4-3 露天風呂をつくろうと思います
俺があいつを初めて見たのは殿下のお茶会だった。
『これまで信じてきたお方が、自分達の言葉を全く信じていただけない、そんな臣下の悲しみを!』
殿下に対して一歩も引かないその姿に、俺は目が離せなかった。
だから余計に、腹が立った。
自分には出来ない事を、当然のようにやり遂げる女。
『兵士の方は、引きずってでも全員をホールから連れ出しなさい!』
「おい、行くぞヴァイン」
「……あぁ分かった、ドライ」
その上、あいつは
『大丈夫よ、私こう見えて、魔導には結構自信があるから』
天才魔術師フィルツの弟子。
俺には無いすべてを持ったあいつが、俺は……
『精霊に身をやつしてもなお、殿下のお傍に居続けていらっしゃったのがその証拠です』
『あぁ、そうだな。……ありがとう……ヴァージニア嬢』
……大嫌いだった。
□□□
諸兄姉は、露天風呂を作った事があるだろうか?
実際に土に穴を掘って、そこにお湯を張っただけの物を、露天風呂と言い張れる人がどれほどいるだろう。
少なくとも私はそれを露天風呂とは絶対に認めない。
では、どうすべきなのか?
ただ穴を掘るだけでは周りの土壌が脆弱なままである為、水を入れれば簡単に崩れだす。
結果、湯は濁り汚れ、入ったとしても心からリラックスできる代物にはならないだろう。
それを補うため本来なら木枠を嵌め、その上にライナーなどを敷く事で、水質を一定以上のレベルに維持する必要がある。
また、それだけではない。
露天風呂で重要になるのは加熱循環とろ過および排水だ。
単純にお湯を張っただけでは露天風呂はすぐに温度が下がってしまう。その為、加熱循環は必須だ。
それだけではない、ろ過を行わなければ水質はどんどん劣悪なものとなるし、最終的に排水ができなければ、ただの汚水池になってしまう。
露天風呂は軽い気持ちで作れるものではないのだ。
だが、乙女ゲームでは……
「師匠、穴をほった後、どうするんですか?」
「あぁ、土魔術で土を圧縮し、炎魔術で表面を焼き固める」
「お湯は?」
「水魔術で水を練成し、炎魔術で加熱する」
「……保温は?」
「さめたら魔術で暖めろ」
「……。」
大体魔術でなんとかなりそうであった。
「なんだ、お前。露天風呂作りたいんじゃなかったのか?」
「……いえ、ちょっと思うところがありまして」
万能すぎるだろ魔術!
とはいえ、師匠の話では少なくとも4種類の魔術が必要となる。
穴堀り、硬化、水練成、過熱。
これらすべてを行う事を考えれば、魔術が万能だからといって、簡単に出来るものではない。
「よし、まずは穴掘りだ。ジニー、穴を掘るにはどうすればいいか分かるか?」
「えっと、地面にオドを働きかけて、土を移動させるとかでしょうか」
「それは普通の魔導の範囲を超えている。転換魔術の領域だ。土のような本質に移動性がないものを魔導で移動させるという事は、対象をオドに変質させ、その上でオドを転換し発現し直すという事になる。お前がやろうとしているのは、燃え上がる炎を純粋な熱に変えて消し去るのと同じだ」
確かに土に働きかけるという事は、実際にある土に自分の志向に従わせる事を意味する。その為には土自体を、オドまで変転しなければならない。
「答えは2つある。1つは物理的な力で土を吹き飛ばす。まぁ風魔術の領域になるな。もう1つは土自体の構成を変える事だ。土というものはその嵩に対する重さが水の2倍以下で構成されている。このあたりなら1.5倍ぐらいか。それに対し岩石は水の2.5倍から3.5倍程度で構成されている。土のオドを用いて土自体の嵩に対する重さを調整する。そうすることで、土の量を減らし固めることができる」
師匠が言っているのは比重の話だろう。
たとえば2mの高さに積み上げた土の比重を、1.5から2.5になるまで圧縮することが出来れば、土の高さはそれだけで1.2mになる。
「土を変質させるなら、オド変転を用いるのと同じ事ではないのですか?」
「それは発想が間違っている。土の嵩を変える為に行う事は、土の本質変化ではない。中に含まれる水と空気を抜く事だ。土の中には水が3割から、多いものでは倍程含まれている。空気にいたっては倍以上だ。それを抜く事で土は固まる。これは、土自体の本質を変えているわけではない。わかるな?」
魔導ではその物自体の本質を、大きく変える事はできない。
それをしようと思うなら変転を行う必要がある。
魔術は万能かと思ったが、世界の法則に大きく縛られていることを再認識した。
「よし、とりあえず水を抜いてみろ。お前の場合は炎魔術で熱を使うほうが楽かもしれんが、ここは水魔術を使え」
熱で一気に土の中の水を、蒸発させてやろうかと思ったが、先回りされた。
しかたがない。感応を高め水の魔素を集める。
体内に取り込み、水のオドへと転換する。
「水の本質は流動と変化。水は流れ落ち、固まり、大気を満たす」
水への認識を明確化させる。
そこにある水自体の本質を変化させるなら、変転をしなければならない。
土の中に含まれる水分は固まった氷でも大気に混じる水蒸気でもない。
そこにあるのは流れ落ちる水そのものだ。ならば流動の本質を強く内在している。
流動させる方向は上へ。
私は体の中のオドで誘導し働きかける。
「水のオドよ転き換ぜよ、我が命に答え、流れ導き、動き従え! 【流動】!」
身体から転換した水のオドと一緒に内在オドが抜けていく。
そして地面から水が滲み出る。
水はやがて流れそして溢れだす。その光景はまるで、液状化現象のようだ。
流れ出た水はそのまま離れた場所まで誘導し、そこで地面に泥濘を作っていく。
「うむ、悪くない。いい魔術だ。その魔術を使えば、実践で相手を泥濘に捕らえる事も出来るかもしれん」
なるほど、こうした魔術も実践で十分に用いる事が出来るのか。
重要なのは、物事に対する理解を如何に深められるか、そして得られた内容を如何に応用できるかという事だろう。
今までの凝り固まった魔術への認識が、少しだけほぐれていく気がした。
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「おい、見たか今の!」
「いきなり水が湧き出したぞ。あれは魔術か? あんな小さい子がやったのか」
「おいおい、俺の娘より小さいぞ」
野戦演習の準備の為、拠点にやって来た領軍兵士達は、目の前の光景に驚愕した。
年端も行かない少女が、地面から大量の水を湧き出させ、広範囲に泥濘を作り出したのだ。
「おう、お前ら来たか」
「ウォルター副指令。あれは何ですか?」
ウォルターは笑みを含み答える。
「あれは、俺の姪っ子だ。すごいだろ?」
ウォルター自身も内心驚いてはいた。
だが、あのフィルツがジニーの事を弟子だと言い放ったのだ。
実力が無い相手にそこまで言う奴ではない。
「姪っ子って事は、ウィリアム司令の娘さん?!」
「え、あの子が? そんな子がどうしてこんなとこにいるんですか!」
ここはベイルファーストの森の奥深く、少なくとも貴族のお嬢様が遊びに来るような所ではない。
その上、大人顔負けの魔術を使っているのだ。
不思議に思っても無理はない。
「あぁ、なんでもいいが、お前らあの子に下手な真似するんじゃないぞ。司令の娘さんってだけじゃなく、あの子は俺の弟子にもなるんだからな!」
「はぁ?!」
「とにかく、お前ら。荷物を置いたら、さっさと手伝ってやれ。あと飯の準備も始めろよ」
「了解しました!」
兵士達は荷物を馬車から降ろし、建屋へと運び始める。
途中、ジニーに挨拶する者が何人も現れたが、その都度フィルツに邪魔者扱いされ追い払われている。
「っぷ。弟子馬鹿すぎるだろ。あいつ」
友人の驚くべき変化に、自然と笑みがこぼれる。
「こりゃ、今回は楽しくなるかもな」
今回の野戦演習はいつもと違った何かが起きるかもしれない。
ウォルターは自身の中に沸き起こる興奮を、隠す事が出来なかった。