魂狂い
野戦施設地下室。
3人の男達は、1体の獣の亡骸を前に黙り込んでいた。
野戦演習中、領軍第2軍が遭遇したその獣は、生が潰えるまでの短い間に、領軍兵1名を重傷、2名を軽傷にするという惨事を産み出していた。演習中の遭遇という事もあり、この事は一部の人間達以外には黙秘されている。
慌てて、マリノ邸からやって来たウィリアムの口から、ヴァイスはその件について聞く事になる。この地に来る前に、耳にしていた不穏な報せと、その獣の件がどうにも繋がっているように思えたヴァイスは、詳細の確認の為ウィリアムと弟のフィルツと共にこの場を訪れていた。
「これが、森に居たのか」
「ええ、うちの第2軍が処理しました。しかし、これは何ですか?」
ウィリアムは獣の亡骸を、剣の鞘先を使って器用にひっくり返す。
獣は一見、狼のような風貌をしていた。
だが狼よりも2回りは大きく、何より狼とは決定的に異なる点があった。
「風貌は狼のようにも見えるが、こいつには何故、角が生えているんだ?」
そう、獣の額には3本の角が生えていた。
「フィルツ、どうだ。」
ヴァイスは、それまで黙って獣を調べていた弟のフィルツに尋ねる。
「あぁ兄貴。こいつは魂狂いだ。間違いない」
「そうか……」
フィルツの答えは、ヴァイスが考えていた中で、最悪に近いものであった。
「どういう事ですか? 魔術師団長」
「マリノ卿、これは魂狂い。魂を淀んだ精霊に狂わされた哀れな獣の末路だ」
戦場で死んだ人間の魂は、天に昇る事もできずに縛られ淀み歪む。
そして最後には、その地に生きる物達の魂までも穢してゆく。
穢された魂は魄までも歪めてしまい、結果、その姿を妖へと変貌させる。
それが魂狂いの正体だ。
彼らは憎み妬み続ける。自分以外のすべての魂を。
「だが、これまでこの森には出ないはずだったんだがな」
フィルツは不思議そうに首を傾げる。
ベイルファーストの森は、ある種の聖域とされていた。
この森は多くの戦死者達の血を吸っているにも関わらず、魂狂いや屍食鬼が現れる事はなかった。
しかし今、これまで姿を見せてなかった魂狂いが現れたのだ。
「フィルツ。お前はどう考える」
「あぁ、たぶん兄貴と同じだ」
フィルツも同じ答えにたどり着くか……。
「魔術師団長、教えていただけますか?」
ヴァイスは白髪交じりの髪をかき、ウィリアムに説明する。
「あぁ、マリノ卿。この獣は普通の獣ではない。これは人の手で産み出されたものだ」
「人の手で?」
ウィリアムは改めてその獣の姿を凝視する。
野生の獣の範疇を超えたその姿は、もはや魔獣と呼ぶに相応しいものであった。
「ウィル。俺が研究所でやっていた事を覚えているか?」
「あぁ確か、戦場で用いることが可能な複合魔獣の開発だろ。禁呪まがいのな」
フィルツはその優れた知性をいかすため、国が用意したキメラ研究を行う施設に勤めていた。目的は戦争で兵器として実用が可能な複合魔獣の開発だった。
「禁呪まがいは余計だ。まぁ、研究は元になる素体をベースに用いて進められていた。そのベースってのがこの魂狂いだ」
フィルツは獣の亡骸を指差して言う。
「魂狂いは、魂を歪められる事で、魄までもが魂に引きづられて変貌したものだ。魔獣を産み出すならば、この方法が一番効率的だ。下手に外科的な複合術を用いると、素体は拒絶反応を示し始める。それでは兵器としての転用は不可能だ。だが、魂に魄が引きずられて変貌する場合は、自身による変貌である為、拒絶反応を示す事はない」
人の枠を超えた業。
ギヴェン王国はそれを公然と行っている。それは来べき日の為。
王国の存在を脅かす、存在を駆逐するその時の為に。
「この研究は王国のみで行われていた訳ではない。実際、オウスも同様の研究を進めていると情報を得ている」
ヴァイスはそう言い、獣の亡骸を一瞥する。
「これを見るに、研究を進めているではなく、ある程度成果が出ていると考えるべきか」
「あぁ、そうだな兄貴。少なくとも、こいつはギヴェンの人間を襲った。あいつらは魂狂いを作り出し制御する術を手に入れたんだ」
フィルツの言葉には看過できないものがあった。
オウスが我が国に先んじ兵器開発を進めている言っているのだ。
「一度、陛下にお伺いせねばなるまい」
「そうですね。ですが……これで終わりますか?」
懸念されるのはそこだ。
今回は1匹だけであった。
だが、オウスがこの獣を放った理由は?
「あぁ、終わらねぇだろうな。これは実地試験だ。しかも相手は因縁のベイルファースト領軍ときている。俺なら次は十数体は動員して、どれほどの戦力になるか調べるな。そういう理由で、下手に魔獣らしいものじゃなく、獣に近い姿のものを使ってるんだろう。人の手の入った魔獣を使ってれば、自分達の事を宣伝してるようなもんだからな」
近いうちに魂狂い達の襲撃がやってくる。
たった1匹に1000名を超える領軍第2軍が当たり、1名重傷、2名軽傷出す程の魔物。
それが十数体となると、下手をすれば幾人かの死傷者を出す可能性もある。
「まずいなフィル。お前なら何時襲う?」
「そうだな。俺なら1匹目が潰されたのを確認したら、その日のうちに残りを投入するだろうな。相手にわざわざ時間を与えて、防御を固めさせる必要はねぇ。それに初日の今なら、領軍もまとまっちゃいねぇ」
「つまり、何時襲撃がきてもおかしくは……」
その時、階段を降り、地下室に近づく足音が聞こえた。
「大変です指令!! 第6軍より報告がありました! 魔物の群れが出現。現在、第5軍と交戦中! 至急応援を求むと事です」
「やはり来たか」
その報告を聞きフィルツは顔を青くする。
「やべぇぞ、ウィル。第5軍にはジニーとヴァインがいる!」
「なんだと!フィル、どういうことだ!」
「とにかく急げウィル! 兄貴も!」
俺達は階段を上り、急ぎ魔物の潜む森を目指した。
□□□
「ヴァイン。これでも水魔術は弱いって思う?」
ジニーは息を切らしながら、俺に自慢げ笑いそう言った。
目の前に広がる惨状を見れば、俺にもその魔術の恐ろしさが理解できた。
「ヴァインなら、私より維持も誘導も上手だし、もっとすごい魔術を産み出せるわ!」
すごい魔術? 今お前が使ったものが、どれほどの魔術か分かっているのか?
「ジニー、お前は一体何者なんだ……」
なぜ、そんな発想が出来るんだ。
俺には、いや親父にも他のどんな魔術師にも、そんな発想は出来ないだろう。
「そうね、私はヴァージニア=マリノ。マリノ侯爵家の長女で――」
ジニーはそんな俺の問いに、笑顔で答える。
「――そして、ヴァイン、あなたの友達よ。今も、これからもずっとね!」
胸が締め付けられる気がした。
俺はずっとこいつが嫌いだった。
だけど、こいつは俺と同じように魔導ばかりの日々を過ごし、魔術に真摯に向かっていて、そして俺と同じように魔術が大好きで、それでこいつは――
(俺の友達だ)
「どうしたの? あぁ、もしかして私の言葉に感動して泣いてるの?」
「んなわけねぇだろ! 俺もやってみっから付き合えよ、ジニー! 友達なんだろ!」
俺は潤んだ目を見られないように、慌てて辺りに散らばった皮袋を拾い集める。
「うん!」
何が嬉しいのか、ジニーは笑顔で俺と一緒に皮袋を拾い始める。
《うわぁぁ!》
その時、遠くで叫び声が響いた。
「なんだ?」
「さぁ。行ってみる?」
嫌な予感がする。
「待て、ジニー。様子が変だ。動かないほうがいい」
「でも……ねぇ、ヴァイン。あれは……何?」
ジニーが指差す先には一匹の獣の姿があった。
小馬程の大きさがあるその獣は、図鑑に載っていた狼という生物に非常よく似た姿をしていた。
そして、その頭には、3本の角が生えていた。