私達の力
「うわ、すごい! こんなに月夜草が生えてるのなんて初めて!」
デイジーは顔を綻ばせ喜ぶ。見習いとはいえ調薬師であるデイジーにとって、遺跡の床一面に咲く月夜草は宝の山だった。これだけの数の月夜草があれば、今迄出来なかったよう調薬も可能になるかもしれない。彼女にとってそれは、調薬師という職の未来までも変えかねない奇跡のような光景だった。
「有難う、アンナ!」
「いいえデイジー。もっと奥に進めば、これよりすごいものがありますわ」
月夜草なんていくらでも買えるような金貨の山と、黄金で出来た大神様の祭具。
デイジーもまた、これまでアンナが見てきた大人達のように、喜び勇んで穴に飛び込んでいくに違いない。
「ここよりすごいもの?」
「ええ」
デイジーにとって、目的は月夜草であり、その目的はすでに達成されている。だからこそ、よくわからない遺跡の奥に足を運ぶ事が躊躇われた。
「……うーん」
「友人のお願いですわ。デイジーにも是非見て欲しいの」
敢えて友人という言葉を出すことで、デイジーの気持ちを揺さぶる。
デイジーにとって、この地に案内してくれたアンナには借りがある。その上、友人としての頼みと言われては断るのもしのびない。
「わかった。じゃぁ、少しだけ」
「はい」
デイジーの言葉にアンナは微笑みを浮べる。
それほどにアンナが自分に見せたい物とは何なのか。デイジーの関心は次第に奥に存在する何かへと移っていく。ランタンを握り締め、奥へと歩を進めようとしたデイジーの腕を、アンナの手が掴み止める。
「ん、どうしたの?」
「……いえ。何でもありませんわ」
アンナは完全に無意識のうちにデイジーの腕を掴んでいた。まるで、彼女の歩みを必死で止めるかのように。
(デイジーに罰を与えようとしているのは私。なのにどうして)
無意識の行動ゆえ、その理由をアンナが理解する事はできない。彼女の心の奥底では、デイジーを傷つけたくないと思っている事が原因だと言われれば、彼女もしっくりきただろう。だが、この場でそれを指摘するような人間はいなかった。
「さ、行きましょアンナ。早く帰ってお風呂に入りたいし」
「……そうですわね」
軽い足取りで前を進むデイジーをアンナは追いかける。今なら引き返せる。だが――
「そうだアンナ。新しい石鹸を作ったから、今日一緒に試してみようね」
「……ええ」
奥へと進む程に、アンナの心はどんどん沈んでいく。
大神ピュラブレアから与えられた使命と、友人の命。どちらが重要かは、デイジーをこの場に誘い出した時点で決まっている。
(穴に落としさえすれば、彼女の力では登ってはこれない)
デイジーを穴の縁に立たせて、後ろから押すだけ。いつも以上に簡単な内容。それだけですべてが終わり、兄との平穏な日々が約束されているのだ。
「どうしたのアンナ。さっきから暗い顔して」
「そんな事ありませんわ」
(自分は今どんな顔をしているだろう。こんなに息苦しいのはいつぶりだろうか)
アンナにとってこの場所は大神ピュラブレアの裁きを罪人に与える神聖な場所だった。だが今は――
「怖いなら、私が手を握ってあげるね」
「どうして――」
罪人であるはずの少女を、自分は傷つけたくないと思ってしまっている。アンナにはその事が大神に対する大逆に思えた。だが、いくら考えても自分の中で沸いた思いが変わる事はなかった。
(ああ、私は彼女の事が好きなんだ)
友人と言ってくれた少女。
怖いならと今も手を繋いでくれる彼女の存在はアンナにとって特別な者になっていた。
「どうして、貴女はそんなに私に優しくするのですか……」
「アンナ?」
アンナの両目からはとめどなく涙が流れ落ちる。
知らない間に自分の中で、大切な存在になっていた友達。
すでにアンナに、デイジーを大神の炎で焼く事なんて事が出来るはずはなかった。
「アンナが何に苦しんでいるか、私には分からない。でも、アンナは私の友達だから。苦しんでいるなら教えてほしい。一緒にどうしたらいいのか考えよ?」
「……デイジー」
アンナの身体をデイジーが抱きしめる。その温もりは余計にアンナの心を縛りつけた。
これまで必死に押し殺してきた罪悪感が、アンナの心に一気に溢れ出す。
グォォォー
「な、何この音。アンナ、奥に何かいるかもしれない、早くここから出よ」
「ああ……」
低く唸るような音が、遺跡内に響き渡る。
(大神様。私をお呼びになっているのですね。貴方様の使命を果たせなかった私に罰を与える為に)
幽鬼のような空ろな目で、遺跡の奥へと向かうアンナの後をデイジーは必死に追いかける。
奥に広がる大穴に、アンナはゆっくりと近づくと、身体がふらりと揺れる。
「だめ、アンナ危ない!」
バランスを崩したアンナの身体は、ゆっくりと穴の底へと落ちていく。
大神の使命を破った自分に与えられた罰。これまで焼いてきた人間達と同じように、大神の炎は自分の身体を焼き尽くすだろう。
だが、アンナはそれでよかった。
友人をこんな事に巻き込まなくてすんだのだから。
友人にこれまで自分がしてきた事を知られなくてすむのだから。
兄以外の特別を見つけてしまったアンナの心は、これまでの彼女の行為を許す事が出来なくなっていた。
彼女が罰してきた女性達もまた、彼女の特別な人と何らかわらなかったのかもしれない。
兄だけが特別な存在であると思い込む事で、それ以外がどうなろうと彼女の心が傷つく事は無かった。
だが、大神の使命という形で必死に隠し続けてきた殺人に対する罪悪感が、特別な存在を見つけた事で一気に溢れ出していた。
だから、もうこれでいい。
ここで自分も炎に焼かれて死ぬ事が、犯してきた罪への贖罪となるだろう。
アンナはすべてを諦め、目を閉じようとしていた。
落ちていく自分の身体へ、伸ばされた少女の手を見るまでは。
□□□
「暗いですね」
「明かりが、魔術の灯火だけだから余計にね。足元に気をつけて」
【点火】の明かりを頼りに、私達は遺跡の奥へと進んでいた。
古い遺跡のはずだが、風化が殆ど進んでおらず、何らかの魔術的な要素で守られている気配があった。
(ゲームでは詳しく記されていなかった遺跡か)
ゲーム【ピュラブレア】には、最終的に明らかにされなかったいくつかの謎が存在していた。
封剣の場所
魔王という存在の事
ギヴェンに封剣の守護者が集まる理由
そういった謎は、ネット上で適当な形に解釈されていた。だがこの世界に来て、私は封剣が他国に封じられている事を師匠から教えてもらい知る事が出来た。ゲームで明かされていなかった謎が、この世界では明かされる可能性がある事が分かった。
(この遺跡も、そういった明かされていなかった謎に関係する物の一つかもしれない)
ゲームにおけるこの遺跡の扱いは、アンナに連れられてこられるだけで特に説明もない罠遺跡という存在だった。だが冷静に考えれば、罠として十分機能するほどの魔術遺跡は、国にとっても非常に貴重な存在ではないだろうか。ゲーム内では、アンナのイベント以降、この遺跡が登場する事は無い。つまり、イベント後は国か教会の手で管理隠蔽されたと考えるのが道理だ。
アンナイベントで主人公が生き残った場合、アンナはこれまでの罪を認め、ギヴェン王国から追放される事となる。だが――
(実際に追放された彼女の姿を見たものは存在しない)
追放したと公言する事で、フィーアが叛意を持つ事を避けたのではないだろうか。ボイル国王という人物は、貴重な魔術遺跡の機密を知る人間を、国外に追放するような愚か者には見えない。
(アンナの身を守るためには国との交渉も必要になるか)
アンナがこの遺跡の罠で人を殺めていた場合、それがどれほどの罪になるのか。
その上で、減刑交渉する為に、こちらは何が提案できるか。
この辺りに関しては、今のうちに考えておく必要があるだろう。
グォォォー
「うわああああ!」
「ひいい!」
突然、遺跡内に響きわたる音に、トミーとレビンが震え上がる。
「おい、ジニー今のって……」
「たぶん、ただの風の音だと思う。ここに入ってから、思ったよりも空気が淀んでいないから、多分どこかに空気穴があって、遺跡の中と外での気圧の差がその場で音を発しているんじゃないかな」
「なるほど」
私の説明にヴァインは頷き納得する。他の少年達も魔獣の咆哮ではないと知り、安心した表情を浮かべていた。
(実際はどうか分からないけどね)
もしかすると、本当に魔獣の咆哮だったのかもしれない。だが、今はいるかどうかわからない魔獣に怯えるより、アンナとデイジーを見つける事のほうが先決だ。
そう考え音の聞こえた遺跡の奥地へと私達は急いだ。
「誰か!! お願い、誰か彼女を助けて!」
しばらく進むと、遺跡の奥から少女の叫び声が聞こえてきた。
「あの声はアンナ!」
「待ってフィーア。みんな急ぐわよ!」
暗い遺跡の中、声のする場所へと走り出したフィーアを、私達4人は必死に追いかける。
やっとの思いで追いついた先は、深さ2m程度の大きな穴の縁に位置する場所だった。
そして、その大穴の底には倒れ意識を失っているデイジーと、その彼女を必死に看護するアンナの姿があった。
(この場所はイベントの)
アンナのイベントの遺跡の罠が設置された大穴。
大穴の縁の部分から中央に向け、魔術の炎が噴出し、最後には穴の中にいる全てを焼き尽くすという仕掛けだったはず。
「アンナ! デイジーすぐにそこに向かう!」
「駄目! 兄様、来ては駄目!」
必死で呼び止めるアンナを無視し、フィーアは大穴の底へ降り立つと、振り返る事なく、少女達の下へと走り出す。
「あの馬鹿!」
「ヴァイン降りちゃ駄目。これは……」
「ああ、分かっている。これはヤバイ奴だ。さっきから嫌な予感がびんびんしてる。でも、フィーアは俺の友人だ。見殺しになんて出来ねぇ」
駄目だ、ヴァインを止めなければ。
そう考えていた矢先、ヴァインの後を追うようにトミーとレビンも大穴の底へと降りていく。
「ちょっと、何してるの二人とも!」
「ヴァージニアさん。ヴァインの言う通りだ。僕らに友達を見捨てるなんて事は出来ない」
「まぁ、あいつら抱えてここから脱出すれば済む話だろ」
レビンとトミーが軽く手を振りながら、フィーアの後を追い始める。
「駄目だ、ここには馬鹿しかいないんだ……」
魔術の炎はいつ発生するか分からない。だが、彼らだけを死地に送るなんて事、私に出来るはずがないじゃないか。
大穴へとゆっくりと降りる途中、目の端に小さな炎の揺らめきを見つける。
魔術の炎はいつ発生するかじゃない。もうすぐ発生するのだ。
私は急ぎ彼らの元へと向かう。意識を失っているだろうデイジーを抱え、すぐに深さ2mのこの大穴から脱出しなければならない。
「いい、みんな。すぐにここから脱出するわ。急いで」
「……駄目だジニー。もう手遅れだ」
大穴の縁には、明るい炎の揺らめきが見えていた。その炎はどんどん大きく膨れ上がっている。
(炎がくるまであまり時間がない)
「ごめんなさい、私のせいで……」
「いや、アンナが悪いわけじゃない! 私が……」
「嫌だ死にたくないよ」
「ど、どうしようヴァイン」
パン!
私が出した音に、全員の視線が集まる。大きな音を出すために、力いっぱい手を叩きすぎたようだ。真っ赤になった掌を互いにさすりながら、私は彼らに提言する。
「落ち着いてみんな。助かりたいなら私の言うことを聞いてくれるかしら?」
少年達は必死で頷き、私の言葉を待つ。
「アンナ、貴女がこれまでしてきた事は、もしかすると許されない事かもしれない。でも貴女は私の、いいえ私達の大事な友人。絶対にこんな所で死なせたりなんかしない。だから、私に力を貸してくれるかしら?」
「……ええ、ジニー。わかりましたわ」
迫りくる炎の速度を考えると、残り時間は10分を切っているだろう。
ここにいるのは、私だけではない。
「説明するわ。聞いたら各自、すぐに準備に入って!」
「「「はい!」」」
私の説明で、全員が一気に動き始める。
絶対に誰も死なせはしない。ここにいる全員で生きて帰るのだ。
「さあ、みんな。戦技課の力を示しましょう!」
死の罠が迫る遺跡の奥で、私達戦技課の命をかけた実働試験が開始された。