6-5 二人で話しをしようと思います
ドライの家であるオーガスト家は王領伯である。
王宮に代々仕えてきている家系であり、特に武のオーガストと執政のクロイスの2家はそこいらの伯爵よりも上の立場にある。
ドライを侮辱しているフィリップという男子生徒は、確かレミングトン子爵の子息のはず。
学院という特別な環境でなければ、この瞬間、不敬で罰せられてもおかしくはない。
「おい、てめぇ。ドライに何いちゃもんつけてんだよ!」
あ、私より沸点低い人がいるのを忘れていた。
ヴァインはフィリップ少年に食って掛かる。
「貴様、庶民の分際で不敬であろう!」
フィリップ少年はヴァインに対して大声で喚き散らしながら、ヴァインの肩を強く押す。
不敬って、どの口でそれを言っているんだ。
「知っているぞ、貴様。ヴァイン=オルストイ。水の封剣守護者で魔術師。貴様の事は皆、水しか使えない癖に魔術師を名乗っている愚か者と噂しているぞ!」
「てめぇ、このや――」
ヴァインが全て言うより先に、フィリップ少年は激しく地面に倒れ込む。
「ちょ……ジニー。何してんだよ、お前」
「ああ……。その、ごめんなさいね。虫がいたのよ。虫」
気がついた時はもう、手を出した後だった。ヴァインがどれだけ、その事に悩んできたのかも知らないで、調子にのった事を言い出したフィリップ少年に、ついかっとなりやってしまった。
だが、こんなか弱い少女に軽く叩かれただけで、吹き飛ぶとかひ弱すぎではないだろうか。
もっと、足腰を鍛えたらいい。それこそ、ドライと一緒に剣術課の修練でもすれば効果的ではないだろうか。
「おい、フィリップ大丈夫か! 何をするんだお前」
「くそ、貴様! よくも――」
「一つお聞きしますが、貴方は侯爵令嬢たるこの私に『貴様』呼ばわりできるほど、すばらしい立場にいらっしゃるんですか?」
これでも侯爵令嬢だ。ブリジット嬢ならまだしも、ただの子爵の子息であるフィリップ少年程度が大口を叩ける立場の人間のつもりはない。それこそ彼のほうが不敬にあたいする。
「う……」
「そちらの貴方もです。貴方、名前は?」
「……ケーニッヒ=フィーゲル……です」
ケーニッヒと名乗った少年は先ほどの勢いはどうしたものか、酷く青冷青ざめた顔で私から目を必死にそらそうとしている。
「そう。フィーゲル伯爵の……。では伯爵家の子息程度が、この私を『お前』呼ばわりしたのですね。何を思ってそう仰られたか分かりませんが、たとえ学院という特殊な環境であっても、身分をわきまえない愚か者を罰するのは、上に立つ者の役目。レミングトンさん、フィーゲルさん、お二人とも、お覚悟は出来ていらっしゃいますか?」
レミングトン家もフィーゲル家もどちらもフォルカー侯爵家の派閥に属する家だ。
フォルカー家の令嬢であるブリジット嬢とアイン殿下の存在で、気が大きくなっていたのだろう。
今後もちょっかいを出されると面倒だ。ここは少しきついめにお灸を添えておこう。
「マリノ嬢、いい加減にしていただけますか?」
そんな私に、ついにブリジット嬢が口出しをしてくる。
正直、彼女と揉め事は起こしたくはなかった。
ゲームにおける彼女は、フォルカー家の令嬢として相応しい人間になるべく常に努力を忘れない女性だった。私個人としてはそういう真面目気質の女性は嫌いではない。
できれば、仲良くしたいと思っているぐらいだ。だが――
「何の事をでしょうか。まさか、このお二人の私への不敬を許せとでもおっしゃるのですか? フォルカー家は不敬を働く人間を不問にする事が常識とされているのでしょうか? もしそうであるなら、この2名だけではなく、貴女もまた、アイン殿下のお傍にいるべきではありませんね。」
「そんな、私は……」
「貴女がどう仰ろうと、彼らを擁護するのであれば、それは貴女の家、フォルカー家がそう判断していると周りは見ます。同じ侯爵家の令嬢として、貴女がそのような愚かな行為を為さるとは思いたくありません。ですが、もしそうであれば、フォルカー家の人間は、立場を弁えない人間を擁護する『お優しい』方だと皆様に知って頂かねばなりませんわね」
ブリジット嬢は眉を寄せ苦い表情で俯く。
そろそろ頃合だろう。彼らを適当な所で許し、今後こちらに手を出さないように確約をとっておこうか。そう考えている私に、これまで黙って聞いているだけだったアイン殿下が間に入る。
「ヴァージニア嬢。もう、そのぐらいにしてやってくれないか。ドライ、ヴァイン、そしてヴァージニア嬢。君達に対してこの者達の失礼な発言を許してやってほしい。私からの頼みだ」
「そ、そんな! 殿下、勿体のう御座います」
アイン殿下の言葉に、ドライは驚き、必死に頭を下げ続けている。
「は、はい。別に気にしてないですから。なあ、ジニー」
「ええ。殿下のお言葉、了解いたしました。では、こちらとしましても、今回の件に関しましては何も無かったという事にしとう御座います。よろしいでしょうか?」
「うん、かまわない」
私達のやり取りに、フィリップ少年もケーニッヒ少年も安心した表情を浮かべる。
ただ、ブリジット嬢だけは今にも泣き出しそうな顔をしながらも、私をじっとにらみ付けている。
(少しやりすぎたかな)
そう思いもしたが、こういった事は放って置くと周りに被害が及びかねない。
アイン殿下とは関わり合わないように注意をしている。にもかかわらず、今回のように、お供の人間から因縁をつけられてはどうしようもなくなってしまう。
「フォルカー嬢、レミングトン、フィーゲル。君達は先に執務課に行っておいてくれ。私はヴァージニア嬢に少し話したい事がある」
「で、ですが殿下!」
「僕は行けと言ったんだが?」
アイン殿下の言葉に、ブリジット嬢達は大慌てでその場を離れる。
「少し話をしたい。いいかな? ヴァージニア嬢」
「ええ。分かりました。ヴァインは先に戦技課に行っておいて。ナータ、リズまた明日ね」
私の言葉を聞き、ナータとリズはしぶしぶといった様子で、ぞれぞれの課―ナータは風儀課に、リズは魔術課へと歩いていく。ドライは途中までリズを送るつもりなのだろう、一礼するとリズの後を追うように走りだす。
「じゃぁ、先に行ってるからな」
「うん。もし遅れたら、ドロシー先生に言っておいて」
「ああ。分かった」
ヴァインは軽く手を振り、技術課へと歩き出す。
「仲いいんだね」
「ナータやリズですか?」
「彼女達もだけど――」
アイン殿下は後ろを振り返る事なく去っていくヴァインの姿を目で追いながら小さく囁く。
「――ヴァイン=オルストイ、彼とは友達なのかい?」
「友達というか、ライバルでしょうか」
「ライバルか、変わっているね。詳しく教えてほしいな」
ヴァインが以前、ドライの家でアイン殿下をお会いした事が何度もあると言っていた。
だが、彼がベイルファーストに来てからはアイン殿下とはお会いしていなかったらしい。
アイン殿下としても、ヴァインとは5年以上ぶりという事になるだろう。
当時、ヴァインは殿下に良くしてもらったらしいし、殿下もそんな彼の事がどうしていたのか気になっているのかもしれない。
「分かりました。午後の課程が始まるまで30分ほどありますので、その間でよろしければ」
「ああ、かまわないよ。では、中庭に行こうか」
私はアイン殿下に案内され、学院の中庭まで二人で連れだって歩いた。
その間もベイルファーストでヴァインと初めて会った時の事や、彼に水魔術を習ったこと。彼と共に魔獣と戦った事など、いろんな話をした。
殿下は私の話に、その都度、大きく頷いたり驚いてたり、声を上げて笑われたり、まるで普通の少年のような態度で接して下さった。
(こうして会話しているだけなら、気のいい少年なんだけどな)
彼との関係が、ゲームでのヴァージニア嬢の未来を暗いものに変えてしまう。だから、彼には絶対に近寄ってはならない。そう思っていたにも関わらず、私は今、彼と楽しげに会話をしている。
「そこで、ヴァインが私を助けに来てくれて――」
「へえ、彼はそれほどまで君を」
「どうかわかりませんが、ヴァインはずっと私の事を親友って言ってくれるんです。それがすごく嬉しくって……」
照れながら、私を親友だと言ってくれる彼の姿を思い出し、自然と口角が上がる。
「……へえ、そうなんだ」
「はい。だから私は彼に負けないように、彼といつまでも競い合えるように――」
ゴーン、ゴーン
「おっと、いけない。午後の課程が始まってしまうね」
「そうですね。すいません、私ばかり話てしまって」
師匠以外ではじめて私と同じように魔術が大好きな人間と出会えた日。彼が、私を親友だと言ってくれたあの日は、私の中で特別だった。だから、殿下に話し出すうち、ついつい嬉しくなって話しすぎてしまった。
「いや、いいよ。でも、出来ればこうしてまた二人で話せる機会がほしいな」
「……殿下がそう仰られるのでしたら」
私がそう言うと、殿下は嬉しそうににっこりと微笑まれる。
5年前に王城で見た、作ったような笑顔ではなく、本心から喜んでいらっしゃるように見えたのが不思議だった。
もしかすると、未来は変わっていてアイン殿下はヴァージニア=マリノを破滅に導く存在ではもうなくなっているのかもしれない。
その時の私は、楽観的にそう考えてしまっていた。
アイン殿下がゲームにおいて重要なファクターであった彼のトラウマをすでに解消している事が、私を余計にそう思わせていた。
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技術課へと走り去る少女の姿を彼は見えなくなるまで、じっと見続けていた。
「ヴァイン=オルストイか」
日頃、彼を知る人間であれば、彼の口から発した声の暗さに珍しがる事だろう。
王族として、光の封剣守護者として生を受けながら、実の母の死の責任を背負い、暗い日々を送っていた彼を救った少女。
そんな少女と再び会えた事を、彼は非常に喜んだ。
少女も彼の事を懐かしく思い、親しげに声をかけてくれるのではとさえ、思ってしまっていた。
だが、実際は少女は自分の知らない所で、別の男と楽しい日々を過ごし、その男と互いに親友として心から信頼しあっていた。
本来なら自分がその場所にいるはずだった。そうでなくても、学院に互いに入学した今、そういった関係になれるはずだった。
「彼女の横に並び立つか……。悪いねヴァイン。そこは――」
彼はその場にいないライバルに対して宣戦布告する。
「――そこは、僕の場所だ」
不適に微笑む彼の姿は、どこか薄ら寒いものが感じられた。