3章 エピローグ
王宮の奥深くに、ごく限られた身分の者以外には、その存在さえ知られていない部屋があった。王室特別管理室-通称、特管室と呼ばれるその部屋は、国王ボイル=ファーランドと彼の側近達の手によって、公には対処し難い事柄に対する議論の場として用意されたものである。
元は先王が女官との秘め事のために用意した場所であったが、ボイル国王の手によって無用と一蹴され、現在は特管室として利用されていた。
ボイル国王は手元の書類に眉を顰め、重い口を開いた。
「では、今回の件はオウスが一枚噛んでいたということだな」
「は、それに関しては裏づけが取れております」
王国執政官フェルダー=クロイスは額に冷や汗を滲ませながら報告書の内容を説明した。
「今回の封剣暴走事件に於いて、合計3名の人間を捕縛しております。うち1名の部屋からはオウス公国語で書かれた密書が発見されました」
「密書には何がかかれておったのだ?」
これまで、黙って王国騎士団長アゼル=オーガストが口を挟んだ。
「書かれていたのは2点。1つは行動を指示した内容が、もう1つは天仙子と呼ばれる野草の使用方法について書かれていました」
「天仙子?」
フェルダー執政官は別の報告書を取り出しテーブルに置く。
「こちらが天仙子に関する報告書となります」
「なんだ、毒ではないか」
「あぁ、毒だ。だがこれは、魔術師の修練に用いるもので比較的容易に手に入る」
アゼル騎士団長の言葉に答えたのは王国魔術師団長ヴァイス=オルストイ。
「天仙子は酒精で抽出すれば、魔素感応を阻害する薬剤となる。これを薄めて用いる事で感応修練を行っている」
「おぃ、ヴァイス。それってつまり……」
アゼル騎士団長の顔に焦燥が浮かぶ。
「アゼル、お前の予想通りだ。今回の件で魔素循環不良による被害者が数名出たと報告にあったが、それはこの毒によるものだ」
ヴァイス魔術師団長の言葉にアゼル騎士団長は表情を曇らす。ボイル国王は報告書をつかみ上げ、乱暴にページをめくっていく。
「ここまで堂々と策謀をかけてくるとは、オウスはよっぽど我が国が憎いという事か」
残忍な笑みを浮かべ、ボイル国王は報告書を投げ捨てる。
「これだけではあるまい! 少なくともアインを暴走させた給仕の死と、厩舎から奪われた馬について報告しろ」
「はっ!」
フェルダー執政官の顔は真っ青だ。
それもそうだろう。給仕の死も、厩舎の馬もそのどちらも未だに曖昧な情報しか得られていないのだ。
「給仕の件でございますが、亡くなったのはヒルダ=バーギット。死因は服毒死です。バーギット男爵家の三女で、3ヶ月前より給仕として王城に勤めておりました。ヒルダの友人のカーラ=リンダースによると、ヒルダは非常に前向きな性格であり毒を飲むなど、彼女らしくない行動と申しております。ただ、ヒルダの周りには数日前から男の影が見え隠れしており、カーラによればその男に唆され、今回の行為に及んだのではないかとの事です」
「その男を目撃した者はいるのか?」
「いえ、給仕達の中で見た者はおらぬと……」
「おかしいではないか! ではどうして、男の影を見る事が出来るというのだ!」
アゼル騎士団長はフェルダー執政官を強く言い攻める。
「それは、ヒルダ自身が『自分はその男に見初められ、近いうちに給仕の仕事を辞める』と漏らしていたようでして……」
「つまりは、誰もその男が、本当に存在するかどうかを確かめてはおらぬという事ではないか!」
「は、そのとおりでございます」
その答えにアゼル騎士団長だけではなく、ヴァイス魔術団長、そしてボイル国王に至るまでうんざりした顔をした。
「フェルダーよ、厩舎の件はどうなっておる」
「そちらに関しましては、詰めておりました兵達が『馬の嘶く声は聞いたが、誰の姿も見えず気がつけば馬は盗まれていた』と申しておりまして……」
「それでは、何も分かっておらぬのと同じではないか!」
特官室にアゼル騎士団長の声が響く。ファルダー執政官の顔色は更に青に染まってしまう。
「アゼルよ、そのぐらいにせよ」
「はッ!」
ボイル国王に諌められ、アゼル騎士団長を席に着く。
「だが、これではまるで狐にで摘まれたようではないか。そうは思わんかフェルダー?」
「は、誠に遺憾ではありますが……」
王宮内の犯罪の取り締まりに関してはフェルダー執政官の管轄となっている。アゼル騎士団長としては、自分ならばもっとうまく対処できたと考えているのだろう。フェルダー執政官を見る目が厳しいものとなっていた。
だが、今回の件に関してフェルダー執政官を攻めるのはあまりにも不憫であった。彼らに知る術はなかったが、ヒルダの死も、厩舎の馬もそのどちらもが高位の魔術師の手で行われた策謀であった。ただの執政官であるフェルダーには、その手がかりのほんの欠片でさえ、見つける事は出来ないだろう。
「フェルダーよ、引き続きこの件を取り調べよ。オウスへの報復は、フェルダーの結果如何をもって判断するものとする」
「「ハッ!」」
ボイル国王にとって、今回の件は頭が痛い内容が多かった。だが、興味深い内容が無かったわけではなかった。
「さて、ヴァイスよ。今回の件で俺の耳に『バラ園の奇跡』という言葉が入ってきてるのだが、心当たりは無いか?」
ヴァイスは動揺を隠す事ができなかった。
(やはり、王は『バラ園の奇跡』と私の関係性を問うてきたか……)
それを話してしまえば、弟フィルツとその弟子であるヴァージニア=マリノについて、王に説明しなければならなくなる。そうなれば王は必ず、彼女に関心を示す事になるだろう。だがその結果として、弟は彼女を攫い他国へと亡命するような、最悪の事態を招きかねない。
(いや、あいつなら絶対そうする)
弟であるフィルツ=オルストイは自分に素直すぎる男だ。その弟が自分と同じぐらい大事に思っている弟子を、はいどうぞと王に差し出すはずがない。強引な手に出れば、それこそ弟はいかなる手段を使ってでも彼女を守り通すだろう。
(それこそ取り返しがつかない事態になりかねん……)
ヴァイスは意を決し、ボイル国王の問いに答える。
「申し訳御座いません。私にはそれが何を意味しているか分かりかねます」
「ほぅ、お前がそう言うか。面白い」
ボイル国王は猛禽のような鋭い眼光でヴァイスを睨み付ける。
「まぁよい、今は自由にさせるが最良かもしれん。下手に刺激をすれば王国の魔導の俊邁だけではなく、王国の盾までもその忠義を失いかねんからな!」
口角を上げ、ボイル国王は楽しげに笑う。
(やはり、王にばれているではないか! フィルツ、頼むから自重してくれ……)
ヴァイスは兄の気を知らずに自由気ままな人生を謳歌する弟を呪った。
□□□
「ジニー! 今度絶対リズと一緒に、ベイルファーストに遊びに行くね! 待ってて!」
ナターシャは私に抱きつきながらそう言った。
「うん待ってるわ、ナータ! リズもまた会いましょ!」
「うん、ジニー。ナータと一緒に行くから待っててね」
リーゼロッテは私のスカートを手でぎゅっと握り、瞳をうるわせてそういった。
あれから、私達は互いに愛称で呼び会える程に友情を分かち合う事が出来た。まぁ、あのホールで私が彼女達を呼び捨てにした事から『今更、様付けだとこそばゆい』という事が原因ではあったのだが。だがそれでも、お互いに愛称で呼び合えるようになった事で、二人との距離が縮まったのは確かだ。
今回の王都来訪は、私にとって心底大変で忘れてしまいたいと思える事ばかりではあったが、彼女達と出会いはそれを払拭してしまう程に、私の心を満たしてくれた。
(ほんと、攻略対象者って馬鹿だよな。こんな可愛い子達を振ってしまうんだから)
私はほうっておけば、今にもにやけ出しそうな顔を抑えるのに必死だった。
「そういえば、アイン殿下もジニーに会いたいって言っていたわ。あれから会ってないの?」
「うん。まぁ、学院に通うようになったら嫌でも会うだろうし、いいんじゃないかな」
今回、婚約云々という話にはならなかったが、出来る限りは今後もアイン殿下とは関わらない方がいいだろう。
「ふーん。もしかすると玉の輿に乗れるかもしれないのに?」
「ないない。大体そんなの、息苦しくて私には耐えられる気がしないわ」
ゲームの事がなくても王族とはこれっきりにしたい所である。
「ジニー、そろそろ出発するから馬車に乗りなさい」
お父様が私にそうおっしゃる。
「分かりました。じゃぁね、ナータ、リズ。ベイルファーストで待ってるね!」
「うん、ジニー。絶対に行くから待っててね!」
「またね、ジニー!」
私は馬車に乗り込む。
ゆっくりと動き出す馬車の窓から乗り出し、私は大事な友人に手を振り続けた。
彼女達の姿が見えなくなるまで、ずっとずっと……。
□□□
窓からマリノ家の馬車が王城を出て行くのが見える。
「いいのか、行ってしまうぞ?」
隣で同じように窓の外を見つていた兄上が僕に尋ねる。
「そういう兄上は、行かれなくてよかったんですか?」
「彼女と俺では7つも違う。それに彼女に対しては感謝の気持ちはあっても、そういう気持ちじゃないだろ?」
兄上はそういいながら優しく笑われた。
「そうですね、兄上」
彼女のおかげで僕らは救われた。
終わる事が無いと思っていた母上への贖罪は、たった一度の奇跡によってすべて償わてしまった。
あの『バラの奇跡』は僕と兄上を縛り続けていた封剣の呪いを打ち砕き、そして母上の愛の言葉を僕らに届けてくれた。
ヴァージニア=マリノ嬢が僕らに与えてくれた奇跡が、どれほど僕ら2人を救ってくれたのかを、多分彼女が知る事は無いだろう。
「だがなアイン。5年後に彼女が学院に入学する為、再び王都を訪れた時は、どうなるか分からぬぞ」
兄上はにやりと笑みを浮かべ、僕を挑発する。
「その時は僕と彼女は、同じ学院の同級生ですよ。兄上」
僕も兄上に笑みを飛ばす。
僕らの未来は何も決まってはいない。
「いいだろう。その時が楽しみだよ。弟よ」
「うん、兄さん」
そうだ、僕らの物語はまだ始まったばかりなんだ。