8-21 水と光
フェルセン郊外、北西へ延びる旧道への入口。
常日頃は殆ど人が通らないその道に、幾人もの騎兵達が集まっていた。
その多くが近衛騎士隊に所属する者達であった、王国守備兵から派遣された者の姿も見られる。しばらくし、ひと際煌びやかな衣装を纏う騎兵が、騎士達の集う場に現れる。
「報告を!」
「はっ、現在第二の近衛騎士8名が例の馬車を追走しております」
「了解した、第二は僕と一緒に馬車を追う。第一は守備兵と共に、近隣の封鎖を進めよ」
「「はっ!」」
煌びやかな騎兵-アイン王子の指示に騎兵達が一斉に動き出す。
そんな中、ゼクスは慌ててアイン王子に進言する。
「お待ち下さい、殿下自ら追われる必要は御座いません。ここは我らが……」
「黙れ、クロイス。貴様はどういった領分で僕の行動に口出しをしているのか!いつから貴様は王権代理のこの僕よりも偉くなったんだ?言ってみろ!」
「はっ、申し訳御座いません!殿下」
「もういい、貴様は第一と共に周辺の封鎖に努めよ!近衛隊いくぞ」
頭を下げ謝罪するゼクスを一瞥し、アイン王子は近衛騎士達を引き連れ旧道へと走りだす。
道の先で自らを待つ少女の事を考えると、逸る気持ちが抑えきれなかった。
「待っていろ、ヴァージニア。君の心も身体も、そして魂さえ、全部僕のものだ」
アイン王子は口角を歪め暗い笑みを浮かべた。
□□□
「……はぁはぁ」
「うぅ」
口から泡を吹き気絶した馬で旧道は埋めつくされ、投げ出されて騎兵の呻き声が響きわたっていた。目も当てられない惨状が広がる中、ヴァインは冷静に周囲を伺う。
荷馬車を追走していた近衛騎士の最後の一人をヴァインが魔術で気絶させる。
不意に鈍く痛んだ頭に手を当て、旧道の縁に身体を休める為に座り込む。
(魔術を使いすぎたか)
魔術の発動には、周辺に漂う魔素だけではなく、体内の幾ばくかのオドの消耗も必要とされている。一度に8体もの馬と幾人かの騎兵を昏倒させる事は、水の魔術に長けたヴァインでさえかなりの消耗を強いられる荒業だった。
(でも、時間は稼げた)
騎兵の装備から相手が近衛騎士である事をヴァインは理解していた。
近衛騎士はボイル陛下の警護を行う第一と、二人の王子達や他の王族を警護する第二の2隊が存在しており、それぞれ20名前後の数の騎士で構成されている。
この場で無力化した8名の他に、近衛騎士だけでまだ30人程が存在している。
そのすべてが追手として現れるかどうかは分からないが、少なくとも8名だけで追手が終える事はないだろうと、ヴァインは考えていた。
その為、相手の馬を道の真ん中で転倒させ、馬に乗る騎兵も手当が必要だろう状態のまま道に放置している。道に倒れる人や馬を避け、この暗い旧道を追走する事は容易くないだろう。それに加え、【流動】の魔術により、このあたり一帯は泥濘に変貌している。
新たに現れる騎兵の速度を落とし、その上で彼らを各個に撃退する為、ヴァインはこの状況を作りあげていた。そして目論見通り、遠くから騎馬の蹄の音が徐々に大きく聞こえてくる。
旧道を迫りくる騎兵の影を目視し、ヴァインは自らのオドを高めて魔術の詠唱を行う。
「水のオドよ転き換ぜよ。基は汝が所従なり。溢決せしは汝が同胞なり。我が命に従い、己が導け。【抑制】」
ヴァインの【抑制】の魔術は、確実に先行する騎兵の馬を捉えたはずだった。だが、騎兵の目の前で、魔術はまるでかき消されたかのように霧散する。
「まったく酷い惨状だな。これは」
白馬に跨ったアイン王子は泥濘が広がる手前で馬を停め、冷めた目で自らの行く手を阻もうとする相手を見据えていた。
「……アイン殿下」
「水魔術は攻撃魔術の中では2流以下と聞いていたが。流石は封剣守護者という所か」
アイン王子は辺りの状況を確認した後、馬から降りて自らのオドを活性化させる。
「光のオドよ、転き換ぜよ、閃光となりて、我が敵を射抜け【光線】」
前へと突き出した掌が一瞬、激しく輝いたかと思うと、一筋の光線が目の前に広がる泥濘へと向かい迸る。
ジュッウウウ
瞬く間に、泥濘は焼き乾いていき、焼き固められたレンガのように変貌していく。
「これで、問題なさそうだな」
アイン王子は満足げな顔で、自らの魔術がもたらした結果に頷く。
その光景にヴァインは戦慄を禁じ得なかった。少なくとも自分が知る王子は、これほど巧に光魔術を用いる事は出来なかったはずだ。
「殿下、ここは我々が」
王子に追いついた近衛騎士達が次々に、馬から降りて抜刀する。
そんな彼らを王子は、片手を上げて制する。
「お前達では封剣守護者は抑えきれない。僕がこいつの相手をする。お前達は騎乗し馬車を追え」
「で、ですが」
渋る近衛騎士達に王子は声をいらつかせ叱咤する。
「聞こえなかったのか!足手まといだ。せめて、僕の役に立てるように努力ぐらいして見せろ!」
「「はっ!」」
(させるかよ!)
慌てて剣を鞘に納めて騎乗する近衛騎士達に向け、ヴァインはオドを高める。
対象の血の流れを一時止める【抑制】は相手の意識を奪う迄8秒程の時間、状態を維持する必要がある。その為、対象の意識を奪うより先に、魔術に転化した水のオドを霧散されれば先程と同じように、【抑制】は無効化されてしまう。
(【抑制】より速攻性の高い魔術を)
【抑制】とは異なり、対象の命を奪いかねない魔術【大振】を選択する。効果が出る迄にかかる時間は、【抑制】より短いはずだ。流石に対人で用いるのには気が引け、対象を騎士達が跨る馬にのみに絞り、オドを活性化させる。
「周りの者達を昏倒させた魔術を使うつもりか?先ほど僕を狙った魔術なら僕に通じないし、周りにも影響させる事は出来ない」
【大振】は対象の体液を操り振動させ発熱を促す魔術。対象の頭部血管を狙う事で、対象の致命的な影響を及ぼす。
「水のオドよ転き換ぜよ、基は汝が所従なり。我が王命に慄かせよ、水の輩よ、慄き奮えよ、水よオドよ、 振るえ滾れ【大振】!」
ヒヒンッ!!
ブルゥゥゥ!
「な、なんだ!」
「おぃ、どうなってんだ!」
「くそ!!」
途端に馬達は一斉に嘶くと同時に狂ったように暴れ出し、意識を失い崩れ落ちる。
唯一アイン王子の白馬と傍に控えていた騎兵の馬だけが影響を受けず、少し頭を振るだけに留まる。馬を失わず騎乗できた者達も、周りの惨状に取り乱し、自らの馬を落ち着かせるのに精一杯だった。
「お前達は、馬車を追え!急げ!」
馬を落ち着かせた騎兵達はアイン王子の指示に従いヴァインを避け、馬を走らせる。
「ま、待て!」
「お前の相手はこの僕だ!」
走り去ろうとする騎兵に向け魔術を練っていたヴァインに白銀の刃が襲い掛かる。
すんでの所で後ろに下がり剣戟を躱したヴァインであったが、活性化した水のオドは霧散し、魔術は完全に消え失せる。
「ちっ!」
「封剣守護者同志の戦いは、接近戦がものを言う。剣が届く距離では、互いのオドが霧散化し魔術としての形を成さなくなるからだったか。ははは、なるほどシトリーが言う通りだな!」
ヴァインを狙い、右に左にアイン王子の剣戟は振り抜かれる。だが、そのすべてをヴァインはすんでの所で躱し続ける。
ゲームでは、剣士としてドライと競う存在になるヴァインは、ひそかに剣の才能を有していた。だがジニーとの出会いで魔術師への道を諦めなかった事により、ヴァインには剣士として修練を積む時間がなかった。更には、連続して行った魔術の行使により、ヴァイン自身も激しく消耗していた。
そしてしばらくせぬうちに、息を荒げるヴァインの身体には多くの赤く細い線が走り始めていた。
「剣士でもないお前が、僕の剣をこれ程まで躱すのには正直驚いた」
「はぁはぁはぁ……それはどうも」
「だがここまでのようなだ。これで終わりだ!」
アイン王子の剣の背で胴を激しく撃ち抜かれ、ヴァインは大きく後方に弾き飛ばされる。
なんとか受け身を取るヴァインであったが、ついに地に膝をつき肩で息をする。
その様子にアイン王子は剣を下ろし左手を持ち上げた。
それを合図に周りの近衛騎士達は一斉に剣を抜き、ヴァインを取り囲み始める。
オドの活性化もままならぬほど消耗した状態のヴァインなら、例え封剣守護者であっても近衛騎士が遅れをとる事は無いだろう。アイン王子はそう考え、自らの剣を鞘に納める。
「僕はヴァージニアの周りを蠅のようにうろつくお前の存在が、煩わしくて仕方がない。だがシトリーに言わせれば、お前は他の封剣守護者と共に僕がギヴェン王国を……いやこの大陸を手にするのに必要となる駒の一つだそうだ」
値踏みをするかのような目で、ヴァインを見据えるアイン王子を、ヴァインは眉を顰め睨み返す。
「お前の封剣守護者としての力は、王国にとって必要なものだ。気に入らないがお前の命は奪わないでおいてやろう。お前が僕に従うというのなら、お前が入団を望む魔術師団に入る事を許そう。ただし――」
ヴァインの傍へ近いて顔を覗き込み、アイン王子は楽し気な声で言葉を続ける。
「ただし今後一切、お前がヴァージニアに関わる事をすべて禁ずる。それが条件だ。彼女に声をかける事も、見る事も声を聞く事も、頭の中で浮かべる事さえもすべてを禁ずる――」
口角を歪め笑いながら、アイン王子は膝をつくヴァインの髪を掴み顔を無理やり上げさせる。
「なぜならヴァージニアは僕のものだ。彼女のすべてが王権代理であるこの僕の為に用意されたもの。お前が触れていい物なんて一かけらもない、理解したか?さぁ、答えを聞かせてもらおう、ヴァイン=オルストイ。僕に忠誠を誓うかい?」
「……答えは『クソ喰らえ』だ!」
唾を吐きかけるヴァインの顔を、アイン王子は力任せに蹴り上げる。鼻から血を吹き倒れ込むヴァインを、周りの近衛騎士達が抑え込み縛り上げる。
「王国への反逆罪だ、連れていけ!僕はこのまま馬車を追う!」
引き留める近衛騎士達を背に、アイン王子は自らの白馬に跨るとその太腹を強く蹴り一気に走らせた。