赤と濡羽
《ドライ視点》
父上と合流するため、1階へと急いでいた俺達の行く手を遮ったのは、4人の侵入者だった。
1階の階段ホール。
ある程度剣を振るう事が出来る場所に何とか誘導し、俺達は互いに睨みを利かせ合っていた。
右手に握る剣が重く感じられる。ヴァージニア=マリノに打ち抜かれた腕の傷はまだ痛んでいた。
(せめてもの救いは利き腕を狙われなった事か)
右手一本で剣を握りしめ、目の前の敵に向け一気に振り抜く。
相手の数は4人。こちらは俺と執事のフォーク、オーガスト家の警護のチェスターの3人。
人数的には4対3。決して劣る数ではない。だが、問題は――
「あらあら、赤のオーガストともあろう者の力はその程度かしら? 興冷めね。では此方から参りましょう」
女が歩を進めた途端、空気が変わる。まるで焼けるように熱い熱風が頬を掠める。
何もなかったはずの場所が彼女の出現により、一気に灼熱の地獄と化したかのようだった。
(魔術師か)
剣士に守られた魔術師ほど厄介な相手はいない。
魔術師を倒す基本は接近戦。相手にオド転換を行わせる前に、たたみ掛ける事が勝利への近道となる。
単独の魔術師相手では、即効を仕掛ける事が最も単純で最も効果的な手段だ。
だが、魔術師を守る人間がいる場合、対魔術師戦の難易度は格段に上昇する。
「フォーク、チェスター。前衛は俺が引き付ける。その間に魔術師を!」
「いけません、ドライ様。お一人で3人の相手なんて」
「そうですぜ、坊ちゃん。坊ちゃんは今は手負いだ。そんな状態じゃぁさすがに無理だ」
フォークとチェスターが俺を止める。だが、ここで魔術師を仕留めておかなければ、どんどん状況が悪化していくのは目に見えている。
「問答は終わりだ。行くぞ!」
フォークとチェスターは俺の合図に合わせ飛び出す。
対する侵入者達もそれぞれ武器を構え直した。
3人とも片手剣で盾はない。だが、3人共隙がない構えで俺達を待ち構える。
(賊の類ではないな。構えの統一感や装備から傭兵も考えにくい。そうなると他国の兵士か)
相手の剣戟を回避しながら考えを巡らせる。相手が他国の兵だとすれば、それはオウスかそれとも――
(アイニス共和国)
兄の死の原因を作った国。3年前のあの日、俺の中で何かが壊れてしまった。
(アイニスの目的は)
『すまない、ドライ……許してくれ……』
目の前で、スローモーションのように崩れ落ちるフードの男
今でも鮮明に思い出されるその光景は、俺の未来だけではなくオーガストの未来をも暗く閉ざしてしまっていた。
3年前の続きであるなら、この襲撃の目的は――
(俺の命か)
自分を狙っての刺客であるなら、目の前の3人の攻勢を集める事が出来るかもしれない。
そう考え、フォークとチェスターには前衛を抜き、魔術師を仕留める様に指示を出している。
だが、そんな俺達の行動に対し、相手は予想外の手に出る。
「く! こいつ、離しやがれ!」
チェスターの剣を受け、血を吐きながらも彼に掴み掛かり、手を離そうしない男が魔術師へと声を張り上げる。
「教士様! 聖炎で私ごとお清め下さい!」
「わかりました。貴方の思いは天に届くでしょう。――汝が吐息で、地を焼き尽くせ【炎風】」
魔術師の掌から炎が噴出し、男の身体ともどもチェスターを炎で包み込む。
「ぐわああ!!」
「うぐうああ!」
男は炎に包まれながらもチェスターを放す事はなく、二人を包む炎はさらにその猛威を強くしていく。
「フォーク! チェスターの炎をすぐに消せ! このままでは命に関わる!」
チェスターは必死に地面に転がり着衣の炎を消そうとするが、同じく炎に身を包んだ男がそれを妨げる。
「うあわああああ!」
チェスターの叫び声が響き渡る。その余りの惨たらしい状況に俺とフォークーは動揺を隠しきれなかった。だがその光景を、光悦とした表情で見る者がいる。
「聖なる炎が貴方の業を焼き清めるでしょう。さぁ、祈りなさい、小さき子らよ。己の罪を認め罰を受け入れるのです!」
アイニスの魔術師は聖教教団という組織に属していると聞いていたが、まさかこれほどの狂人だとは……。
敵は自分達の仲間が炎に焼かれている事なんて気にする様子もなく、俺に向け剣を振りかぶる。
金属と金属がぶつかり合う音が、ホールに響き渡る。
「ぐ! 放しなさい!」
見ればフォークもチェスター同様、相手の男にまとわり付かれていた。フォークは剣を引き抜き、男の頚を撫で切る。真っ赤な鮮血が頚から噴出しながら男は倒れる。フォークの意識が崩れ落ちる男に残るうちに炎は踊り狂い彼に襲い掛かる。
「ぐわああ!」
フォークは必死に床に転がり炎を消そうとするが、炎は一向に消える気配を見せない。
「ふふふ、聖炎がそんな容易く消えると思ってるのですか? その炎は貴方の業が焼き清められるまで、潰えることはありません」
女の魔術の力が強すぎる。炎は具現化した後も誘導と維持の力を示しているのだ。このままではチェスターだけではなく、フォークの命まで危うい!
「ち! そこをどけ!」
目の前の男は、巧みに俺の剣を受け流し、俺とフォークとの距離をつめさせないよう位置取りする。
次第に動かなくなるフォークの姿に、俺は憎しみを込めた目で女を睨みつける。
「まあ怖い。それがオーガストの血かしら? 本物の野獣のようだわ」
「貴様にオーガストの何が分かる!」
怒りの余り、俺は声を荒立たせる。だがそれは余計に女を刺激する結果に繋がる。
「私に何が分かるかですって? 私に分かるのは貴方が兄殺しの大罪人という事ぐらいですわ!」
「……?!」
『すまない、ドライ……許してくれ……』
崩れ行く兄の姿。差し伸べようとした俺の手は、兄の血で真っ赤に染まっていた。
兄が俺を殺そうとした、だから俺は剣を抜きそれを防ごうとした、そのはずだった。
だが、俺の剣は兄の胸に突き刺さり、彼の命を奪っていた。
「封剣守護者であるだけで、貴方の存在は我が国にとって諸悪の根源。その上でヘクター様を殺した貴方は、紛うことなき大罪人ですわ。それ以上に何を分かれと申されるのですか?」
「貴様らの目的は、封剣守護者の……俺の命か?!」
アイニス共和国がなぜ封剣守護者を忌み嫌うかまでは、分からない。だが――
『ドライ……許してくれ……、封剣は……あってはならないんだ……』
兄が最後に言った言葉。それまで封剣はギヴェンを守る神の力という認識だった。だが、兄の言葉は俺の根底を揺るがすものだった。
「ええ、そうよ。私の目的は貴方の命。愛するヘクター様を死へと追いやった貴方を私は絶対に許さない! あの方は私を愛して下さっただけでは無く、異国である我が国を憂い、封剣を手折る事に賛同された素晴らしいお方。あの時、ヘクター様にまかせきりにせず、私も同行していればと何度も後悔しましたわ。そうすれば、あの方を失う事なんて無かった。貴方如きが、あの方に手をかけるなんて奇跡を、絶対に起こさせはしなかった!」
女の顔が憤怒に歪む。兄がこの女と愛し合っていた? それでギヴェン王国を裏切ったというのか?
「嘘をつくな!!」
「嘘? 何が嘘だというのですか? ヘクター様と私が愛し合っていた事? それとも彼が貴方の国を捨て、私と共に歩むと誓ってくれた事? それとも、貴方如きが私に勝てると思っていることかしら?」
女の言葉が終わる前に、目の前の男の剣が俺に迫る。
「あははは、どうしたの? オーガスト。さぁ、その剣でその男を切り伏せてみれば? そうすれば貴方の剣は私に届くかもしれないわよ。うふふ、無理でしょうね。調べはついていますわ。貴方は人を斬る事が出来ない。ヘクター様を手にかけた罪の意識が、貴方に人を斬る事を止めさせてしまう。ああ、滑稽ですわ。ギヴェンの武のオーガストと言われる方が、人を斬る事も出来ない臆病ものだなんて」
「……」
女の言葉に最初は半信半疑だった男も、幾度も剣をあわせるうち、それが真実と悟った様だった。
目の前の男の剣は、さらに鋭く俺の身を削るかのように攻め立ててくる。
このままでは、いずれ男の剣が俺の身を捕らえるか、それとも後ろの女の炎に焼かれるか……。
赤の封剣守護では炎の魔術は防ぐ事は出来ない。
はじめから、すべてが俺を殺すために用意されていた。俺はこんな所で終わるのか?
何も成し遂げず、何も守れず、オーガストとしての名前すら汚すように、終わってしまうのか。
悔しさからか、無意識のうちに涙が零れ落ちる。
「見苦しい。仮にも騎士を目指す人間が、敵を前にして涙を流すだなんて。貴方のような人間がヘクター様の弟君のはずはありませんわ。貴方は彼の弟を名乗る偽者。忌まわしい封剣が生み出した異形の魂に違いありませんわ。聖炎に焼かれて、浄化されておしまいなさい。――汝が吐息で、地を焼き尽くせ【炎風】」
女の掌から溢れ出る炎が、とぐろを巻くように俺へと迫り来る。
俺にはもう、それを避ける気力さえ沸かなかった。女の言うとおりだ。俺はあの誇り高い兄さんの弟としては相応しくない、封剣が生み出した、ただの陽炎にすぎないのだ。
炎に焼かれ、死んだ先で俺は兄さんに会えるだろうか? 自分の中で何かがぽきりと折れるような気がした。
炎が俺の身体を焼き焦がそうとするその時、迫り来る炎を遮るように俺の前に一つの影が立ちはだかる
「夜の帳よ、静かなる闇よ、転き換ぜよ、我が声を聞き、全てを隔絶せよ、光は光へ、闇は闇へ――」
熱風に煽られて、たなびくその髪は、炎の赤に対を成す艶やかなる濡羽色
「――絶なる障壁となり、世界を遮れ【遮障】!」
赤と黒で彩られた魔術の残火を纏うその少女の姿は、俺の目には凛として美しく、そして騎士のように気高く見えていた。