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8-20 追手

「マーク、もっとスピードを上げられないか?」


激しく揺れる馬車の荷台。

御者台に向かい、ヴァインはさらに急ぐように指示を投げる。

車軸のきしむ音がなり響き、車体の揺れは更に大きくなる。


すでに想定を超える速度で走っている事はヴァインにも理解できていたが、今は迫る追手との距離を少しでも離しておきたかった。


「これ以上は馬がもたないっスよ。それにあまり揺れるとヴァージニアさんに負担が」

「わかってる!」


荷台で毛布に包まり横になるジニーは、未だ微動だにしていない。魔術で止血は施されているはずだが、例の紫紺の短剣に関しては抜くことも出来ず、そのままにしていた。


(この揺れの中、負担をかけずに短剣を引き抜けるか?)


不得手な治療魔術に加え、追手に追われる不安がヴァインに焦りをもたらす。


「ジニー、少し痛むかもしれないが……」


そっとジニーを覆う毛布を取り除き、彼女の腹部の傷を確かめる。だが――


「短剣が……ない?」


本来あるはずの兇刃は、その禍々しい姿を完全に消失させていた。

腹部の傷も、【抑制】により完全に止血され、わずかに細くその傷跡が残るのみだった。


「……ヴァイン?」

「ジニー!」


ヴァインはそっと腕を伸ばし、薄ら意識を取り戻すジニーの身体をそっと支える。


「ここは……痛!」


身体を起こそうとしたジニーは、腹部の痛みに顔を歪める。


「無理するな、ジニー。止血したし、運よく内臓や血管が傷つく事もなかったけど、完全に傷が癒えた訳じゃないんだから」

「止血?そっか、私……ナータ―に」


腹部に残る感触と、謝り続ける少女の声を思い出し、ジニーは眉をしかめ俯く。


「ナターシャがあんな事をしたのは、ジニーのせいじゃない。きっと俺のせいだ。だから、お前が思い悩む必要なんてないんだ」

「……ヴァイン」


塞ぎ込むジニーを包むように抱き寄せ、彼女の耳元でヴァインは静かにそう囁いた。


「あいつの気持ちを俺は前から知っていたのに、気がつかないふりを続けてた。ずっと一緒にいたいって思える人間が他にいたから。自分の気持ちに嘘をつけなかった。俺はさ、ジニー。お前以外の誰かなんて選べなかった」


きっと自分はひどく無神経な言葉を口にしているだろう。

ヴァインにもそういった自覚はあった。だが、それでもジニーに対し自らの気持ちを偽る事は出来なかった。


「ジニーが俺に前を向く希望を与えてくれたあの時から、お前だけがずっと俺の特別だった。あいつの気持ちに応える事なんて出来ないから、何も知らないふうを装ったまま、誤魔化し続けられたらって思っていたんだ」

「……ヴァイン」

「そんなナターシャの気持ちをシトリーが利用した」

「シトリーが?」

「あぁ。あいつは最初から俺達の敵だった」


『君が断罪される運命にあるのも僕がそう仕向けたんだ』


ジニーの脳裏にシトリー(シュトリ)が自分に向けた言葉が浮かんでいた。


□□□

シュトリはナターシャを誘導し、脱出を妨害しようと画策したのだろうか?


シュトリの行動の意図を考えるが、ジニーにはしっくりとくる答えが見つからなかった。妨害するなら他にいくらでも手段があったはず。にもかかわらず、わざわざナターシャの気持ちを利用する必要性がどこにあったというのだろうか。


「ナターシャの行動はすべて、きっとシトリーが指示したものに違い無い」

「ええ、私もそう思うわ」


ヴァインの言葉にジニーも頷き応える。だが、シュトリの指示があったとしてもナターシャが完全にその指示通りに動いていたかは定かではない。

ジニーを襲った刃が内臓や血管を傷つけなかったのは、単に運がよかっただけの話かもしれない。だがそれでも、ナターシャが本気で自分を殺すつもりだったとジニーは思う事が出来ずにいた。

そうして、ナターシャの背後にちらつくシュトリの影がジニーを冷静にさせていた。

シュトリがナターシャに自分を殺させるつもりであったなら、刃に毒でもしみ込ませるべきであったはず。さらに、暗殺を行うのならば、目立つ色の短剣ではなく黒塗りのダガーでも用いるべきだ。


(そういえば、あの短剣は……ヴァインが抜いてくれた?)


辺りを確認するが、荷台にはそれらしきものは見当たらない。

最後に記憶に残るのは自らの腹部に刀身を埋めた短剣の姿。

ヴァインに確認しようかとジニーが声を出そうとしたその時――


「ヴァインさん、まずい!追手がきたみたいっス!」


――御者台からの声がそれを遮った。


□□□


ヴァインが幕布をめくり、荷馬車の後部を確認する。

月明かりに照らされた旧道の先、荷馬車に迫る勢いで追走する複数の揺らめく影を見つける。荷馬車と影との距離がじりじりと近づいていくのをヴァインは感じた。


「荷馬車じゃ騎兵の速度には勝てないスよ!」

「わかってる、俺が騎兵の数を減らす。マークは荷馬車をそのまま走らせてくれ!」


御者台に向かい声を張り上げつつ、ヴァインは体内のオドを活性化させる。


「水のオドよ転き換ぜよ。基は汝が所従なり。溢決せしは汝が同胞なり。我が命に従い、己が導け。【抑制】(レプレス)!」


迸るオドの奔流が荷馬車を追走する騎兵を包み込む。

次の瞬間、先頭を走っていた騎馬が口から泡を吹き出しし、そのまま激しい土煙を上げ横転する。

泡を吐き倒れる騎馬に乗っていた騎兵は、勢いのまま旧道へ投げ出され、激しく跳ね転がりそのまま動かなくなる。


「ヴァイン、私も……」


荷馬車から身を乗り出し、ヴァインは再び魔術の詠唱を始める。

そんな彼を手伝う為、ジニーは体を起こし声をかけるようとする。

だが、不意に襲う締め付けるような胸の痛みに声を失う。

額に滲み出る汗が、瞳に入り視界をぼやけさせる。


「ジニー!」


騎兵を旧道へ更に投げ出したヴァインは、胸を抑え苦しむジニーの姿に声を荒げる。


「ジニー!おい、しっかりしろジニー!」

「……ヴァイン」


ジニーの悲痛な呻きにヴァインは顔を顰める。

胸を抑え苦しむ少女を抱きしめ、声をかける事しか出来ない自分を、ヴァインは苦く思った。


「ヴァインさん、騎兵がすぐ後ろに!」

「っち!」


馬から荷台の後部に飛び移り、荷台の中に体を引き上げようとしている騎兵の顔面を、ヴァインが勢いよく蹴りつける。騎兵はその勢いのまま旧道を転がり続ける。

少しずつではあるが、騎兵の数をヴァインは確実に減らし続ける。

だが背後から忍び寄る騎兵の数は衰える事を知らず、逆にその数が増すばかりだった。


「ヴァインさん、これ以上は馬達がもちそうにありません!」


悲痛な声が荷台に響きわたる。

このままではいずれ追手に追いつかれ、ジニーは捕まる事になるだろう。

そうなれば、二度と彼女と会う事さえ出来なくなるかもしれない。


「ヴァイン……」


涙を浮かべ胸痛みに堪える少女の姿に、ヴァインは意を決する。

指でそっと彼女の涙をぬぐい、そのまま頬に優しく触れた後、ヴァインはジニーの額にそっと口づけを落とす。


「ヴァイン?」

「悪いジニー。願掛けって奴。元気になったらいくらでも怒ってくれていい」


ジニーの髪を撫で優しく微笑み立ち上がる。


「マーク、俺が時間を稼ぐ。俺に任せて、その間にベイルファースト領までジニーを連れて行ってくれ」

「ヴァインさん?あんた一体何をする気なんスか!」

「マーク、お前だけが頼りだ。頼む」

「……そんなこと言われなくても……くそっ!ちゃんとヴァージニアさんを連れていきます。だからヴァインさんも絶対に追いかけてきて下さいよ!」

「……あぁ」


ガンッ


御者台から悔し気な呻き声と何かを叩きつける鈍い音が荷台にまで響きわたる。

マークが自分に対してこれほどはっきりと感情を示す事はこれまでヴァインは殆ど経験した事がなかった。だからこそ余計に、彼の気持ちをヴァインは感じとる事が出来ていた。


「駄目、お願い」

「大丈夫だ、ジニー。ここでじっとしてるんだ」


国を裏切った封剣守護者を王国はきっと許しはしない。

捕まれば誓約で縛られ、人を殺す為にのみ生かされる道具となるだろう。

その未来を、ジニーは瞳に涙を浮かべ頭を振り激しく否定する。

ヴァインを行かせまいと彼のズボンに手を伸ばし放さないよう必死につかむ。

そんな彼女の手に、ヴァインは自らの手をそっと重ねた後、その手を優しく振りほどいていく。


「ヴァイン、お願い行かないで」

「きっと、フィルツならジニーの事を救ってくれるから」

「いや、やめてお願い」


涙で滲む瞳にヴァインの姿がぼやけ映る。

ヴァインは優しく微笑みを浮かべた後、荷台の端にかけていた手を外し、ゆっくり荷台の外へと体を浮かせる。


「ずっと愛してる。これまでも、これからも」

「ヴァイーン!」


荷台から飛び降りるヴァインの姿はまるでコマ送りのように、後ろに流れ小さくなり……


そして遥か後方に消えて、失せた。

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