3-6 走り出そうと思います
「僕じゃない! そんな目で僕を見るな!」
ホールにはアイン殿下が声が響き渡った。
殿下の足元には先ほど床に落ちたグラスの破片が散らかっていた。
ホール内にいた全員の目が、殿下に向けられる。
「封剣の……呪い……」
誰かの囁き声が聞こえる。
声の主を探そうとするが見つからない。
「違う! 呪いじゃない! 僕のせいじゃない!」
「まさか、本当に……」
「いや……だが……」
先ほどの囁きを皮切りに、ホール内にアイン殿下を疑う声が広がる。必死に否定する殿下の姿が余計に周りの不安をかきたてる。それに伴い、まるで呪いの存在が真実であるかのように皆の顔に畏れが広がる。
「おぃ、誰か殿下をお止めしろ……」
「無理に決まってるだろ。下手に動けば不敬となるぞ。それに呪いが……」
何の根拠も無い噂。
だが、集団の意識は完全にアイン殿下の呪いへの畏れに支配されていく。だが、広まるのが早すぎる。これではまるで……
「アイン殿下、落ち着いてくださいませ!」
どうするか判断つかない中、ナターシャがアイン殿下を諫めようと近づく。だが、今の殿下は普通ではない程、興奮していらっしゃる。このままでは何が起きるか分からない。私は、急いでナターシャの元に向かおうした。
「うるさい! 黙れ!」
「きゃっ!」
ナターシャの手は払い、アイン殿下は彼女を押しのける。よろけそうな彼女を、リーゼロッテが支えていた。
「僕は知っているんだ! 僕に近づいておきながら、さっきまでお前達は兄上と話していたんだろう!」
「そんな……確かにフォルカス殿下とお話をする機会をいただきましたが……」
ナターシャ、正直すぎでしょ。流石にそれはタイミングが悪い!
「この、裏切り者が!」
パンッ
アイン殿下の手がナターシャに振るわれる直前で、私はナターシャの前に出ることが出来た。代わりに叩かれた私の頬にじんじんとした痛みが走る。だがそれ以上に、大事な友達を傷つけられそうになった事への怒りが、私を満たす。
「アイン殿下。少しは落ち着いてくださいませ。それでは下の者に示しがつきませんわ」
「う、うるさい! お前に何が分かるんだ!」
「ええ、分かる訳がございません。何故なら、貴方様は王族であるのに対し、我々はたかが臣下にすぎませんわ。それでどうして、いと尊きお方であらせられる殿下のお気持ちを、理解できるでしょうか」
「黙れ!」
「いいえ、黙りませんわ。殿下は我等に殿下の気持ちが分かるかと問われますが、殿下こそ我々の気持ちをご理解できますでしょうか? これまで信じてきたお方が、自分達の言葉を全く信じていただけない、そんな臣下の悲しみを!」
自分でも言い過ぎかもと思うが、殴られる寸前だったナターシャの事を思うと怒りが収まらない。
「唯一殿下のお気持ちを、理解できる方がいらっしゃるとしたら、それは殿下の兄君であるフォルカス殿下を他においていらっしゃいませんわ! そんな事も分からず周りの風評にばかり耳を立て、あたり散らす事しかできない殿下の、なんて幼い事でしょう!」
「お、幼いだと!」
「幼いではありませんか! 封剣の呪い? なんですかその幼稚な戯言は! そんなものが怖くて殿下の臣下が勤まるわけが御座いません! この場にそんな世迷い事を信じる臆病者は一人たりといるわけが御座いません。我等は誇り高きギヴェン王国の民ですわ。ありもしない呪いに怯える弱者が、ギヴェンの民の中にいていいはずがないじゃないですか!」
私の啖呵に周りの人達は呆然としている。そりゃ、そうだろう。言っている私自身が自分の言っている事を理解していない。だが、王国民としての誇り云々が、たった5歳の少女の口から語られたのだ。呪いに怯えていた自分達の言葉を、恥じ省みるには良い機会となっただろう。
「そうだな……ありもしないものに怯えるのはおかしいか」
「……そうね。現に倒れた子達もみんな回復してるみたいですし」
周りの空気が少しだけ和らぐのが感じる。結果的に嫌な空気は、払拭できたかもしれないが、私のこれは……不敬罪かな?
「お前……、僕は王族だぞ? それなのに、僕に啖呵を切るなんて。一体何様なんだよ、お前」
「あら、わたくしとした事が、自己紹介がまだでしたっけ? ヴァージニア=マリノと申しますわ、殿下。以後、お見知りおき下さいませ」
私は飛びっきりの笑顔で殿下の問いに答えてやった。もうここまできたら何でも来いだ。
「……ぷ、あははは。知ってるよ。もう、何か馬鹿馬鹿しくなってきちゃったな」
「それは、よう御座いましたね、殿下。馬鹿馬鹿しいと思えている間は、つまらない事に思い悩む心配もございませんわ」
殿下の怒気が去ったおかげで、周りの空気が弛緩する。あとは、おちついて皆をホールの外に出し、王宮魔術師が今回の原因を調べてくれるだろう。
私は安心し、ナターシャとリーゼロッテに笑顔を向けた。さぞかし怖かったのだろう、彼女達は安心した笑みを浮かべ、私に抱きついてくる。このぐらいの役得はあってもいいよねと思い、彼女達との時間を楽しんだ。
だが、面倒事は簡単に終わってくれなかった。
□□□
「……余計な真似を」
自分の耳に届いた声に驚き、私はあたりを見回す。
(この声は最初に呪いだと騒ぎたてた声か?)
「どうかされました? ヴァージニア様」
先ほど女性の声が聞こえませんでしたか? 私がナターシャにそう言葉をかけようとしたとき、再びホールに悲鳴が響いた。
悲鳴はアイン殿下のすぐそばから発せられたようだった。そしてそこには、眠っているように床に倒れ込んだ給仕の女性の姿があった。
「し、死んでいるぞ」
兵士の一人が彼女の脈を取るが、すでに事切れている。
「殿下?」
周りの人間の意識が給仕に向く中、殿下の様子の変化にいち早く気づいたナターシャは声をかけた。
「……違う。 僕がやったんじゃない。 母上を殺したのは僕じゃない」
まずい。殿下は給仕の死で、エリーゼ様の事をフラッシュバックしてる可能性がある。
「すぐに、殿下をホールの外に……」
「やっぱり、呪いなんだ!」
突然の叫び声が、ホール内に不穏な空気を広げる。
「呪いで死んだの?」
「噓でしょ……嫌っ!」
「やっぱり化け物じゃないか!」
周りから無責任な声があがる。これでは、いつパニックがおきてもおかしくない。そして、それを煽動している人間がいる可能性がある。私がそう考えている矢先、事態はさらに深刻なものへの変化した。
殿下の周りの魔素が急速に失われはじめたのだ。封剣守護者の異変に、封剣の防御機構が働いたのか? だがこれでは、ただの暴走ではないか。
「しっかりしてください、殿下。彼女はただの給仕です」
「僕は、僕は……化け物……」
私達の声は届いていない。このままではまずい。
「皆さん、すぐにここを離れて! 急ぎなさい! 兵士の方は、引きずってでも全員をホールから連れ出しなさい!」
私は声を張り上げ、兵士に指示を飛ばす。兵士達は私の声を聞き、まるで金縛りが解けたかのように動きだした。我先に走り出そうとする人達を、兵士が誘導していく。
「僕が……呪……母上……化け物……」
時がたつにつれ次第に殿下の言葉は、不明瞭なものになっていった。それに反比例するかのように、殿下の身体は白銀色の光に包まれ始める。
「たったあれだけで暴走とか、メンタル弱すぎでしょ」
私は次第に白い光に包まれる封剣守護者に悪態をつく。あの白銀の光には見覚えがある。ゲームで大変お世話になった範囲攻撃魔術【光輝】。発動すれば、多くの人が巻き込まれてしまうだろう。
ホール内の人の誘導は殆ど終わっていた。私の傍にはナターシャとリーゼロッテ以外の姿は見当たらない。自分達も怖いだろうに傍にいようとしてくれる優しい子達。
「ナターシャ! リーゼロッテ! すぐここから離れなさい!」
「でも、ヴァージニア様はどうなされるの!」
「私はアイン殿下をお止めする!」
【光輝】さえ抑えれば、あとは王宮魔術師がなんとかしてくれるだろう。
「そんな、無茶です!」
リーゼロッテは震える手で私の腕を必死に抑えようしてる。ナターシャも心配そうに私を見つめていた。本当にいい子達だ。リーゼロッテの頭をそっとなで腕を解く。
「大丈夫よ、私こう見えて、魔導には結構自信があるから」
「ヴァージニア様……」
「ナターシャ、リーゼロッテをお願い」
「はい……」
ナターシャがリーゼロッテの腕を掴んでホールを出て行く。あとに残るのは私と白銀色の光に包まれた最強の封剣守護者。
「うううううぅうううあああああああああ!」
その瞬間光が弾けた。
床を焦がす匂いが鼻先をかすめる。
単体攻撃魔術【光線】。
高密度の光の力で相手を焼き尽くす魔術。
私はぎりぎりのところ床に転がり光線を交わす。
(止めなければ……)
【光輝】を抑える手はある。オド変転だ。
オド変転を用いて光のオドが白熱線として発現する前に、一気に魔素に還してしまえばいい。だが、オド変転を用いるには至近距離まで近づく必要がある。私はテーブルに載っていた水や果物酒などをありったけ床一面にばら撒いた。
高速魔術である【光線】を至近距離で回避する事は困難だ。【光線】の直撃を受ければ、私の身体は弾け飛び、臓物まで焼き尽くされるだろう。
(なら当たっても身体が弾け飛ばない程度に威力を落とせばいい)
私は体内のオドを活性化し魔導を開始する。
集めるのは炎の魔素。体内に取り込み、炎のオドへと転換する。
「炎の本質は熱と燃焼。熱は大気に伝わり、すべての状態に変化を与える」
炎への認識を明確化させる。
燃え上がる炎ではなく純粋な熱エネルギー、それが求める形
内在オドを呼び水に炎のオドに変性を命じる
手の平から大気に伝わる熱のイメージは120℃
広がる空間は殿下までの距離の10m
「炎のオドよ転き換ぜよ、我が命に従いその姿を現出せよ! 【伝導】!」
身体から転換した炎のオドと一緒に内在オドが抜けていく。大丈夫、このぐらいならまだ問題ない。私はさらに熱から身体を守るために、炎の魔素を集め転換を行う。
魔術を終えたとき、あたり一面は白い蒸気に包まれていた。さぁ、私の身体が弾け飛ぶか、殿下の下にたどり着けるか勝負を始めよう。
私は荒れ狂う光の奔流の中を駆け出した。