アンナ=クィント
私の世界は兄様の存在がすべてだった。
2つ年上の兄様は、忙しい父様のかわりに私の面倒をいつも見てくれていた。
「兄様ごめんなさい」
「いいんだよ、アンナ」
兄様の優しさが自分にだけ向けられている事がすごく嬉しかった。
ずっとこの暖かな気持ちに包まれていたい。そう願っていた。
教会には私達以外の子供の姿は見られない。教会が運営している孤児院に行けば、同年代の子供達が大勢いるかもしれないが、私達がいた教会本部にそういった施設がなかった。私達二人は、ずっと大人達に囲まれ生活していた。
兄様は緑の封剣守護者として、周りから畏敬の目で見られている。
大司祭様も兄様は大神ピュラブレア眷属神の加護を受けた存在であり、他者から敬われるべき存在であると兄様を祀り上げ続けた。その為、兄様は大司祭様から、父様と私以外に笑いかける事さえ禁じられた。
それでも兄様が私にだけは、ずっと変わらない優しい兄様でい続けてくれるならそれでよかった。
だけど、大司祭様は私からそんな小さな幸せさえ奪おうとした。
「フィーアは神の眷属の寵愛をうけた存在。穢れた世俗と完全に切り離さなければならない」
大司祭様は父様にそうおっしゃり、私と父様から兄様を引き剥がそうとした。
大好きな兄様を失いたくない。私は大声で泣き叫び、大神様に祈り続けた。
お願いします、大神様
大好きな兄様をアンナから奪わないで下さい
祈りが通じたのかは分からない。ただ、私がそれを見つけたのは運命なんだと思った。
その時、私は数人の修道女達と共に王都から少し離れた森に薬草を採りにいっていた。
そしてその森で何かの私を呼ぶ声を聞いた。最初は薄気味悪く感じていたが、なぜだか無性に気になり、修道女達の目が離れた隙にこっそりとその場所に向かう事にした。
そこで私が見つけたのは、大神様の紋が刻まれた石の入り口。どこに通じるのか分からないその奥から、私を呼ぶ声が聞こえる気がした。
「大神様の紋が刻まれた入り口だと?!」
私の言葉を聞いた大司祭様は、私の案内の下、数名の人間を引きつれその場へと急いだ。
大司祭様達は入り口をこじ開け、中へ突き進む。彼らの目にはすでに私の姿が映っていなかったのだろう、彼らは私を放ってどんどん先へと進んでいった。
大人の足と子供の足では、進む速度が違う。彼らは私の事を忘れ、初めて見る大神様の遺跡に心を奪われていた。
「これはすごい、歴史的な発見だ! これで私の大司祭として地位は確固たるものとなる!」
「おめでとうございます。大司祭様!」
狂ったように喜びながら突き進む彼らの姿が、どんどん小さくなっていく。
疲れた足を止め、ふと地面に目をやると、そこには珍しい薬草が生えていた。それは夜光草と呼ばれる霊草でダンジョンの深層のような魔素が濃い暗い場所でしか咲かない珍しい霊草だった。この霊草を薬草と混ぜて使うだけで、薬草の効果が向上するらしい。薬草について詳しい修道女がそう教えてくれていた。調薬師にとってはすごく貴重な品であり、高値で取引される霊草であると。
(これを持って帰れば、兄様や父様は喜ぶかな?)
私を置いてどんどん先に進んでいった大人達の事よりも、兄様と父様の喜ぶ顔のほうが私にとっては重要だった。夢中で霊草を集める私の耳に、大人達の悲鳴が聞こえてきたのは、それからしばらくした後の事だった。
急いで悲鳴のする場所へと向かった。私が行った所でどうなるものでもない。むしろ足手まといにしかならないだろう。本当なら恐ろしくなって逃げ出すのが正解に違いない。だが、何故だかそこに行かなければならない気がした。私を呼ぶ声がしたのもその奥だと感じたからだろう。
「?!」
遺跡の奥には半径50mほどの大きな穴が存在し、底には金貨の山と黄金でできた祭壇が存在していた。
そしてそこに、私は大司祭様や大人達だったらしいものの姿を発見する。
それを目の当たりにした私は胃の中のものをすべて吐き出す。あたり一面に、肉の焦げる嫌な匂いが漂っていた。
大司祭様と大人達は全身を炭化させており、まるで真っ黒なオブジェのようだった。
怖くなった私は、一人おぼつかない足取りで教会に戻る。
そして誰もいない部屋の片隅で、ひざを抱えて震えつづけた。
「大丈夫だよ、アンナ」
私を見つけた兄様が、震える私をそっと抱きしめてくれた。
兄様に温もりだけが、私を癒してくれる。ああ、この人さえいてくれればそれでいい。
大司祭様とその伴の大人達が姿を消した事で、父様が大司祭の地位を継ぐ事となった。
父様が大司祭になったおかげで、私が兄様から切り離される事はなくなった。
(ああ、大神様が私の祈りを聞いて下さったに違いない)
すべてが私の思い描くように進んだ。大事な大事な兄様さえいればあとはどうでもいい。だから、私の兄様に手を出そうとした修道女もまた、大神様の導きで消えてもらう事にした。
「アンナ様、こんな所にそれほど貴重なものがあるのですか?」
「ええ、みんなには内緒ですわ。ティリアにはいつも兄様や私がよくして貰っていますから」
彼女を例の大穴へと誘う。
金貨の山と黄金で出来た祭壇を見つけた彼女は、目を輝かせ大穴の底へと降りていく。
あれから数度ここに来る事で、この大穴がどういったものかを理解していた。
この大穴はちょうど1時間ごとに魔術の炎が渦巻くという事が分かった。どういった原理で炎が噴出すのかは分からないが、縁から噴出した炎は中央で集まり、大穴全体を炎で焼き尽くす。
一度大穴に降りると、2mほどある縁部を登る事は難しく、何より炎が噴出す縁の部分まで行かなければ脱出する事は適わない。穴に下りるために掛けておいた梯子も、炎に焼かれ燃え尽きて灰になる。
「いやああああああ!!」
黄金を持ち出そうとした女は、そのまま炎に焼かれ真っ黒な炭へと姿を変える。
私の兄様を誘惑しようとした愚かな女の末路として相応しい結末だ。
「身に過ぎた欲を出したりするからですわ。さようならティリア」
大神様が私に下さった裁きの大炎。この炎の力を用いて兄様を守りする事こそが大神様に与えられた私の使命に違いない。
兄様を誘惑しようとする女達や、兄様を利用しようとする大人達は皆、大神様の炎で浄化されていった。女達も大人達も、穴の底の黄金を目にすると、同じように穴に飛び込み、金貨を必死でかき集め、黄金の祭具を両手いっぱいに抱え込む。そうしているうちに大穴の縁では魔術の炎が燃え盛り、その炎はどんどん中央へと燃え広がる。そうなってしまえば、助かる見込みはない。あとは大神様の炎で燃え尽きるだけだ。
「うわああああああ!!」
「痛い痛い痛いいいい!!」
「嫌、どうして私が!」
泣き叫ぶ者、身体を焼かれる痛みに悶え苦しむ者、自らの運命を呪う者。その姿は様々だ。だが最後には一様に黒い塊に姿を変える。抱え込んだ黄金だけが焼かれる事なく、黒い塊から零れ落ちる。
そうして、兄様に害をなす存在は教会から一人残らず消えていった。
□□□
父様から戦技課の話を聞いた時、また兄様に邪な目で見る愚か者達の処理をしなければならないのかと、少しだけうんざりしていた。
だが、私の横では、兄様が学院に通える事を素直に喜んでいた。私より2つ年上の兄様。
自分より年下の人間達と一緒の学院生活だというのに、その表情は学院に通える事への喜びしか見受けられなかった。
(兄様がそれでいいのなら)
ずっと緑の封剣守護者として教会で生きてきた兄様が、外の世界に興味を持ってもおかしくはない。私はただこれまでどおり、兄様をお守りするだけだ。
「じゃぁ、ヴァージニアさんがきたことだし、自己紹介と行きましょうか。ではヴァイン君から順にお願いね」
「はい」
戦技課のメンバーの自己紹介。正直どうでもよかった。兄様以外の有象無象に興味はない。だが、出来れば、兄様に邪な目を向けないでほしい。私だって、同じ年代の少年や少女を大神様の炎で浄化なんてしたくはないから。
「フィーア=クィントです。よろしくお願いしますね」
「え!?」
兄様の自己紹介の途中、一人の少女が声を上げる。背の低い金髪の少女。
少女は慌てて、自己紹介の途中で声を上げてしまった事を謝罪する。
少女の名前はヴァージニア=マリノ。西の守護伯であるマリノ侯爵家の令嬢。
わずか10歳にして、魔術と剣術それぞれで2つ名を持つ異才。権力と武力を兼ね備えたこの少女が、兄様と私の生活を脅かす敵になるなら、これ程に恐ろしい相手はいないだろう。
だが、その思いは杞憂に終わる。
ヴァージニア=マリノと付き合ううちに彼女がどういった人物かを理解する事が出来た。
彼女は、簡単に言えば子供だ。それもどちらかといえば少年に近い。
裏表のない彼女の態度には、兄様に媚を売っていた女達のような匂いが一切感じられなかった。
それどころか、彼女は『女』というものを全く感じさせない、非常に珍しい人物だった。
戦技課のもう一人の少女、デイジー=ブロッサムはヴァージニア=マリノに比べれば分かりやすい少女だった。彼女は優しくされれば絆され、褒められれば喜び、自分を守ってくれる相手に憧れの目を向ける、そういった普通の少女。
(彼女とは、仲良くなれないかもしれない)
デイジーからは、兄様に邪な目を向けた修道女達と同じ匂いを感じる。
今は違うかもしれないが、いつか兄様を自分のものにするため、誘惑しようとするかもしれない。
「貴女達がどう思っているか分からないけど、今では私は貴女達の事を、友人だと思っているわ」
「わ、私だってヴァージニアさんの事を……」
ヴァージニアは私を友人だと言い切った。
そして、デイジーも私の事を大事な友達だといいながら微笑んだ。
『私の友達』
そんな人が私に出来るだなんて、思いもしなかった。
私にとって世界には兄様と父様の2人しか存在していなかった。
だけど、戦技課に来てからは何かがおかしい。
初めてみんなで歩いた街の賑わい
一緒になって作り上げたパンケーキの甘さ
朝まで語りあう友達との時間の尊さ
これまでの私の世界にはなかったそれらすべてが、私の世界をどんどん煌びやかに彩っていく。
(だめだ、自分の使命を忘れてはいけない!)
兄様に邪な目を向ける人間を、大神様の炎で焼く事が私に与えられた使命。
それを忘れて戦技課での生活にうつつを抜かしてはいけない。
「どうしたのアンナ。気分でも悪いの?」
「いいえ、何でもありませんわ。こちらです、デイジー」
兄様に対して憧れ以上の目を向けるデイジー。
彼女の存在は、今までの女達同様、早いうちに処理しておかなければならない。
だが、どうしてこれ程に心が締め付けらるのだろう。
「アンナが月夜草が生えている場所を知っているなんて。教えてくれてありがとう!」
「いいえ、デイジーが喜んでくれるなら私も嬉しいですわ」
私の中で大神様に与えられた使命を果たせという思いと、友人を傷つけてはならないという思いの2つがせめぎ合っている。
「月夜草があれば、医療魔術はもっとすごくなると思うの。そうすれば、フィーアさんも喜んでくれるかな」
「ええ、兄様ならきっと喜ばれると思いますわ」
ああ、どうして兄様なの? せっかく出来た、大事な友人を手にはかけたくは無い。だが――
「急ぎましょう。日が暮れる前には戻りたいですし」
「そうだよね。お風呂の時間には戻らないとね」
微笑むデイジーに私も笑顔で応える。
(ああ、ごめんねデイジー)
そうして、私達は、森の奥の遺跡へと足を踏み入れる。