4章 エピローグ
「大公様におかれましては、本日もご機嫌麗しく……」
「シュトリよ、そのような戯れ、私とお前の間に必要はない」
オウス公国公都大公府。
大公アザエル=クェイギルは、目の前で優雅に礼をする軍服の男シュトリ=ウヴァルの報告書に目を通していた。
「烏は落ちたか。まぁ、お前の嫌いそうな男だったからな」
「うん、あれはだめだよアザエル。あんな奴をおいておけば、君の国はどんどん汚くなっちゃう」
オウス公国の主権を握る自分を前にして、態度を改める事の無いこの男の事をアザエルは気に入っていた。
その実力もさるものながら、この時代らしからぬ内面が妙に潔癖な所も好みであった。
「あぁ、そうだな。だが、お前にしては珍しい。いや、これはわざとか」
シュトリはそれには答えず、ただアザエルに微笑みかける。
「なるほど。これは毒か。ふふふ、ギヴェンもたまったものではないな。私もお前だけは敵には回したくないものだ」
「僕がアザエルに敵対するわけないじゃないか」
「お前の言葉は本当にうそ臭くて困る。まぁよい。ところで魔狼と戦獣を滅ぼしたこの少女についてだが……」
アザエルが少女について切り出した途端、シュトリの眼光がするどく光る。
「あげないよ?」
一国の王に対してこれほど好戦的な態度をとる人間をアザエルが見た事が無かった。
「わかっている。お前がそれほど執着するとはな。さぞ絶世の美女なのだろう」
「いや、まだ5歳だし、どちらかというと令嬢としての資質にかけているというか……」
「おいおい」
流石にそれは酷すぎるんじゃないだろうか。そんな相手をシュトリほどの男が、それほどまでに執着する理由がわからない。
「あはは、女性らしくないっていうかさ。そういう所は君に似てるかもね、アザエル」
「おぃ、そういう事は口にするな」
「ごめんごめん、これは秘密だっけ」
アザエルの言葉に、シュトリは舌を出して平謝りする。
「まったく、お前という奴は。だがこんな私がここまでやれているのはお前のおかげといって過言ではない。感謝しているぞ、シュトリ」
「いえいえ、大公閣下。私こそ貴方に拾っていただいた事、今でも感謝しておりますよ」
アザエルにとってシュトリの存在は、葬られるだけだった自分を救ってくれた希望であり、またシュトリにとっても途方にくれていた自分に道を示してくれた恩人であった。
「君が僕を求めてくれるなら、君が行く路は僕は切り開こう。僕のアザエル」
「あぁ、お前が私を導いてくれるなら、どこまでも共に行こう。私のシュトリ」
月の光が差し込む室内を蝋燭の炎が赤く照らしている。
そこに揺らぐ二つの影は、ゆっくりと重なっていった。
□□□
「会いたかったわ! ジニー!」
「私もよ、ナータ! もちろんリズも! 二人とも来てくれてありがとう!」
「ううん、約束だから」
私は両手で友人達を力一杯抱きしめた。
笑顔で私の抱擁を受け入れてくれる彼女達の事を、本当に愛おしく思える。
「ジニーは相変らずね。でも安心した」
「うん、ジニーはジニーのままだったね」
ナータとリズはお互い頷き合って苦笑しあう。
「どういう意味よ」
除け者にされたように感じ、少し口調が強くなる。
「ジニーが私達の事が好きで好きで仕方ない女の子って意味よ」
「うん」
ナータとリズは嬉しそうに笑い出す。
そんな顔をされては、きつく言えるはずがない。
「もう! すぐ私をからかおうとする」
「ふふふ、ジニーのそういう所も大好きよ」
ナータは王都の一件以来、私に対して少しお姉さんのような態度を取る事が増えていた。
それは杜 霧守をやさしく見守り続けていた懐かしい姉の記憶を呼び起こし、少しだけ哀愁を感じさせる。
「どうしたの、ジニー」
「ううんなんでもない。二人ともしばらく、ここに泊まっていけるよね?」
私は頭を振り払い、目の前の親友達に不安な思いを抱かせないように気を配る。
「もちろん! リズと一緒に、しばらくお世話になるわ。くる途中に馬車から見えたんだけど、ベイルファーストの森ってすごく大きいのね。びっくりしちゃった」
「うんうん」
ナータの言葉にリズも力一杯頷いてみせる。
彼女達のような王都に近い地に住む者とって、ベイルファーストは田舎に見えないかと心配していたが、表情を見る限り、思ってた以上にこの地を気に入ってくれているみたいだった。
「じゃぁ、滞在中にお父様の許可が下りれば、一度森を少し案内するね!」
今回の件で私は勝手に家から出る事を禁じられるはめになった。
今も、すぐ傍で私が無謀な事をしないように、メイド達の目が光っている。
ちょっと野戦演習に行っただけだというのに、大人ってどこまでも過保護で困ってしまう。
「うん! おねがいね、ジニー。ところでさ……あれは何?」
そういってナータが指差した場所には、先ほどから壁の角に身を隠しながら、こちらをちらちらと見ている黒いローブの少年の姿があった。
少年は、金糸で刺繍が施された黒いローブに身を包んでいる。
うん、まぁ、あれは私のお気に入りローブを「俺もそれほしい!」と言い出した彼が、使用人に作らせたものなのだが……。
(彼は何がしたいんだろう)
正直、隠れていたいのか、気づいてほしいのかさっぱりわからない。
ナータとリズという可愛い少女達を、一目見ようと思ったが、恥ずかしくて顔が出せないシャイボーイのつもりか?
「あれは……、私の魔導学の兄弟弟子……」
「ふぅん。どう見てもヴァイン=オルストイよね? どうして彼がジニーの家にいるの?」
私もそれに関してはずっと謎に思っている。
あの一件の後、やたらとヴァイス様はベイルファースト領に顔を出すようになり、それに付いてくる形でヴァインもここに入り浸るようになっていた。
ヴァインとしては、師匠から魔導を学べるいい機会だとでも思っているのだろう。
以前は魔術に絶望しかけていたなんて嘘のように、彼はここでの生活を満喫している。
そんな彼の姿を見つめるヴァイス様の穏やかな表情を見てしまうと、ヴァインがなぜここにいるかなんて事を問い詰めるのも悪い気がしてしまい、ずっと言えずじまいだったのだ。
「さぁ。森の空気でも気に入ったのかも……」
「ふぅん」
「うー」
ナータは少年を一瞥し、意味ありげな表情をする。
リズにいたっては先ほどから、少年を威嚇しながらずっと私の袖を掴み続けている。
「お嬢様方、お庭でお茶とお菓子の御用意ができましたよ。そろそろ向かわれてはいかがですか」
「ありがとう、アマンダさん」
そう、私の専属のメイドとしてアマンダ=リューベルさんがうちに来ることになった。
例の件の責任を負う形で、ベイルファースト軍を除隊した彼女は、行くあてが無かった事もあり、お父様が屋敷のメイドとしてお雇いになられたのだ。
流石の私でも、その話を胡散臭く感じてはいたが、以前会った時よりも自然な笑みを浮かべる彼女を見て、それならそれでいいかと思いなおす事にしていた。
「行きましょ、ナータ、リズ」
「あれはいいの?」
あれというのは、壁から見え隠れする黒いローブの事だろうか。
「別にいいんじゃない? お腹が減ったら勝手に来るだろうし」
私はリズの頭を撫でながら、アマンダさんの案内に従い庭に向かった。
□□□
「ねぇ、どうしてそんな中途半端に隠れてるの?」
ナターシャにローブの端を引っ張られ、俺は仕方なく姿を現す。
「お前がいるからに決まってんじゃん!」
「相変らず言葉使い悪いわね。ヴァイン」
「うるせぇ」
ナターシャ=ミュラー。ミュラー伯爵家の次女であり――
「こんなのが私の従姉弟だなんて思われたくないわ」
「へいへい」
俺ヴァイン=オルストイの従姉弟だ。
母ユナン=オルストイは元々ミュラー家の人間で、王宮魔術師団の一員であった親父と恋に落ち貴族の家を出て結婚した。
貴族ではない親父との婚姻を良くは思っていなかったミュラー家の人間を、一人一人説得して回ってくれたのがナターシャの父フォンテ=ミュラー伯爵だった。
親父はそれ以来、ミュラー伯爵とは懇意にしており、俺とナターシャも年が近いということで幾度か会って話をする機会を得ていた。
「ところで、ヴァイン。貴方、ジニーの事どう思ってるの?」
「あ、あぁ?! 何だよいきなり!」
「はぁ、やっぱりか……」
ナターシャはそういいながら頭を抱え屈みこむ。
なんだよ、その態度は……。
「いい事? ヴァイン。貴方の事だから、ジニーは俺のライバルだーとかそんなお花畑な事でも思ってるんでしょ?」
「そ、それがどうしたんだよ」
ナターシャは俺の鼻先に一指し指を押し付け、強い口調で俺に言いつける。
「これは従姉弟への私からのアドバイス。いつまでもお子様のままだと、大事なものに気付かず、逃す事になるわよ」
ナターシャの言いたい事はなんとなく分かる。
だが、ジニーの事をそんな風に思った事は一度も無かった。
思った事が無かったと言うより、思えないと言った方がいいだろうか。
今の俺では彼女の横に並び立つ資格がない。
もし、俺の中でジニーを思う気持ちが膨れ上がったとしても、それは彼女の横に並んで恥ずかしくない魔術師になってからの話だと俺は思っている。
「あぁ。わかってるよ」
だが、それでもナターシャが俺の事を思って言ってくれている事は理解できた。
「へぇ、貴方変わったわね。前なら癇癪でも起こしそうなのに。これも、ジニーのおかげかしら」
「あぁ、そうかもしれない」
「そっか……よかったね。ヴァイン」
ナターシャは何が面白いのか、ニコニコしながら俺の手を引っ張る。
「お、おぃ!」
「ほら、急がないとお茶とお菓子が無くなるよ! いきましょ」
俺はナターシャに引かれ、ジニーのいる場所へと向かう。
いつか追いつきたいと思う、少女のところに。
□□□
少女に手を引かれる少年の姿を凝視する二つの影があった。
「まぁまぁ、青春ねぇ」
「奥様、さすがに覗きはどうかと思います」
「そういうマーサも、にやついてるじゃない」
二つの影はまるで、古くからの友人同士のように仲良くじゃれ合う。
「この顔はもとからです!」
「はいはい。でも、ジニーもヴァイン君がきっかけで、少しはお淑やかになればいいのだけれど」
二つの影は互いに顔を向け、がっくりと肩を落とす。
「無理よね」
「でしょうね」
二人の苦悩が晴れる日は、まだまだ遠いに違いない。