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8-17 変化。

 どれほどの時間歩いただろう。

 一刻程だろうか。


 自らの疲労具合からは、一刻程歩き続けた風にも感じるが、もしかするとあれからまだ四半刻程しかたっていないのかもしれない。

 外界から隔絶された仄暗い石畳の道。

 ヴェインに連れられ、講堂を抜け出したジニーは、あれからどれほどの時間が過ぎ去ったかを知る術を持ってはいないかった。


 目の前を行く少年が自分に告げた言葉の意味をできるだけ考えないようにしながら、ジニーはただただ足を進め歩き続ける。


 そうして、ついと石畳は終わり、上へと続く階段が現れる。


「もう少しだ、がんばれ」


 何度目かの励ましの声にジニーは顔を上げ、声の主に視線を投げる。

 振り返り自分に手を伸ばす少年の姿は、学園でジニーが最後に彼を見たときに比べ、ずっと逞しく見える。

 それほど時間はたっていないはずなのに、知らない間にずっと成長した彼の姿に、ジニーは恥ずかしく感じついと視線を外す。


「どうかしたのか? さぁ、ここを上がればすぐだ」


 ずいと差し出されたヴァインの手が、はやく取れといわんばかりにジニーへとさし伸ばされる。

 ためらわれがちに自分の手に触れる少女の手を、ヴァインは強く握りしめ、暗い階段を上り始める。


 講堂での一件に、暗く長いこれまでの道程。

(きっと、思った以上に消耗しているんだろう)


 ヴァインは再びうつむいたまま、顔を上げようとしないジニーに、急ぎ逃げる為とはいえ、休息も無しに歩き続けさせている事に申し訳のない気持ちを感じた。

 だが、それ以上に手の中に感じる温もりに、失われたと思った大切なものが、再び自分の手の届く所にある喜びをかみしめていた。

 結果、ヴァインが真っ赤な顔を必死に見せぬよう、努めて下を向く少女の姿に気づく事は無かった。


 □□□


 階段を上った先は、フェルセン郊外に位置する小さな教会だった。

 窓からさす月明かり照らされた教会の内部は、ずっと人の手が入っていなかった事を用意に連想させる荒れ果てたものだった。


「ここを出て少し行った先で、マークとナターシャが馬車を用意している」

「マークさんとナータが?」

「あぁ、皆ジニーを心配していたんだ」


 ヴァインと仲間たちがどれほど自分のために無理をしてくれたのかは、ヴァインから簡単には聞いていたが、国の衛兵であるマークや、貴族であるナータがそれほどまでに積極的に自分の逃亡劇に手を貸している事に驚きを隠せなかった。

 自分を逃がす為、仲間達は大切な未来を失ってしまったかもしれない。いやきっと、彼らの輝ける未来を奪う結果となるだろう。


「だから、無事逃げれたらジニーの口から、あいつらに直接言ってやってくれ。ありがとうってさ」


 それでも無事を願ってくれる彼らの好意に、ジニーは胸の内が熱くなるのを感じた。


 自分独りなら、すぐに逃げる事を諦めていただろう。

 このまま逃げたとして、一体どうなるというのか、ジニーには分からない。

 だがそうだとしても、ジニーの無事を祈り力を貸そうと尽力くれる彼らが、『逃げる』事を彼女に求めるのであれば、それに応えなければならない。


「うん、そうする。ヴァインもありがとう」

「いやまぁ、まだ逃げ切れたわけじゃねぇからな。ちょっと外に様子を見てくる」

「あっ」


 つないだ手が不意に解かれ、ジニーの口から思わず声がこぼれ落ちる。

 少年の手の温もりが遠ざかった事に、不安感を感じた。


 ヴァインもそんなジニーの変化に気がついただろう。

 だが気づかぬ振りをし微笑むと、そっとジニーの肩に触れながら優しく囁く。


「大丈夫。直ぐに戻るから」

「……うん」


 そう言い、静かに扉口へと移動する少年の背を見つめながら、ジニーは自分の中で何かが変わりつつある事を実感せずにいられなかった。


 ずっと誰にも話せずにいた自らの秘密。

 それをヴァインに告げた時、ジニーは彼に拒絶されると考えていた。そうでなくても途方もない妄言を吐く、薄気味の悪い人間だと思われるに違いないと考えていた。


 だが結果として彼が、ヴァージニア=マリノという人間に見切りを付け、国から追われる事なく平穏無事に過ごし続けられるのであれば、それでいいと思っていた。

 だが――


『例え君が誰かの生まれ変わりだったとしても、どこか遠い世界で生まれたとしても、俺にとってのジニーが今目の前のジニーである事に変わりないから』


 ――ヴァインからの返答は、ジニーが想像さえしえなかったものだった。


(本心ではなく、騙そうとしているだけじゃないのか?)


 裏切られる事に警戒しヴァインの言葉を疑いながらも、彼の言葉を信じたいと願う自分がいる事にジニー自身が戸惑いを隠せないでいる。


 自らの中に他者の記憶が存在する事について、師であるフィルツには話をした事がある。

 フィルツは情報として『他者の記憶』が存在するだけだと考えていた。

 ジニーもまた、これが自分の事ではなく他者の話ならば、師と同様の答えに到っていただろう。

 だが、自らの中に存在する『他者の記憶』がそんな生優しいものではない事を、ジニー自身、十二分に理解していた。


 年端もいかぬ少女が、ある日突然自覚する、別世界の記憶。

 それは、本来であれば時間をかけゆっくりと成形されるはずだったヴァージニアという少女の人格に多大な影響を与えていた。

 無垢に何かを信じる純真さも、真摯に誰か思う情熱も、『他者の記憶』を自覚した段階でジニーが手にする事は無くなった。


『他者の記憶』が存在する。

 それは、幼少時の純粋無垢な精神の成長を阻害するには十分な要素だっただろう。


 自分が記憶として持つ『彼』と別人である事をジニーは理解していた。

 その認識はジニーが『他者の記憶』を自覚した当初から、彼女の内に確実に存在していた。

 だが、例え『彼』とは別人であったとしても、本来のヴァージニアから大きく逸脱した自分は、結果の所、ヴァージニア=マリノとは別の『何か』なのだとジニーは考えていた。


 アイン=ファーランドの心の傷を憂い、彼に拒まれても挫けず彼を救いたいと願ったヴァージニアという少女。


(そんな真摯な思いを秘めた少女に比べ、自分はどれほど歪で醜い存在だろう)


 ずっとそう考えていた。

 そんな自分が今、目の前の少年と共にいたいと感じている。


 ジニーは自分の中の変化に戸惑いながらも、その変化に忌避感を抱く事はなかった。


 □□□


「大丈夫だ、外には誰も居ない」

「ここは?」


「あぁ、学院からずっと北。昔は結構きれいな教会だったらしいけど、ボイル陛下が即位された後に放棄されたらしい。前王派の貴族の息がかかった教会だったせいか、即位以降は取り壊しにはならなかったが、完全に放棄されたらしい。まぁ、この抜け道自体、前王の時代に用意されたものなんだろうけど」


 ヴァインの言葉をジニーはただ呆然とした表情で聞き入るしかなかった。

 国の重要な人物とも交流があり、少しは王城についても知る機会を有するジニーさえ知らない事を、ジニーと行動を共にする事が多かったヴァインが、これ程詳細に知っている事がジニーには不思議に思えた。


「なんだよ、変な顔して……ん? あぁジニーを救い出す為、いろいろ調べたんだ。まぁ、半分以上はアマンダさんが教えてくれた事だけど」

「アマンダさんが?」


 アマンダ=リューベルが師フィルツと共に行動している事をジニーは知っていたが、ここで彼女の名前が挙がるのは予想外だった。


「この抜け道も、あの人がフィルツから聞いた話を俺に教えてくれただけだしな。あとはアイニス襲撃の噂もあの人が流したものだ。おかげで講堂内がパニックになり、こうしてジニーを連れ出すのが計画よりずっと楽になった」


 悪戯が成功した悪ガキのように笑うヴァインの姿に、ジニーもつられ口角を緩める。

 ヴァインの言葉の端々から、自分を救出する為にどれほど苦労をしたのかをジニーは察していた。

 だからこそ、その事を負担に感じぬように、気を回すヴァインの優しさを嬉しく感じていた。


「さすがにその格好じゃぁ目立つから、これに着替えてくれ」


 事前に用意していたであろう木箱の中から、ヴァインは目深に被れるフード付きローブと女性用の衣類を取り出し、ジニーに手渡す。


「デイジー達が準備してくれたものだ。まぁ、出来るだけ目立たないものって言ったんだけど……」


 ヴァインは視線を外し小さく呟く。

 デイジーが好みそうな可愛らしいデザインの衣類が、王国からの逃避行という現状から大きくかけ離れたものに思え、ジニーはつい苦笑してしまう。

 目立たない衣装という枠組みからは幾ばくかずれてはいるだろうが、ジニーが今纏っている純白の着衣に比べれば、幾分マシだろう。


「あっと、わりぃ!俺がいたら着替えるに着替えれないよな!す、すぐ、外に出るから」


 慌てる様子で外へと飛び出すヴァインの姿に、ジニーは思わずふき出す。

 学院の書庫であれ程に積極的だったヴァインが、ただの着替え程度で顔を赤くし慌てる姿がやけに可笑しく思える。


『ジニー、俺はずっと君の事が――』


 不意に書庫での件を思い出し顔に熱を感じる。

 やたらと熱を帯びる自らの耳にふれ、ジニーは必死に熱を冷ますように頭を振る。


(とりあえず、着替えなきゃ。今は無事逃げ出す事だけを考えよう)


 そう思いなおし、ジニーは渡された衣装に腕を通しはじめた。

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