8-19 となり
荷台に手をかけ乗り込もうとしていたヴァインの目の端に、紫紺の短剣を手にジニーへと迫るナターシャの姿が捉えられる。
「ジニー!!」
ジニーを襲う紫紺の短剣は禍々しく輝き、少女の腹部へとその刀身を深く埋める。
慌てて駆け出すヴァインにとって、たった数歩の距離が幾倍にも感じられていた。
スローモーションのように崩れ落ちるジニーの姿を、ヴァインは必至に手を伸ばしつかもうと足掻く。
「ナターシャ!お前、何を!!」
「ひぃっ!!……ごめんなさい!ごめんなさい!」
倒れ込み血を流す少女に、謝罪を繰り返すナターシャを腕で引きはがし、ヴァインはジニーの傷を覗き込む。
「ヴァインさん、何かあったんスか?」
御者台から、顔を出したマークは、ヴァインの只ならぬ様子に不信に感じ辺りを伺う。
「マーク!ジニーが刺された!!」
「はぁ?!どういう事っスか!」
慌てて御者台から飛び降りたマークは、そのままかがみこんだ状態の二人の元へ駆け出した。その間にもヴァインはオドを高めてジニーの血流の流れを確認し、彼女の傷の状況を探り続けた。
(大丈夫だ、内臓や大きな血管は傷ついていない)
ジニーの傷の状況が最悪なものではないと事を確認したヴァインは、すぐにオドを練り上げ魔術を発動する。
「水のオドよ転き換ぜよ。基は汝が所従なり。溢決せしは汝が同胞なり。我が命に従い、己が導け。【抑制】!」
オドが魔術へと転じジニーへと流れ込む。流れ込むオドの量に比例し、短剣の刀身から伝わり流れ落ちる血の量は減り、ついには止まる。
「ヴァインさん、ヴァージニアさんは大丈夫なんスか!」
「大丈夫、止血はした。マーク、そちらを持ってくれ。ジニーを荷台へ運び込む」
「本気で言ってるんスか!まだ、ヴァージニアさんのお腹に短剣が刺ささったままじゃないっスか!そんな状態で無理に運ぶなんて――」
「運ぶしかないんだ!」
ヴァインに叫びにマークの言葉が遮られる。
「運ぶしかないだ。ここにすぐ追手が来る。そうなんだろ?ナターシャ!」
ヴァインは未だ震えが止まらぬ様子の赤髪の少女を睨みつけ問いかけた。
その声に一瞬怯んだナターシャだが、すぐに声を強め応える。
「そ、そうよ!ここにはもうすぐ近衛騎士隊の人達がやってくるわ!もうおしまいよ。ジニーはここで彼らに捕まるの!」
「ナターシャさん、何を言ってるんスか?それに、近衛騎士が来るって」
「その女が俺達を売ったんだ、くそ!時間がない。マーク早くそっちを持て」
ヴァインの指示に、マークは慌ててかがみこみ、ジニーを持ち上げる為、彼女の腕の下に自らの腕をゆっくりと通す。
一瞬ぬめりと触れた血の感触に、マークの背筋に一滴の汗が流れ落ちる。
「そっと持ち上げるぞ、せーの……」
「ま、待って!」
突然の声に動きを止めたヴァインは、声の主を睨みつける。
「邪魔をするな!本当ならお前をジニーと同じ目に合わせてやりたい所だが、今はそんな事をしている時間が無い。マーク、いくぞ」
「は、はい」
二人はジニーを支えゆっくりと立ち上がり、馬車の荷台へと歩を進める。
「待ってよ!全部、貴方の為なのよ!」
ナターシャの細い手がヴァインの肩へ掛かり、彼にすがりつくように訴え続ける。
「ジニーを渡さないとヴァイン、貴方もみんなも彼女を逃がした罪に問われる事になる!そんな事になれば、貴方がなりたがっていた魔術師への夢だって潰えちゃう。私は知っているの、貴方がどれだけ魔術師になる事を夢見ていたか、そのためにどんなに頑張っていたか……知っているのよ。私は……ジニーなんかよりもずっと知っているわ!だって貴方を一番に見ていたのは私だもの!ジニーじゃないわ!」
涙を零し、声を上げ叫ぶ少女の手に、ヴァインは手を重ね……そしてゆっくりと振りほどく。
「ヴァイン?!」
「……放してくれ」
「いや、いやよ!どうして?ジニーを逃がせば、貴方は夢の為に頑張ってきた全てを無駄にする事になるわ!もしかすれば、貴方は彼女と同じようにずっと牢獄に入れられてしまうかもしれない。だって、貴方は水の封剣守護者だもの。国を裏切る封剣守護者なんて外に出してもらえなくなるわ!貴方の未来は闇に閉ざされてしまう!」
「放せ!」
「そ、それに、シトリー様が約束してくれたの!」
「……シトリーだと?」
ナターシャの告げた名前に、ヴァインは思わず問い返す。
「ええ、シトリー様よ。ジニーを渡せば、みんなの罪は問わないっておっしゃられたわ。シトリー様はアイン殿下と仲がいいもの。きっとヴァインや、みんなの事を許してくれるように殿下にお願いしてくださるはず。それにジニーは殺されないっておっしゃられてたわ。アイン殿下がジニーを大切にして下さるから殺されないって。だから、ね、ヴァイン。ジニーを彼らに引き渡しましょう。そうすれば、貴方の夢も、みんなも、それにジニーだって。みんな上手くいくから!」
(そうか、あの女が)
ヴァインは自らの記憶にある、シトリーと呼ばれる少女の姿を思い浮かべる。
アイン王子と同じく光の魔術の才を有する少女。
ギヴェンの地下迷宮で彼女の力を初めて目の当たりにした時、ヴァインは驚きを隠せなかった事を今も覚えている。
神に選ばれる存在がいるならば、きっと彼女のような存在ではないだろうか。
自分には無い才能に、ヴァインは嫉妬する事さえ出来ず、明るく微笑む少女の背を呆然と見つめ事しか出来ずにいた。
以前の彼ならば、少女の才に自らを比べ、絶望していたかもしれない。だが、シトリーと同じような輝きを持つ一人の少女とずっと以前から出会っていたヴァインはその事で絶望する事はなかった。『ジニーが自分を必要としてくれるならば』ヴァインの中で輝くその思いは、ヴァインにシトリーという少女の認識を正しくさせた。
シトリーは、何かを隠している。
ヴァインは少女の持ついくつかの不信な点を感じとる事が出来ていた。
シトリーはいつでも自分達に対し、好意的な態度を示していたが、ジニーに対してのみ異様な気配を漂わせる目で見つめる時があった。同じように彼女を見つめ続けていた自分だからこそ、気が付けたのかもしれない。
その為、ヴァインはジニーを救出する際、シトリーに声をかける事はなかった。心のどこかでヴァインが持っていた彼女に対する疑念が、彼女に助力を乞う事を拒んでのだった。
「だから、ヴァイン!ここで近衛騎士さん達を待ちましょう。今ジニーを動かせば、傷が広がるかもしれない。それに、シトリー様がきっといらっしゃられるわ。シトリー様がジニーを看てくださる。そうしてすべてをあの方に委ねれば、きっとうまくいく。そうすればヴァインだって魔術師になれる。きっとシトリー様がアイン殿下に、貴方を魔術師団に加われるよう頼んでくださるわ。そうして魔術師になる貴方を、私は貴方の隣でずっと支え――」
「ナターシャ!」
「は、はい!」
夢見るかのように己が望む未来を語り続ける少女の思考を、ヴァインが途切れさせる。
再び馬車の荷台へと歩き始めたヴァインとマークの姿を、赤髪の少女はただ立ち竦み呆然と見つめる。そうして、二人はジニーをゆっくりと荷台に卸すと、用意されていた毛布で彼女を包みこむ。
「マーク、急ぎ出発だ」
「わかったっス」
荷台の中を隠すように幌の幕紐を解き、布幕を広げる。
我に返ったナターシャは、動きだした荷馬車を追い始める。
「ね、ねぇ待って。待ってよ!ヴァイン!お願い、私の言葉を聞いて!」
「……お前の事を追い詰めたのは、シトリーなんかじゃなく俺かもしれない。でも――」
荷馬車の速度は上がり始め、車軸の音が辺りに鳴り響き始める。
必死に馬車へと走り縋る少女に、ヴァインは言葉を続ける。
「お前が俺の隣で俺を支える未来なんて絶対来る事はない。俺が隣に立ちたいと望むのは、今も昔も――」
荷馬車の車軸の音が言葉の最後を掻き消してしまう。
走る少女にその言葉が伝わったかどうか定かではなかった。
ただ、荷馬車は暗い道を走り続ける。
泣き崩れる赤髪の少女を置き去りにして。