炎の薔薇
「ここは……?」
私は見慣れぬベットの上で目を覚ました。
「確か、【光輝】を変転しようとして……ぐっ!」
左腕に強い疼激が走る。
目をやると、左腕は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
(痛みがあるなら、まだましか)
火傷は酷くなれば、神経まで壊死するため痛みを感じない。【光線】喰らってこの程度で済んだ事に感謝する。
ゆっくりと、ホールでの出来事を思い出す。
変転の途中、私は3発目の【光線】を回避するすべを持たず、迫りくる死を覚悟していた。その時、私の前にあの方が現れ、そして私を救って下さった。だがそのせいで、彼女の存在は今夜中にでも消えてしまうだろう。
「……急がないと」
私はベットから身を起こし、辺りを見渡した。状況的に考えれば、ここは王城の客室だろうか。サイドテーブルに私宛のメモが見つかる。手に取ると師匠の文字でこう書かれていた。
『安静にしていろ。
フィルツ』
師匠も王城に来ていたのか……。
そういえば、もともと師匠は王城の研究室に勤めていたはずだ。もしかすると、研究に関する用でこちらに来ていたのかもしれない。
「左腕の治療……師匠がしてくれたのかな……」
あの師匠にそんな甲斐性なんてあるわけがない。でも、そう思うと少しだけ左腕の痛みが引いた気がした。私は師匠のメモをテーブルに置き、部屋の扉を開けて廊下に出た。師匠には申し訳ないが、私にはまだやらなければいけない事が残っている。
(まだ何も終わっていない)
そう、まだ何も終わっていないのだ。
彼女が消え去る前に、私は彼に彼女の思いを伝えなければならない。
感応の力に全神経を集中する。
私の中の在る彼女の力の残滓を頼りに、あの暖かな炎を全力で探す。
(……見つけた!)
弱々しい反応ではあったが、確かにあの炎の熱を感じる。方角からして、王城の中庭だろう。私は急ぎその場へと向かう。途中、幾人かの兵士達とすれ違い、止まるよう言われるが無視して私は走り抜けた。
急がなければ、彼女の時間はもう残り少ないのだ。建屋から飛び出し、中庭を目指す。
息を切らしながら、私はバラ園に足を踏み入れた。暗闇を照らす満月の光の下で、色とりどりのバラの花達は美しく咲き乱れ、まるで幻想境のような世界を作り出していた。
そして、一際、美しく誇るオレンジのバラの傍に彼らはいた。
「……すまない、アイン。僕はお前にずっと謝らなければいけなかったったんだ。なのに、小さな少女に言われるまで、その勇気すら持ち合わせていなかった。この愚かな兄を許してくれとは言わない。でも、お前を化け物といった事だけは謝らせてくれないか」
フォルカス殿下の声は震えていた。だが、その言葉には嘘偽りない弟への真摯な思いが詰まっているように思えた。
「兄上……。僕は兄上を愚かだなんて思ったりはしません。兄上がおっしゃったとおり、僕は母上を殺した化け物だから……」
アイン殿下は今にも泣き出しそうな顔でそう答えた。
「違う! 母上が亡くなったのはお前のせいじゃない! アイン、自分を責める必要なんて無いんだ」
「無理です兄上。今でも目を瞑れば、僕はあの日の夜を思い出してしまう。僕のせいでゆっくりと死んでいく母上ただじっと見ている事しかできなかった……」
アイン殿下の目から涙がこぼれ落ちる。
封剣の呪いはこれ程までに彼を傷つけ続けているか。
「アイン。お前のせいではない! 自分を責めるな。母上が亡くなられたのは運命だ!」
「運命? そんな事あるわけがない! 母上はずっとおっしゃっられていた、皆とずっと一緒にいたいって。僕が……僕が母上を殺したから、母上の願いまで壊してしまったんだ!」
あぁ、なんて――
「まったく、お二人は何も理解されてないじゃないですか。いいかげん、見てられませんわ!」
――なんて、愚かしい物語なんだろう。
突然の私の乱入に、二人は呆然としていた。
「お、お前、ヴァージニア嬢。何故ここに! いや、それよりなんだその物言いは!」
「ヴァージニア嬢、流石にそれは僕らに対して不敬だと思うよ?」
兄弟そろって私を非難する。なんだ、こんな時だけは仲がいい兄弟のようじゃないか。
「私が不敬かどうかに関しては、もうしばしお待ち下さい。そのまえに、この美しいバラの園で、今一時の幻想を殿下達にご覧頂きたく思いますわ!」
「君はいきなり、何を言いだしているんだ……」
「おぃ、いい加減に……」
二人の手が私に伸びる前に、体内のオドをかき集める。
私はずっと感じ続けていた。
殿下達の傍で今にも消えそうになりながら、それでも最後の時まで傍らで見守り続けようとする優しき炎を揺らぎを。
(絶対に届けてみせる!)
貴女の愛したすべてをお守りすると誓った。
だから貴女を思い、傷つき涙する彼らのお心もお守りしましょう。
忌まわしき封剣の呪いから!
体中のオドを媒体に、炎の魔素に呼びかける。
「大気にたゆたう力の息吹よ、世界を包む根源の力よ。我が願いに答え、今こそ集え炎の子らよ!」
大量の炎の魔素がバラ園を包みこみ、渦巻きながら彼女へと集まっていく。数多の小さな炎の欠片が、まるで生きているかのように舞踊り、美しきバラの花へと具象化していく。
「なんだ、これは……」
「炎の……バラ?」
殿下達はその幻想的な光景に息を飲んでいる。
魔素は美しき精霊へと昇華を果たしていく。
だがそれだけでは彼女の声は届かない。
(精霊からあるべき姿に昇華する!)
この魔術は、私の魔導の限界を超えている。
その証拠に体内のオドは今にも枯渇しそうな勢いだ。
(ならば生み出せばいい!)
彼女の力を借りて【光輝】を変転した時、私には気づいた事があった。転換魔術のオドが不足した場合、外部からオドを取り込むことで不足分を補う事ができる。では、もし転換魔術を行いながら、オドを生成できるならばどうだろう?
それを使えば、不足分のオドを補う事がではないだろうか。
(問題は、転換魔術とオド転換を同時に行う事ができるかどうか)
魔導は、魔素を、魂の型にそって循環しオドへと転換させる。
このため、1つの魂に対して1種類の魔導しか用いる事は出来ない。
だがもし、魂が2つならどうだろう。
それぞれの魂を用いて別の魔導を行うことができるのではないか?
私は魔素転換を用いながら、自らの魂に触れる。
炎のように燃え盛り煌く魂
水のように流れ揺らめく魂
2つの魂に触れ、そして感じる。
あぁ、これが私の本質だ
ヴァージニア=マリノ本来の魂と杜 霧守の記憶を持つ魂
2つの魂に触れ私は自分の存在を理解する。
(魔素よ、廻れ、循環せよ。転き換じオドと成せ)
大気中の魔素が吸収され、体内のオドを増大する
四肢には力が溢れ、体中の細胞が活性化していく
そのままオドを足りなかった魔素転換へと誘う
転換の光はさらに輝きを増し、炎のバラは艶やかなその姿を変えていく
「これは……、精霊か?」
「いや、もっと暖かな、これは……」
バラの花達は集まり、ひとつの燃え盛る炎の塊となった後、ゆっくりとその姿を変えていく。
そして炎の中に、一人の女性の姿が浮かびあがった
燃え広がる髪をなびかせたその女性は、美しく儚げでありながらも、まるで聖女のように優しく彼らに微笑みかけていた。
《あぁ、フォルカス……アイン……私の愛しい子供たちよ》
「は……母上?!」
「そんな、これは……」
2人は呆然とした表情で彼女を見つめる。
《フォルカス……貴方には謝らねばなりません。ずっと貴方を独りにしてしまった……》
「この声は……母上……」
《貴方が寂しい思いをしている時に、貴方の傍にいることが出来なかったこの母を許して……》
「そんなこと!僕は……!」
《アイン……貴方にはずっと辛い思いばかりさせてしまったわ》
「そんなこと、僕のせいで母上は……」
《貴方が私の死に対して、罪の意識を感じ続ける事を私はずっと辛く思っていました》
「そんな。だって僕は……」
《貴方を産んで、貴方に出会えて、私がどれほど幸福だったか、貴方に伝えたかった。愛しているわ、アイン》
「母上……」
《愛しているわ、いとしい我が子達。たとえこの魂が大気に溶けても、ずっと貴方達の幸せを祈り続けているわ……》
炎はゆっくりと夜の闇へと溶けていった。
《……ありがとう……小さき魔術師の娘よ……》
二人の殿下は涙を流し嗚咽をもらしつづけた。
□□□
炎が消えた後も、2人はずっと立ち尽くしていた。
「封剣の守護は、いかなる精霊や魔素もすべて喰らい尽くしてしまいます。にもかかわらず、貴方の傍にはずっとエリーゼ様が見守っておられました」
アイン殿下はゆっくりと私に振り返る。
「アイン殿下、エリーゼ様は貴方をずっと愛しておられましたわ。精霊に身をやつしてもなお、殿下のお傍に居続けていらっしゃったのがその証拠です」
「あぁ、そうだな。ありがとう……ヴァージニア嬢」
そういってアイン殿下は、私に笑いかけて下さった。
フォルカス殿下とアイン殿下はその後しばらくの間、2人でオレンジ色のバラの花を見つめていた。
そこには、言い争っていた時のようは悲しみや憤りはなく、ただ穏やかで優しい時間だけが流れていた。