8-18 ごめんなさい
フェルセン郊外の寂れた教会の入口で、ヴァインは身を屈めて聞き耳を立て、辺りを警戒していた。ここまでは仲間との計画通りといっていいだろう。むしろ計画以上に順調に事が運んでいるようですらあった。
「油断大敵……だよな」
ジニーを無事にベイルファースト領まで連れ帰る。だが、その後はどうするべきだろうか。
今も教会の中で着替えの途中だろう少女の事をヴァインは考える。
ジニーにかけられた誓約の呪いは彼女自身の魂が無効化される事を拒んでいる。ならばギヴェン王国から遠く離れた地まで連れて行けばいいのではないだろうか。
ベイルファーストの東、オウス公国を目指しみようか。オウスで冒険者としてジニーと共に生きるのも悪くないだろう。
オウスの更に西、ペレス教国まで足を延ばしたってもいい。ジニーとの旅はきっと楽しいものになるに違いない。
彼女と旅を続け、最後はどこか小さな村で腰を落ち着けるのもいい。ジニーとなら、用心棒紛いの事だってできるだろう。ジニーが望むなら、やった事はないが、畑を耕し、籠を結い、争いや諍いから離れた穏やかな暮らしをしたっていい。ジニーがいれば初めての畑仕事だって自分はきっと楽しくやっていけるだろう。
そんな未来の光景を思いはせ、ヴァインは目を細める。
だが今はまず、無事に王都フェルセンから連れ出す事だけを考えるべきだろう。
ヴァインは何が現れても対処できるよう意識を集中し、ジニーの支度を待ち続けた。
□□□
しばらく後、教会の扉がゆっくりと開いた。
デイジーの準備した衣装を身にまとったジニーが少し恥ずかし気にヴァインの様子を伺う。
「おまたせ。思ったよりちょっと時間がかかっちゃって……」
「い、いや大丈夫」
デイジーの準備した衣装は、彼の好みを刺激しているのか、ヴァインはいつもより顔を赤らめジニーに見惚れていた。
「やっぱり、変だよね。こういう可愛らしい恰好とか、全然似合わないし」
「そ、そんなことない!」
「ぷっ、お世辞でもありがとう」
必死に声を荒げ応えるヴァインの様子が可笑しく、ジニーは思わず吹き出した。
これまでどこか緊張した面持ちだったジニーの砕けた様子に、ヴァインもほおを緩める。
「ここから少し歩く、いけるか?」
「うん……あっ」
これまでの道程の疲れか、それとも慣れない恰好のせいだろうか。数歩歩いた先で、ジニーはよろけ体勢を崩す。その瞬間、ヴァインは躓きそうになるジニーを抱き支える。
「っと、大丈夫か」
「うん、なんとか。ごめんね」
「謝んなくていい。躓きそうになったら俺がこうしていつでも支えるから」
支えられ触れた肌から感じるヴァインの温もりに、ジニーは心に覆う不安が溶けていくかのように感じた。ずっとこの温もりを感じていたい、そう思った矢先、温もりと共にヴァインは離れ遠ざかる。
「あ……」
「ん?」
「なんでもない」
少し不満気なジニーの表情に、ヴァインは首をかしげる。
ヴァインに触れ彼の温もりを少し感じただけで、これほどに安心を感じる事にジニーはお己を恥じていた。
いつからこんなにも脆くなってしまったのだろうかと。
一人で生き残る為、幼い頃から力を磨いてきたつもりだった。
剣も魔法も人並み以上の腕前だという自信があった。
すべては、断罪の未来から抜け出し、一人で生き抜く力を身につける為だった。
だがそれも空しく、国王暗殺の共犯者として罪を問われ、命さえ完全に諦めかけていた。
ヴァイン達の手で、己を飲み込もうとする絶望や不安から救い出されはしたが、再びすべてを失い、一人に戻る事に恐れを感じている自分に気が付いた。
ヴァインから向けられる好意に対し、以前よりもずっと嬉しく感じるようになっている。
だからこそ、優しくされればされる程、彼の思いに依存してしまいそうな自分が嫌になった。
不安な思いを誤魔化す為、ヴァインの気持ちを利用しているだけではないだろうか。
そう考えると自分の不義理さに嫌気がさした。
ヴァインならきっとそんな自分でさえ笑って受け入れてくれるだろう。
だが、自分自身がそんな自分を許せるだろうか?
ジニーは己の中に生まれた思いに葛藤していた。
(それに、王都から逃げてどうするというのか)
ジニーは逃げた先にある不安を感じずにはいられなかった。
自分が逃げれば、きっと家族にも迷惑をかける事になる。逃亡に協力した仲間達もただでは済まないだろう。自分の為に彼らが傷つく事は、ジニーには許せるはずがなかった。
(私一人が犠牲になれば)
そうすれば、周りの人間が罪に問われる事は無いかもしれない。
ジニー自身、これまでの功績から能力目的で生かされ続ける可能性だってある。
「大丈夫か、ジニー。やっぱり少し休んでいくか?」
「大丈夫。行きましょう」
だが、心配気な表情でこちらの様子を伺う少年から離れ、一人で断罪の場に戻るという選択をジニーは出来ずにいた。
戻る事で、改めて罰を受け、命を失う事を恐れていただけかもしれない。
だが、ヴァインから離れたくないという思いが、本当にそれだけが原因かどうか、ジニーには判断ができなかった。
「待て、ジニー。慣れない服にこの夜道だ。せめて手だけでも繋がせてくれ」
「……うん」
伸ばされたヴァインの手を拒めない自身の気持ちについてもまた、ジニーは理解が出来ずにいた。ただ繋いだ手の温もりが、不安な思いを忘れさせてくれるような気がしていた。
□□□
「あの先に、馬車が停まっているはずだ」
ヴァインが指し示した先には、二頭引きの荷馬車が停められていた。
荷台には幌がかぶせてあり、荷台の中が外から見えにくくなっていた。
「さすがに、貴族用の馬車で移動ってわけにはいかないからな」
それでも近づけば、張られている幌や荷台が目新しく、繋がれた馬もまだ若い牝馬だとわかる。緊急で手配した移動手段としては、十分すぎるものだろう。
「マーク!」
「ヴァインさん?」
御者台で頬杖をつきながら欠伸をかいていた男が、ヴァインの声に反応する。
ヴァインの姿に気が付くと男は、軽く手を振り応えた。
「すまないマーク。遅くなった」
「ほんとっスよ。失敗したんじゃないかとひやひやしたっス。でヴァージニアさんは無事救出できたんでか?」
御者台の男マーク=ボゼットはそう言いつつ御者台から飛び降り、辺りを見渡す。
「久しぶりね、マーク。貴方のその恍けた顔をまた見る事が出来てとても嬉しいわ」
「ヴァ―ジニアさん?!ほんとうにご無事で!」
マークはジニーの姿を認めるとあわてて傍に駆け寄る。
「いやぁ、フォルカス殿下の事を聞いた矢先、ヴァージニアさんまで捕まったって聞いて、俺すげー心配したっスよ」
「心配かけてごめんね、マーク」
「とんでもないっスよ!それより何もされてないようでよかったっス」
マークは頭を掻き、嬉しそうにほほ笑む。
出会った時から変わらない彼の態度が、ジニーには嬉しく思えた。
「マーク、誰かこの道を通ったか?」
ヴァインの問いにマークは首を振り応える。
「いやぁ、ここに馬車を停めてもう半日以上たってますけど、まだ誰一人通ってないっスよ。だいたい前王時代のいわくつきのこんな場所を通る人なんて、そうそういないんじゃないっスかね」
「それでもこの道がベイルファースト領まで繋がっている事を知っている人間は多いはずだ。ここに追手が回される可能性も高い。悪いが早めに出発しよう」
ヴァインはそういうと、ジニーの手を引き馬車の荷台へと案内する。だが――
「ジニー!」
「……ナータ?」
その時、少女の声が3人をとめる。
振り返ると、そこには瞳に涙を浮かべ、肩を震わす赤髪の少女の姿があった。
「よかった、無事だったのね」
「ええ、ありがとうナータ」
ナターシャは無事を喜び、ジニーに駆け寄り優しく抱きしめる。
そんな彼女達様子にヴァインとマークは目配せし、二人から少し離れた位置で見守る事にした。
「貴女が捕まってから、私もリズも気が気がじゃなかった。このまま貴女が処刑されるんじゃないかって。だからこうして無事に会えて本当にうれしいわ」
「私もよ、ナータ。貴女にこうしてあえてうれしい」
自分との再開を、涙を流し喜ぶナターシャにジニーの瞳もわずかに濡れていた。
「みんなが、いろいろしてくれたって聞いたわ。本当にありがとう」
「ううん!」
「きっとすごく迷惑をかけたと思う」
「そうね。でもみんな貴女を咎めたりなんてしないはずよ」
ジニーを抱きしめる腕をほどき、ナターシャはジニーの頬に優しく触れながらそう応える。
親友の優しさに、ジニーは胸が熱くなるのを感じる。
「ありがとう、ナータ」
「ジニー、そろそろ出発だ。続きは馬車の中でいいだろ。ナターシャもジニーと一緒に荷台に乗ってくれ」
しばらく様子をうかがっていたヴァインも、二人がおちついたと判断し声をかける。
ヴァインはそのままマークに指示を出し出発の準備を進める。
「ええ、わかったわ。ナータ、早く行きましょ――」
トンッ
ジニーが荷台へと歩きだそうとしたその時、何かがジニーの腹部に当たった気配がし、立ち止まる。
「……ごめんなさい……ジニー、ごめんなさい……」
振り返ると震えた手で涙を流し、繰り返し謝り続ける親友の姿があった。
「え?」
次の瞬間、腹部を襲う焼かれたような痛みに、ジニーは顔をゆがめる。
(刺された?)
腹部には紫紺の刃が突き刺さり真っ赤な血が滴り落ちている。
(どうして)
ジニーはそのままゆっくりと崩れ落ちた。