしたのではないかと勘ぐった」


 そんな時から自分の行為は気づかれていたのか。アンナは兄の言葉に素直に驚いていた。


「父上にその事を告げた時、父上は私にこう申された。『あの子がそういった行いをしているのなら、それはすべて私の業がもたらした罪だ。あの子が悪いわけではない。だからお前はあの子を嫌いにならないであげてくれ』と」

「父様……」

「アンナ。父上と同じように、私もお前の罪は私の業だと考えている。すべての罪を父と私が背負うと言えばお前は、納得できないだろう」


 それは彼女にとって当たり前の事だ。何より自分の罪は自分がすべて償うべきもの。父や兄に背負わすなんて真似は絶対にしないし、させたりしない!


「だから、私や父にお前の罪を共に背負わせて欲しい」

「そんな……それではお二人とも……」

「アンナ、兄の我侭を聞いてはくれないか? 愛するお前をただ失いたいとは思わない」

「?!」


 フィーアの言葉は、兄として妹を愛するという意味だろう。だが、ずっと好意を寄せていた兄が愛していると言ってくれたのだ。一瞬の勘違いを咎めれる人間なんているはずないだろう。


「お前に気持ち悪がられるかもしれない。だが、戦技課として教会の外を知った今、私にとってお前という存在がどれほど特別かを再認識する事が出来たんだ」

「……兄様?」

「気狂いと罵られるかもしれない。だが、お前は私にとって大切な妹である以上に――」


 そっと重ねられる手の温もりに、すべてをゆだねたい気持ちにかられる。


「私にとって特別な一人の人間なんだ」

「……兄様」

「だから、お前を一人にさせないでくれ。ずっとお前一人に背負わせてきた罪、私にも一緒に背負わせてほしいんだ」


 ああ、この場で自分は命を落とすかもしれない。だが最後の最後で大好きな兄からこんな言葉を聞く事ができるだなんて。


 もしかすると、フィーアはアンナをその気にさせるためについている嘘かもしれない。だが、それが嘘であってもアンナにはそれでよかった。兄が言ってくれた言葉が彼女にとってのすべてだった。


(私の身はどうなってもいい。ここにいる人達を、そして兄だけでも生きて欲しい)


 誰かを罰し、只ひたすら死を振りまいてきた自分が、誰かに生きて欲しいと思うようになるなんて思いもしなかった。だが、そう思える事で身体の奥から不思議と力が湧き上るようだった。


「兄様。まずは目の前の危機を乗り越えましょう。どうか私に兄様のお力をお貸し下さい」

「アンナ……」

「そんな顔をしないで下さい兄様。アンナはずっと兄様をお慕いしておりました。だから、兄様のお言葉は身が震える程嬉しく思います。ですが、今はこの場を凌ぐ事が先決」

「ああ、そうだね」

「兄様、私の手を握っていて下さい。兄様を感じ続けさせてください」


 アンナの言葉にフィーアは頷き、彼女の手をぎゅっと握り締める。


(ああ、今この時が永遠に続けばいいのに)


 だが、そうも言っていられない。ヴァージニア=マリノが自分に力を貸せと言っているのだ。

 そうする事が、兄を守る事につながる。


「よし、こっちの準備は完了だ! レビンそっちはどうだ?」

「もうすぐ……よし完成。これであとは風の魔素を集めてもらって、みんなでオド転換さえすれば」


 ずっと魔術紋を刻み続けていた少年達の声が聞こえる。あちらの準備ができたようだ。

 ここからは自分の出番。


「やります、兄様。手を握っていて下さい!」

「ああ、わかった!」


 瞳を閉じ、意識を集中すると不思議と周りの音が遠くなっていく。

 遺跡の罠である炎が立てる轟音も、その炎によって砕かれ続ける氷の壁の破壊音も。

 アンナはすべての音が遠くに感じながらも、自分の手を握り締める兄の存在だけは強く感じていた。


 静寂の世界の中、遠くに羽虫の鳴き声程の小さな音を感じる。


(風の……魔素……)


 それが自分の求める存在だと、アンナには感じ取る事ができた。

 なんだか臆病で弱々しいその存在は、まるで自分を鏡で移したような存在。だからこそ、それに惹かれる。


『術者の魂の属性は、その属性の魔素と惹かれ合うわ。貴女の場合それが風。貴女はフィーアの為に、必死で水魔術を練習していたから言い出せなかったけどね』


 ジニーが作戦を説明していた時に、こっそりと自分に耳打ちした言葉。


(臆病で弱いから、互いに寄り添いあおうとするのね)


 そんな所も自分と同じだ。寄り添わなければ怖くて生きていけないんだ。

 掌から伝わる兄の存在を、アンナは強く意識する。


(おいで……。もう貴方達は一人きりじゃない。私が傍にいるから)


 彼女の思いが風の魔素に伝わったのかは分からない。

 だが、結果としてアンナの周りには夥しい量の風の魔素が集まり始める。


「すげぇ……」

「魔素って目で見えるものだっけ?」


 聞こえてくるトミーとレビンの言葉を訝しく思い、アンナはゆっくりと瞳を開ける。

 そこにあったのは、自分を兄とを優しく包むように渦巻いた、緑光を発する不思議な風の存在だった。


「ヴァインから聞いた事がある。魔素が集まり力を増せば、それは精霊となり現出すると」


 兄の言葉は、アンナにこの不思議な現象の正体を理解させる。


(……風の精霊)


『私に力を貸してくれるかしら?』


 風の魔素を集めろ。

 ジニーは自分にそう言った。

 もしかすると、彼女はこうなることまで予測していた上で、自分にそう言ったのかもしれない。


 「風よ! 私の思いに応えてくれた優しい子達よ! お願い、みんなを守る力を私に貸して!!」


 アンナの叫びで、緑の光は爆ぜる。そして次の瞬間、地面に刻まれた魔術紋から緑の光が迸る。


「よし、魔術紋が起動した! みんな、全力でオドを紋に流し込め!」


 トミーの言葉に全員が、魔術紋に両手を付きオドを流し始める。


(お願い、大神様、優しい精霊達。私の大事な人を守る力を貸して!)


 アンナの思いはオドとなって、魔術紋に流れ込んでいく。

 全員の思い(オド)が、魔術紋へと流れ、ゆっくりと魔導具が発動を開始する。

 周りのすべてを、死の運命さえもはじき返す勢いの強烈な突風が、魔術紋にいる彼らを中心に吹き荒れ始める。


 彼らを焼き尽くそうとしていた炎の勢いは、突風に煽られ届くことは適わない。



「すごいわアンナ。私の見込み以上よ」


 声の主を探そうと顔を上げると、そこには大粒の汗を額に流しながら、必死に歯を食いしばり耐え続けるジニーの姿があった。


「あと5分! みんな、がんばって!」


 ジニーの言葉に全員が声を上げ、一丸となり力を振り絞る。



 絶対に全員で生きて帰る



 その思いもひとつにして。

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