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リーゼロッテ=ヴェーチェル2

 

 ドライ様が参加される剣術大会への応援という口実で、私は御父様に連れられ王都フェルセンに来ていた。御父様はアゼル様に挨拶をした後、私をアゼル様に預け、その足で出て行かれてしまわれた。どうも王都にいるうちに他の家にも挨拶に行かれるご予定のようだ。


 アゼル様はそんな御父様によい顔はされてはいなかったが、何も言わず私を預かって下さる。


『オーガストの弱みを握れたのは行幸だった。おかげでお前程度の器量を、オーガストは受け入れざるを得なくなったからな』


 御父様の言葉を思い出す。アゼル様がこんな無理を聞いて下さるのはすべて、御父様がおっしゃられていた弱みのせいだろう。


(最低だわ)


 だが、私もまたその最低な男の娘なのだ。

 私は必死にアゼル様に頭を下げる。


「ああ、そんなに気にしなくても良い。オーガストに嫁ぐ事になっている君は、言ってみれば我らの家族のようなものだ。礼節を忘れよとは言わんが、それ程に気を使いすぎてはもたんだろう」

「お、お心使い感謝致します」


 緊張して言葉を詰まらせた私の肩を、アゼル様は優しく触れられる。勇猛果敢な武の血脈と聞いていたオーガストの当主は、私が思っていたよりずっと紳士的な方だったようだ。


「ドライは明日の剣術大会の準備をしておるが、そろそろ帰ってくるだろう。それまでは妻と妹に相手をさせよう」

「は、はい」


 アゼル様の後ろに控えていたのは、オーガストの家を守る女性達。アゼル様の奥様であらせられるトレシー様と、妹君のベロニカ様。お二人の姿はお美しく、自分があまりに場違いな人間に思われた。


「リーゼロッテ嬢、こちらが妻のトレイシーだ。そしてこちらが妹のベロニカー」

「はじめまして、リーゼロッテ=ヴェーチェルと申します。トレイシー様、ベロニカ様」


 必死に頭を下げお二人に挨拶する。私の姿を見たベロニカ様は口を押さえて御笑いになられた。


「やだなんだか可愛いわ、この子。義姉様(ねえさま)見て下さい、あんなに頬を染めちゃって」

「おやめなさい、ベロニカさん。ほら緊張しているじゃない。よろしくねリーゼロッテさん。アゼルの妻、トレイシーよ」

「はじめまして、アゼル兄さんの妹、ベロニカよ」


 あまりに気さくな二人に、私は一瞬唖然としてしまった。


「オーガストの女はあまり肩肘はって生きてはおらん。まあ、そのせいで貴族同士の集まりとかでは変な事を言い出しはしないかと、戦々恐々とさせられているんだがな」

「まぁ、アゼル兄様ったら酷い。でも兄様のおっしゃる通り。だからそんなに緊張しなくてもいいわ」


 ベロニカ様はそうおっしゃりながら、私の肩を両手で掴まれる。


「ほんと、お人形さんみたいで可愛いわ。義姉様もそう思わない?」

「もう、あまりリーゼロッテさんをからかわないの。ほら、真っ赤になって困ってるじゃない」


 私は自分が置かれている状況を理解しきれていなかった。


(え、可愛い?嘘……)


 可愛いだなんて言われたのは、4年前に親友だった少女から言われて以来だ。


「でも、ベロニカさんの言うとおり本当に可愛い子だわ」


 そう言ってトレイシー様は私の頬をそっと指で撫でられる。

 ヴェーチェル家の2人の姉や御義母様のような形だけの世辞ではない。心の篭った言葉に私の目からは涙が零れそうになっていた。


「あらどうしたの。どこか痛いのかしら?」


 困り顔のトレイシー様に申し訳がなく、必死に涙を堪える。だが――


「いいのよ。泣きたい時は泣いても。ここでは誰もそれを咎めないわ」


 ベロニカ様はそういって私を抱きしめてくれる。それが切っ掛けで私の目からは止め処なく涙が溢れ出した。ここでなら、私は受け入れてもらえるかもしれない。

 大好きな親友と決別するように、御父様から言われた時は絶望しか沸かなかった。だが、この家の人達は私を同じ家の人間として受け入れてくれるかもしれいない。


「ただいま戻りました……母上、父上、これはどういう状況ですか?」


 ベロニカ様に抱きしめられながら、涙を流し続ける私の姿を、ドライ=オーガストは呆然とした表情で見つめていた。それが何だか凄く恥ずかしく、そして可笑しく思え私は涙を流したまま、微笑んでいた。



 □□□


 ドライ=オーガストは私に対し、それ程に冷たい人ではなかった。だが、あくまで親同士が決めた婚約者という立ち場を変えるつもりはない様だった。


「ヴェーチェル嬢、年少の部とは言え剣術大会は野蛮なものだ。もし見ていて気分を害したなら、すぐにオーガストの人間を呼ぶといい。フォーク、彼女に何かあれば頼んだぞ」

「はい、ドライ様」


 オーガスト家の執事であるフォークさんは、私に微笑みかけてくれる。優しそうな初老の紳士だ。


「そろそろ予選が始まるか。では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 私の声にドライは振り返る事なく、ただ手を上げて応えた。その無骨な姿がなんとも彼らしく思える。

 私とフォークさんはドライが参加する予選の会場へと足を運ぶ。

 その途中、私の目に予想もしていなかった光景が飛び込んで来た。


(え、っ嘘!)


 私は自分の目を疑った。そこには、いるはずのない私の親友だった少女の姿があったからだ。

 美しい金色(こんじき)の髪を後ろで纏め、少年のような出で立ちの少女は、木で出来た長さの異なる2本の剣を手に、悠然と試合場へと歩を進めていた。

 魔術師を目指していたはずの彼女が、なぜ剣術大会に出場しているのか、私には理解が出来なかった。


「おぃ、どうして女が参加してるんだ?」

「しかも、あれ貴族じゃねぇか? 貴族のご令嬢様が剣士の真似事か」

「遊びでこられたら迷惑だっつーの!」


 予選に出場するであろう少年達の罵声が、彼女に飛んでいた。彼女の事を侮辱された事に、私は腹を立てていた。だが、その苛立ちはすぐに解消される事になる。


「……勝者、ヴァージニア=マリノ!」


 一瞬の出来事だった。

 彼女の姿が消えたと思った次の瞬間、相手の少年が彼女に投げ飛ばされ床に這い蹲っていた。


「おぃ、見たか今の!」

「速え……」

「左手の小剣と右手の剣の2刀か、あんなので戦えるものなのか?」


 先程まで馬鹿にしていたのが嘘のように、少年達は口々に彼女の事を噂している。

 それがなんだか自分の事のように嬉しく感じ、心までなんだか軽くなるような気がしていた。


 だから、彼女を見つめるドライの視線に、私は気が付く事が出来なかった。



 □□□


 剣術大会の決勝戦。

 ドライの前に現れたのは、私が良く知る彼女の姿だった。

 だが彼女の剣がドライに届く事はなかった。


「かはっ!」


 背中からに石床に叩きつけられた彼女は痛々しい呻き声を上げる。頭からは血を流し、ぼろ切れのように転がる姿に、私は堪らず彼女の名前を叫んでいた。


「ジニー!」


 その声に気付いた彼女は、ゆっくりと顔を起こし、焦点の合わない目で私を見つめる。


「ジニー! もうやめて!」


 もうやめて。それ以上貴女の傷つく姿なんて見ていられない。声を張り上げて彼女に懇願していた。

 両目からは知らない間に、涙が流れ零れ落ちていた。


 彼女はこちらに気がつくと、一瞬驚いたような表情をした後、口角を上げ静かに微笑んで見せる。

 大丈夫だと語りかけているようなその表情に、私は言葉を失った。


「お、おぃ。立ったぞ」

「まだやるってのかよ……頭から血を流してるし、もうとめてやれよ」

「さすがにもう無理だろ?」


 周りからは無責任な声が上がる。でも、彼女は諦めていない。ジニーは諦めない!


「うぉおお!」


 ジニーの叫び声が場内に響き渡る。その姿はまるで小さな竜巻。幾多の剣閃がドライに襲いかかる。

 観客達も声を出す事さえ忘れ、その光景を魅入っていた。


「この!!」


 ドライの大剣がジニーを捕らえる! そう思った瞬間、彼女の姿が消えた。


「何、消えたぞ!」

「おぃ、上だ!」


 声に釣られ空を見上げる。青く広がる空の中に、小さく見える彼女の姿があった。


「ジニー!」


 私は堪らず声を張り上げる。

 あぁ、何故貴女はそれ程までに戦い続けれるのだろう。

 何故、それ程までに強くあり続けれるんだろう。


「うぉおおお!」

「ぐおお!」


 ドライの剣とジニーの剣が互いに交差し、互いの身体を捕らえる。

 骨を砕く鈍い音が会場に響き渡る。

 そして、彼女の体は石床に跳ね飛ばされる。


「ジニー!!!」


 嫌、死なないでジニー! 抑えきれない思いが声になって溢れ出す。

 今すぐにでも彼女の元に走り出したかった。


「いけません、リーゼロッテ様」


 そんな私の肩をフォークさんが掴んで止める。

 肩越しに見たフォークさんの表情はすごく厳しいものだった。

 私は何をしているのだろう。応援すべき相手を放って、その対戦の身を相手を心配して……。

 試合場を見ると、ドライが苦しそうな表情で肩を抑え屈みこんでいる。


「リーゼロッテ様、控え室に向かいましょう。ドライ様もすぐに参られます」

「……はい」


 あれ程まで声を張り上げていたのだ。ドライの耳にも私の声が聞こえていたかもしれない。


(最低だわ)


 自分の婚約者ではなく、対戦相手を応援していたのだ。

 どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。

 この事が御父様の耳に入れば、次こそ許されはしないだろう。


 フォークさんに促され進む控え室までの道が、私にはとても遠いものに感じられていた。



 □□□


 オーガストの家にジニーとヴァイン=オルストイさんを招待した事を聞いた時、私の心臓が止まるかと思うほど驚いていた。


「ヴァージニア=マリノ様がですか……」

「ええ。知っているの?」


 ベロニカ様の問いに、私は答える事ができなかった。

 だが、そんな私の姿をドライは冷めた目で見続けている。


「ヴァージニア=マリノと申します。よろしくお願いしますリーゼロッテ様」


 そう言って微笑む彼女の姿は、あの頃の私に向けられた優しい姿そのままだった。


(ああ、彼女は変わらない。でも私は)


 彼女とまともに目を合わせる事が出来なかった。

 俯く私にベロニカ様やトレイシー様が気を利かせてくれる。それが余計に私の心を辛くさせていた。


「皆様、隣のお部屋にてお食事のご用意をさせて頂いております」


 フォークさんが食事の準備が出来た事を知らせに部屋を訪れる。

 その言葉にアゼル様とドライがヴァインさんをつれて向かわれ、それを追うようにトレイシー様とベロニカ様が部屋を出て行かれる。


 そして、部屋の中には私と彼女だけが取り残されていた。


「……リズ」

「……」


 彼女の口から私の愛称が囁かれる。久しぶりに聞いたその響きは、ベイルファーストで最後にあった日を思い出させていた。


『リズ大好きだよ』


 彼女が私に囁いてくれた言葉。

 その言葉だけを支えにずっとがんばり続けていた。


「ねぇ、リズだよね? どうして無視するの?」


 不安そうに私に投げかける彼女の声は、少しだけ震えていた。


(泣いてはだめ。もう私は)


「もう……貴女とは一緒にいられない……ごめんなさい、ヴァージニア様」


 両の目から溢れ出しそうになる涙を必死で堪え、彼女に背を向けたまま走り出した。

 私はヴェーチェル家の3女。リーゼロッテ=ヴェーチェル。

 ヴェーチェル家当主の言葉は絶対だ。

 それが私に与えられた、唯一の存在価値だったから。

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