3-4 バラ園を覗いてみようと思います
思い出した。
アイン=ファーランド。
光の封剣守護者である彼の命は、母エリーゼ=ファーランドの犠牲の元に存在している。
そのせいで彼は、自身を化け物と卑下し、心を閉ざしていく。
周りの思いを歪んだ形で捉え直視しようとせず、ヒロインが現れるまで空ろな道化のような人生を歩むのだ。
『光の封剣の呪い』
これはエリーゼ様の命を奪っただけではなく、今もアイン殿下を縛り続ける呪縛だ。ヒロインが現れた後でも、殿下が真の意味で救われる事は無いだろう。なぜなら、彼の救いは母エリーゼ=ファーランドに対する贖罪なのだから。亡くなられた相手の贖罪に対して誰が赦しを与えてくれるのか。殿下が贖罪を終える事は、生涯無いだろう。
「ヴァージニア様、大丈夫ですか?」
ナターシャとリーゼロッテが心配そうな顔で、私を覗き込む。
「大丈夫ですわ、ちょっと立ち眩みしただけです。ご心配をおかけして申し訳ありません。 ナターシャ様、リーゼロッテ様」
「いえ、そんなこと御座いませんわ。 でも、もし体調が優れぬようでしたら、ホールに戻られたほうがよろしいのではないでしょうか」
これ以上迷惑はかけれない。何より折角2人が案内してくれているのだ。
ホールに戻るなんてもったいない。
「いいえ、大丈夫ですわ。わたくしこう見えて結構鍛えてますので」
魔導はデスクワークのように見えるかもしれないが、結構な体力を使っている。
8時間以上、毎日休む事なく立ちっぱなしで修練に励んでいるのだ。
立ち仕事をしている諸兄姉なら理解してもらえるんじゃないだろうか。
ずっと立っているだけであっても、体力は結構消耗する。
2年間、過酷な修練を続けてきた私は、そこいらの令嬢と比べれば体力はあるほうだろう。
「え、鍛えて?」
しまった。普通の令嬢は修練なんてしないはず。変に見られる前にごまかさないと。
ジョギング? ウォーキング? いや、貴族がそんな事やってるわけないじゃん!
「ヴァージニア様はそのお年でもうダンスのレッスンをお受けになられてますの?」
「すごいです、ヴァージニア様!」
ダン……ス?
ナターシャとリーゼロッテはすごいと私を褒めちぎっている。
そうか、貴族の教養として舞踏会のためのダンスがあるのか……。
「え、ええ。まだはじめたばかりですが……」
「まぁ!ヴァージニア様でしたらさぞかし素敵に踊られるのでしょうね」
「そ、そんなこと、ございませんわ」
「我が家にもダンスのホールが御座います! 近いうちに、ヴァージニア様を我が家にご招待いたしたいですわ!」
ナターシャは顔を上気させて私の両手を上下に揺さぶった。
あぁ、そういえばゲームの中の彼女って趣味ダンスだっけ……。
マーサ先生にマナーの授業だけじゃなくてダンスの授業も頼む必要がありそうだ。
私と師匠の魔導への探求の道は前途多難である。
□□□
「あら、どなたかいらっしゃいますわ」
先導をしてくれていたナターシャの声に、私とリーゼロッテはあたりを見回した。
赤や白、色とりどりのバラが美しく優雅に咲き誇るその一角に、一際、鮮やかなオレンジ色のバラが咲いていた。
そして、そこにはオレンジのバラを静かに見つめる少年がいた。
「フォルカス殿下?」
「ん?」
まずい、いきなりこちらから声をかけてしまった。下手をすれば不敬ととられかねない。私は急いで謝罪の言葉を口にしようとしたが、それより先にファルカス殿下が口を開かれた。
「あぁ、そういえば今日はアインが茶会を開くと聞いていたな。そうか、君達がアインの……」
殿下からお声をかけていただいたのならば、流石に名前を名乗らずに退出するのは逆に不敬か。
私は、観念してフォルカス殿下に挨拶することにした。
「お初にお目にかかります。ウィリアム=マリノが娘、ヴァージニア=マリノと申します。以後お見知りおき願います。こちらは、ミュラー伯爵家のご息女ナターシャ=ミュラー嬢、そしてこちらはヴェーチェル伯爵家のご息女リーゼロッテ=ヴェーチェル嬢で御座います」
「ナターシャ=ミュラーと申します、お見知りおきくださいませ」
「リ、リーゼロッテ=ヴェーチェルです。よろしくお願いします!」
フォルカス殿下は優しく微笑んで挨拶を受け入れてくれた。
「これはまた、素敵な挨拶をありがとう。フォルカス=ファーランドだ。ははは、そうかしこまらなくてもいい。まぁ、ここは無礼講だと思ってくれ」
第一王子にして王位継承権第一位。フォルカス=ファーランド。たしか今年で御年11歳だったか。まだ少年のあどけなさを残す彼は、思っていたよりずっと友好的な方だった。フォルカス殿下の態度に、ナターシャとリーゼロッテはほっと息を吐いていた。
まさかここでフォルカス殿下をお会いする事になるなんて予想できただろうか。だからこそ、2人が緊張から解放されて気を許してしまった事を咎める事はできない。
「ふーん君は気を緩めないんだね、ヴァージニア嬢。たしか西方守護伯のご息女だったか」
「はい、ウィリアム=マリノはわたくしの父です」
「なるほど、しっかりしているな。王国の盾の娘が天才フィルツ=オルストイの弟子になったと小耳に挟んでいたが、そうか君の事か」
やはり侮れない。最初から私達の事を知ってらっしゃったのだ。
「……よくご存知ですわね。ええ、わたくしは魔導学をフィルツ=オルストイ様に師事しております」
「天才フィルツの弟子がどのような人物なのか、大いに興味があってね。まぁ、冗談が過ぎたね。許してくれるかな、ヴァージニア嬢」
殿下にそう言われれば、断る事なんて出来るはずが無いじゃないか!
「もちろんです、殿下」
「あはは、その顔。ぜんぜん納得してないじゃないか。面白いなぁ君は。アインの友達にこんな子がいるなんてね。予想外だよ」
フォルカス殿下は声を上げてお笑いになられた。笑われたほうはというと、釈然としない空気に包まれている。何より先ほどから、ナターシャとリーゼロッテは何の話かわからず私と殿下をずっと見比べているじゃないか。折角できそうな友達を、こんな事で失ってしまったら、どうしてくれるというのだ!
「ところで殿下。代わりと言っては何ですが、1つお聞きしても宜しいでしょうか?」
ここまで詮索されたのだ。少しぐらい意趣返ししたい。
「あぁいいよ、何だい? 私が答えられる事ならいいんだが。申し訳ないが君の師ほど魔導に詳しくは無いからね」
「……殿下はどうしてこちらに? ずっとそちらのオレンジのバラを見つめておいででしたが。思い出の品か何かで御座いますか?」
これは地雷だ。
ここに来た時に見たフォルカス殿下の表情は、何か思い悩むようだった。このオレンジのバラはフォルカス殿下にとって、非常に重要な意味を持っているに違いない。それは、私のような人間が関わっていい代物では無いだろう事は察せられる。だが、それでも聞きたかった。
(お前の目で何が正しくそして何が間違っているかをじっくり見定めるんだ)
師匠が私に言ってくれた言葉。
今ここで、自分の目で、耳で確かめなければ、私はたぶん間違った答えに辿り着いてしまう。私の眼が真剣なのを察したのか、フォルカス殿下は重い口をお開きになられた。
「このバラはね、母上が大好きだったものなんだ」
「エリーゼ様の……」
「あぁ、母上はこのバラが大好きでね。知ってるかい? オレンジのバラの花言葉」
何だろう。たしか花は色によって意味する言葉が変わるのは知っているが、バラの花言葉なんて赤と白ぐらいしか知らない。
「『絆』でしょうか」
それまで、黙って私達の会話を聞いていたリーゼロッテが、おずおずとしながら答えた。
「そうだね。オレンジのバラの花言葉は『絆』『信頼』そして『幸多かれ』。母上は、このバラを見つめながら、いつも願ってらっしゃった。家族が信頼し合い、そして幸多き日々を送れる事を」
「……殿下」
フォルカス殿下は悲しそうな顔で、オレンジのバラを見つめている。
アイン殿下を化け物と呼び、そして最後には亡き者としようとした第一王子。だがそれは、母を純粋に愛していた少年の、どうしようもない悲しみと憤りが具現化しただけだったのではないか?
「フォルカス殿下は、アイン殿下の事をどう思われていらっしゃるのですか?」
王族に対して、していい質問では決して無い。だが私は知りたかった。フォルカス殿下の本当の思いを。
「質問はひとつだけじゃなかったっけ?」
「申し訳御座いません! もし無礼千万という事でしたら、いかなる処分も甘んじて受ける所存でございます」
「あはは、君は淑女というより騎士のようだね。いやフィルツの弟子だから魔術師かな」
フォルカス殿下は苦笑しながらそうお答え下さった。
「いいよ。君のその覚悟に免じて、僕は君の無礼を許そう」
「ありがとう御座います」
「僕はね、ヴァージニア嬢。アインの事をずっと許す事が出来なかった。だから、母上が大好きだったこのオレンジのバラを見に来る事も避けていたんだ。母上の言葉を思い出してしまうからね」
フォルカス殿下にとってエリーゼ様を死に追いやったのは、アイン殿下である事に変わり無いのであろう。だが、同時にアイン殿下との絆を大事にせよと説いた、エリーゼ様の言葉を守りたいという思いも確かにあるのだ。そしてその2つの思いが鬩ぎ合い、フォルカス殿下をこのバラ園から遠ざけていたのではないだろうか。
「でもね。僕は学院に通うようになって、僕の悲しみや辛さを一緒なって支えてくれる友に出会えた。それまでは母上の死を、アインを憎しむ事で誤魔化していたんだ。大事な母をアインに奪われたと思い込む事で悲しみから逃げていたんだ」
「殿下……」
「僕には一緒に悲しみを受け止めてくれる友が出来たんだ。おかげでこうして、母上の死を受け止めることが出来るようになったんだ」
そういってフォルカス殿下は悲しそうな顔で微笑まれた。
「僕は友のおかげで救われた。でもね、母上の死を悲しんでいたのは僕だけじゃない、アインもだ。アインは一体誰に救われるんだろう。今、誰よりもアインを憎んでいるのは僕なんかじゃない。アイン自身なんじゃないかな……」
「そこまで、お分かりになられていらっしゃるなら、アイン殿下にお声をお掛けになれば!」
「僕じゃ無理なんだよ、ヴァージニア嬢。アインを『化け物』呼ばわりしてしまった僕にはね」
フォルカス殿下は泣き出しそうな顔で私に頭を下げられた。
「僕が言うのはおかしいかもしれない。でもね、できれば君達にはこれからもアインの傍にいてやってほしい。アインを一人にしないでやってほしい。我侭な願いかもしれないけど、僕はアインにも幸せになってもらいたいんだ。母上が大好きだったオレンジのバラの言葉のようにね」
あぁ、フォルカス殿下とアイン殿下は憎しみ合う必要なんてなかったんだ。どうしてこんなに不器用な人達なんだろう。お互いが歩み寄るだけで、ゲームのような不幸は避けられたんじゃないか。
フォルカス殿下が去られた後、ナターシャとリーゼロッテは泣きそうな顔をして私に抱きついてきた。
彼女達も、私と同じように願っているのだろう。どうか、2人の物語がゲームと違った結末を迎えますようにと。
オレンジ色のバラの花言葉が示す、そんな結末を。