アマンダ=リューベル1
私の家は、王都フェルセンで小さな店をやっていた。
主に、冒険家の人を相手に携帯食料やバックパック、皮袋などの必需品から、ランタンやロープなどの探索に必要となるものを専門で扱う店で、小さいながらも結構な数の冒険者の人達が足繁く通ってくれるような店だった。
店はおじいちゃんの頃からこの王都フェルセンでやっていて、お父さんで2代目だ。
冒険家の人達は、いつもお父さんやお母さんに「いい店だ」「安いし、欲しい時に欲しいものがあって助かるよ」と言って喜んでくれていた。
そんなうちの店に、時々冒険者っぽくない男の人が、お父さんを訪ねてやって来る。
冒険者の人達は私や弟のフレッドが店番をしていると、優しく話しかけてくれていた。
でも、その人はいつもすごく冷たい目で私達を見ていた。
「الحصول على مزيد من المعلومات حول الملك؟」
その男の人が話す言葉は、私には何を言っているか全然解らなかった。
自分には理解出来ない事を話すこの人を、私はすごく怖いと感じていた。
でも、それ以上に私を不安にさせたのは、お父さんも私には解らない言葉でしゃべっていた事だった。
「هل الوكيل موافق؟」
「نجحت في التسلل」
戸の隙間からお父さんとその男の人を覗き見ていた私に、弟のフレッドが不安そうに話しかける。
「おねぇちゃん、お父さん達何しゃべってるの?」
「しっ!フレッド、静かにして」
ガタッ
突然、男の人がこちらに振り返り、力いっぱい戸を開いた。
「きゃっ!」
私はその勢いでそのまま部屋に転がりこんでしまう。
男の人は冷たい目で私を睨みつけた。怖い! どうしてそんな目で私を見るの?
「アマンダ! 何をしてるんだ!وهذه هي ابنتي. أن يغفر لنا، يرجى.」
「お父さん! 何を言っているか解らないよ! 怖いよ。嫌だよぉ」
私が泣き出したのを見て、お父さんは慌てて私を抱いて宥めてくれた。
「キョウハ……モドル。マタ……タノム」
男の人はたどたどしい言葉でお父さんにそう言うと、雨が降る夜の街に消えて行った。
お父さんは私をぎゅっと抱いて「すまないアマンダ」と言いながら、頭を撫でてくれた。
よくわからない不安が、私の心を締め付け続けていた。
□□□
私に魔術の才能がある事がわかったのは、私が12歳の頃だった。
「アマンダちゃんはいい感応してるね。もしかしたら魔術の才能があるかもしれないわ」
いつも店に来てくれていた冒険家パーティの中に魔術師の女性がいて、その人が私の店にガラスの玉がないかを聞きに来ていた。
どうも、魔導というものに使うらしい。お父さんは店の倉庫にいくらかあるから取りに行くと言って席をはずしていた。
『ガラスの玉って何に使うんですか?』
何気ない気持ちで聞いた私の言葉を、彼女は優しく教えてくれる。
『ガラスの玉に魔素、うーん魔法の素かな、それを集めるのよ。いざというときは閉じ込めた魔素を使えば、そこにその属性の魔素が無くても魔術が使えるの』
『魔法の素? 属性?』
『うーん、そうだなぁ。ちょっと手を出してもらえるかな』
私は彼女に言われるまま、自分の腕を差し出した。
すると彼女は両手で私の手をとり、目を瞑って呪文のようなものを唱えはじめた。
『この地に漂う優しき風よ、大気のオドよ、転き換ぜよ……」
その途端、私は腕に優しい風の流れを感じた。
『すごい、腕の周りに見えない風の妖精がいるみたい!』
『へぇ、まだ魔術になっていない状態でそこまで感じられるなんて。アマンダちゃんはいい感応してるね』
いままで、冴えなかった私の人生がなんだかその時、認められたような気がしてすごく嬉しかった。
私は彼女に言われた事をそのままお父さんとお母さんに話した。
自分に特別な力がある事が嬉しくて、黙っていられなくなったのだ。
だが、お父さんとお母さんの反応は私が思っていたものとは違っていた。
「貴方、どうしましょう」
「あぁ、今晩にでも彼が来るだろうから、その時にでも話してみる」
彼とは、あの冷たい目をする男の人だろうか。
どうして、私の事を話さなければいけないんだろう。
その時の私はまだ、何も知らされていなかった。
翌日、お父さんから私の王都の学院への編入手続きが終わった事を聞いた。
昨日のうちに話がまとまり、その日のうちに手続きを済ませたらしい。
王都の学院!
すごい! 小さな冒険家専門の店の娘の私が貴族の人達が通う学院に通う事ができるのだ。
私は嬉しくて舞い上がっていた。だから、お父さんもお母さんも一緒に喜んでくれるものと思っていた。
でも、お父さんもお母さんも沈んだ顔で私を抱きしめる。
「すまない、アマンダ」
「ごめんね」
どうして私に謝るんだろう。むしろ私はお父さんとお母さんのお陰で、王都の学院という夢のような場所に行くことが出来るんだ。感謝する事はあっても、謝られる事なんてない!
「ううん、ありがとう。お父さん、お母さん。学院でがんばるね!」
喜ぶ私の顔を見て、お父さんとお母さんが余計に辛そうな顔をしている理由が分からなかった。
□□□
ギヴェン王国には、いろんな国々から間者が入り込んでいた。
アレクシス=ファーランド国王が他国の移民に対して、寛容すぎた事が災いしたのだろう。
移民を厳しく取り調べないその方針は、国を内側から徐々に蝕んでいた。
私のおじいちゃんのシュゼル=リューベルも、そんな移民の一人としてこの国にやって来ていた。
その時の私は、間者とか移民だとか、そういう話は私には関係の無い事だと思っていた。
当時の私にとっては、そんな事よりももっと重要な問題があった。
それは、自分にあると思っていた魔術の才能が、本当は欠片も見当たらなかった事だった。
学院に入学後、思うように魔術師としての才能が開かなかった私は、まわりの生徒から落ちこぼれの烙印を受けていた。
同じように才能がなかったクリスやカルロと私はいつも一緒にいた。
そうしないと、自分の心が壊れてしまいそうで、どうしようも無かったからだ。
「カルロはさ、学院を出たらどうするの?」
「俺かぁ。うーん、力仕事は嫌いじゃないし村に帰って、畑でも耕すかな」
男の人は、いざとなっても働く口があってうらやましい。
私はどうなるんだろう。
お父さんやお母さんは私を優しく受け入れてくれるだろうか。
『お父さん、お母さん。学院でがんばるね!』
学院に入る前、私はお父さんとお母さんに言った言葉。
それが今、私を縛り付けていた。がんばらないといけない。がんばらないと……
「アマンダ? 大丈夫?」
クリスが心配そうに私の顔を覗き込む。いけない、友達に心配をかけるなんて。
「大丈夫よ、ちょっと最近疲れててさ」
「気をつけなよ。最近、あんた、根をつめてる見たいに見えるし」
根をつめるのは当然だ。このまま行けば私は折角学院に入れたのに、何も残せはしないんだ。
お父さんやお母さんに嫌な思いはさせたくない。
「そんな事ないよ。うん大丈夫。ちょっとお手洗い行って来るね」
今の自分の顔を見られたくなかった。私は教室を出て当ても無く走りだす。
誰か私を助けてよ。ここから私を救いだしてよ。もう嫌だよ。
そんな思いが私の中に膨らんできてしまう。
だから、目を瞑って走った。何も見たくなかった。
「痛っ!」
「おぃ! どこに目をつけてんだ!」
廊下で同じ中等部の男達とぶつかった。
男の一人が私の胸倉をつかんで言い放つ。
「てめぇ、アマンダ=リューベルか。魔術の才能もなければ、まっすぐ前みて歩く事さえ出来ねぇのかよ。ほんとどうしようもねぇ、落ちこぼれだな、お前。もうここにいる必要ねぇだろ?さっさと消えろよ」
彼の言葉が胸に突き刺さる。私は必要とされていない人間なのか。
どうしてここまで言われなければいけないんだろう。もう嫌だ。帰りたい。でもどこに?
「おぃ、聞いてるのか? あぁ?」
「……」
「そのぐらいにしとけよ、こんなのの相手してても時間の無駄だぜ?」
もう、やめよう。涙が止め処なく溢れ出してくる。
才能もない自分がこんな所に来ていいはずはなかったんだ。
「わかりました。私はもう学院を……」
「おぃおぃ、男が2人がかりで女の胸倉つかんで脅しとか、流石にかっこわるすぎだろ」
私の言葉を、ぶっきらぼうな言葉がさえぎった。
「お前、フィルツ=オルストイ……」
「フィルツ=オルストイ先輩な? 一応、これでも高等部だからな」
フィルツ=オルストイ。学院高等部魔術課で最も優れた魔術の才能を持つ人。
私がずっとあこがれていた人だ。
彼の兄、ヴァイス=オルストイは19歳という若さで、王国魔術師団の部隊長に任命された程の才覚の持ち主だ。
そして、彼はその兄ヴァイスを超える逸材として学院だけではなく、魔術師団長からも期待されている人だった。そんな彼が、私を庇ってくれている。理由はわからなかったけど、不器用な彼の優しさが少し嬉しかった。
「ちっ! くそ、行こうぜ」
「おぃ、まてよ!」
私の胸倉をつかんでいた手を離し、男達は廊下の向こうに去っていく。
「ありがとうございます。助けていただいて」
「いや、別に。ただまぁ、可愛い後輩がむさっくるしい奴らに苛められてるの見てんのが嫌だっただけだしな」
そういって彼は、照れながら頬を掻いていた。
(思っていたより、ずっと親しみ易い人なんだな)
私はさっきまで沈んでいた気持ちが嘘のように、軽くなったのを感じた。
「まぁ、あれだ。悩み事とかあったなら、俺でよかったら聞くぜ。女性の頼みはどんな事があっても聞けってのが死んだじぃちゃんの遺言だしな!」
「お前のご祖父とは昨日あったばかりじゃないか。何を言っているんだ」
私とフィルツ先輩が話しているところに、高等部の制服を着た長身の男性が間に入ってくる。
ウィリアム=マリノ先輩。
マリノ侯爵家の跡取りの方で、高等部剣術課ではその類稀な剣術で、彼の従兄のウォルター=マリノ先輩と学院の双璧とうたわれている人物だ。
そんな雲の上の人が、いま私の目の前にいる。
「あ、あの……」
私は緊張して、まともに挨拶ができなかった。
「あぁ、はじめまして。俺はウィリアム=マリノ。ここにいるフィルツ=オルストイとは腐れ縁って奴でね。君がこいつに唆かされているんじゃないかと思って、注意しようと思ったんだ。えっと、君は……」
「アマンダ=リューベルです! 中等部魔術課2年です! よろしくお願いします、マリノ先輩!」
私はちゃんと挨拶できているだろうか。
緊張でまともにしゃべれているか不安になる。
「あぁ、よろしく。リューベルさん。こいつの事は知ってるよね?」
「あ、はい! オルストイ先輩は有名ですから……。その、色々と」
彼の武勇伝は中等部まで流れてきている。
教室が暑いと言い出し、魔術で氷漬けにしたニブルヘイム事件
自分達に絡んで来た上級生を、鉄魔術で閉じ込めて、その上火あぶりにしたファラリスの雄牛事件
剣術課の男子を、風魔術で空に打ち上げた逆バンジー事件
どれもこれも、普通の魔術師では実現が困難な事ばかりだった。
それをいとも簡単にやってのけてしまう彼は、やぱり私のような落ちこぼれとは違い、魔術の才に溢れた人なんだろう。
「こいつの悪名は高等部に収まらないか。まったくしょうがない奴だな」
「うるせぇ。俺は優しい事で有名なだけで、悪名云々じゃねぇ」
確かに、オルストイ先輩は優しいと、一部の生徒が声高々に言っているのを知っている。
何よりも彼の数々の武勇伝はすべて、自分の為ではなく誰かの為に行っているものだったからだ。
ニブルヘルム事件は、熱中症で倒れそうな生徒の為
ファラリスの雄牛事件は彼だけではなく、彼のまわりの生徒が嫌がらせを受けた為
逆バンシー事件は剣術課の生徒が臆病な生徒に悪ふざけで、屋上からのバンシージャンプを強要した為
彼はそれらの事件を「見ていてイラっとしたからやった」と言いのけたらしい。
教員達もまわりの生徒からその状況を聞いており、かつ兄ヴァイス=オルストイよりも卓越したその魔術の才能のため、彼を強く咎める事は無かった。
『ただの気まぐれだ』
いつも、彼が私に言っていた言葉だった。
だから、たぶんこの時、私を助けてくれたのもただの気まぐれだったんだろう。
でもそんな彼の気まぐれが、暗い闇に沈んでいくように苦しかった私の心を、救い出してくれていた。
学院の年齢設定は
10歳~12歳 初等部
13歳~14歳 中等部
15歳~16歳 高等部
になります。
あと、途中の言葉はアラビア語です。グーグル先生は偉大です。