2-4 魔導学を学ぼうと思います
「失礼します」
シュナイダーに案内された父の執務室で見たのは、美しい黒地の布に金糸で刺繍が施されたローブを纏う黒髪の男だった。
「フィルツ。娘のヴァージニアだ」
「はじめまして、ヴァージニア嬢。フィルツと申します。以後お見知りおきを」
ローブの男はずり落ちるメガネを指で押し上げ、人懐っこそうな笑みを浮かべた。
フィルツ=オルストイ。
オルストイ伯爵家の次男にして王国魔術師団長ヴァイス=オルストイの弟。
魔法の才は兄ヴァイスを凌ぐと言われ、学院時代には学院史上最高の天才とまで言われた逸材である。
今はキメラ開発の第一人者として、王立魔導研究所のキメラ開発部門長の職に就いている。
そんな彼が目の前で、ミルクを溢れんばかりにいれた紅茶を啜っている……。
「はじめまして、ヴァージニア=マリノと申します。宜しくお願いしますわ、オルストイ卿」
「へぇ、すごいなぁ! 俺がオルストイの人間だってよくわかったね。ウィル、この子は非常に優秀だ」
まずい、ゲームで見知った顔だったのでつい必要の無い事を言ってしまった……。
ごまかそうと、言葉を捜しているうちに父が助け舟を出してくれた。
「私に似て優秀なんだよ。あまりうちの娘をからかうな。ジニー、彼は私の古くからの友人だ」
「うんうん、ウィルとは学院時代からの付き合いでね、えーと、かれこれもう15年ぐらいだっけ?」
「……20年だ。で、ジニー。お前が言っていた魔法を学びたいという話についてだが、このフィルツに魔導学の講師をやってもらう事にした」
「そいうこと。よろしくね、ジニーちゃん」
「はぁ……」
私はかなり間抜けな顔をしていたと思う。
父とフィルツ=オルストイが友人同士にあるという事が、まったく信じれなかったからだ。
ヴァージニアの父ウィリアム=マリノは不器用な性格だが、武に優れ、西方守護伯としてその力を如何なく発揮しており、王の信頼厚い人物である。
領地の領民の事を第一に考える義の人であり、曲がった事を極端に嫌う性格である。
良き領主ではあるが政争などの腹芸は苦手で、王国の盾として国境を守る地方伯の仕事が心底、性にあっていると常々こぼしている。
それに対しフィルツ=オルストイという人物は、良く言えば奔放な天才。
悪く言えば自己中心的で、周りの迷惑を一切考える事なく、ただただ欲望に忠実で、はた迷惑が服をきて歩いているような天才である。
父とフィルツの関係はゲーム【ピュラブレア】でもまったく語られる事は無かったし、水と油の二人が20年もの長期に渡って友人関係を維持出来るなんて、思いもしていなかった。
「今日は顔合わせだけだ。明日よりフィルツにはジニーの魔導学を教えてもらう。シュナイダー、フィルツを部屋に案内してやってくれ」
「かしこまりました。ではオルストイ様、お部屋にご案内致します」
「あぁ、よろしくね。またね、ウィル。それにジニーちゃんも」
フィルツはそう挨拶し、シュナイダーに案内され執務室を後にした。
「あれでも優秀な男だ。がんばって学びなさい」
「はい、お父様。では私も失礼致します」
漠然とした不安が胸に広がるのを私は禁じえなかった。
□□□
「おはようご御座います。オルストイ先生」
「おはよう、ジニーちゃん。もっと気安くフィルツ先生かそれとも師匠って呼んでもいいんだよ」
「いえ。そのようなお呼びの仕方は、オルストイ先生に失礼ですので」
魔導学の授業はマーサ先生の授業と同じ勉強部屋で行われる事になった。
ただ一つ違う点は――
『メイドの人は、悪いけど出て行ってもらえるかな? 授業の邪魔だから』
『いえ、しかしそれでは万が一の事がございました時に、私どもの対応が遅れかねませんので』
『仮りにも、俺はオルストイの人間だ? 年端のいかない少女に、ましてや親友の娘に手を出したりするわけがないだろ?』
『し、失礼しました!』
という一幕があり、マーサ先生の授業ではいつも扉の側に佇むメイドの姿が今日は見られなかった。
「まぁ、呼び方は後でいいか。ジニーちゃん、ちょっと手を前に出してもらえるかな?」
「……こうですか?」
私が手を出すとフィルツは自らの両手で包み、何らかの呪文を詠唱した。
「オルストイ先生?」
「……あぁ。うん、魂の状態を確認しているんだ。オドへの転換も問題なく出来てるし問題は無さそうだね」
「こん?」
「ん? あぁ、健康に問題は無いって意味だよ」
「そうですか」
ヴァージニアに転生して数日間は、体のだるさや吐き気を感じていたが、その後はそういった気配を全く感じる事は無かった。
高熱で生死を彷徨っていた事が嘘のような回復力だ。
「さて……授業を始める前にちょっと細工をさせてもらうね。大丈夫だとは思うけど、念には念を入れとかないと。いろいろ面倒事は嫌だしねぇ……」
フィルツは私の手を解くと立ち上がり部屋の隅に歩き出した。
「何をしていらっしゃるのですか?」
「うん? ただの結界だよ。音が外に漏れないようにね」
にっこり笑いながらフィルツはそう答えた。
「……何故、そんなことを?」
「簡単な事さ。俺は本当の事が知りたいんだ」
パシッという音と共に、部屋の壁を光が走る。
「これでよしっと。さて、俺が知りたいのは君が何なのかって事、ただそれだけさ。自覚しているかい?君は3歳のはずなのに、異常に大人びている。一体どうしてかなぁ、ヴァージニアお嬢ちゃん」
背中に嫌な汗が流れる。
まるで肺を押し潰されたかのように、上手く息が吸えない。
「そんなに青い顔しなくても大丈夫。別に取って喰おうってわけじゃない。むしろ俺は君の味方だ。まぁ、言いたくなければ言う必要はないけどね。言えない事自体が、君の正体を一番に物語っているのだろうしね」
「違う! 私はヴァージニアだ!」
私は両手を机に叩きつけ声を上げた。
しまったと後悔した時は遅かった。
フィルツはまるで獲物を狙う肉食獣のよう目を細め口角を歪める。
「ははは、すばらしい! 穴埋め用に形成した形ばかりの魂にこれほどまでの影響力があるとは!」
「……」
上機嫌なフィルツとは正反対に、私は親の仇を見るかのようにフィルツを睨みつけた。
「そう怖い顔をするなよ。さっきも言ったとおり俺は君の味方だ。どちらかというと共犯者か。まぁどうでもいい」
「オルストイ先生」
「師匠と呼べ。そのほうが格好が良いし面白いからな! 俺はお前に魔導学を教えてやる。代わりに、お前が何を選び何を捨てて死んでいくか俺に見せるんだ。お前という研究対象の存在で俺の人生少しは面白おかしくなるに違いない。さぁ、これは契約だ」
これがフィルツ=オルストイとの初めての授業であり、私と師匠との関係の始まりだった。
蛇足です。
ウィリアムはフィルツと二人だけの時は友人としてフィルと呼び、娘や執事がいるような場を考えての発言のときはフィルツ呼びです。
フィルツのほうは場とか関係なしにウィル呼びです。
学院は10歳で入学。20年の付き合いなのでウィリアムとフィルツは30歳です。
ジニーはウィリアムが27才の頃に生まれた子です。