間話 ハルファス視点
「本当によろしかったのですか?」
黒衣を纏う女性はカップをテーブルに置き、自らの主へと声をかける。
正確には主従ではなく上司と部下の関係の二人だが、オウス公国から遠く離れたこの地では周りの目を欺くため互いに身分を偽り、こうして主従としての関係を維持している。
表情一つ変えず、給仕を続ける黒衣の女――ハルファスの姿を眺めながら、シュトリは、紅茶が注がれたカップに口をつける。
「いいんだ。もともとその為に準備していたんだし」
楽しげな表情でそう答える目の前の少女が一体何を考えているのか。ハルファスには理解できなかった。
シュトリ=ウヴァルに連れられ彼女の同僚達と共に、ギヴェン王国へとやってきてから、すでに2年以上が経過していた。その間、オウス公国では知りえなかったシュトリ=ウヴァル個人に関し、知る機会を得たハルファスだったが、それでもまだ、シュトリ=ウヴァルという人物には理解できない点が多く見られた。
先ほどシュトリが『彼女』に渡した短剣に関してもその一つだった。
ギヴェン王国の地下迷宮でシュトリが手にした『短剣』。
いわゆるアーティファクトと呼ばれる古代遺物であり、容易く人に譲渡できるようなものではない。
その短剣をシュトリはただの少女に手渡した。
ただの少女というには語弊があるかもしれない。美しい赤い髪を持つ少女は、ギヴェン王国でも力を有する貴族の一つミュラー家の出自である。
ギヴェン王国の南に位置するコールコースト領の領主フォンテ=ミュラー伯爵の娘であり、現在はギヴェン王国王立学院にて風儀課に通う生徒。何よりシュトリが執着続ける人物の友人であったはずだ。
学院に生徒として潜入続けるシュトリから、幾度か彼女の名前を聞く事もあったが、ハルファスはそれほど重要な人物という認識は持ち得なかった。
だからこそ、彼女にシュトリがアーティファクトをまるで些細なプレゼントのように気安く少女に手渡した事に驚きを隠せなかった。
「しかし、どうして彼女に?」
「うんまぁ、そうだね……」
ギヴェン王国の地下に隠された遺跡のアーティファクト。
シュトリがその重要性を理解していないはずがない。
だが――
「――でも、彼女に渡す事が、僕が求める結果に一番近づく可能性があるんだ」
「可能性……ですか」
ここではないどこかを見つめ語るシュトリに、ハルファスは不安に似た感情を感じる。
「うん。それを説明するにはまず、あの短剣について説明しなきゃだめだよね。ハルファスもこの国に古くから伝わる7本の封剣に纏わる話を知っているよね」
「ええ、ギヴェンの封剣の呪いに関しては、オウスも他人事ではありませんから」
ギヴェン王国にのみ現れる封剣の守護をうけた英雄達。その裏でもたらされる7つの封剣の呪い。この呪いの影響でギヴェン王国の西に位置するオウス公国は古くから多くの水害にみまわれていた。また、それとはうってかわり北に位置するアイニス共和国は、酷い干ばつの影響で国の多くの地が乾いた死の大地に変貌していた。
「そうだね」
「水の封剣の破壊は、昔からオウスにとっての悲願です。ですが封剣は固い岩【神籠】に守られ、水魔術でしか破壊も出来ず、【神籠】ごと破壊しても数刻せぬうちに別の場所にその存在を移すのみ。埒が明かず、呪いの影響を受けぬギヴェンを攻め土地を奪うより他はございません」
オウス公国、アイニス共和国とギヴェン王国との間の戦争は過去から幾度もわたり繰り返されており、その元をただすと封剣の呪いが原因である事がわかる。
過去にはギヴェン王国、オウス公国、アイニス共和国の3国で協力し、封剣に関して研究がなされた時もあった。しかしながら、一方のみ利を享受される状況で、そのような関係が長くはずはなかった。
「うちはまだしも、アイニスに至ってはもう限界だろうね」
三週間前に開戦されたギヴェン王国とアイニス共和国との戦い。
炎の封剣守護者の暗殺に失敗したアイニス共和国は、肥沃なギヴェンに攻め入る他に残された手は無く、国境の町オクセント郊外で勃発したこの戦いにすべてを賭かけざるを得なかった。
だが、開戦からわずか3日という驚く程の短期で終結したこの戦いは、アイニス共和国の思いむなしく、アイニス側に多くの犠牲を生む結果となった。
「ええ。しかしながら、我がオウスも他人事ではございません。何等かの手を打たなければいずれアイニスの二の舞となりましょう。しかしなぜ、封剣の話を?あの短剣に関わりがあるという事でしょうか?」
封剣に祝福された国ギヴェン。その地下に隠された遺跡なら、封剣の呪いと何か関係があるのかもしれない。そう考え、ハルファスは短剣に関しシュトリに問いつめる。
「ギヴェンでは古くから、大神ピュラブレアが己の子である7神を封剣に変え、古の災いを封じ込めたという話が今でも残っている」
「それはただの御伽噺なのでは?」
酒場などで今でも吟遊詩人たちが歌い語る物語。そういった類の御伽噺の一つにそういう内容のものがあった事をハルファスは記憶していた。だが――
「――いいや、残念ながら本当にあった話だ。そして、その災いは今もギヴェンの地下で眠り続けている。災い……古の時代から封じ続けられた亜神がね。そして今もなお、災いを封じ続けているのが7体の封剣であり、そしてあの短剣なんだ」
シュトリの答えにハルファスは言葉を失った。
さらに言葉を続ける目の前の少女に、これまで以上の異質な何かに感じる。
「力を得た精霊は魂へと昇華する。そしてさらに力を得た精霊は、ついには亜神へと至る。封剣はそうして力を得た精霊が魂を経て亜神に至ったものだ。だからいくら依り代を破壊しても、すぐに封剣は復活する」
シュトリがどこでそのような事を知ったのか。
それは分からない。だが、存在自体が半分以上謎で包まれた目の前の少女の事以上に、別の疑問がハルファスの中に存在していた。
オウス公国の多くの民を今も苦しめる続ける封剣。それは何故――
「――封剣が何故存在し続けるのか?誰もが疑問に思う事だろう。封剣は亜神を永遠に封じ込める為だけの装置のようなもの。元は、亜神を消滅させる目的で作られたものだったんだろう。だが、精霊の身から力を蓄え亜神にまで至った7体の封剣が力を合わせも災いと呼ばれた亜神を消滅させる事は出来ず、ただ封じる事しかできなかった」
「封じる……ただそれだけの為に、オウスの民はずっとで苦しみ続けているのですか?」
「うん、それだけの為にね。封剣は、元をただせばただの精霊。力を使いきれば亜神としての格を失い、精霊にまで戻ってしまう。そうすると封印を維持し続ける事は出来なくなってしまう。だから封剣は己の力を失わないよう、同族以外の周りの精霊を喰らい、自らの力へと変換する。結果、オウスは水の精霊力だけが高くなり、避けえぬ水害にみまわれる地となった」
「……あの短剣は?」
「あれは封印を維持する為の補助的な機能を有していた。7体の封剣の力をあわせても、封印の維持は困難だ。封剣が周りの精霊を喰らい尽くし、自らの力を使いきる可能性がある程に、災いと呼ばれた亜神の力は強大だった。だから7体の封剣だけではなく、存在を否定する呪いが『願い』から生み出された。それがあの因果の棘と呼ばれる短剣だ」
ハルファスの脳裏に、短剣が封じられていた大きな扉の姿が思い浮かぶ。
『あぁ、これはこの扉の封印――魔王の封印の一部だよ』
『で、その剣が魔王を封じる剣なんですかい?』
『うん。魔王って存在の魂を消し去る為に生み出された呪いと言った方がいいかな』
あの場でシュトリが魔王と呼んだ存在が、オウスやアイニスの地を犠牲にしてまで封剣が封じ続ける存在なのだろう。
「呪いなのに、願いなのですか?」
「『呪い』と『願い』には、それほど大きな違いなんてないんだ。嫌いな相手を、邪魔な相手を消し去りたい。そういった真摯な願いから生まれた思念にオドが幾重にも編み込まれると、結果最後には呪詛へと成型する。因果の棘は、そうして出来た呪詛具であり、心の底から消えて欲しいと願う相手の魂を消滅させる力を持っている。精霊は魂へと至り、そして最後には亜神と成る。亜神を殺す為の道具。それがあの短剣さ」
「では、あの短剣の力があれば、封剣を!」
「残念だけど、それはできない。7体でぎりぎりバランスが取れているのが今の状態だ。1体でも欠ければその瞬間、封剣は封印に必要な力を補填するため、辺り一面の精霊喰らい尽くし、多くの地を死せる大地へと変貌させるだろう」
「そんな、封剣の呪いからは永遠に逃れる事は出来ないのですか!?」
思った以上に自身が大きな声で、シュトリを問い詰めている事に気が付き、ハルファスは俯き口を紡ぐ。
「封剣をこの世界から消し去る方法は、災いと呼ばれる存在を消し去り、封剣に自ら存在する意味を失わせる事。もしくは因果の棘と同レベルの呪詛具を集めすべての封剣を同時に破壊する事」
「……」
封剣7体の力をもってすら封じる事しかできない亜神を滅ぼす事、もしくは亜神を殺せる程の呪詛具を見つけだす事。どちらも途方もない話でありただの諜報員でしかないハルファスには想像もつかない難行だ。だが――
「どちらも途方もない話だよね。でも、アザゼルとの盟約は絶対だ。だからハルファス。そんな顔をする必要はないよ。僕がきっとなんとかして見せる」
そう言い微笑む少女を前に、ただ頭を下げ従う事しかできない自分に無力さにハルファスは歯がゆさを感じずにはいられなかった。
神にも挑む所業。
それを、目の前の少女は挑むつもりだったのだ。
「だがその為には、今のこの世界では駄目だ。いくら頑張ったとしても、このままでは届かないし、何も成しえない」
椅子から立ち上がり、少女はハルファスへと手を伸ばす。
「因果の棘が『彼女』の手に渡れば、世界を変革できる可能性が生まれる。僕の為に働け、ハルファス。お前が望む未来、僕が見せてやろう!」
ハルファスは少女の手を取り、静かに己の主へと忠誠を誓った。
いつも誤字報告してくださる方、本当にありがとうございます。