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1-2 蓋をしようと思います

 

『旦那様、お嬢様が目を覚まされました!』


 目覚めるとそこは見た事もない部屋のベットの上だった。

 部屋に並ぶ調度品の数々がどこか中世の貴族の部屋を思い出させ、少なくとも俺の知るような場所ではない事だけは理解出来た。


 体を起こそうと四肢に力を込めるが、思ったように身体を動かす事が出来ない。

 思った以上にあの爆発で、身体中打ち付けらたのだろうか?

 だがそれにしては、手足に痛みなどを感じたりしない。もしかすると麻酔がまだ効いてるのかもしれない。


 そういえば、榊と田村は無事だろうか。

 気を失う前に見た爆発の規模からすると、あのタイミングで逃げ出したあいつらさえ巻き込まれた可能性が高い。

 まぁ、直撃を受けた俺が生きているんだ、あいつらもきっと無事だろう。


『ジニー、 聞こえるか? ジニー!』


 貴族のような服装の外国人の男が先程から、大声で喚きたてている。年は30代前半だろうか。神経質そうな表情はしてはいるが、かなりの美丈夫だ。周りには、執事風の男やメイド姿の女性が並んで立っており、その中に一際美しい金髪の美女の姿があった。


 (医療関係者か何か……いや日本人の医者がいない病院なんて日本にあるだろうか)


 室内には日本人らしき姿が一切見当たらなかった。

 彼らの言葉はよく聞くと日本語ではなく、独特のイントネーションを持った外国語である事が判った。響きから英語やドイツ語ではない事はなんとなく理解出来る。だが何語か判らないはずの彼らの言葉の意味が、おぼろげではあるが俺が理解出来る事を不思議に思った。


(日本語じゃないよな。なぜ俺に彼らの言葉の意味がなんとなく解るんだ?)


 しばらく考えを巡らせて見るが答えは導き出せず、この件はひとまず置いておく事にした。


「まずは他の人達に連絡をとって、俺が無事なのを知らせないと……ん?」


 あれ、俺の声おかしくね? なんだか妙に高いし、事故で変なガスでも吸い込んでしまったのだろうか?

 あの第二工場にそんなものが置いてあった記憶がない。爆発が起きたのは仮にも化学工場だ。もし、変なガスを吸って喉がやられているなら心配だ。言い知れぬ不安感が、自分の中で大きくなっていくのを感じる。


 ふと周りに目をやると外人達は先程より心配そうな顔で、俺の様子を伺っている。流石に状況を理解出来ていないままいるのはまずい。俺は意を決し執事風の男性に声をかける。


「ここは病院にしては変わった内装ですね。どちらの施設でしょう。○○県内ですか?」


 相変わらず自分の声は甲高く聞こえ、非常に気持ちが悪い。いつになれば直るのだろうか? 直ってもらわないと困る。こんな声だと今後の出会いとか全く期待出来そうにないじゃないか。


 外人達は俺の言葉に狐につままれたよう顔をしたまま互いに顔を見合わせている。なんだか、日本語を理解出来ていないかのようだ。こんな事なら英語をもっと勉強しておくべきだった。


『ジニー? 何を言ってるんだ? 私達にわかる言葉を喋ってくれ……』


 ジニーさん呼んでますよ?

 先ほどから貴族風の男性が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。正直言うと、気味が悪い。

 そこまで心配されると、全く知らない人物であっても申し訳ない気持ちになってくる。もしかすると、彼が私の主治医で経過を知りたいと思って声をかけてくれているのかもしれない。

 それならとりあえず、身体に問題が無い事だけでも伝えるとしよう。


 俺は右手に力を込め持ち上げようとする。うーん、思った以上につらい。こんな調子では今後もリハビリが必要になるかもしれない。今月は仕事(ノルマ)もかなり残っているはずだし、自分が抜けると榊や田村に迷惑がかかってしまう。そう思い悩んでいると俺の手を貴族風の男性は握りしめる。


『ジニー!』

「……?」


 あれ、俺の腕。何だか短く無いだろうか?

 それ以前に、今更ではあるが体自体に違和感を感じる。


 その時になって、俺は初めて自分がおかしい事を理解し始めていた。

 いや俺自身、本当はその事にずっと以前から気づいていたのかもしれない。

 でもそれを事実と認めれば、きっと自分は正気でいられないだろう。

 それが判っていたから、その事実を直視したくは無かったから、俺はその事を心の奥底でがっちり蓋をしていたのだろう。


「えっと、あれ……嘘だろ」


 シーツを捲り、自分の身体に起きたの異常を確認する。

 日頃の業務で鍛えられ逞しくも見えた自分の身体は、今ではすっかり見る影を失い、まるで子供のように細く儚げで頼りないものに変わっていた。そして以前の俺とか大きく異なる髪の色。目にかかる金色の髪を指に絡め、思いきり引っ張ぱってみる。


「痛っ。俺どうなってんだよ。夢だよなこれ」


 気持ちが悪い

 自分が自分で無くなる違和感

 まるでカフカの毒虫になった男のように

 自分が得体の知れない何かになってしまったという恐怖感が襲う


 割れるように頭が痛む。

 額には冷や汗が流れ、吐き気がとまらない。


『ジニー? 誰かあいつを呼んできてくれ!はやく!』


 喚き散らす貴族風の男。おろおろとする金髪の女性。部屋を飛び出していく執事風の男とメイド姿の女性達。うるさい、静かにしてくれ。


 俺はそのまま意識を手放した。

 次に目が覚めたら病院の白いベットの上で、これが全て夢でありますように。

 

 そう願いながら。


 □□□


 記憶は脳に蓄えられた電気信号の集まりにより形成されるらしい。

 脳内の情報処理機能を担う役割はニューロンが担当しており、神経細胞同士の信号の伝達は、電気信号によって行われ、脳内の記憶情報の処理は神経細胞の電気信号によって担われているらしい。


 人間を人間たらしめる根源である記憶。

 それがただの電気信号のやり取りで作られるだけの存在であるなら、人間っていうのは、思った以上に薄っぺらに出来ているのなのかもしれない。


 でも、そんな電気信号の集合体にすぎない記憶でも、それは彼もしくは彼女として成り立つためには、必要不可欠な要素であるに違いない。


 記憶を失った時、彼や彼女は本当にそれまでのように、同じ彼や彼女のままだと言えるんだろうか?

 記憶こそが、その人の本質である所の魂って奴と同じ物を指し示しているんじゃないだろうか。


 これが、ただの妄言にすぎないってのは解っている。

 今の自分をあの姉が見れば、多分こう言うに違いない。


 ()()()()()()()()()()()()


 あの姉が鬼の首を取ったかのように、そう言うのが目に浮かぶ。


 あぁ俺は今、本当に錯乱している。

 だから、こんな無意味な事まで考えてしまうんだろう。

 無意味と解っていても考えざるをえないんだ。


 そうだ。今の状態を端的に言えば――


杜 霧守(もり そうま)の記憶にヴァージニア=マリノの脳が汚染されたって事だ……』


 暗い部屋の中で、俺の声だけが響きわたっている。

 以前のような、なじみ深い鼻にかかったバリトンではなく、世の汚さを知らないようなソプラノの声。


 頭痛と吐き気に見舞われ、意識を失った俺は、すっかり暗くなった部屋のベットの上で目を覚ました。

 声を上げれば、きっと誰かが駆けつけて来るだろう。だが俺は今、一人になりたかった。


 サイドテーブルに置かれた水瓶の水をコップに注ぎ、ゆっくり口に流す。乾いていた喉が潤され、冷静に思考する余裕が少しだけ産まれるた。あれからかなりの時間がたったに違いない。そのおかげか、頭痛や吐き気はすっかり治まっていた。


 どういった経緯で自分(霜守)彼女(ヴァージニア)の体に入り込んだのかは分からない。

 ただ、頭の中には杜 霧守としての28年の記憶と同時に、ヴァージニア=マリノとしての3年分の記憶が確かに存在している。つまり、(霜守)彼女(ヴァージニア)を完全に乗っ取ったという訳では無く、彼女の脳に俺という人間の記憶が追加で記録されたんじゃないだろうか。


 その上で問題は、自我としての俺の存在。

 何故、彼女に俺としての自我が存在し続けているのだろうか?

 あくまで予測になってしまうが、脳の使用領域の関係じゃないかと考える。もちろん、本当の所は分からない。ただ、(霜守)としての28年分の記憶と、生まれてたった3年の彼女(ヴァージニア)の記憶では、その大半が俺としての記憶で埋め尽くされるだろう。人の性格や考え方は、環境やその記憶の如何によって形成されていく。


 結果、彼女が確立するはずだった自我を、杜 霧守という記憶が新たに記録された事で、本来のものからは大きく変化した自我へと歪んでしまったのではないだろうか。


『……ごめんな』


 今さら彼女に謝ってもしかたがない。

 なぜなら謝っている自分自身がヴァージニアであり、杜 霧守ではないのだ。


 もう【杜 霧守】という人物は存在しない。

 ここにいるのは、記憶を汚染され、自我を醜く歪ませてしまった3歳の少女なのだ。


 彼女が本来送るはずだった人生を、俺は奪ってしまったのかもしれない。

 そう思うと罪悪感が心の奥で広がっていく。

 だが、それと同時に(霜守)としての人生で、失っていったいろんな事が明確に理解されていく。


 家族、同僚、仲間達、そして――


『目を開けてよ杜君。ちょっと、ねぇ、お願いそーま、起きてよぉ……』


 意識が途切れる寸前に見た、あいつの泣き顔。

 あいつとも、もう二度と会えない……。


『……ごめんな』


 ヴァージニアへの謝罪なのか、()()()への謝罪なのか、自分でも分からなかった。ただ、両の目から毀れ落ちる涙が、シーツを濡らし続けていた。


 一人の少女の人生を奪った俺は、大事な人達には別れの言葉さえ告げられず、この訳の分からない世界で、独り生きていくしかないんだと、その時初めて理解したんだ。

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