5-9 手紙をよんでみようと思います
「はぁ、はぁ、はぁ」
男はただひたすらに走っていた。30人いた男の仲間達のうち生き残ったのは彼ただ一人だった。
「くそぅ、兵士長も、皆も……全員死んじまった」
男の名前はスヴィン=ヒース。
スヴィンが与えられた任務は2つ。1つは表だった任務であり、兵士長についてアゼル=オーガストを足止めする事だった。スヴィンは兵士長に付き従い、ドライ=オーガスト暗殺計画に従事していた。
そしてもう1つが、真に従う相手、隠密院の任務だった。院がスヴィンに与えた任務は今回の計画で得られた情報を持ち帰る事。国の改革派が先導して行われる事になった今回の計画の内偵としてスヴィンは院から遣わされていた。
アゼル=オーガストとの戦闘の最中、突然の魔術攻撃を受けパニックに陥ったスヴィンは、気が付けば意識を失い床で昏倒していた。
ヴァインによる【抑制】の影響であったが、スヴィンがそれを知る事はない。
男には他者よりも優れた2つの能力があった。1つが気配を消す能力。この力でスヴィンは部隊の内偵だけではなく、部隊内における隠密活動までこなす事が出来ていた。
そしてもう一つが対魔術能力の高さ。スヴィン自身は魔導学の知識もなく、魔術を使う事は出来ないが、潜在的な魔素への感応力が高く、内在オドの量も他の人間よりも多かった。その為、他の者達より早く【抑制】による昏倒から目覚める事が出来たのだった。
だが、それがよかった事なのか悪かった事なのかは、彼には分からない。
ただ、彼が目覚めた時に最初に見たのは、脚を氷に囚われたまま、腹を割かれた兵士長の姿であった。
アゼルの足止めが失敗した今、作戦の成否は派遣されてきた聖教教団の教士がドライ=オーガストを屠れるかどうによる所となった。だが、本作戦の最大戦力の一つであった兵士長が死んだ今、スヴィンは教士に付き合う事よりも、情報を持ち帰る事を選択していた。
「ギヴェンには化け物がいやがる……」
あの時、彼ら達の剣は確実にアゼルの身を削り始めていた。
あのまま続いていれば、アゼルの足止めどころかその命さえ奪うことが出来たかもしれない。
だが、それを2つの魔術が妨害した。
1つは霜の魔術。
魔術の中には氷を生み出すことが出来る魔術がある事はスヴィンも知ってはいた。国の教士達が水魔術の応用として使用したのを見た事があったからだ。だがスヴィンが受けた魔術は、それとは全く異なっていた。
水魔術による氷作製はあくまで氷を生み出すだけの魔術。それに比べ彼が受けた氷の魔術は、氷がどんどん成長するという魔術であった。足元の霜の存在に気が付いた時はすでに遅く、成長した氷の枝によりスヴィンの肢を瞬く間に絡め取られていた。
そしてもう1つが気絶魔術。
身動きが取れなくなった男の頭に、まるで鈍器かなにかで殴られたかのような衝撃が襲う。そしてそのまま男は意識を失う事になった。
どちらの魔術も彼の国では見た事も聞いた事もない魔術だ。
氷の枝に囚われたのはスヴィンだけではなく、兵士長を含め全員で4名。
気絶魔術も兵士長以外の人間は全員が対象という複数対象魔術だったと考えられる。
これが対人魔術だとすれば、非常に恐ろしい事。たった1人への対人魔術でさえ、対象如何では大量の内在オドを失う事に繋がる。ましてや、一度に複数人に対して対人魔術を用いるなんて芸当、国の教士の中にも出来る人間を探すほうが困難であった。
アゼル=オーガストを補助する形で使われた魔術。少なくともギヴェンに組する魔術士による魔術と考えるのが筋だろう。
(この事を国に伝えなければ)
ギヴェン王国にいるのは封剣守護者だけではない。他にも厄介な敵を奴等は育てている可能性が見られる。
この情報を持ち帰り、国に伝える。それが彼に残された唯一の任務であった。
だがその任務でさえ――
「おっと、君をこのまま帰らせる訳にはいかないんでね」
目の前の男の手で、達成が出来ないものに変わっていた。
男の危険性は、長年隠密院の下で働くスヴィンには、すぐ理解が出来た。
(この男は危険だ。関わってはいけない)
そう感じ、目の前の不吉な男から距離をとろうとする。だが、スヴィンの足が、意思に従って動く事はなかった。
「おっと、逃げられたら面倒だし、とりあえず足をもらうね」
男の言葉が終わらないうちに、スヴィンの足に向け光の線が空を走る。
次の瞬間、彼の視界は低い位置に固定される。
「ぐあああ!」
「大げさだなぁ。綺麗に切ってあげたからそんなに血も出てないでしょ。まぁ、でも――」
男の眼光が鈍く光る。スヴィンにはすでに自らの任務が達成できるものではないない事が理解できた。
「――ばらばらにするから、一緒かな?」
目の前の男から逃れる術はない。聖教の教えの力で、この絶望的な状況を覆す事が出来るならば、もっと真面目に信じていただろうに。スヴィンの思考はそんな取り留めのない後悔の念で途切れていった。
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「やれやれ、ギヴェンも詰めが甘いね」
「人の事が言えるのですか? シュトリ様」
シュトリは自らの名を呼ぶ女性にうんざりした表情で応える。
「まったくもってそのとおりだ。ハルファス。まさか、君がここまでやって来るなんて思いもしなかったよ」
「シュトリ様のお考えは意外に単純ですから。またあの娘ですか」
シュトリにとって、あの少女が如何に重要なものであるかについては、ハルファスにも十分に理解できていた。だからこそ、少女の痕跡を調査する事でシュトリに辿り着けたのだ。
「うん。まぁ、今回のは貸しかな。彼女は相変わらず自分の価値を理解していないみたいだからさ」
そう言いながらシュトリは、目の前に転がるアイニスの兵士だった男の亡骸を、水路に蹴り落とす。
「まだ、彼女の存在を他の国に知られる訳にはいかないからね。お披露目するならもっと面白い舞台でやらなきゃ」
シュトリがそこにいない少女に向けて笑む姿に、ハルファスは言い知れぬ恐怖を感じていた。
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襲撃から2時間が経過していた。
オーガスト家の被害は警護の人間4名、メイドおよび執事5名が命。たった一夜で多くの方が帰らぬ人になっていた。
事後処理として、王城からは王国魔術士団長ヴァイス様と部下の方数名がこられている。彼らは現在、分担して調査に当たっていた。私達は、アゼル様に呼ばれ、オーガスト邸客間に集まっていた。
その場所にオーガストの面々、リズ、ヴァイン、そして私の6名がそろっている。
「父上、我々に話したい事というのは?」
「うむ。まずはこれを読んでみてほしい」
アゼル様は2通の手紙を机の上に置かれる。それをドライは手に取ると、一瞬驚いた表情をした後、食い入るように手紙の文章を読み耽っていた。
「……兄上」
ドライの手から手紙がこぼれ落ちる。
その手紙をトレイシー様が拾い上げ、文面を声を出しお読みになられる。
「――オーガストの名を汚す私を父上やドライは私を恨むかもしれない。そうする事で私が愛する人達が争わずにすむのであれば」
「ヘクター……馬鹿な子」
そう口にしたベロニカ様の目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
もう一通の手紙はトレニーという名前の女性への愛を綴ったものだった。
「トレニーという女性は、ドライが命を絶ったアイニスの教士の事だ」
「それは……誠ですか」
「あぁ、彼女は灰燼のトレニー。アイニス聖教教団の2つ名つきの教士だ。ヴァイスの奴から先程聞いた情報だ。間違いはないだろう」
アゼル様は沈痛な面持ちで、ドライの様子を伺う。
ドライの手は震えていた。彼は、その手で兄とそして兄の最愛の人の命を奪ってしまったのだ。
「……ドライ」
「リーゼロッテ。俺は……」
ドライの震える手に、リズの手が添えられる。そして、優しくも強くリズはドライに語りかける。
「ドライ、あの時私が言った言葉を覚えている?」
「……ああ」
「貴方の罪悪感も嫌悪感もすべて貴方だけのもの。それは変わらないし、貴方を救う事なんて誰にもできやしないわ――」
頷くドライの頬をリズはそっとなでながら続ける。
「――でも、貴方の重荷を共に背負い、生涯かけて一緒に償っていく事は出来るわ」
「……リーゼロッテ」
「貴方にはそれは、ただの綺麗事に聞こえるかもしれない。でも、貴方一人に重荷を背負わせようなんて人間はオーガストには一人もいないわ。アゼル様もトレイシー様も、ベロニカ様も。そしてもちろん私も。貴方と共に生きて、貴方の苦しみを共に背負うわ。それがオーガスト。それが家族だから」
「……」
リズの言葉は確かに綺麗事に過ぎないだろう。
だが、それが無意味だなんて誰が言えるだろう。その言葉に救われる者が一人でもいるなら、ただの綺麗事だったとしても意味がある言葉になるんじゃないだろうか。
「ドライ。リーゼロッテ嬢の言うとおりだ。お前も私達もオーガスト。お前一人が抱えるものではない。そんな事をあいつも望んではいないはずだ。なぜならあいつもまたオーガストだったんだからな」
「父上……」
ドライは喉を震わせ、涙を流す。彼にとって3年前のあの事件は終わってはいなかった。
彼の手にはずっと兄ヘクターの命を奪ったときの感触が残り続けていたのだろう。
兄の手紙と、彼の家族の言葉が、ゆっくりと彼の枷を溶かしてゆく。
「ドライ。貴方の苦しみは私もアゼル様も分かっていました。でも貴方が自らを許せない限り、私達が何をいっても貴方の傷ついた心には届かない。そう思ってずっと待っていました」
「ヘクターの死で、あんたが剣を人に向けて振るうのを恐れていたのを知ってる。もちろん兄様も御義姉様もよ。でもね、あの子はあんたにそんなトラウマを植えつけようなんて絶対に思ってなかったはずよ。だって、あの子はあんたの事、すごい大事に思ってたし」
「兄上が?」
トレイシー様とベロニカ様の言葉に、ドライは涙が落ちるのをそのままに、二人を凝視する。
「ええ。あの子は、いつも言っていたわ。『弟は自分以上にオーガストの赤に相応しい騎士になるに違いない。自分とドライの二人でオーガストを守れる日が来るまで、自分がドライを、ドライの未来を守り続ける』ってね。どんなけ兄馬鹿なんだって思ってたわ」
「……」
「そんなあの子が、あんたに騎士の道を閉ざさせるようなトラウマを植えつけると思う?そんな訳ないじゃない!」
ベロニカ様の言葉に、ドライはついには声を上げて泣き叫ぶ。
そんな彼の頭を包み込むように、リズは抱え込み優しく撫でる。
私はただ数日会わないうちに、成長していた親友の姿に驚くしかなかった。
でも、たとえ私に何か出来たとしても、きっとそれは私がするべき事ではなかったに違いない。
だってこれは、オーガストという家族の物語なんだから。