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アマンダ=リューベル4

 

 ベイルファーストに来てから3年の月日が立っていた。

 私やクリス、カルロはフィルツに案内されて来たベイルファーストで、実験的部隊である魔導歩兵として修練を積んでいる。

 これまで、魔術師の修練しかやってきていなかった私達にとって、歩兵の修練が取り入れられた魔導歩兵としての修練は過酷の一言に尽きていた。

 でも、どんなに過酷な修練もフィルツと一緒なら我慢する事が出来た。


「もう見てよ、足がぱんぱん。このまま筋肉だらけになったらどうしよ」

「どんなに筋肉がついても、お前が最高の女に変わりはないけどな」


 私が自分の足を撫でていると、フィルツは私の腰に手を回して、そっと抱き寄せてくる。


「もぅ、今日は駄目。お兄さんが明日朝からこっちに来るんでしょ。起きれなくなっちゃうよ?」

「くっそぉ。兄貴の奴。会いたくねぇんだよなぁ。兄貴の事だから王都に戻れって事だろうし」


 魔術師団部隊長である彼の兄ヴァイス=オルストイは、先日から何度もフィルツに対して王都へ来るよう伝言を送っていた。

 フィルツはそのすべてを無視しており、ついにヴァイスその人がベイルファーストにやって来る事となったのだ。


「ねぇ、フィルツ。そんなに嫌なら私と一緒に全部捨てて逃げ出さない?」

「逃げるってどこにだよ」

「そうね、いっそ遠くに。オウスよりももっと遠く。誰にも見つからないような場所に」


 誰にも縛られる事のない場所で、二人っきりで生きてきたい。

 そんな願いがかなうはずはないのに。


「そういうのも悪くないかもなぁ」


 フィルツは私の頭を引き寄せ、そっと唇を重ねる。

 いつものように彼にすべてを委ねてしまいたい。

 だが、今日は駄目だ。


「だめ。今日はここまで。じゃぁ、部屋にもどるね」

「ち、まぁ、しかたねぇ。おやすみアマンダ」

「おやすみ、フィルツ、愛してるわ」


 彼が私をこの地に連れて来てくれてから、そうはかからずに私達はそういう関係になっていった。

 私が望んだ関係だったし、彼も私を受け入れてくれた。

 彼の腕に抱かれ、私は自分が彼のものになった事を実感し、すごく嬉しかった。

 彼は私だけを特別に見てくれている。それが何よりも幸福だった。

 だから、彼と二人だけで何にも縛られないなんて、贅沢すぎる願いなんだって分かっていた。


 窓を開き、黒い猫を部屋に招き入れる。猫は、すばやく部屋に入り込むと、私の机の上に座りこみ、舌で手洗っている。


「マリウス様にこれを届けて」


 私は黒猫の首輪のソケットにメモを詰込む。いつもの伝令だ。

 明日、ヴァイス=オルストイがこの地にやって来る事

 王都で近いうちにボイル殿下が何かを起こそうとしている事

 王都では、不自然なくらいにアレクシス国王への不満の声が上がっている事


 そういった何気ない噂や、フィルツやマリノ卿から手に入れた情報をメモとして届ける。

 私がこの地でフィルツの傍にいるために必要な事だった。


「じゃぁ、よろしくね」


 黒猫は窓から外の木へと器用に飛び移り、夜の闇に消えていく。

 どうせ伝えている内容も大したものではない。このぐらいならばフィルツやマリノ卿の迷惑にはならないだろう。私はその時、そう思い込んでいた。


 □□□


 王国暦641年。

 第一王子ボイル=ファーランドは国王アレクシス=ファーランドを奸臣に惑わされ、国を売ろうとする売国奴として糾弾、そのまま断獄するに至る。

 アレクシス国王はその当時、女官との最中であり、無様な姿のまま、斬首される羽目となる。

 だが、ボイル新国王の行動を謀反と判断した、リンクス候爵は北方領軍1万を率いて王都へと進行を開始する。

 それに対しボイル新国王は、国軍7000と彼に賛同の意を示した東方守護伯であるフォルカー侯爵の軍5000のあわせて12000で対する事となる。この時、西方守護伯ウィリアム=マリノの元にも、ボイル新国王およびリンクス侯爵の双方から援軍の要請が届いていた。

 だが、ウィリアム=マリノはそのどちらにも援軍に赴く事は無かった。

 何故なら、時を同じくしてベイルファーストもまた、戦乱の真っ只中にあったからだ。


「ウィル、オウスが進軍してきたって本当か?」

「あぁ。昨晩リーベル川を渡河するオウス軍が確認された。奴らはリーベルに軍橋を設けている。その規模から、兵力として2万から3万だと推測できる」

「こちらの3倍以上か」


 フィルツとマリノ卿は地図を見つめながら互いに顔を曇らせている。

 王都のクーデターが発生したタイミングでオウスが進軍するなんて誰にも予想がつかなかった。

 クーデター自体、内々で進められており、それを知る人間もボイル新国王派の人間に限られていた。

 にも拘らず、オウスはまるでクーデターが発生する日時を知っていたかのように、進軍の準備を進めていた事になる。


(嘘、まさか、私のせい?)


 私がマリウス様にお伝えしたボイル殿下の情報や、アレクシス国王への不満の声から、彼らはクーデターを予測し行動に移ったのでは? この状況は私が招いてしまったのではないだろうか?


 背中に冷たい汗を感じる。

 私は、自分のした行動でマリノ卿だけではなく、最愛の人までも危険に巻き込んでしまったのではないだろうか。


「ねぇ……戦うの?」


 私は隣で横になる彼に声をかけた。


「あぁ。この状況じゃぁ、ウィルを放っておけねぇからな。それに、ウォルターから連絡があってあいつもこっちに向かってるそうだ。俺とウォルターは二人でウィルを助けるって誓ったからな。今更その誓いを破るわけにはいかねぇし」


 彼はそういって私の抱き寄せる。


「アマンダ、お前は付き合う必要はねぇ。クリスやカルロと一緒に明日にでも王都に向かえ」

「そんな! 貴方を置いてなんていけないわ!」

「この戦いは死闘になる。相手は3倍以上の数だ。ウィルもウォルターも、そして俺だって生き残れるかわからねぇ。だからな――」


 フィルツは私の額に優しくキスをする。


「――お前には生きていて欲しいんだ」


(嫌だ。貴方のいない世界なんて、私には耐える事なんて出来るはずが無い)


 私がフィルツを絶対に死なせない!

 たとえすべてを敵に回してでも。彼を私が守ってみせる。

 私は暗い炎を胸に灯しそう誓った。


 一人自分の部屋に戻った私は、窓部に来ていた黒猫を部屋に招きいれた。


「マリウス様にこれを届けて!」


 用意していたメモをソケットに詰込む。

 内容はこうだ


 ・領軍の狙いはベイルファーストの森深部へ誘いだしての包囲殲滅。

 ・ただし領軍の数は我が国の3割から5割であり、領軍も包囲網が完成する前に各個撃破される事を恐れている。


 黒猫は窓から飛びだし、木を伝っていつものように闇の中に消えていく。


(お願い神様! どうかうまくいって!)


 今まで祈ったこともない神様に、祈りを捧げる。

 どうか、マリウス様が私の情報を少しでも信じてくれるように。

 どうか……彼が無事でありますように。

 願いが神に届くかは、私には分からなかった。

 それでも私は夜が明けるまで、ずっとずっと祈り続けていた。


 そして、次の日の朝。

 後に、ベイルファースト大森林の戦いと呼ばれる戦が始まった。



 □□□


「急げ! ウィルとウォルターが持たせている間に、俺達が奴らの補給線と軍橋を破壊する! 一刻の猶予さえない!走れ!!」


 領軍は1万の兵を8000と2000にわけ、8000を森に展開、オウス公国軍をベイルファーストの森深くへと誘導していた。彼らの目的は陽動。全軍を持って包囲網を強いていると思わせ、各個撃破を誘いつつ森の最深部へと誘導していた。

 すべては、フィルツ=オルストイ率いる別働隊が補給線と軍橋を破壊するための時間を稼ぐその為に。


「フィルの奴、うまくやってくれるといいが」

「安心しろウィル。あいつはなんだかんだ言って、最後には約束を守る奴だ」

「そうだな、ウォルター。きたぞ! 第4軍は3射して後退せよ! 1軍は俺に続け!いくぞ!」


 多くの声が森に木霊する。

 それは生を必死に掴もうとする者の声。

 それは死の恐怖に叫ぶ者の声。


「うぉおおおお!」

「矢がくるぞ! 前衛盾構え!」

「ぎゃぁ!」

「誰か!! 衛生兵!!」


 すべての喧騒がベイルファーストの森の中に消えていく。

 まるで魂そのものさえも、包み込むかのように。


 □□□


「これは、どういうことだ、マリウス!」

「これは……こんなはずでは……」


 マリウスはその状況に呆然としていた。

 少し前までは、我が軍は確実にベイルファースト領軍を追い詰めていた。

 もう少しで、ギヴェンの豚どもの死体の山で開戦の狼煙をあげる事が出来る、そう思っていた。

 だが、そこにもたらされたのは補給線及び軍橋壊滅の報せだった。


(あの女が報せて来た情報では、奴らの目的は包囲殲滅ではなかったのか!)


 本来ならば、ここまで補給線が延びていれば、別働隊を懸念するのは当然である。

 だが、マリウスは自らの間者の情報をそのまま信じてしまっていた。

 自分におびえるあの娘が、そんな大それた事なんて出来るはずが無い。

 そう思い込んでいた。


「撤退だ。このままでは兵站を消耗しつくし、本当に包囲殲滅されかねん」


 オウス軍辺境指令官の指示が、オウス進行軍全軍に伝わる。

 3倍の兵力を持って進軍し、無残にも撤退を与儀なくされたのだ。

 これほどの屈辱は無かった。


「マリウス。国都に戻り次第、貴様には今回の件について大公閣下に弁明してもらう事になる。その首洗って待っていろ」

「はっ!」


 どうしてこんな事になったのだ。

 マリウスは東に広がるベイルファーストの地を睨み続けた。



 □□□


「ヴァイス様、私に何の御用でしょうか」


 ベイルファースト領軍演習施設で、私はあの人の兄、ヴァイス=オルストイ様に呼び出されていた。

 彼がこの地に来る事自体が珍しいことであり、その中でさらに私を呼び出すなんて想像もつかなかった。


「アマンダ=リューベル。お前にはオウス公国の間者の嫌疑がかかっている」

「……?!」


 どうして……。彼もそれを知っているのだろうか……。

 嫌だ、嫌われたくない。彼と別れたくはない。


「お前には2つの選択肢がある。1つはオウス公国の間者として王都にて裁きを受ける事だ」

「私は……処刑ですか?」


 ギヴェン王国を裏切ったのだ。処刑は免れないだろう。

 せめてもの救いは彼があの戦いで無事に生き残ってくれたこと。

 彼ともう一度会えた事。彼は私が死んだあとも思い出してくれるだろうか。


「本来なら、お前は処刑となるだろう。だが、お前の死と引き換えと言われれば、弟は素直に国軍に入るだろう。例え自分の心を殺してでもな。そして、永遠に王の為にその力を示す事になる。王は弟の力のみを所望されている。お前は弟に課せられた鎖として、生き続ける事になるだろう」

「そんな……」


 私を生かす為、彼を国の奴隷にするというのか?

 誰がそんなことを望むのか!


「もう1つは、オウス公国を釣る餌になる事だ。お前が今回オウスに誤情報を流し、それによってベイルファースト領軍が勝利した事に関しては調べがついている。その働きに免じて、チャンスをやろうという事だ」

「それは……」


 それなら、私は彼と一緒にいれるのだろうか!?


「だが、代わりにお前には弟と別れてもらう事になる」

「どうして! 嫌よ、そんなの!」

「話を聞け。お前は今後、オウス公国から命を狙われるだろう。フィルツの身は、お前と比べようが無いほど国にとって貴重なものだ。だが、あいつはお前の傍にいれば、自分を犠牲にしてでもお前を守るだろう。お前が、自分の為にあいつが傷ついてもいいと思うなら別だが」


 彼が私を守るのを簡単に想像ができてしまう。

 そして彼はきっと「ただの気まぐれだ」といって笑いかけてくれるのだ。

 たとえ、どんなに傷ついたとしても。


「そんな事、できるわけない……」


 彼と離れたくない。でも、彼を傷つけたくない。

 彼を死なせたくなんて絶対にない……。


「3日待とう。お前がどちらを選ぶか、お前に任せる。3日後、答えを聞かせてもらおう」


 ヴァイス様はそういって部屋を後にしていった。

 私は一人部屋の中で声を殺し涙が枯れるまで泣き続けた。



 □□□


「アマンダ、俺もお前にちょうど話したい事があったんだが。話ってなんだ?」


 私は、自分の部屋に彼を呼び出していた。

 彼を私の犠牲になんて出来るわけがない。それが私の答えだった。


「フィルツも? えっと、先に教えてもらえるかな」


 彼が私に改めて話したい内容に想像がつかなかった。


「ずっと、お前に言おうと思ってたんだが。丁度あの戦いが始まったからな。その、言いそびれてたんだが」

「……」

「お前さえよければ……いや違うな、そんな言い方は卑怯か」

「……」

「アマンダ、聞いてくれ」


 彼の真剣な顔を見て、私は涙が出そうになった。

 あぁ、神様どうしてこんなに残酷な仕打ちをするんですか?


「俺と結婚してくれ。アマンダ、愛してる」


 これは私の罪への罰なのですか?


「答えを聞かせてもらえないか?アマンダ」


 今すぐ、はい、と言いたい。

 今すぐ、彼の胸に飛び込んで両手で抱きしめたい。


「ごめん……なさい……」


 こんな事、言いたくない。


「私は、貴方の事、そんな風に……思えないから」


 嫌だ、こんなの嫌だ。


「私にとって……貴方はあの状況から……抜け出す為にちょうどよかったから……」


 聞かないで。こんな言葉。お願い、フィルツ。


「この際、はっきりさせましょう……。私は貴方を利用してただけ。……もううんざりなの」


 あぁ、そんな顔をしないで。お願い、私のせいで悲しまないで。


「お前、何言って……」

「出てって! もう、私に構わないで」

「おぃ、アマンダ! 急にどうして――」


私は彼を無理やり部屋から追い出す。

しばらくの間、彼がドアを叩く音が響いた。

私は唇をかみしめながら、必至にドアを抑える。

ドアの叩く音は次第に小さくなり、そしてドアの向こうから彼が私に向かって話かけてきた。


「お前は俺の事をそう思ってたのかよ! 俺ひとりバカみたいじゃねぇか。くそぅ……」


 違う!


「兄貴から王都に新しく出来た研究所にこないかって誘われてる。お前が俺と顔も合わせたくないなら、俺はお前の前から消えるやる」


 嫌……


「さよなら、アマンダ」


 フィルツの足音が遠ざかった後、私は延々と泣き続けた。

 涙はとっくに枯れていたと思っていたのに、とまる事なく流れ続けた。


 そして私は、誰よりも愛した人を失った。



 その2週間後。

 王都の私の家が何者かの襲撃を受け、両親と弟が惨殺された事を聞いた。


 □□□


 あの日から、12年の月日が過ぎた。

 まだ10代だった私の思いは、私の罪で全てが無残に散ってしまった。


 やさしかった両親も

 私にずっとついてきていた弟も

 そして、愛した人との時間も


 私はすべてを失ってしまった。


 ずっとそう思っていた。

 だから、あの人の言葉が真実だと縋りたかった。

 12年前と同じように、私の部屋の窓の外に黒猫が現れ、そして首輪のソケットには1枚のメモが入っていた。




 ・お前の弟は生きている。会わせてほしければ、指示のとおりにしろ



 私の時間は、ずっと止まったままだった。

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