ヴァイス=オルストイの調書2
「貴様の調書には目を通した」
「はっ!」
ボイル=ファーランドはテーブルの上に、読み終わった調書を投げつける。
「お前の考えを聞かせてみろ、ヴァイス」
「はっ。私はヴァージニア=マリノには監視をつけ、そのまま、あの地で修練を積ませるのが得策と考えます」
ボイル国王は口角を上げ、面白そうに顔をゆがめる。
「それは、甘すぎるのではないか?」
「あの者への行き過ぎた干渉は、西方守護伯にいらぬ叛意を持たせる事に繋がりかねません。ウィリアム=マリノという男は実直ではありますが、柔軟な思考に欠けております。奴めの娘を王都に縛り付けるのは悪手と思われます」
「貴様、国王陛下に対してその物言い、不敬であるぞ!」
「よい。フェルダーよ、下がれ」
ボイル国王はさらにヴァイスに問う。
「ヴァイスよ。今回、貴様のミスで幾人かの間者を失った。これに関してどう考えている?」
この質問に対し、ヴァイスは回答を持ち合わせていなかった。
アマンダ=リューベルがオウスの黒烏マリウス=エリギュントと通じている事は知っていた。
そしてこれを機にヴァイスは、オウスの悪名高い黒烏を処理しようと考えていたのだ。
結果としてマリウスは死に、ヴァイスの思惑通りにはなっていた。しかしながら、アマンダ=リューベルを監視し、いざとなればマリウスを処理するはずだった4人の間者が、オウスの手によってその命を絶たれていた。
凶鳥ハルファス。黒烏と同様にオウスの間者として悪名高い彼女の参戦は、ヴァイスにとって予想外の出来事であった。神出鬼没な彼女の存在は、ギヴェンでも黒烏と同等かそれ以上に恐れられる存在であったのだ。
「申し訳ございません。黒烏だけではなく、凶鳥まで現れるとは予測しておらず……」
「面白くもない答えだな。まぁよい。貴様は今回、黒烏をおびき出すため用いた罠で、逆に4人の部下を失う事になった。貴様の失態は、貴様を更迭しその地位に新たな者を挿げ替えねば成らぬ程の事だと理解しているか?」
「はっ!」
ヴァイスは額からは冷たい汗が流れる。
「だが、貴様はこの国の暗部の長にして魔術師団の頂点に立つ男だ。そんな人間を1度のミスで失う訳にはいかん」
「陛下の寛大なお心づかい。誠に感謝いたしております」
「世辞などよい。その上で貴様は俺に件の『バラ園の奇跡』を手折るなと申すか?」
ヴァイスは返答を迷っていた。
臣下としてはヴァージニア=マリノの身を、ボイル国王の臨むままにする事が一番と考えている。
だが――
『だから親父に言いたいんだ。魔術を教えてくれてありがとう!魔術に出会わせてくれてありがとうって』
「陛下。不敬を承知で申し上げます。私はそれでもあの少女には監視を付け、彼女の才が花咲くその日までお待ち頂く事を切に望みます」
(息子だけではない。私もまたあの少女に影響を受けた人間の一人なのだ)
例えその身がどうなろうとも、息子とあの少女の平穏をヴァイスは臨んでいた。
「お前ほどの男に、そこまで言わせる程の逸材か、面白い。よかろう、ヴァージニア=マリノに監視を付けその上で、娘の資質が花開く時を待つとしよう」
「私めの言を受け入れて頂き、有難き幸せで御座います!」
頭をたれるヴァイスをボイル国王は楽しげに見つめていた。
ボイル国王にとって、ヴァージニア=マリノを王都に縛りつけるかどうかは、どちらでもよかったのだ。
だが今回の件で、ヴァイスは今まで以上に、自らを犠牲にして国に仕える事になるだろう。
ヴァイスの調書に記載されていた、数々の新技術は非常に興味深いものであった。
それをたった5歳の少女が考え出し、達成した事とは到底考えられるものではない。
(自分で考え出したならまさに神子といえるレベルだな)
だが、ボイル国王はその可能性は非常に低いと考えていた。
調書にあるヴァージニア=マリノの行動。
そこからは開発者の矜持のようなものが一切感じられなかったからだ。
(自ら考えたのではなく、誰かに教えられたか、それとも知っていたか)
ボイル国王にはその真実まではわからない。
「ヴァージニア=マリノにつける監視には、例の女を付けよ」
「さすがにそれは……!」
「俺の言葉が不服か?」
「いえ、滅相も御座いません」
例の女とは、一命をとりとめたオウス公国の元間者であるアマンダ=リューベル。
本来処分されるはずの彼女は、いまだ健在であり王国医務局で療養中であった。
彼女が処分を免れた理由はひとつ、ヴァージニア=マリノが行った血液輸送魔術の被験者だった事だ。
今後、血液輸送魔術は多くの人命を救う可能性を秘めている。
血液輸送に関しては、以前から幾度も実験が行われていた。だがその結果、被検体の血が凝結したり、急変し死に至ったりと、存命するものは1名たりとも見られなかった。
アマンダ=リューベルの存在は唯一の血液輸送魔術の成功例であり、今後彼女の状態を継続して観測する事は、非常に重要な案件と成っていた。
だが、アマンダ=リューベルは一度、ギヴェンを裏切った人間である。
そこで、ギヴェン王国は彼女に誓約魔術をかける事にした。
誓約魔術、それは魂に呪いという形でオドを刻みつけ、誓約に反する行為を行えば、呪いのオドは魂と魄との間でオドの楔として現出する。
これにより、対象者は魔素を体内に取り込む事はできても、オドへと転換することが出来なくなり、最終的に死へと至る事となる。
今回の件では、アマンダ=リューベルだけではなく、ヴァイスの弟であるフィルツ=オルストイにも誓約を刻めた事は行幸であった。
王国一の鬼才とまでいわれた男の首に、王国への絶対服従という名の首輪がつく事になったのだ。
これは王国側から命じたものではなかった。
フィルツ=オルストイ自身が、アマンダ=リューベルへの減刑を上告し、その代わりとして自ら提案してきた事であった。
もともと、アマンダ=リューンベルの処分を取りやめにしていた王国にとって、フィルツの申し出は、鴨が向こうからやって来たようなものであった。
ヴァイスが、弟フィルツの愚行を知ったのは、すでに彼に誓約が刻まれた後の事であった。
彼は弟を止める事が出来なかった事をおおいに悔やむ事となる。
「ヴァージニア=マリノには王国を裏切る事のないアマンダ=リューベルとフィルツ=オルストイの2名を当てる事とする。西方守護伯もこの人選であれば、納得するであろう」
「……はっ」
ヴァイスは、弟と彼の恩人の未来を閉ざすような形になった今回の件の顛末を、素直に喜ぶ事ができなかった。
『そして、あいつの横に並べるような、そんな魔術師になりたいんだ』
(ヴァインがいつの日にか、暗い闇に飲まれるあの娘の未来を、照らせるような光になれれば……)
ヴァイスは自らの王に頭を下げながら、彼と彼の子の救ってくれた少女の未来を憂えた。
□□□
私はあの後、貧血とそれまでの疲労のせいで意識を失い、ベイルファーストの自室のベットの上で目を覚ます事となった。
シュナイダーが言うには、私は2日もの間、眠り続けていたらしい。
(さすがに無理をしすぎたかもしれない)
今回の一件は王都の時以上に、体への負担が大きかった。
魔術の向上もだが、やはり体力の補強が急務といえるだろう。
不思議な事に、私も師匠もヴァインも今回の一件でお咎め無しという事になっていた。
師匠とヴァイス様が尽力下さったらしい。本当に有難い事である。
そして何よりも朗報は、アマンダさんもまた、処分を免れた事だった。
仮にも侯爵令嬢の誘拐犯である。
普通に考えれば処刑されてもおかしくはなかっただろう。
その事に関しては、王都への報告から戻った師匠やヴァイス様に聞いていても言葉を濁すだけだった。
私が眠っている間に師匠、ヴァイス様、そしてお父様がベイルファーストを出て王都フェルセンに今回の件の報告に向かわれていた。
そして、私が目を覚ますと、そこには私のかわいいキースをあやすライバルの姿があった。
「ヴァイン! すぐに離れなさい! キースは私のものよ!」
「はぁ? てかお前、目が覚めて一番最初の言葉がそれかよ!」
「だぁだぁ」
あぁ、キース。そんなむさっくるしい奴にあやされてさぞ苦痛だったでしょう!
今すぐお姉ちゃんが傍にいってあげるから!
私は、キースの元に走りだそうとし、足をもつれさせてしまう。
「あ、あっ」
「おま! あぶねぇ!!」
病み上がりでまだ身体が本調子じゃなかったようだ。
とっさに伸びた手が私を支えてくれる。
「……ありがと」
「お、おぅ」
私の礼を、ぶっきらぼうに答えるヴァインが少し腹だたしかった。
「おや、おや、これは……」
「奥様、あまりジロジロ見られては……」
お母様がキース抱きながら、マーサ先生と何かをしゃべっている。
この2人が一緒にいるんだ。どうせ碌なことではないだろう。
だが、それでも久しぶりに帰ってきたこの場所は、私にとってすごく居心地がいいものだった。