2人の戦い
《リズ視点》
ベロニカ様とトレイシー様に頼まれ私は1Fの執務室に向かう所だった。
「嘘をつくな!!」
(あの声はドライ!?何故こんなところに)
オーガスト家の階段ホールの2Fから私は、ドライと侵入者の姿を見つけた。
彼の周りには炎に包まれた黒い塊はいくらか目に入る。
「嘘? 何が嘘だというのですか? ヘクター様と私が愛し合っていた事? それとも彼が貴方の国を捨て、私と共に歩むと誓ってくれた事? それとも、貴方如きが私に勝てると思っていることかしら?」
ドライを挑発する炎を纏った女性の姿は、まるで悪鬼を彷彿させる。炎の魔術だろう。以前、ジニーが見せてくれたものよりも、もっと禍々しい力を感じる。剣術大会で他を寄せ付けなかったあのドライが、こんな所で負けるはずがない。
だが、そう思う気持ちと同時に、言い知れぬ不安感が私を襲った。
(はやくあそこにいかなければ)
私が行ってどうなるかはわからない。でも、あそこに彼を一人でいさせちゃだめだ。
私の中の何かがそう叫ぶ。
私は必死で、階段を駆け下りる。女性の掌がドライに向けられ、そこから炎の魔術が迸る。
『リズも魔術を使えるようになったし、覚えておいてほしいんだけど――』
闇魔術を教わった後、魔術についていろいろ質問していた時にジニーが教えてくれた事。
『封剣守護者は、どんな魔法にも耐える事ができる。彼らは言ってみれば魔術師殺しなの。でもそんな彼らでも耐えられない魔術がある』
ジニーがどういった意図でそれを私に教えてくれたのかは分からない。でも、その事で分かった事があった。
『彼らは彼らの守護が司る属性魔術には耐えられないの』
そう、今ドライを襲おうとしている魔術は、彼の命を奪う事が出来る!
(そんな事は絶対にさせない!)
私は闇の魔素が篭ったガラス玉を床に投げつける。
ガラスは砕け散り、黒い靄が辺り一面に広がるような気配を感じた。
ベロニカ様は言った、オーガストは一族を守ると。
ジニーは言った、自分に出来る事をする事で、他人の人を不幸から救い出せるなら、怪我をしてでも力を振るうと。
私はベロニカ様ように誇り高くもないし、ジニーのように強くもない。
だけど――
「夜の帳よ、静かなる闇よ、転くるめき換ぜよ、我が声を聞き、全てを隔絶せよ、光は光へ、闇は闇へ――」
私に出来る事で何かが変わるなら。私ががんばる事で誰かに笑顔を与えられるなら……
『貴女は立派なオーガストよ』
『リズ大好きだよ』
(私は彼女達のようになりたい!)
「――絶なる障壁となり、世界を遮れ【遮障】!」
私の身体から溢れ出す闇のオドが、私の目の前に迫った炎を遮るように、薄く広がり炎を覆いつくす。
闇の膜は塵々に千切れおち、隔絶しきれなかった残火と共に宙を舞う。
赤と黒の魔術の残滓がたゆたう中、ドライは呆然とした表情で私を見つめていた。
「ドライ様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
ドライはまるで狐か狸にでも化かされたような顔をしている。
それまで生真面目な顔しか見ていなかった彼が、こんな顔をすると知るとなんだか、可笑しく思えてくる。
だが、今は笑っている時ではない。
「聖炎を遮るなんて……。まさか闇魔術?! そんなものを使える人間がいるなんて聞いていない! 貴女は何者よ、邪魔しないで!」
魔術師風の女性の言葉を切っ掛けに、侵入者の男が私目掛けて剣の振りかぶる。あまりにも速く目の前に迫り来た凶刃を私はかわす事ができなかった。
ガキン!
金属と金属がぶつかり合う音に気づき、閉じた瞼を開く。
そこには、私をかばう形で男の剣を受け凌ぐドライの姿があった。
「接近戦は俺が引き受ける! リーゼロッテはあの女の魔術を止めてくれ!」
ドライが私の名を叫ぶ。
これまでヴェーチェル嬢と家名で呼んでいた彼が、何だか私を認めてくれたように思え少しだけ嬉しく感じた。
(でもこちらが使える魔術は残り3回)
闇魔術は現象系魔術であり、他の属性魔術に比べて強力な反面、魔素を非常に集めにくいため、本来戦闘で使うような魔術ではなかった。
私が闇魔術を使えるのはジニーがくれたガラス玉のおかげだ。
ガラスの中には魔素が色付いて見える程、凝縮されている。その魔素をガラスを砕き開放することで一時的に中の魔素が、体内に取り込みやすい環境を作る事が出来る。逆にそうでもしなけば、光や闇の魔素を集める事は非常に難しい。
ジニーが、1つのガラス玉に闇の魔素を込めるのに1時間かかっていたと聞いた時、自分では絶対に無理だと諦めてしまっていた。
どちらにしても、今の私が闇の魔素を何もない状態から集めて魔術に転換する事は出来ない。
ガラス玉を使って発動出来ると3つの魔術でなんとかしなければならない。
私の使える魔術に直接的な攻撃魔術は1つしかない。
【絶弦】。相手の5感を一時的に麻痺させる魔術。
正確には違うらしいけど、ジニーは――
『大体内容があっていれば、それがリズの魔術として定着するから大丈夫』
――と言っていた。私は黒い板を相手の首筋に差し込んで遮るイメージで魔術を発動している。
だがこの魔術は、イメージした黒い板を差し込む時、相手によってはつよい抵抗を感じてしまう。
相手が抵抗するような攻撃魔術にはよくある事らしく、力でねじ伏せようとした場合、かなり大量のオドを使う羽目になるらしい。
(魔術師の女性が相手だと、私のほうが負けてしまうと思う)
なら――
「ドライ様!」
侵入者の男と剣をぶつけ合っているドライに声をかける。
「私が、その男の身体を縛ります。そのうちに魔術師を!」
「だ、だが俺は人を斬る事が……」
ここに来る前に魔術師の女性が言っていた言葉だろう。
ドライが兄を殺した事による罪悪感が今でも彼を縛っている。
「ドライ=オーガスト! 貴方の罪悪感も嫌悪感もすべて、貴方だけのものだわ。貴方を本当の意味で救える人なんてたぶんいないと思う。でも、私は貴方と一緒にその重荷を背負ってあげるわ。オーガストは貴方を裏切らない。私も貴方と同じ、オーガストの一員よ」
「小ざかしい小娘が! 燃え尽きろ!――汝が吐息で、地を焼き尽くせ【炎風】!」
「――絶なる障壁となり、世界を遮れ【遮障】!」
火竜のように渦巻く業火は、深い闇に染まった暗黒の膜に包まれ、瞬時に火線となり宙に散る。
「お願いドライ。貴方が彼女を切ることで、更なる罪悪感に苛まれるなら、それも私が一緒に背負うわ! だから私を信じて!」
私を守るといってくれたベロニカ様のようにはかっこよくは言えないかもしれない。
でも――
「貴方の道は私が開く!」
一気に残り2つのガラス玉を地面に打ち付ける。
大気中に広がる闇の魔素は、まるで惹かれるかのように、私の周りに集まってくる。
(まずは、あの男を地に縛る!)
親友から教えてもらった魔術は残り2つ
『闇の本質は拒絶、吸収、遮断、屏障。意外に思うかもしれないけど、闇には相手を引き寄せるという本質もあるの』
ジニーの言葉を思い出す。今使うべき魔術の構成を頭に描く。
『どんなに明るい光も、闇の中に溶け込んでしまう。闇っていうのは、そういった吸収の本質を持つの』
大気中の魔素を集め、身体の中で闇のオドへと転換する。
「深淵に潜みし闇よ、転き換ぜよ、貪り喰らいしは光耀の器、尽く誘え、重鎖の常闇――」
『全てをつなぎ止める重力魔術。それが【喰尽】』
「――現出して全てを縛れ【喰尽】!」
黒い渦が私の中から抜け出し、ドライを剣を交える男の足元に広がり出す。
「な、何だこれは! 身体が重く……」
「ドライ、今です!」
私の声に、ドライは男を捨て置き、魔術師へと走り出す。
「っく! なら私の秘術で全てを灰燼にしてあげましょう! 炎のオドよ転き換ぜよ、万物を滅失させし煉獄の炎よ――」
魔術師の身体から炎のオドが現出し、燃え盛る大火となってドライに襲い掛かる。
「させない! 暗き闇よ、転き換ぜよ、真理の鏡よ、陰陽の言霊よ――」
私の身体の中から膨れ上がった闇のオドは、大気に溶け込み、辺り一面を暗き闇に染める
「――我が敵を燼に返せ【燼滅】!」
「――万事を拒み、世界を隔絶せよ【拒界】!」
魔術師の炎のオドは白色に輝き、轟音と共に周囲のすべてを炎の海へと沈め込む。
だが、その熱も光も音でさえ彼には届かない。
『最後にリズに教える魔術は、【拒界】』
「そんな……馬鹿な……」
ドライの剣は女魔術師の胸に深く突き刺さる。
口から夥しい量の血を吐きながら、魔術師はドライに最後の力で呪詛を吐く
だが――
『これは闇魔術・高位防衛魔術。一時的にとはいえ事象を世界から切り離す。熱も光も音さえもすべてを』
その呪詛が、ドライに届く事はなかった。