ヴァイン=オルストイ
初めてヴァージニア=マリノという少女を見た時、俺の中に芽生えた感情が、嫉妬だったのを今でも覚えている。天才魔術師フィルツ=オルストイの弟子で、俺に無いものをすべて持っていた彼女が、俺にはすごく眩しく思えた。
彼女への【嫉妬】の裏に隠された本当の気持ちは【憧れ】だった。
魔術師としての能力をなのか、後ろを振り返る事のない心の強さに対してなのかは分からない。
ただ、彼女の存在を無視する事は、俺には出来なかった。
それから数ヶ月後。ベイルファーストでの彼女との再会は、俺が思っていたヴァージニア=マリノという少女への印象を粉々に砕いてくれた。才能と運に恵まれた人間。俺とは違って魔術師になるべく選ばれた存在。それまで、俺はそう思い込んでいた。だが、彼女は俺と同じように、魔術を愛し、直向きに魔術に取り組んでいる人間だった。
『ヴァインは嫌かもしれないけど、私はこれからもライバルとしてヴァインと一緒に頑張りたいって思う』
嫌な訳がない。親父以外の人間に、自分の存在を認めらる事が、こんなに嬉しい事だなんて考えもしなかった。それもその相手は、俺が憧れの気持ち抱いていた少女だ。
『い、嫌じゃねぇよ、別に。まぁ、お前も頑張ってきてるみたいだしな』
差出した手を力一杯に握り締める少女は、まるで悪戯好きの少年のような顔で、俺に微笑みかけた。
今思えば、あれが最初だったんじゃないだろうか。
『ライバルだからね! ヴァイン、負けないんだから!』
俺がこいつの事を、俺にとっての特別と意識し始めたのは。
□□□
ベイルファーストのマリノ邸で食客のような生活をし始めて半年が過ぎた頃、フィルツから話したい事があるから、時間が出来次第、部屋に来るように言われた。
特に予定もなかったので昼食後、彼の部屋を訪れていた。
俺が部屋に入ると、フィルツは自らの部屋に防音の魔術を施す。
それ程内密な話なのだろうか。天才フィルツ=オルストイがそこまで慎重になる内容に興味がわいた。
「話というのは、ジニーについてだ」
「あいつがどうかしたのか?」
「これから言う話は誰にも内緒だ。もちろん兄貴にもだ」
親父にも内緒とかよっぽどの内容だろう。それをどうして俺なんかに話すのか、わからない。
真剣な彼の表情に、真面目に応えなければと思った。
頷く俺に、フィルツはゆっくりと語りだす。
ジニーが病に倒れた事
その病をフィルツが禁忌の術を用いて治した事
その副作用でジニーには2つの魂が宿っている事
もう1つの魂に宿る記憶まで受け継いでいる事
そしてその記憶とは、ジニー自身の破滅の未来を示唆する予言である事
「つまり、ジニーは自分の未来を知っているって事か?」
「ああ、そうだ。あいつは自らの未来を変える為に、必死で足掻き続けている」
あまりに荒唐無稽な話に俺はついていけなくなりかけた。
「ヴァイン。これは真実だ。あいつはお前に5歳の少女が持ちえるはずがない知識を見せた事は無かったか? 大人染みた考え方をしてお前を戸惑わせた事は無かったか?」
フィルツに言われて、あいつに感じてきた違和感を思い出す。
ジニーはどうやって普通なら知りようもない人の体の中の事を知っていたんだろうか? これまで誰もなしえなかった他者への輸血技術をいとも簡単に出来たのはどうしてだ?
「気がついた事があるみたいだな」
フィルツの言葉に頷く。
「お前が勘違いする前に言っておくが、例え他の記憶があったとしても、あいつはジニーであってそれ以上でもそれ以外でもない」
他者の記憶を持つ彼女は本物の彼女なのか。一瞬、考えていた事を指摘され驚く。だが、冷静に考えればそれは意味がない事に気がつく。
俺が出会ったジニーという少女が例え誰だったとしても、俺にとって彼女こそはヴァージニア=マリノその人のであり、それ以外の何者でもないからだ。
「あんたが言いたい事、少しだけわかる気がする」
「今はそれでいい」
ジニーが15になる時に死の運命が訪れる。
ジニーはその運命から逃れる為に、必死で魔術を学び、力を蓄えているらしい。
「誰かに話して、助けを求めれば……」
「俺も最初はそう考えた。だが、あいつの運命には国が関わっている可能性がある」
王国が関わるような話なら、誰かに頼って、その相手が王国以上の力を持っていない限り、ジニーを救うことは難しいだろう。
彼女が自分の力だけで、運命から逃れようと考えるのは最初から誰かが助けてくれる事自体を諦めているからか。
「フィルツが俺にそれを話すのは、俺にジニーを助けろって事なのか?」
「別にそうは言わねぇ。ただ、お前があいつに対し少しでも思う所があるなら、今話した事を覚えておいて欲しいだけだ」
俺が知る限り、フィルツ=オルストイという人物が、こんな他人へ執着する事は珍しい。
彼が俺にあいつの話をした理由はただひとつ。彼もまた、あいつの事を救いたいと願っているからなのだろう。
「あんたが、どうして俺にそれを託そうとしているのかまでは分からないが、あいつが助けを求めるなら、俺があいつを助ける力になる」
閉ざされかけていた魔術師としての未来を、あいつが切り開いてくれた。
だから、その未来をあいつの為に使う事になったとしても、むしろそれは本望とさえ思っていた。
□□□
「はじめましょう。ヴァイン」
「ああ」
迫りくる大炎に対し、床そのものを魔導具にして対処するという発想に俺は驚いていた。
普通なら諦めるような状況でも、足掻き続けるジニーの強さが眩しく見える。
抱き寄せた小さな背中。こんなの小さな体で、こいつは一人で自分の運命に立ち向かってきたのだ。
(弱音一つ吐かないで、全部抱え込もうとする)
できれば、弱音をはいて俺に頼って欲しい。だが、そんな事を言えば、こいつは逆に無理をしてでも一人で成し遂げようとするだろう。
こいつの傍に立ち続け、倒れそうになった時、すぐに寄り添える距離にいつづけたい。
ジニーへの思いが【好き】という気持ちなのかどうかは分からない。
もしかすると、ただの友情を周りに囃し立てられ勘違いしているだけなのかもと考えたこともあった。だが――
(ジニーが俺を特別だと言ったように、俺にとってもやっぱりこいつは特別なんだ)
彼女のオドに感応すると、彼女の持つ魂の力強さと、俺に対する暖かな思いを感じる事ができた。
同時に、俺に対するほんの少し罪悪感まで伝わってきた。
(お前が俺を友達としか思ってない事なんて、とっくに知っている事だ)
今更その事に罪悪感を持たれたり、それで俺との関係が壊れるのではという不安をこいつが抱えている事が、おかしく思える。
だから、命一杯の気持ちをオドにこめ、彼女に伝える。
(たとえ、これから先もお前が俺の事を、ただの友達としか思い続けなかったとしても――)
触れ合う身体から互いのオドが干渉しあい混ざりあう。青と赤の2つの光通が溶け合いながら大きな流れを生み出す。
(俺はお前の傍で、並び立ち続けてやる)
ベイルファーストで誓った思いは、今でも俺の中で息づいている。
(どんなことがあっても、絶対にお前を一人になんてさせてやらない)
ジニーのオドが大気を冷却しはじめ、辺りは白い霜に覆われ始める。
「水のオドよ転くるめき換ぜよ、大河の息吹よ、深き脈動よ、己が行く手を示し、奔命せよ【奔流】!」
ジニーの魔術で冷却された水の奔流は、凍て付きながら生き物のように成長しながら俺たちを囲み始める。まわりの罠から発せられる炎の熱が氷を通して感じられる。
(運命がお前を蝕むというなら、俺がそんなもの壊してやる)
体内のオドを活性化させ、魔術を拡張させていく。
氷の魔術は辺り一面に拡がり分厚い壁を形成していく。氷の壁は周辺を完全に覆い、炎の行くて妨げ始める。
(こいつの事が好きとかそういうのは、まだよく分からない。だけど――)
魔術の維持に消費される内在オドを、ジニーの身体から伝わる暖かいオドの流れが補っていく。
まるで、彼女と一つになったかのような、言い知れぬ一体感と多幸感に包まれる。
「俺が支えるから……」
「……ヴァイン?」
俺の言葉にジニーが反応する。
両腕に伝わる彼女の温もりさえ愛おしく感じた。10分という長い時間、こんな大魔術を維持できるかは分からない。だが、意地でもみんなを、そして、ジニーを守ってみせる。
「ジニー。魔術を発動させよう。俺とお前の二人で」
「……うん」
互いのオドが光を発し、辺りを白銀へと包み込んでいく。
炎の熱が、氷を割る音が遺跡内に響きわたる。
氷が割れるたびに、魔術を練りなおし、割れた箇所をさらなる氷が修復させていく。俺とジニーの額か流れる汗の量が、この戦いの厳しさを物語っていた。
(絶対に成功させてやる!)
俺とジニーにとって、長く苦しい10分が始まった。