5-8 本館にむかおうと思います
「ジニー! こっちは終わった。そっちはどうだ?」
ヴァインの声に振り向くと、数人の男達が床にうつ伏せに倒れていた。
まだ息がありそうな所を見ると【抑制】を使ったのだろう。相手に抵抗されやすい【抑制】を複数人に使用し、昏倒させる事が出来るヴァインの才に舌を巻く。
彼の誘導と維持の能力はこの4年で格段に増していた。
4年前に私が彼に教えた【抑制】と【大振】のどちらも対象にオドを侵食させる必要があるため、オドの誘導と維持に関して高い能力を必要としていた。
ヴァインはその点を強化する為、この4年間、師匠と修練計画を練り上げ、現在に至っている。
(もう水魔術では彼の超えられる人間はギヴェンではいないかもしれない)
オド切れを起こす事なく、こちらの状況を確認に来る彼の姿が、なんだか頼もしく見える。
「大丈夫、こっちも終わった所。これで、別館に侵入してきた者は全員かな?」
ヴァインと2人で別館の侵入者を処理し、今ので16人目だった。別館だけでこれほどの数の侵入者、本館をあわせれば30前後の数になるかもしれない。
(これほどの数の侵入者が一気に館に現れるなんて)
彼らの装備はかなり画一的な特徴を有していた。そのため夜盗や傭兵ではなく、兵士の類と予測される。
オーガストの館への侵入と聞くと、3年前のオーガスト襲撃事件の事が容易に連想される。
あの事件は、アイニス共和国の関与が疑われていた。安直ではあるが、今回もまた他国による介入と考えられそうだ。
(少なくともギヴェンの兵装ではない)
「たぶんこれで全部だろう。問題は本館だが……ジニー、お前もこれはアイニスの介入と思うか?」
「うん。これは、3年前の事件の続きじゃないかな」
ヴァインの言葉に同意する。だが気になる事がある。3年前の事件についてもだが――
(侵入者はどうやってこんなに大勢で館に侵入できたのだろう)
考えられるのは内部からの手引きだろう。だが一体誰が何の目的で?
「まぁ、考えていても仕方ない、ジニー。ここはまかせて本館に向かおう」
「うん」
彼らの目的が何であるにせよ、武器を携え、こちらに危害を加えるようとしているのだ。看過はできない。
何より――
(……リズ)
『もう……貴女とは一緒にいられない……ごめんなさい、ヴァージニア様』
彼女の最後の言葉は、私の胸を深く抉った。だが、同時に彼女がその言葉を言いたくて言っている訳では無い事も察する事はできた。どうして彼女が私を避けるのか。その理由を知るまでは私はここを去る訳にはいかない。
そして今、彼女が侵入者の手で危険に直面しているのであれば、大事な親友を守るため、私はそこにいく必要がある。
「急ごう、ヴァイン」
「ああ、走るぞ!」
月明かりの下、庭を抜け、私とヴァインは本館へと急ぎ向かった。
□□□
アゼル=オーガストの目の前には3人の男達が剣を構え、彼をこの場に繋ぎ止める事に尽力していた。
アゼルは内心焦りを禁じえなかった。ドライならまだしも、妻と妹ではこの男達には敵わないだろう。
人質として囚われるぐらいなら、自刃も辞さないのがオーガストの女性の性質。アゼルは目の前の男達を処理し一刻も早く、妻達の元に向かいたかった。だが、アゼルの思いとは裏腹に敵の数はさらに増す。1名の男がアゼルと対峙していた男達の戦列に加わった。
「兵士長、教士様が対象を見つけられたようです」
「そうか、ご苦労」
兵士長、教士。それぞれギヴェンでもオウスでも使われていない言葉だった。
(つまりアイニスか)
3年前の事件以降、アゼルはアイニスによる再度の襲撃を予見していた。なぜなら3年前の襲撃事件は、息子ヘクターの個人の力による所が大きく、本来主であるはずのアイニス人の関与が極少数に限られていた為であった。まるで、初めから成功するつもりが無かったような襲撃者の数に、それがヘクターの独断だとアゼルは勘ぐっていた。
そして今回の襲撃こそが、本来3年前に行われるはずであった規模での襲撃ではないだろうか。
(自らの命をかけ、襲撃を失敗に終らせたのか。馬鹿な事を)
息子が何かに思い悩んでいる事は察してはいたが、それが何なのかは、彼がドライの剣で命を落としたあの日まで気づく事が出来なかった。
あの日、狂乱するドライを執事のフォークに任せ、アゼルはヘクターの持ち物の確認に勤めた。そして机の隠し底の下から2通の手紙を見つける。
1通目の手紙には、ギヴェン王国を裏切る事に対する懺悔の言葉と、愛する女性とその国を責めないでくれという懇願の内容であった。
『私が犯した罪を許してくれとは言わない。
ただ、私が愛する彼女を、彼女の国がそうしなければならなかった事を責めないであげて欲しい。
封剣によりあの地は貪り喰らわれている。
大地は死に、水は枯れ、生きれる物がいない場所があの国では広がりつつある。
すべては封剣の災。守護を断ち切り、封剣が力を得るのを止めねばならない。
だが私にはドライを、あの可愛い弟を手にかける事なんて出来ない。
もちろん、愛する彼女の手も汚したいなんて思わない。だから、私は決意した。
オーガストの名を汚す私を父上やドライは私を恨むかもしれない。
そうする事で私が愛する人達が争わずにすむのであれば……』
そして2通目の手紙は、一人の女性への思いを綴ったものだった。
『愛しい君へ。愛する君と二度と会えなくなる事が私にとって一番辛い事だ。
君の存在は、あの国で身も心を朽ちかけていた私にとって唯一の希望だった。
君の言葉は傷ついた身体に生きる力をくれた。
君の笑顔は、凍てついた心を溶かしてくれた。
最後に君に会いたい。
君の声が聞きたい。
愛しているトレニー。
こんな愚かな私を許してほしい』
2通の手紙を見つけた時、アゼルは今回の事をボイル国王に報告せずに隠蔽した。
ヘクターの死をオーガストの恥とし、ドライの兄殺しの罪とヘクターのギヴェンへの裏切りを隠し通したのだ。
だが、その結果、ギヴェン王国がアイニス共和国にその罪を問う事は無く、そのせいでアイニス共和国は再度の襲撃という愚行を犯す羽目になる。
「兵士長か、つまり貴様はアイニス共和国の武官か」
「な、なんでそれを!」
アゼルの言葉に同様し、兵士長とは別の男がいらぬ口を開く。
「落ち着けスヴィン。お前の態度が逆に俺たちの正体を余計に際立たせる」
「……」
アイニス共和国における兵士長の身分は、ギヴェン王国軍の上級将校のそれと同等である。
つまり、アイニスにおいて目の前の男は一軍を率いるに値する人物という事になる。
それほどの男が、今回の襲撃に関与している。つまりはアイニス共和国の軍部が関わっている事を意味していた。
(その上に教士か)
教士はアイニス共和国正教教団、実行部隊の者達を指し示す言葉。つまり、独自の信仰に狂った魔術士達もまた、この襲撃に関与しているという事。
この襲撃がアイニスによるものである事が確定した今、彼らの目的はアゼルの息子ドライ=オーガストの命
である事は疑いようが無い事実だ。そして、目の前の男の一人は『教士が対象を見つけた』と言っていた。
逸る気持ちを抑えながら、アゼルは剣を振るい続ける。
だが、その剣を兵士長と呼ばれた男は、力を逃していなし続ける。そこに、別の男がアゼルに向かい剣を振り抜く。アゼルをその剣戟を上身を捻りかわす。こうしたやり取りが暫く続いていた。
どちらも決定打にかけた状態での泥仕合。
男達にとってはこの場にアゼルを足止めする事が目的であり、泥仕合は望むべきものだろう。
(何か変わるきっかけさえあれば)
アゼルがそう思い、幾度目かの攻防を繰り広げていた矢先、その変化は突然巻き起こる。
「な、脚が?!」
突然、室内の温度が下がったかと思うと、足元におびただしい量の霜が降りる。そして、そこから幾本もの氷枝が生え、男達の脚元を縛り固めていく。
「もらった!」
身動きが取れない兵士長に、アゼルの剣が差迫る。
兵士長は剣を盾に構え、アゼルの攻撃を必死に防ぐが、防ぎきれない剣閃が兵士長の腕に赤い傷を刻みつけていく。
「ぐ!」
「仕舞だ、兵士長」
アゼルの剣は、兵士長の右上腕を深く削り削ぎ、それにより、彼の防御が崩れ去る。アゼルはがら空きになった彼の身体へに深々と剣を突き立てる。
氷に下半身を縛られた兵士長は真っ赤な鮮血を噴きながら、、倒れる事もできず息絶える。
アゼルが気づいた時には、残っていた男達もまた、下半身を氷に縛られた状態のままで意識を失っていた。
「ぎりぎり間にあったかな?」
聞き覚えのある憎らしい少年の声に、アゼルは空気が弛緩するのを感じた。
アゼルの背後には黒いローブを来た少年と、同じく黒いローブを白いネグリジェの上から羽織った姿の少女が並んでいた。
「お前がやったのか、ヴァイン」
「いや、氷のほうはジニーの力だ。俺は気絶させたほう」
相手を気絶させる水の魔術があるなんて話は、アゼルには初耳だった。
だが、今はヴァインの魔術とヴァージニア=マリノの力で窮地を脱したのは事実。
「礼を言わせてもらう。ヴァージニア嬢、ヴァイン」
「礼には及びません、アゼル様」
「そうだぜ、そんな言葉をおっさんの口から聞いた日にゃぁ、雨でも降るんじゃねぇかと心配で、外も歩けなくなる」
ヴァインの軽口にアゼルは彼の頭を軽く小突く。
「痛ぇ!」
「黙れヴァイン。ヴァージニア嬢、悪いがすぐに移動する。できれば一緒に来てもらいたい。ヴァイン、貴様もこい」
「はい、わかりました。ヴァイン、いくよ」
ヴァインは頭を抑えながら、ジニーに引かれアゼルの後を追走しはじめる。
数分後、彼らは立ち上る炎の中、その姿を目撃する。
女魔術士の胸に、己の剣を深く突き刺したドライ=オーガストの姿を。