5章 エピローグ
「で、その顔は結局仲直りしたのかよ」
王都からベイルファーストに戻る馬車の中、ヴァインは呆れた顔で私に向かって話しかけてきた。
「そんなに呆れなくてもいいんじゃない。私がどれほど心配していたか」
「だからって、さっきからニヤニヤと、終始絞まりがねぇ顔してるんだが」
え、そんなに酷いだろうか。私は窓に映る自分の顔を確認する。なんだ、別に普通じゃないか。
窓ガラスに移る銀の髪留めに私の口角は無意識に上がっていた。
『ジニーあのね、貴女からもらったお守り、すごく助かったの。ありがと』
『いいって別に。リズがそれで満足する結果を得られたなら、プレゼントした甲斐もあったからね』
『代わりといってはあれなんだけど、これを貰ってもらえないかな。私とお揃いなんだけど……』
小さな石が一つ入った銀の髪留め。
アクセサリーとか好きにはなれないが、これだけは別だ。私にはオニキス、リズのものはシトリンが填め込まれていた。どちらもそれほど高価な石ではないが、それぞれの髪の色をイメージした石が入った髪留めは、私にとって大事な宝物になっていた。
「えへへ」
「はぁ。まぁよかったんじゃね? 仲直りできたんだろ」
「うん!」
一度は『私とは一緒にいられない』とまで言われたのだ。仲直りができて嬉しくない訳がない。
「それにその髪飾りだけどさ……似合ってるよ……」
「ん? ありがと」
私にこういった可愛らしいものは、似合わないと思っているが、親友がくれたものだ。やはり似合わないよりは似合っているほうがいい。ヴァインはそんな私の気持ちを察してくれたのだろう。
「し、しっかし、リーゼロッテは大丈夫なのか? あいつの親父さんすげー切れてたけどさ」
「そうだねぇ」
話を急に変えるヴァインを少し不思議に思ったが、私は彼の言葉にオーガスト邸での事を思い出していた。
□□□
オーガスト邸の執務室にリズの父君、ギルバート=ヴェーチェル卿がやってきたのは襲撃から3日後の事だった。
彼はどこからかリズが闇魔術の適正がある事を知ったらしい。オーガストよりも高位の家へ嫁がせる為に婚約破棄をアゼル様に依頼に来たらしい。
廊下まで聞こえるアゼル様の怒声に、私、ヴァイン、リズ、ドライの4人が驚きながらも耳を済ませていると、さらに2人の揉めている声が聞こえてきた。
『今更、破棄なぞ認められる訳なかろう。それでは我が家はいい恥さらしだ。それにうちがリーゼロッテ嬢を預かったのは彼女がドライの婚約者だからだ』
『そこをなんとかお願いする、オーガスト殿。貴殿も要らぬ噂が立つのを避けたいだろう。ここは穏便にすませては貰えないか』
「……もう許せない!ドライ、いきましょう!」
「え、ちょ、おい!」
それまで大人しく聞いていたリズの豹変に、私とヴァインが呆然としている中、彼女はドライの手を掴み、ドアを力強く開け放った。部屋に入っていった二人がどうするのか気になり、私とヴァインはさらに聞き耳を続ける。
「御父様、貴方はどこまで恥知らずなのですか! ヴェーチェルの娘として貴方の態度は恥ずかしすぎます!」
「貴様! 当主に向かって! どの口で申すか!!」
ギルバート様は手を振りかぶり、リズの頬を叩こうとする。
だが、彼の手がリズに触れる事はなかった。
「ヴェーチェル卿、申し訳ありませんが、私の許婚に手を上げないで頂きたい」
リズの前に素早く身を踊りだしたドライは、ギルバート様が手を振り下ろす前にその手を掴み取っていた。
「痛たたた! ぐ、離せ!」
「ドライ、離せ」
アゼル様の言葉にドライはしぶしぶといった顔で従う。
「く、くそぉ。覚えていろ。私にこんな事をして貴様ら」
「どうされるというのだ? 貴殿がオーガストのどんな噂を流そうとかまいはせん。だが、うちの嫁に手を出だせば分かっているだろうな? オーガストは一族を必ず守る。彼女に危害を加えるものはオーガストが決して許しはせん! 分かったなら、とっとと消えろ。目障りだ!」
アゼル様はギルバート様の肩を強く押し、床に倒す。
ギルバート様は強く臀部を打ちつけ、痛みに悶絶した後、大声を上げ罵り始める。
「オーガスト卿、覚えていろよ。貴様は今日の事を絶対に後悔する事になるからな……あとお前もだ、リーゼロッテ! 俺に従わないお前は負け犬リンクスの血が流れた出来損ないだ。当主に逆らった事を震え後悔して――」
ギルバート様が最後まで言いきる前に、ドライが彼の胸元を掴み引き起こす。
「それ以上は言わないほうが貴方の身の為ですよ、ヴェーチェル卿。お帰りはあちらです」
ドライはそう言うとドアを開き、ギルバート様を部屋から押し出す。
突然部屋から放り捨てられるように出てきたギルバート様に、私とヴァインは大いに驚く。
ドライの手で閉じられた扉に向かって悪態を付き続ける彼の姿はいたたまれず、私とヴァインはそっと息を潜めていた。だが、そんな私達の努力空しく、ギルバート様は私をヴァインの姿を見つける。
「……えっと、御機嫌よう。ヴェーチェル卿」
「!!」
(あ、すごい怒っている)
ギルバート様は私をヴァインを一瞥すると、一言も口を利く事なく廊下を早足で去っていかれる。
「感じ悪いな。いくらリーゼロッテの親父さんっていっても一言もなしかよ」
「いいよ、ヴァイン。それよりもドライとリズの事が気になるわ」
「まぁそうだよな」
私達は、そっとドアを開けて中を覗く。
そこには、リズに手をとられ顔を赤くしたドライと、その姿を微笑ましそうに見つめるアゼル様の姿があった。
「……行こっか」
「……ああ」
私とヴァインは静かにドアを閉め、執務室を後にした。
□□□
「大丈夫じゃないかなぁ。オーガストの人達はすっかりリズの味方だったみたいだし」
「だなぁ。それにドライの奴、すっかり腑抜けた顔してやがったし」
ヴァインは窓から見える王都の方向に目をやりながら呟く。彼の言うとおりだ。
よくは分からないが、ドライ=オーガストはどうもリズに惚れているように見える。ゲーム【ピュラブレア】では、どちらかというとリズのほうがドライに依存しているような描写がされていた気がするが、こちらの世界では、ドライがリズに惚れ込んでいるように見えた。
ただ、残念な事に――
「でも、リーゼロッテはぜんぜん気づいてねぇよなぁ」
「だよねぇ。リズってどっかぼーっとしてるとこあるし。そういう事に鈍感なのかもね」
そんなぼーっとした所も可愛くはあるのだが。私がリズの事を思い出しているとヴァインはジトッとした目で私を睨み付ける。
「鈍感ってお前。はぁ……たく。とりあえず、戻ったら一度ちゃんと体を見てもらえよ」
「うん、ありがとね。ヴァイン」
私はヴァインに微笑みかける。今回の一件でも彼にはいろいろ迷惑をかけているのに、何も言わず力を貸してくれている。本当に彼は――
「ヴァインが居てくれて良かった」
「お、おう。俺はお前の親友だからな!」
――いい友人だ。
ヴァインはいつもの照れ癖で、私から目線を逸らしている。
来年はいよいよ学院に入学だ。
そうなった後でも、彼は私の友人で居続けてくれるだろうか。
そして、運命の刻、彼は私をどう思うだろう。それを考えると気持ちが沈んでしまう。
未来の事なんて、今はまだ分からない。だから出来る事を精一杯やっていこう。
その時がくれば、私はこの地を去らなければならない。
(そしたら私は彼とも一緒にはいられない)
私に良くしてくれるこの友人と別れる事は、きっと辛いものになるだろう。
「どうしたんだ、ジニー?」
「ううん。別にただ――」
だから、今は彼との時間も大事にしていきたい。
「――学園に行っても、またヴァインと一緒に居られるかと思うと、楽しみだなって思ってさ」
「!!」
学園に入学すれば、アイン殿下や他の封剣守護者達とも出会うかもしれない。
きっと、これまで止まっていた時間が一気に動き出すだろう。
その予感が私の胸を締め付けていた。
□□□
王都フェルゼン王国神教大神殿。
神殿内に、熱心に祈りをあげる少女の姿があった。
「大神ピュラブレア様、どうか私の祈りをお聴き届け下さい」
灰色の髪を後ろに纏め、敬虔な信徒のように熱心に祈る少女の姿は、その薄い色素も相まって、清らかで美しく、まるで聖女のようさえ見えるほどに美しかった。
そんな少女の背中を一人の少年がじっと見つめていた。少年の髪の色も少女と同様に薄い灰色をしていた。
「アンナ、殿下がお待ちのようだから、そろそろ行くよ」
「ええ、兄様。今参ります」
アンナと呼ばれた少女は、急ぎ兄の下へと向かう。
少女は彼女の兄の腕に自らの腕を絡ませ、彼に微笑みかける。
「お待たせしました、兄様! さぁ、参りましょう」
(大神ピュラブレア様、兄様が私のものになりますように)
兄と共に神殿を後にする彼女の祈りが、大神に届くかどうか、今はまだ誰にも分からない。