3-5 状況確認してみようと思います
「おや、貴女は……」
私達はバラ園を堪能した後、休憩をかねてホールの戻ろうとしていた。その途中、ホールに続く廊下で、執事服を着た青年が私に声をかけてきた。
「ヴァージニア様のお知り合いですか?」
ナターシャが訝しげに私に尋ねる。自家の執事であるなら問題は無いかもしれないが、見ず知らずの男が淑女にいきなり声をかけてくるのなら十分に怪しい。
「いいえ。ですが見た所、王宮の給仕ではないでしょうか」
「あぁ、これは失礼。お嬢様のおっしゃられる通り私はこちらで勤める給仕でございます」
男の喋り方には、まるで演劇のような胡散臭さを感じた。
「では、私達は急ぎますので、これで失礼しますわ」
「いえいえ、こちらこそ急にお声をおかけし、申し訳御座いません」
ナターシャとリーゼロッテは、男の薄気味悪さに、一刻も早くこの場を立ち去りたかったのだろう。軽く会釈をした後、足早に歩き出してしまった。呆気にとられた私が、急いで2人の後を追おうとしたとき、男は私に話しかけてきた。
「いやぁ、君があの二人と仲良くなるなんてね」
「え?」
男は少年のように無邪気な笑みを浮かべながら、私を見定めた。彼の言葉に何か違和感を感じる。この男は私の事を知っているのか?
「ヴァージニア=マリノ嬢。今日、君に会えただけでも、僕にとっては十分な収穫だよ。君がこれからどんな物語を紡ぐのか、じっくりと楽しませてもらいたいな」
「何をおっしゃってますの……?」
この男は危険だ。理性ではなく本能がこの男に対して警鐘を鳴らしている。だいたい師匠のような事を言い出す人間にまともなのはいない!
「あぁ、そう言えばこんな所で油を売っていないで、急いだほうがいいと思うよ。ほら」
その瞬間、ホールから悲鳴があがった。はっとしてホール側の廊下に目をやる。そこには警備の人間がホールの扉を開け、急いで中に入っていくのが見えた。
「貴方は一体……!」
振り返ると先程までそこにいた男の姿は、まるで煙のように消えていたい。狸か狐にでも騙されたような気味悪さを感じる。
「考えるのは後、今は急いで戻らないと!」
私は悲鳴の聞こえたホールへと足を走らせる。
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走り去る少女の背中を、男はその場でじっと見つめている。
ヴァージニア=マリノがこの時期にナターシャ=ミュラーやリーゼロッテ=ヴェーチェルと仲良くしている事は予想外だった。何より彼が知る彼女は、既製品のドレスに袖を通すような女性ではなく、派手な一点ものを好む女性だったはずだ。
「うーん、僕の演出が予想外の所にまで影響を出しちゃったかな?」
まぁ、それはそれで面白い。思わぬ展開があってこそ、ゲームというものは楽しい。
「戯れが過ぎます、シュトリ様」
「ハルファス。折角の宴なんだ、少しぐらい僕も楽しませてもらっていいじゃないか」
背後に現れた軍服の女に男を軽くおどけてみせる。女は呆れた風に表情を顰める。
「こちらの準備は終了しました。シュトリ様の方の首尾はいかがですか?」
「こっちも丁度済ませてきた所さ。しかし、光の封剣守護者は面倒だね。光属性しか効果が無いなんてさ。おかげで調整に時間かかっちゃったよ。流石の僕も、もうへろへろさ」
男はへらへらを笑いながら襟元を緩めた。
「ですが、精神に作用する光属性魔術をご使用できるのは、シュトリ様以外おりませんので」
「皆はもっと認識の幅を広げるべきだと思うよ? 目に見える情報も、脳に存在する光子も、そして電磁波でさえ光属性の本質なんだしね」
女は男の言葉に首を傾げる。幾度かこの男と行動を共にしているが、未だ男が話す内容を理解できない時があった。
「まぁ、魔術師ならもっと心を自由にって意味だよ。じゃ帰ろっか、ハルファス」
「了解です」
執事服の男と軍服の女。
奇妙な組み合わせの男女はゆっくり王城の厩舎へと向かう。嘶く馬の声に違和感を感じながらも、誰一人として2人を止める事はない。それどころか、警備の兵達には、まるで彼らの姿が見えないかのようだった。奪った馬に跨り、すぐ横を通る彼らを認識できる者はいなかった。
王宮から馬を奪うという大胆不敵な事をしておきながら、2人は難なく王門を抜け、郊外向けて馬を進めて行く。
「じゃぁね、ジニーちゃん。また会おうね」
男は小さくなっていく王城を振り返り、独りごちた。
□□□
ホールの中は騒然としていた。
「ナターシャ様、リーゼロッテ様。何があったのですか?」
自分より先にホールについてたはずの2人を見つけ、状況を確認する。
「ヴァージニア様、それが分からないのです。幾人かの方がお倒れになられたご様子で。」
「体調が悪いとおっしゃられる方々も……」
ナターシャが示した場所には、床に蹲っている少年を介護するため、見張りの兵士や給仕が駆けつけている所だった。聞き耳を立てると兵士達の声が聞こえた。
「倒れた方の様態はどうだ?」
「それが……、魔素循環不良のようでして、俺達にはどうする事も」
ホール内の魔素の量はそれほど少ないようには思えない。だが、今は一刻も早く応急処置をしたほうがいいだろう。
「失礼いたします。少し患者の方を拝見させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか?」
患者の介護をしていた兵士達は、急にやってきた少女に困惑している。
「いやしかし、まだ我々も状況確認中でして……」
「わたくしはこう見えてマリノ家の人間です。そのわたくしが見せろと申しているのです。つべこべ言わずそこをおどきなさい!」
こういう場面で権力というものは実に効果的だ。兵士達はしぶしぶながら場所を空けてくれる。
倒れていたのは私と同じぐらいの少女だ。そっと手を取りオドの淀みを確認すると、見た目ほど酷い状態で無い事が分かった。この程度なら私でも応急処置ができる!
私はオド転換を行い、自らのオドを活性化させる。その後、体内のオドをそのまま少女の手を伝い、彼女の体へとゆっくり流し込む。しばらくすると、彼女の顔に赤みが戻ってきた。
患者の回復を目にし、回りの兵士達もほっとした様子だ。だが、他にも患者がいる。兵士達は先ほどとは違い、率先して他の患者へと案内してくれた。幸い、他の患者も症状が軽く、全員の回復の目処がたった。
「ありがとうございます」
兵士のひとりが私に頭を下げてくれる。正直恥ずかしい。この程度の事、師匠ならもっと手際よくやれと叱咤してくるレベルだ。
「い、いえ。とにかくこの方達を落ち着いて休める場所にお連れして下さい。あとは気分が悪い方はもちろん、他の方々もホールの外へお連れされたほうがいいかもしれません」
「了解しました」
私の言葉を受け兵士達はおのおの準備に取り掛かっていく。まずはこの場所から離れたほうがいい。
魔素は十分に存在しているが、魔素循環不良の患者が同時に数名出たのだ。何が起こるか分からない。
「あ、兵士の方。お願いがあります」
「何でしょうか?」
最初に私が患者を見せるように言った兵士だ。
「えっと……」
「マークと申します、侯爵家ご令嬢様」
「ヴァージニアで結構よ。マーク、すぐに王宮魔術師の方にここに来て頂くようにお伝えてして。あと、関係者以外の王城への出入りを極力控えるようにと伝えてちょうだい」
「はっ、了解しました、ヴァージニア様」
とりあえず、後の事は王宮魔術師に任せしよう。ひと段落がつき、私はナターシャとリーゼロッテを探していた。
パリィン!
後ろからガラスが割れる音が聞こる。私は振り返り、音のした場所を確認する。
「僕じゃない! お前ら、そんな目で僕を見るな!」
そこには青い顔をしたアイン殿下が声を張り上げ、呆然と立ち尽くしていた。