彼女の物語
《リズ視点》
トレイシー様に閉じ込められた部屋は、彼女とアゼル様の寝室だった。
扉はは何かが置かれているのだろう、体重をかけてもびくともしなかった。
ベロニカ様はともかく、トレイシー様に武術の経験があるようには見えない。それに侵入者が何人いるかも分からないのだ。彼女達2人でどうにかなるようには思えなかった。
(このままでは、お二人が)
だが自分が出て行っても、何が出来ると言うのだ。
室内に使えそうなものが無いか調べる。だが武器になりそうなものは、特には見当たらなかった。
唯一武器になりそうなのは、部屋の隅においてある50cm程度の長さの燭台ぐらいだろうか。
だが――
「私みたいな人間が振り回しても……」
むしろ足手纏いになりかねないだろう。
ベロニカ様やトレイシー様も私が足手纏いになる事を考え、この部屋に押し込んだのかもしれない。
(何も期待なんてされていないなら、このままここにいればいい)
どうせ私にそれほどの価値なんてないのだから。そう思い耽っていると――
『オーガストは絶対に貴女を裏切らない』
――不意にベロニカ様の言葉が思い出される。
彼女が私を期待していないなんて、絶対に思ったりしない。
『オーガストは一族を守る』
自分は何を思っていたのだ。彼女達は私を護る為だけに、ここに私を押し込んだんだのだ。
そして、自分達の命に代えてでも、この扉を守り通そうとしているのだ。
耳を澄ますと、幾人かの足音が聞こえ前室の前で止まる。
バンッ
扉が蹴破られる音が響き、何人かの人間が前室に入り込んだのを感じる。
「トレイシーとベロニカだな?」
男の声にトレイシー様もベロニカ様も答えはしない。だが代わりに――
「このような夜更けに淑女の部屋に押し入るとは何事か!」
ベロニカ様の叫び声が響き渡る。
次の瞬間、金属と金属がぶつかり合う音が幾度となく聞こえた。ベロニカ様と侵入者が戦っているのだろうか? だが、その音が長く続く事はなかった。
「きゃっ!」
女性の短い悲鳴が確かに聞こえた。
(ベロニカ様!)
声を押し殺し、前室の様子を伺う。
「女にしては悪くはないが、膂力が無さすぎる。それにこの広さでは技もろくに振るえまい」
「それ以上寄れば、自決します!」
トレイシー様の声が聞こえる。その声は震えており彼女の必死さが扉越しに伝わった。
「自決してもかまわん。こちらの目的は貴様らではないが、捕縛の手間を考えれば、貴様らには死んでもらった方が助かるしな」
「……」
トレイシー様とベロニカ様が動き出す気配はない。男の言葉に嘘偽りは無いだろう。
このままでは本当にお二人の命さえ危うい。早くなんとかしないと、焦れた男の手で二人が殺される事になりかねない。
(何とかしなければ)
何か無いか? 私はもう一度辺りを見回した。だが、先ほどと何も変わらない。
焦りが広がり、いつものように落ち着くためにポケットにいれた大事な人からもらったお守りを取り出す。
『いつかきっと貴女の役に立つと思うから』
黒く光るガラスの玉を目にした時、彼女の言葉が脳裏に過ぎる。
(そうだ、私にもできる事がある!)
彼女がくれた黒い光が入ったガラスの玉。
この中には彼女が集めてくれた闇の魔素が封じ込められている。
『リズ! 貴女には才能があるわ! 私や師匠でもきっと貴女には届かないそんな才能が』
ベイルファーストでの彼女との日々を思い出せ。彼女が教えてくれた事を今こそ生かすのだ。
私は必死に、親友が教えてくれた事を思い出そうとした。
□□□
ナータと共にベイルファーストを訪れて数日が経過していた。
その日私は、ジニーに誘われ彼女の勉強部屋を訪れていた。
「師匠、例のやつ貸してもらいますね」
「あぁ、その袋の中に入ってる。割るなよ?」
ジニーの言葉に彼女の師匠フィルツ=オルストイは気だるげに答える。この2人の関係は、彼女と仲良くなった後もよくわからなかった。ジニーは彼を師匠と呼んでいるが、もっと気安い間柄に感じる。
「リズ、ちょっとこっちに来て! で、手をこう広げてもらえる?」
ジニーに言われるまま、机の上に手を広げる。
すると彼女は、7色のガラスの玉を私の手の傍にゆっくりと置いていく。
しばらくじっとすると、ガラスの玉のうち1つの玉が、ゆっくりと私の手に近づいてくる。
「わ、近づいてきた!」
「え?! ちょっと、師匠! これ見て!」
ジニーは大慌てで、フィルツ=オルストイを呼びかける。何か変な事が起きているのだろうか?
私は自分の手に触れる黒いガラスの玉をじっと見つめた。その黒になんだか吸い込まれるような不思議な感覚に私は感じていた。
「どうしたジニー……これは、珍しいな!」
「でしょ! 闇適正って珍しいよね!」
ジニーは自分の事のように、彼女の師匠に喜びを伝えている。何が彼女をそれほどまでに喜ばせているかは分からないが、私の事で喜んでくれているようで、それだけでなんだか嬉しく思えた。
「リズ! 闇の魔術って、私は殆ど使えないけど、どういったものかは知ってる。ねぇ、使えるように練習してみない?」
彼女の言葉に私は返答を迷っていた。私なんかにそんな才能が本当にあるのだろうか?
もしかすると、彼女が私に気をきかせて、言っているだけかもしれない。
だが、私の目を真っ直ぐ見つめる彼女の姿に、それが杞憂に過ぎないと理解できた。
「うん。私なんかが出来るなら。やってみたい」
ただ彼女と一緒にいたかったから口にした様な気もした。でも、自分に出来る事があるなら、是非やってみたいとも思っていた。何故なら――
『どうして、怪我をしてまでがんばれるのかって? うーん、自分に出来る事をする事で、誰かが嫌な目にあわなくなるなら、私はそれをやってしまう。癖みたいなものかな』
出来る事があるなら、それをするという彼女に少しでも近づきたかった。
『別に善意でも何でもなくて、これは偽善だって思ってる。でも、自分が出来る事をしないで誰かが傷つくのが怖いから。ただそれだけなんだ』
そうはにかむ彼女の姿をもっと近くで見ていたいと思ったから。
私は彼女に近づきたかった。彼女のようになりたかった。だから、彼女の申し出を素直に受け入れる事にした。
「そう! その調子、ゆっくりそのまま魔素を身体に集めてみて!」
身体に何か暖かなものが集まっていくのを感じる。どんどんと身体の奥から、力のようなものが膨れあがるってくるのが分かった。
「なんだか、身体が温かい。こんなのでいいのかな?」
「ほお、闇への感応が高いな、珍しい。よし、そのままゆっくりとイメージを膨らせろ」
それまで見向きもしなかったフィルツ=オルストイが、珍しいものを見たかのように、急に口を挟んで来た。
「闇魔術は火や風魔術のようなエネルギーやベクトルでも、水や土魔術のような物理的な力でもない。もっと現象や精神に近い本質を持っている。闇の本質は拒絶、吸収、遮断、屏障。イメージしてみろ。闇がお前を守るところを」
(闇は私を守る力?)
自分の中で膨れ上がっていた力が、途端に形をとり始める。それは黒い闇の膜。
身体から膨れ上がった黒い帷は、自分の周りを覆い尽くしていく。
「おお、初めてでオドの具象化まで漕ぎ着けたか。なるほどジニー、お前の親友だけあるな。興味深い」
そう言ってフィルツ=オルストイは本棚から幾冊かの本を取り出す。
「ジニー、お前はそれほど闇魔術は知らないだろう。これを使え」
「え、いいの師匠。これ師匠の大事な魔導書だよね?」
どうも私の為に、彼女の師匠は予想外の代物を貸してくれたようだ。
「あ、あの。有難う御座います!」
「気にするな。お前が闇魔術を習熟した時には、それを見せてくれればいい」
そう言って彼は口角を上げ微笑んだ。
「師匠は、魔術が大好きだからね。リズの闇魔術に期待してるんだ。私だって自分には使えない魔術だからどんなのか、絶対に見てみたいしね!」
ジニーは嬉しそうに私に抱きついてくる。
彼女の好意がとても嬉しかった。絶対に彼女に見せてあげたい。そう思い、私はその日からベイルファースト滞在中の時間を闇魔術の習熟に費やしていた。
□□□
(そうだ、私にはまだこれがある)
闇の魔素が溜め込まれた、黒光りするガラスの玉。
彼女がお守りとして私にくれた、たった5つの小さな希望。
(まずは、この扉を開けさせないと)
私はスツールを担ぎ上げ、思いっきり窓にぶつけた。
バリィン
窓ガラスは大きな音を立てて砕け散る。
その音はもちろん前室の男達の耳にも入っていた。
「おぃ、その奥に誰かいるのか?」
「誰もいないわ!」
ベロニカ様が必死に男達を止めようと声を上げる。だが扉の奥から何かを動かす音が聞こえてくる。
(これで、すぐに侵入者がやってくるはず)
手に持っていたガラス玉を1つだけ地面に叩きつける。
ガラスは砕け散り、黒い靄が空気に溶け込んでいく。
(たしか、魔素を感じて)
彼女に教えられた手順を思い出す。魔素を感応し身体の中でオドへと転換する。
そして、オドに具象化する方向性を指示し、そして魔術として具現化する。
「すべてを包みこむ夜の帳よ、静かなる闇よ、我が声を聞き――」
「やっと開いた。おい、誰かいるぞ! よーし動くなよ、お嬢ちゃん」
男の一人が寝室へと入ってくる。その男の背後には2人の別の男の姿が確認できた。
私は身体の奥で膨れ上がるオドの力を、彼女に教えてもらった言葉と共に身体の外へと導き出す。
「――その愚かなる者達に、隔絶の弦歌を刻め【絶弦】」
私の中から黒い波動が広がり出し、男達の身体を包み込む。
黒い光は数瞬で消えてしまい、後には静寂だけが広がる。
これまで感じた事のないような疲労感が身体中に広がっていく。
(きつい……。でも手ごたえはあった)
そう思い、部屋に入っていていた男の様子を確認すると男は焦点の会わない目のまま、ゆっくりと崩れ落ちていった。
(成功した!)
倒れ込む男達の姿をベロニカ様とトレイシー様は呆然とした表情で見つめている。
「一体何が」
「リーゼロッテ、貴女がやったの?」
トレイシー様の問いに私は肯定の意を示す。
「トレイシー様、ベロニカ様。私もオーガストの女です。だから、私も自分に出来る全てで皆を守りたい!」
私の言葉に彼女達は一瞬驚き、そして涙を浮かべる。
伸ばされた手をそのままに、彼女達の為すがまま身を委ねる。
「ああ、貴女は立派なオーガストよ」
「ありがとう、リーゼロッテ」
彼女達に抱きしめられ、その温もりが自分のした事が正しかったと私に自信を持たせる。
――オーガストは一族を守る――
大好きな親友のように、私が出来る事で皆を守れるなら。
私に出来る事をすれば、誰かが嫌な目にあわなくなるなら。
私も彼女のように、立ち上がろう。
一人のオーガストとして。
ここから始めるんだ
ヴェーチェルじゃない、オーガストとしての私の物語を