6-10 技術課棟で泊まろうと思います
夕食を皆で取った後、外に出れば、すでに日は沈みかけていた。
このまま王都のマリノ別邸に戻ってもいいのだが、戦技課のメンバーは皆、名残惜しそうな顔をしている。
実際に帰宅する人間は私とヴァイン、それとフィーアとアンナの4名だ。
「なんだか、皆名残惜しそうね。なんだったら、技術課棟で泊まっていってもいいわよ?」
ドロシー先生の言葉に、トミーとレビン、そしてヴァインの男子組が最初に喜んだ。友人同士合宿の乗りでお泊り会というのは、子供心をくすぐるようだ。
「ヴァージニアさんはどうする?」
どうも私とフィーア、アンナの3人以外は技術課棟で一泊するつもりのようだ。まあ、トミー、レビン、そしてデイジーは学院の寄宿舎から通っている為、あまり外泊にたいして抵抗はないのだろう。ヴァインはオルストイ邸に戻らず、マリノ別邸に泊まる事さえある為、外泊にたいして全く抵抗は無さそうだ。
(ここで私だけ家に戻るというのも空気が読めていないか)
問題は、外泊する事を家人に伝えておかなければならない事。
「御嬢様、なんでしたら私が家に伝言をお届けいたしましょうか?」
「え?! あ、アマンダさん。いつの間に」
後ろを振り返るとそこには、私の専属メイドであるアマンダさんの姿があった。
「ずっといましたよ? ところでどうされます?」
ここまでくればせっかくだ、ゲームの面倒事でもないし、参加しておこう。
「アマンダさん、お願い出来ますか?」
「畏まりました。御嬢様、楽しんで来て下さいね」
それだけ言うと、アマンダさんは人ごみの中に消えていく。おかしいな、領軍第六軍は別に隠密でもなんでもないはずなんだが……。
「今のって、アマンダ=リュ-ベルさん?」
「そうですが。ご存知なんですか? ドロシー先生」
ドロシー先生は、少し怪訝な顔をした後、たいした事ではないと言葉を濁した。
「で、参加するのか? ジニー」
「うん」
「よし、あとはフィーアとアンナだけだな」
ヴァインの言葉に皆の視線が、フィーアとアンナに集まる。
「兄様、あの……」
「ああ、いいよ。一度、教会に戻ってからになるけどね」
意外にアンナは乗り気なようだ。ゲーム【ピュラブレア】では、彼女はもっと人見知りが激しい女性だった気がするが。
「それじゃあ、皆で教会にご挨拶に行った後、そのまま技術課棟に向かいましょうか」
ドロシー先生の案に、皆が賛同の意を示す。全員で押しかけて大丈夫かとも思ったが、フィーアとアンナは顔を綻ばせて喜んでいる所を見るとそこまで問題は無いのかもしれない。
「兄様、ありがと」
「いいんだよ。アンナが僕以外の子とも楽しく過ごせるようになって僕も嬉しいからね」
フィーアに髪を優しく撫でられ、アンナは嬉しそうに目を細める。本当に仲のいい兄妹だ。
「あの二人ってまるで恋人同士みたいだよなぁ」
「そうかぁ、どうみても兄妹だろ?」
ヴァインとトミーが二人の姿を見ながら、小声で話合っている。
私の目には、彼らの姿は恋人同士というよりもっと、互いの距離が近い者同士のように見えた。
□□□
「わかりました。では、フィーアとアンナをよろしくお願いします」
「こちらこそ、急な申し出をお受け下さり有難うございます」
フィーアとアンナの父セイン=クィント様の説得を買って出て下さったのはドロシー先生だった。
ドロシー先生は、『技術課の打ち上げと、全員の親睦を深める事を目的に、学院内の技術課棟での宿泊の許可を頂きたい』とセイン様に頭を下げられた。
それに対し、セイン様は二つ返事で了解して下さったのだ。
「フィーア、アンナ。先生方の仰られる事にちゃんと従うように。それから――」
セイン様は身を屈め、彼ら二人の耳下でそっと囁く。
「――目一杯、楽しんできなさい」
「「はい!」」
セイン様の言葉に二人が笑顔で答える。こうしてみると、本当に優しい父親とその子供達のように見える。実際、セイン様の優しさはその言動から察する事が出来た。
「着替えをとってきます! 皆さんすぐ戻ります! 兄様、行きましょ!」
「お、おい。そんなに引っ張るなって」
アンナに手を引かれ、二人は教会の奥に姿を消した。
□□□
技術課棟に戻る頃には、あたりはすっかりと暗くなっていた。
教会に行った後、途中で寄宿舎にトミー達3人は衣類などを取りに寄る。
私とヴァインの分は、すでに技術課棟に預けられていた。どうも私達が教会や寄宿舎に寄っている間にアマンダさんが届けてくれたようだ。
「お帰り、ドロシー。後ろの子達はあんたの生徒?」
「うん。今日はここに泊まる事になるから。この時期なら開いてるよね?」
技術課棟3F。教員や泊り込んで研究にあたる技術課員用の宿泊施設がそこにあった。このあたりの施設の情報はゲームには登場していないものだった。
「ええ、大丈夫よ、今はがらがら。こんばんわ、私はヘレナ=マクガレン。技術課で建築関係を教えてるの。よろしくね」
「「「「よろしくお願いします」」」」
「うんうん、素直そうでいい子達じゃない。羨ましいわ、ドロシー」
「……あ、うん」
ドロシー先生は何か言いたげな表情をしながら、あいまいな返事を返す。
これほど素直な生徒はいないだろうに……。
「そうだ、君達。是非ともここのお風呂に入ってよね。私の自信作だから!」
「自信作?」
ヘレナ先生の言っている意味がわからない私達に、ドロシー先生が助け舟を出してくれる。
「ヘレナは自分の建築開発品を技術課棟内に作ったりしてるのよ。彼女が言ったお風呂もそう。王城でも使われているお湯を温めなおす仕組みを作ったのは彼女なのよ」
この世界で追い炊き風呂を作ったのか。自然循環式だとしてもすごい。
ゲーム【ピュラブレア】の世界にもお風呂というものが存在している。
だが、ベイルファーストの演習時に私と師匠が作ったような大型のお風呂は存在せず、木桶に湯を張るというシンプルなものだ。
もちろんそこには、追い炊き機能なんてものはついておらず、基本的にお湯が温くなれば、熱湯を足して温度を調整する感じであった。まぁ、魔術が使えるなら炎魔術で暖めればいいだけではあるのだが。
「楽しみだね」
「ですわね」
デイジーとアンナが期待の表情を浮かべ話し合っている。ああ、なんとなくわかった。この流れは、あれだろう。皆一緒に入るとかいう流れに違いない。
私もこの体になってすでに7年が過ぎた。今更女性の体がどうこうは言わない。言わないが――
「はやくお風呂を見てみたいね、ヴァージニアさん」
「そ、そうね」
それでも、自分からこんな体を人に見せたいと思うわけがない。
(できれば私だけ入らないって選択肢はないだろうか)
そう思っているうちに、両脇をデイジーとアンナに捕まれ、女性部屋へと連行されていく。
「で、でも流石に3人や4人も一度には入れないんじゃ……」
「大丈夫、私の作ったものは、一度に10人だってはいれちゃうから!」
余計なものを作りやがって。私は内心でヘレナ先生に毒づいた。だが、それも長くは続かない。
ニコニコ顔で私の両脇を完全にホールドする2人の少女から逃れる術を、私は持ちえていなかった。
□□□
「風呂って言えば……ここって混……」
トミーが唾を飲み込みながら、ヴァイン達に耳打ちをする。
少年達は顔を赤く染めながら妄想に耽り始める。
「残念、混浴じゃないから。あと君達は女性陣が入った後でね」
ヘレナの言葉に、それまで赤かった少年達の顔色は落胆に染まる。
「でもさ、でかい風呂か。どんなだろうな」
「楽しみだね」
だが、それでもトミーやレビンにとって風呂に入れる事は、それなりに貴重な事ではある。
寄宿舎にも入浴設備はあるが、木桶を借りてそこに自分達で湯を張る程度のものだ。お湯も沸かすためには薪代か、魔術課生に炎魔術を使ってもらうための駄賃が必要となるため、頻繁に入れるものでは無かった。また、木桶も大きなものではなく、入れても2人が限界。複数人が一度に入れるような巨大な浴槽なんて、彼らは見た事は無く、それだけに期待が大きかった。
「お前ら、風呂程度でそんなに目を輝かせて……ってフィーアお前もかよ」
「ええ、実は言うと私も楽しみです」
フィーアにとっても風呂は貴重なものだった。教会で質素な生活を強いられる彼にとって、金がかかる入浴施設を頻繁に利用する事は難しい。そのため、彼もまたトミーやレビンと同じ程度にしか入浴施設を利用出来ていなかった。
「おーし、お前達、風呂に行くか」
与えられた部屋で寛いでいたヴァイン達を呼びに来たのは、技術課の教員であるウルバス=ブリック。ヴァイン達4人にはどうして彼が自分達を呼びに着たのかが理解できなかった。
「ああその顔、俺がお前達を呼びに来た理由が分からないってところか。それは技術課内の施設利用に関しては基本的に教員の許可を得た技術課員か、技術課教員に随伴された者に限定されてるからだ。お前達は技術課員ではないからな。技術課教員の随伴が必要になる。そこで俺がその為に来たわけだ」
現在戦技課は、技術課棟に間借りしている状態だが、彼らは技術課員ではなくあくまで戦技課員。そのため、施設の利用には基本的にドロシー先生かサニア先生が常に随伴しているような状態だった。
だが、少年達もまさか入浴施設の利用にまで随伴が必要だとは考えもしていなかった。
「まあ、そんな顔するな。俺もサニアから言われてしかたなくなんだからな」
「え、どうしてサニア先生の名前がそこで出るんですか」
彼ら4人にとって、技術課の教員をしながらも戦技課に足繁く通ってくれるサニアの存在は、ドロシーと同様に自分達に親身になってくれる恩師であった。だが、目の前のウルバスは別である。
唯一、トミーだけはウルバスから幾度か指導を受けてはいたが、基本的にウルバスが彼らの面倒を見る事はない。サニアの口からもウルバスの事を聞く事は無かった為、彼がサニアに頼まれたと言われてわざわざここに来た理由が4人には理解できなかった。
「お前らなぁ……。いいか? 俺の名前はウルバス=ブリック。で、サニアの苗字はなんだ?」
「えっと、なんだっけ?」
「サニア先生は、サニア先生だよなぁ」
ヴァインとトミーの答えにウルバスは頭を抱える。その様子を横目に、フィーアが驚いた顔を見せる。
「サニア先生の名前も確か、ブリックだったはずですよ」
「え、お二人って……」
フィーアの言葉にレビンは驚きウルバスを凝視する。
「夫婦だよ」
「ええええ! 全然つりあってないじゃん!」
「サニア先生、小さくて可愛いのに、ウルバス先生ってまるで熊だしなぁ」
「悪かったな、熊で!」
ウルバスに頭を殴られたヴァインとトミーはその場で蹲る。
先行するウルバスをフィーアとレビンは苦笑しながら付き従う。少なくとも自分達は彼を熊とは呼ばないよう、心に誓いながら。
□□□
「うお、気持ちいい!」
「広いなぁ」
「おい、トミー泳ぐな!」
湯船で泳ぎ始めたトミーをウルバスが嗜める。
ヴァインにとってもこれだけ広い風呂はベイルファースト演習時に入った露天風呂以来であった。
(露天風呂って言えば……)
あの時、父ヴァイスに言われ一人で赴いた屋外の入浴施設。そこでヴァインは思わぬ出来事に遭遇した。
(あ、あれは不可抗力だし。それにたったの5歳だったし)
驚いた目で見つめる少女の姿がヴァインの脳裏に浮かぶ。一糸まとわぬその姿に、彼はその時、言葉を失っていた。
「ヴァイン、なんかエロい事考えてるでしょ?」
「な、違う!」
トミーにからかわれ、ヴァインは余計に顔を赤らめる。
「ヴァージニアさんの事考えてたんだろ?」
「そ、そんな訳……」
ヴァインは必死に言葉を探すが、上手く言い訳ができない。
「ヴァイン君がヴァージニアさんのこと好きなのって、見てたら分かるよ」
「ですね。私でさえ、見ていて分かりますから」
レビンとフィーアの言葉にヴァインは余計に顔を赤らめる。
「そ、そんなこと!」
「気づいてないのは、ヴァージニアさんだけじゃないかな」
(それが一番の問題なんだが)
彼の思いを察したのか、少年達は皆でヴァインを慰める。
「でもさ、ヴァージニアさんって綺麗だとは思うけど、女っぽくないよね。ヴァインはどこがいいの?」
「僕もそれは思う。ヴァージニアさんって可愛いよりも、どちらかというとかっこいいだよね」
トミーとレビンは互いにヴァージニア=マリノについて語り出す。その内容はヴァインが知るものが大半であったが、男気溢れた人情家のような人物像に首を傾げてしまう。
「この前、ヴァインが上級生に炎魔術を撃たれた時、バッっと前に出て、剣で火の玉を切り払ったやつ。俺その時、本気でかっこいいって思ったもん」
「ああ、わかるわかる。あれ本当にかっこよかったよね。その後のは怖かったけど」
(ジニーが本気で俺のために怒ってくれたのは嬉しかったけど、おかげでジニーの女らしさは完全にこいつらの中で消失しているじゃねーか)
あの日の出来事については、ヴァインも反省はしていた。
自分の身に炎魔術の影響が無いと分かっていたからとはいえ、そのまま受けようとしたのが間違いだった。そのせいで、彼女は前に飛び出したのだから。
「ヴァージニアさんは何事にも本当に真剣取り組まれていて、見習うべき点は多いですね」
フィーアの言葉に自分だけじゃなく、周りの人間も彼女の真摯な態度を、ちゃんと見ていると感じ、ヴァインは嬉しく思う。
『あいつは、自分に訪れる運命を恐れ、それを乗り越える為に必死で足掻いている』
以前、フィルツ=オルストイがこっそりとヴァインに教えた言葉。
ヴァージニア=マリノは15歳で死ぬという運命と戦っている。
フィルツがなぜ、父ヴァイスでさえ知らないだろう、その事を自分に教えてくれたのかは分からない。
だが――
(あいつの横に並び立ち、あいつに何があっても支え続けるのは俺の役目だ)
彼女の身に何が起きたとしても、絶対に自分が彼女を守り支えよう。
ヴァインはその決意を新たにしていた。