ドロシー=アルカノン
ドロシー=アルカノンは目の前の書類の束にうんざりしていた。
この時期、彼女の仕事量は急激に増大化する。
王国研究員である彼女は、自らの研究内容を年に2回、王国研究会にて報告する義務を負っていた。その上で彼女には王立学院技術課教員としての勤めも同時に果たさなければならなかった。
王立学院技術課はその独特の体系から、基本的に教員としては王立研究所の所員が荷う事が定例となっていた。ドロシーもまた、4年前よりキメラ研究所から兼任依頼を受け、技術課教員となっていた。
彼女も最初の頃は、研究をしながら、学生の質問にだけ答えれば、通常の給金にさらに教員としての給金が加算されると考え、悪くはないかと思っていた。
だが、技術課教員はそれほど生やさしいものではなかった。相手は技術課員。彼らも年2回の発表のために成果を求められる。そのため、かなりの頻度で質問をするために彼女の下にやって来るのだ。
その度、ドロシーは研究の手を止め、彼らの指導を強いられる事になる。
さらに、技術課教員の仕事は質問だけで終わらない。彼らの年間行事の管理もまた、技術課教員の業務となる。
武術大会や文化大会など。実際に技術課生徒が参加するしないかかわらず、教員にはその都度、業務が割り振られる。そういった雑務は結局、日々の研究の手を止めて行わざるをえなくなるのだ。
(こんな事なら教員になんてならなければよかった)
彼女がそう思うのは、これで何回目になるだろう。学院の入学直前のこの時期は特に多かった。
「ドロシー先生こちらです!」
事務員の女性に呼ばれ、ドロシーは案内された部屋の椅子に腰を下ろす。
今日は、技術課員に入学希望の子供達の面接と子供達が作った開発品の品評を行い、技術課生徒として入学を許可できるかどうか判断する日であった。
「おはよう、ドロシー先生」
「……おはよ」
「おはようございます、ウルバス先生、サレン先生。本日はよろしくお願いします」
ウルバスは鍛冶、鋳造術、木工、布革加工関連の担当を、サレンは薬学、錬金術を担当する教員である。
対するドロシーは魔導生物、魔導具開発、呪術品開発を担当していた。
元々王国魔術師団の団員であったドロシーが、キメラ研究所の所長であったフィルツ=オルストイに引き抜かれ、そこで身に着けた技術が、教員後も生かされていた。
「えっと、今日は20名ですか。思ったよりも多いですね……あれ?」
「どうされました、ドロシー先生」
「いえ、それが、これを見てください」
そう言ってドロシーはある受験者の詳細表をウルバスの前に差し出す。
その詳細表の開発品の欄には【魔導具】の文字が書かれていた。
「あぁ、これは珍しいですね」
「ですよね。少なくとも、私が教員になって4年間は見たこともないですよ」
ドロシーの担当には魔導具開発も含まれてはいたが、教員になって以来、教えを請う生徒どころか、それ行う生徒でさえ一人も現れなかった。
彼女が学院で教える内容の大半は、魔導生物に関するものであった。
「今時、魔導具開発なんて珍しい子もいるんだねぇ」
「ですね。どんなものを提出してくるか、今から楽しみです」
ドロシーは受験者の詳細表を眺めながらウルバスにそう答えた。
(ヴァージニア=マリノ……西方守護伯と同じ名前ね。でも流石にそれはないか)
西方守護伯の関係者ではれば風儀課に入学するだろう。技術課に来るとは思えない。
(名前からして女性かな)
ドロシーが担当する生徒の大半は男性である。そのため、女性の教え子を得られる可能性に、ドロシーは少しだけ高揚していた。
□□□
「どうなっておる!」
本年度の剣術課受験者一覧を確認したアゼル=オーガストは、剣術課教員に対して怒声を上げていた。
「は、それが彼女の名前はこちらには登録されておらず……」
「それは先程も聞いた! なら、あやつはどこを受験するというのだ!」
アゼルの言葉に教員はさらに態度を強張らせる。
彼に言っても仕方ない事はアゼルにも理解はできていた。だがこのままでは、折角の逸材を、ライバルである王国魔術師団に奪われかねない。
だが、そのアゼルの危惧も目の前に現れた男の言葉で無意味なものとなる。
「少なくとも、魔術課ではないな」
「ヴァイスか。それはどういうことだ?」
ヴァージニア=マリノの入学に関して、十中八九、剣術課か魔術課であるだろうと周りから考えたられていた。そのため、アゼルとヴァイスの両者は互いに牽制しあい、どちらが彼女を手に入れるかを競いあっていた。
だが、彼女の名前は剣術課にも魔術課にも受験者として登録がされていなかったのだ。
「それに関しては、息子から聞いたほうが早いだろう。ヴァイン」
ヴァイスに促され、ヴァイン=オルストイはしぶしぶといった様子で口を開く。
「ジニーの奴が受験しようとしてるは技術課だ。間違いない。あいつの提出品に関しては俺も手伝わさせられたんだし」
「それは本当か、ヴァイン」
「ああ」
ヴァインの言葉にアゼルとヴァイスは顔を見合わせる。次の瞬間、二人はヴァインを置き去り、走り出す。
「……なんなんだよ、まったく」
ヴァインの言葉に、剣術課教員は心底同意していた。
□□□
「ご苦労さまです。合否の結果に関しては3日後に張り出します。その時に確認くださいね」
「は、はい。ありがとうございました」
ドロシーの言葉に、少年は緊張した面持ちで答える。少年が部屋から退出した後も、彼の開発品のナイフをウルバスは興味深げに調べている。
「どうですか、ウルバス先生」
「うーん、まだ荒削りだが10歳でこれなら、将来は有望だね。今年もいい生徒が得られそうでよかったよ」
「うちも、いい子が入りそうでうれしい」
ウルバスの言葉にサレンも満足げな表情で続ける。
「で、次はいよいよ例の【魔導具】ちゃんだっけ?」
「ですね、どんなものを提出してくるか楽しみです」
そうは言ったものの、ドロシーの中では期待半分不安半分といったところであった。
どんな子なんだろう。ドロシーはゆっくり開かれる扉を緊張した面持ちで見つめていた。
だが、次の瞬間――
「いたぞ!!」
「やっとみつけたぞ!」
「へ?」
男2名の怒声と少女の驚いたような声が部屋の中まで届いていた。
廊下で3人は何か言い争いをしていたのだろうか。しばらくして小さな影はドアを開ける。
金髪の小柄な少女の後ろに、ドロシーがよく知った王国魔術師団長と、その因縁の相手、王国騎士団長の姿があった。
「ドロシーか。久しいな」
「あ、はい、ヴァイス様。しかし今日はどうしてこちらに。今は、面接中なのですが」
元上司であるヴァイスの登場に、ドロシーは呆気にとられていた。だがヴァイスの次の台詞は、彼女をさらに驚かせるものとなる。
「俺とアゼルも、面接を見させてもらうぞ。ちょうど、お前の両隣が開いているな」
「悪いな、ドロシー嬢。あいつは言い出したらとまらん奴だからな」
「……え、ええ。知っています」
まさか、面接にそのまま参加するとは思いもしなかった。
「えっと、始めても宜しいでしょうか」
少女はおずおずと、こちらの様子を伺っている。
「ええ、では始めましょう。自己紹介からお願いします」
「私の名前はヴァージニア=マリノと申します――」
自己紹介の内容から、彼女があの西方守護伯の娘である事を知りドロシーは目を見開く。
まさか侯爵令嬢が風儀課に行かず、よりにもよって技術課を受験するなんて、そんな事があるのか。
「では、ヴァージニアさん、開発品をそのテーブルの上に置いて頂けますか?」
「はい」
ドロシーの言葉に従い、彼女は持ってきていた荷袋から、一対のガントレットを取り出す。
(開発品は魔導具のはずよね?)
その姿はどこから見てもただのガントレットであった。ドロシーだけではなく、そこにいるすべての人間が少女を訝しげに見つめる。
「えっと、これが私が開発したエアクッションガントレットです」
そういうと彼女は、ぶかぶかのガントレットを自らの手に装着する。
「ガントレットの手首にあるこのリングをこう90度だけ回すと、中に封じ込んだ風の魔素が開放されます。あとはこうやって、普通にオド転換すると――」
彼女がオド転換を行うと、ガントレットの周りに圧縮された空気の層が現れる。
「このように、ガントレットの周りに空気の層が現れます」
「それをどう使うのかね」
ドロシーが声かけるより早く、ヴァイス=オルストイは少女に質問をする。
「これは、たとえば落馬した時や、魔獣に吹き飛ばされた時、あるいは矢による攻撃を受けたときに展開する事でそれを――」
「効果が限定されすぎておる。それでは兵士の装備としてはコストが全くあってはおらんではないか」
続いてアゼル=オーガストが口を挟む。
少女はアゼルの言葉に顔を曇らせた。
「質問いいかしら?」
「あ、はい」
「その腕のリングは90度動かす事で風の魔素を開放との事ですが、合計4回発動が可能という事でいいかしら?」
ドロシーの質問に少女ハキハキと答える。
「はい、こちらのリングはこれまで魔術師が使用してきた魔素吸引具の効果を利用しています。ただし、こちらは吸引具のように破砕する必要がなく、リングを回転させるだけで魔素の開放が可能です」
「そのリングは魔素の再充填も可能ですか?」
「はい、基本的に魔素の取り出しを破砕ではなくリングの回転で代替する以外は吸引具と同じと考えていただければ……」
(この子、分かっているのかしら。このリングだけで十分な魔導具だって事)
これまで、魔術師達がもしもの場合のために持っていた魔素吸引具だが、1つあたりのコストがかなり高く、あくまで緊急時の用途でのみに使用が限られていた。
だが、再利用が可能なリング型であれば、事前に充填しておけば気楽に使用する事が出来るようになる。
リングの構造が気になるが、内部には精霊封じの呪が刻まれているのだろう。魔素吸引具ほどは魔素を保持する能力は高くないだろうが、繰り返し使用の用途を考えれば十分に実用可能なものである。
「分かりました、あと1つ質問なのですが」
「はい、なんでしょうか?」
「それは見たところ風魔術のようですが、どういった魔術を組み込んでるのですか?」
ドロシーにとってリング以上に気になったのはその点でった。
彼女のガントレットに組み込まれた魔術には見覚えがなかったからだ。
「これは風魔術、【破砕】の防衛魔術です」
「ほう」
「どういう事だ、ヴァイス」
アゼルはたまらずヴァイスに意味を問う。
「あのガントレットには、本来魔術の中に組み込まれている防衛機構だけを取り出して発動させているという事だ。そうだな。たとえば掌から炎を出す魔術を使ったとき、術者の手も炎で焼かれるように思えるだろう。だが、実際そういった事は起きたりはしない。それは、炎の魔術の中に火傷を防ぐための魔術が組みこまれているからだ」
ヴァイスの説明に、アゼルは頷き納得する。
「だが、言ってしまえばこれは魔術の出来損ないを利用しているにすぎん。元来、魔導具にはたいした魔術を組み込む事はできんからな。苦し紛れの品だろう」
「なるほど。つまり、ヴァージニア嬢のガントレットにはそれほどの価値は見出せないという事か」
二人の言葉に少女の顔色が暗くなる。
(防衛魔術を組み込むだって?!)
それとは対照的にドロシーの瞳は輝いていた。これまで魔導具の開発の一番のネックは、低レベルの魔術しか組み込む事ができない事であった。だが、彼女が見せたものは、これまでの魔導具ではなしえない効果を発現している。これは一部とはいえ、中等魔術を組み込んでいるからに他ならない。
(他の魔術でも応用すれば)
各種中等以上の魔術に内在する補助魔術を分解抽出する事で、これまで考えよらない新たな魔導具の開発が行えるだろう。
(これ、魔導具開発の分野だと革命レベルじゃない。あのガントレットは廃れていた魔導具開発分野に光をもたらす可能性がある発明品だわ)
「えっと、ヴァージニア=マリノ嬢。この開発品は一人で作ったの?」
「……いえ、師匠……フィルツ=オルストイ様に手伝っていただきました。でも、基本構成は私の案で作製しております!」
(フィルツ先輩?!)
ドロシーはまさか出てくると思わなかった彼女の先輩の名に驚く。なるほど、彼であれば魔導具ぐらい作れるだろう。
「なんだ、人の手を借りているのか。では余計に評価は下がるな」
「そうだな」
アゼルとヴァイスの心ない言葉に、少女は唇を噛み締める。
「ご苦労さまです。合否の結果に関しては3日後に張り出します。その時に確認くださいね」
「はい。有難う御座いました」
ドロシーの言葉に、少女は挨拶を済ませると、俯きがちに部屋を後にする。
少女の足音が完全に聞こえなくなったのを見計らい、ヴァイスがドロシーに声をかける。
「あれでは、技術課合格とは言えんだろう。分かっているだろうな、ドロシー」
「ヴァイス様、お言葉ですがこの件はあくまで、技術課の人間の裁量によるものと考えております」
ドロシーの答えにヴァイスは眉をしかめる
「もちろん、彼女の開発品に関して、技術課教員として正式な品評結果を書面にまとめ学院上層部に報告します。その上で合格と判断されれば、彼女は立派な技術課生徒になりますわ!」
「お、おい、何を馬鹿な事を。ヴァイス、どうなんだ。ヴァージニア嬢は技術課なんて合格しないだろうな?」
ヴァイスはアゼルの問いに答える事なく、部屋を飛び出す。
それを追うようにアゼルも飛び出していく。
取り残された、ドロシー達は互いに顔を見合わせる。
「いいんですか、ドロシー先生」
「ええ、覚悟は出来ています。彼女の開発品はこれまで停滞していた魔導具開発に新たな風を吹き込んでくれますから」
「ドロシー、いい顔してる」
サレンの言葉にドロシーは口角を上げ微笑む。
これまで給金のためだけに教員を引き受けていたが、今は新たな可能性をあの小さな少女から強く感じていた。
(とりあえずフィルツ先輩には、いろいろ確認しないとね)
ドロシーの多忙は続く。だが、その表情はこれまでよりもずっと明るかった。