貴族と庶民と修道女と
その夜は予想通り、ヴァインとの一件に関してデイジーとアンナから厳しく追求を受ける事となった。
少女達は何が何でも、私と彼をくっつけたいようにも見える。これは単純に恋愛事に対し興味深々な年頃という事なのだろう。
「そういえば、デイジーは誰か好きな人とかいるの?」
このままでは、いつまでも自分が矢面に立たされると考え、その対象を別に誘導する事にした。
こういった話も少女達の大好物に違いない。まぁ、この年頃なら男女問わずにこういった話は夢中になるだろうが。
「私は特には……」
「誰かいないの? なら戦技課の男子達なら誰が好み?」
特に居ないと言われると、そこで話が終ってしまう。それでは、またこちらに火の粉が舞い戻るじゃないか。ここは、しつこく食い下がらせてもらおう。
「うーん、トミー君は子供すぎるし、レビン君は優しいけどなんだか頼りないし」
「デイジーさんは、兄様の事どう思われてるのですか?」
それまで静観していたアンナがデイジーに問いかける。
「え、フィーアさんですか? 戦技課の男子達の中では一番大人っぽいですし、とっても優しい方ですよね。穏やかな人で、一緒にいるとすごい安心できますし」
「……そうですか。では、ヴァインさんはどうですか?」
アンナの表情が一瞬翳ったように見えたが、すぐに元の表情に戻る。
「ヴァインさんにはヴァージニアさんがいるじゃないですかー!」
「ですわよね!」
ああ、そういう流れか。アンナの奴、あくまで話をこちらに戻したいようだ。
「アンナもデイジーも、その話は終ったはずだよね?」
「それはヴァージニアさんが――」
「ジニーでいいわ」
「へ?」
いいかげん、この話題を振られる事が嫌だという事もあるが、それ以上にこういった話をしているにも関わらず、彼女達の言い回しには妙な距離感を感じるのが煩わしく思える。私にとって、彼女達はすでに戦技課の仲間だ。こちらが呼び捨てにしてるのだし、もう少し気安く呼んでほしい。
「で、でも、ヴァージニアさんは貴族の方だし」
「そうですわ」
どうも私が貴族である事を気にしているようだ。その割に、ヴァインの事で『こういう事に関しては異常に鈍すぎる』だとか『魔術や剣術もいいですが、もっと異性の気持ちを察する能力を』とかなり失礼な事を言われた気がしないでもないが……。
「浴室でその貴族令嬢の肌に気安く触れたり、ずっと髪を弄ったりしていた人達の言葉とは思えないわ」
「あ……」
彼女達は私の言葉に萎縮してしまう。自分達の行動がどれほど大胆なものであったかをやっと理解したようだ。
「私が貴女達に対して、侯爵令嬢として接した事が一度でもあった?」
二人は互いに顔を見合わせ、そしてゆっくりとかぶりを振るう。
「私にとって貴女達は同じ戦技課の仲間、言うなれば戦友よ」
「戦友ですか……」
戦友という言葉にアンナが食いつく。10年間ずっと教会の中、同年代の子供達と触れる機会がなかった彼女にとって、戦友という言葉であっても十分魅力的に聞こえるのだろう。
「それも、今まではね。こうして一緒になって課題に取り組み、一緒にご飯を食べて、そしてお風呂に入り、互いにベットで横になりながら些細な事で話あっている。貴女達がどう思っているか分からないけど、今では私は貴女達の事を、友人だと思っているわ」
「わ、私だってヴァージニアさんの事を……」
「なら、私が二人の事を名前で呼んでいるように、二人にも私の事をジニーて呼んでほしいの。これは友人としてのお願い。聞いてくれるかしら?」
私の言葉に二人は逡巡しながらも、おずおずと口を開き私の愛称を読んでくれる。
「改めてよろしくね、二人とも」
「うん、よろしくね、ジニー」
「よろしくですわ、ジニー」
ジニーと呼んでくれる女性の友人はこれまではリズとナータの二人だけだった。
だから、こうして愛称で呼んでくれる友人が増えた事に、私は心の底から喜んでいた。
胸の奥が温かい気持ちで溢れ自然と笑みがこぼれる。それを見た二人も私と同じように微笑んでいた。
貴族と庶民と修道女
本来なら交わる事のない3者がこうして互いに笑い会い、同じ時間を過ごしている。
たぶんこれはゲーム【ピュラブレア】では考えられなかった事だろう。少しずつではあるが、ゲームとは違った未来に進んでいるような気がしてそれが余計に、私を明るい気持ちにしてくれた。
□□□
あの日以来、戦技課のメンバー同士の関係は、以前よりもより親密なものとなっていた。
少年同士は集って何やらよからぬ事を日々考えているようだし、私達は私達でこうして集まり、今も甘味に舌鼓を打っている真っ最中だ。
「おいしい!!」
「ほんと、これはおいしいわ」
口いっぱいにパンケーキをほおばるデイジーに苦笑しながらも、ドロシー先生はそう褒めてくれた。
今日は、試作した魔導具の実試験だ。
魔導具自体はシンプルなもので、炎魔術に組み込まれた防衛魔術を利用したホットプレートの開発だ。
火が使えない環境下であっても、オド転換ができるなら、加熱調理が可能となる道具。
煙や炎の明りは時と場合によっては、使用が出来ない場合が存在する。例えば、ダンジョンを探索する冒険者達だ。ダンジョン内に燃料となる可燃物を持ち込む事は、所持重量の都合難しいだろうし、何より不完全燃焼した場合に発生する一酸化炭素は、命の危険に直結指定しまうだろう。そういったダンジョンの中であっても安全な熱源として利用が可能な加熱魔導具は、ダンジョンに篭る冒険家にとっては非常に画期的な道具となる事だろう。
今回はその加熱魔導具の実働試験といった所だった。
流石に魔導具を加熱させるだけでは、面白みは無いと考え、アマンダさんに小麦粉、卵、牛乳、蜂蜜の準備をしてもらっていた。ふっくらと仕上げる為に必要な炭酸水素ナトリウムに関しては、前回のヨウ素同等、サニア先生に相談し、準備を進めてもらっていた。作製が無理な場合は、食感が変わってしまうがイースト菌で代替しようと考えていた。だが、サニア先生は見事炭酸水素ナトリウム―いわゆる重曹の完全な形で準備をしてくれた。
『お礼は、出来たものを食べさせてくれればそれでいい』
そうして今、この場には私、デイジー、アンナの3人とドロシー先生、サニア先生、そしてヘレナ先生の姿があった。
「うん、こいつは美味い! まさか風呂場のお礼に、こんなものを食べさせて貰えるなんて、思いもしなかったよ」
あの日以来、日頃はあまり入浴施設を利用できないアンナやデイジーの為、私達戦技課はドロシー先生を通してヘレナ先生に入浴施設の利用の許可が得られるよう交渉を進めていた。結果、浴槽に湯を自分達で張るなら、利用可という形で許可を得る事が出来た。これにはアンナとデイジーだけではなく、同じ戦技課であるトミーやレビン、そしてフィーアも喜ぶ事となる。
元々、ヘレナ先生の作られた入浴施設を利用する場合は、水の準備と初期加熱が必要であった。彼女が作製した装置はあくまで追い炊き装置であり、最初から沸かせるとなると、想像以上の量の燃料が必要だった。
『元々、アレを使うには浴槽一杯に湯を満たす労力と、そのための大量の湯の準備が必要なのよ。最も簡単な方法は、魔術課に協力を仰ぐ事。勿論、彼らに協力してもらうのも、タダじゃない。だからあまり頻繁には使えないんだ』
魔術課の生徒に出来て、私やヴァインに出来ないはずはない。
そう考えた私とヴァインは実際に、浴槽にお湯を張れるかどうか試す事にした。
『水のオドよ転き換ぜよ、大河の息吹よ、深き脈動よ、己が行く手を示し、奔命せよ【奔流】』
『炎のオドよ転き換ぜよ、我が命に従いその姿を現出せよ【伝導】』
ヴァインが水魔術で浴槽に水を張り、私が炎魔術でそれをお湯にする。この世界の魔術というものは優秀だ。結果として、私達は思った以上に容易く湯を張る事が出来た。
こうして私達は、毎日のようにヘレナ先生の入浴施設を利用するようになった。それには、ドロシー先生やサニア先生、だけではなく、ヘレナ先生も便乗して利用していた。
毎日利用出来るヘレナ先生の入浴施設の存在に、他の技術課員達も利用を希望しはじめる。彼らはその代償として施設の清掃を自ら率先して実施するようになっていった。
私やヴァインも窮屈な木桶風呂ではなく、四肢を思いっきり伸ばせる入浴施設を利用するようになり、自然と他の戦技課員達との仲も、より深いものになっていった。
そして今回のパンケーキに関しては、日頃利用させてもらっている礼と、加熱魔導具のお披露目を兼ねて、ヘレナ先生を招待したという形だ。
本当なら砂糖で作りたいところではあるが、砂糖はこの世界でも嗜好品であり、それなりの値段がつけられていた。それに対し、蜂蜜は前回レビンに案内された料理屋でも調味料や飲料として利用されていたので、そこまでの高いものではないだろうと予想していた。
結果は私の予想通り。この世界での蜂蜜はそれほど高価なものでもなかった。アマンダさんに理由を聞いてみると――
『フェルセンの南では養蜂が盛んですし、市井に出回っているのは冒険者蜂蜜―ハニービーという魔獣の巣から冒険者が回収したものだからですよ』
と少し予想外の回答だった。
養蜂家の手で作られた蜂蜜は高級品として市場に出回っている。だが、先日の宿で提供されたような蜂蜜は低級品として市場に出回っていた。これは、魔獣化した大型の蜂の巣から回収したものだからだ。
アマンダさんの話では一部の冒険家は、魔獣化した大型の蜂―ハニービーの巣を見つけると、それが自分達のものであるとマーキングを行い、定期的に巣を襲って蜂蜜を回収しているらしい。ハニービーは一部の霊草を忌避するため、霊草を混ぜた煙でハニービーを巣から追い出し、巣を切り裂いて中の蜂蜜を回収しているそうだ。
ミツバチとは違い、彼らは非常に短い時間で巣を復興させてしまう。そのため、養蜂家が蜂蜜を回るよりも早いスパンで、冒険家達はハニービーから蜂蜜を回収する事が出来る。そういった冒険者によって回収されたハニービーの蜂蜜は冒険者蜂蜜と呼ばれ、普通の蜂蜜とは大きく区別されていた。
(魔獣産だから値段は下がるらしいが、先日食べた限り悪い蜂蜜ではなかった)
冒険者蜂蜜の低い評価は養蜂家の生活を守るための国の調整か何かだろう。品質に関する判断は国の基準で行われている。自国の産業と、冒険家の小遣い稼ぎ。どちらを優先するかは火を見るより明らかだ。
(こちらとしては、安価で品質の高いものが手に入るならそれにこしたことはない)
民間における蜂蜜とは、基本的に冒険者蜂蜜の事を意味している。そのため、戦技課員達が冒険者蜂蜜に対し嫌悪感を持つような事はなかった。
純粋に出されたパンケーキをおいしそうに頬張る彼女達の姿に、私はリズやナータ達に感じていた居心地のよさを感じていた。仲間と触れ合うこの時間が、ずっと続けばいいと思った。
だから、私はそれに気がつくことが出来なかった。
学院に入学して4ヶ月がたったある日。
アンナ=クィント、デイジー=ブロッサムの2名が私達に何も告げず、その行方を眩ませたのだ。