8-16
暗闇に眼が慣れるにつれ、自らを引く手の力強さにヴァージニア=マリノは意識をはっきりとさせ始める。
(一体誰が?)
彼女がそう考えるのは一瞬だった。
そんな真似をする人物の心当たりなど一人しか見当たらない。
(……どうして)
こんな事をすれば、ただで済むはずがない。
幼い子供であってもその程度の事は理解できるだろう。ましてや魔術師として二つ名を持つまでに成長した彼がわからないはずが無い。
例え彼が、王国魔術の要たるオルストイの人間であったとしても、王国の誇る4人の封剣守護者の1人であったとしても、王国は国賊と成り果てた彼を許さないだろう。
「駄目、ヴァイン離して。このままだと貴方まで……」
きっとただではすまない。
自分のせいで大事な人が傷つく姿をジニーは見たくはなかった。
自らがこの場で裁かれる事は、この世界で目を覚ました時から決まっていた事。
それに彼を巻き込むなんて事は出来るはずがない。
ジニーはそう考え、引かれる手に抗う。
一瞬、とまどうかのように少女を引く手が緩む。だが――
「かまわない。例えどんな目にあったとしても」
暗闇の中、振り返る少年――ヴァイン=オルストイは優しく微笑みながら少女に語りかける。
まだ少しあどけなさを残す彼の言葉に、ジニーの心は大きく揺れる。
少し前までは自らの運命に絶望したジニーは諦めに似た感情に支配され、自らの心を凍てつかせいた。
だが、目の前の少年が口にしたたったそれだけの言葉が、彼女の心を氷解させる。
「――大事なモノを失うことに比べたら、大した事じゃないから」
ヴァインはジニー抱き寄せながらさらに続ける。
「絶対助け出すから……信じてほしい」
ぐずる赤子を安心させるかのような優しげな彼の声色に、少女の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「戦技課の奴らも協力してくれている。それにお前の友達もさ」
自分を力強く抱きしめる少年の腕を、ほんの少し痛く感じる。
だが、それ以上に彼が自分にくれる温もりが、その優しさがジニーには心地よく感じられた。
「……うん」
ヴァインの腕に包まれ、ただ頷くしかできない自分がすごく心細く思え、同時にそんな自分を認め受け入れてくれる彼の存在が大きく感じられる。
「だから今は黙って俺についてきてくれ」
ヴァインは優しくじにーの頬をふれた後、再び彼女の手を引き始める。
ジニーには彼の言葉で会場を包む暗闇の正体に予想がついた。
これにはリーゼロッテの闇魔術が関与しているに違いないだろう。
だが、彼女の魔術だけではここまで大規模な暗闇を魔術で生み出す事は適わない。
(トミー達の魔導具を利用しているのだろうか)
戦技課で開発中の魔導具は、中級規模の魔術を生み出すだけではなく、天候操作のように複数同時併用する事で規模を拡大しながら効果を増幅する事が可能となっていた。
だが、闇魔術のような特異的の魔術の効果を魔導具で拡大化させるような発想はジニーには無かった。
魔術が使えない人間でも魔術と類似の効果が得られる事にこそ魔導具の特質がある。そう考えていた彼女は魔導具の可能性を無意識のうちに狭めていた。
ジニーにとって、魔導具はトミーやレビンのような魔術が使えない人間にとっての助けとなるようにというものであり、その想いをベースに開発が進められていたのに対し、トミー達は魔術を使うジニーやヴァインの助けとなる可能性を魔導具に見出していた。
ジニーが率先して開発する案件に関しては、王国にて厳しく監視が成されていた。それに対し他の戦技課の人間が個人で行う研究に関しての監視は思いのほか緩くなっていた。王国にとって彼らはただヴァージニアの発案した魔導具を作製する人員でしかなく、王国からは彼ら自身に新たに魔導具を開発する能力などゼロと見做されていたからだった。
そうして彼らの手で進められた魔導具による魔術の拡大化の開発は公にはなる事なく進める事が出来たののだった。
(有難う)
知らない間に自分の予想を遥かに超える親友や仲間達の力に、ジニーはただ感謝をするしかなかった。自分は彼らに与えた以上のものを、ジニーは確かに受け取ったと感じた。
そしてそれは目の前で今も暗闇で自分の手を引く少年に対しても同じだった。
自身を犠牲にしてでも、自分を救おうとする彼に自分は何が出来るというのだろう。
魔術の暗闇をぬけた場所でヴァインはジニーを引く手を緩める。
「ここは……図書室」
「あぁ、ここから外に抜け出す道がある。昔、何人かの学生が密かに学外に抜け出すために協力しあって作ったものらしい。なんでも当時学生だったボイル陛下までその件に関わっていたらしい」
そういいながらヴァインは薄暗い書庫に足を進める。
「陛下が?」
「あぁ、その頃はまだ学生だったらしい。第一王子といわれていた頃の陛下は大層真面目でそういう行為を嫌う性格と周りからは思われていたらしい。だが本当は、利己主義で我侭な性格で、堅苦しい周りの態度にうんざりし、仲間と一緒に秘密の抜け道からこっそりと抜け出していたって話しだ」
ジニーはヴァインの言葉に驚き言葉を詰まらせる。
彼女の知るボイル国王像からは想像できない姿だったからだ。
「まぁ、その仲間にあの叔父が含まれていたなら、こんな馬鹿げた話にも信憑性が出るのが不思議だよな」
「師匠が?」
「あぁ。学園に残る珍事の大半はあの叔父が関与していると見て間違いないだろうさ。まぁ、そうして出来た抜け道の一つがこの書庫に……これだ」
そう言い、ヴァインは一つの書棚の前で止まる。
「ジニー、棚を動かすのを手伝ってくれ」
「うん」
ヴァインとジニーは書棚に詰められた本を引き抜き、重い書棚を押しゆっくりと移動させる。
もってきていた荷袋から工具を取り出し、書棚があった場所の床板をヴァインは引き剥がす。
床板の下からはさらに暗闇の下へと続く梯子が現れる。
「この下だ、暗いから気をつけて」
ヴァインはそういい、ジニーに手を差し伸べる。
その手を握り、ジニーは躊躇いがちに言葉と紡ぐ。
「ヴァイン……私、貴方に黙っていた事があるの」
「……ジニー?」
彼に話して一体どうなるというのだろう。
ただの自己満足に過ぎないかもしれない。好意を持ってくれている彼に対しての言い訳でしかないかもしれない。
それでもジニーは目の前の少年に伝えなければならないと感じていた。
自分が他人の、しかも男性の記憶を持っている事
この世界がその記憶の人間にとってはただの遊戯上の物語の登場人物に過ぎない事
自分がその物語では非難されるべき存在であった事
そして、今、自分は物語の通り裁かれているという事
そんな事を言われても目の前の少年は困るだけだろう。
気がふれたのではないかと思われるかもしれない。
それでも……
『大事なモノを失うことに比べたら、そんなの大した事じゃないから』
そう言ってくれた目の前の少年にこれ以上、偽っている事なんてジニーには出来なかった。
それで彼に嫌われたとしても、それでいい。
むしろ、嫌って自分を見捨ててくれたほうがきっと良いに違いない。
勿論、彼に嫌われれば、自分はきっと傷つくだろう。
だけどそれ以上に、自分のせいで彼に誤った選択をして欲しくはなかった。
「ヴァイン、私は――」
少女はゆっくりと語り始める。
自分がヴァージニア=マリノとして意識を取り戻した時の事を。
少年の叔父であるフィルツ=オルストイに真実を打ち明け師事した日の事を。
そして未来に絶望していた一人の少年と始めて出会ったあの日の事を。
「私はヴァインが思うような人間じゃないの。私には、別の人間の記憶が存在している。それも男性の」
自分は今、どんな顔で彼に話しかけているのだろう。
酷く醜く、きっと見られたものではないだろう。
目の前の少年は私の事を気持ち悪いモノだと思う事だろう。
(それでいい)
それで彼が謝った選択をしないならば。
それで彼の人生を私が台無しにする事がないならば。
「ごめんね……ヴァイン。ずっと隠していて。私という人間は、本来のヴァージニアという少女をイビツに醜く歪めた存在。だから――」
「俺は、こう見えて前世では傾国の美女で男をとっかえひっかえだったんだぜ」
「え?」
ヴァインの言葉に、ジニーは一瞬言葉を失う。
「その前は、世界を恐怖の底に沈めた古の竜族の生き残りだったんだ」
荒唐無稽な彼の言葉に、少女は言葉を失う。
「馬鹿な事を言っていると思うか?でもな、ジニー。お前が言っているのは俺にとってはそう言う事だ」
「違う!私が言っているのは――」
腕を引き寄せ、少年はそっと少女を抱きしめる。
「違わない。ジニー、お前は俺の前世が悪人だったとして、それで今の俺を咎めるのか」
「……」
ヴァインの腕の中、ジニーはゆっくりと首を横に振る。
「あはは。咎めるって言われたらどうしようかって思った」
「そんな事、言うはずが――」
「あぁ、そんな事をお前が言うはずはない。だってそれが俺の知っているヴァージニア=マリノだから」
抱きしめる腕を解き、ヴァインは言葉を続ける。
「ジニーの中で他の記憶があったとしても、そのせいで本来のヴァージニア=マリノじゃなかったとしても――」
薄暗い書庫の中、少年の言葉だけが響きわたる。
「俺にとってのヴァージニア=マリノは、今俺の腕の中で苦しげに自らを責めつづける君だけだから」
その言葉は、もしかしたらこの世界で意識を取り戻してからずっと求めていたものだったのかもしれない。
「君が例え誰かの生まれ変わりだったとしても、どこか遠い世界で生まれたとしても、俺にとってのジニーが今目の前のジニーである事には変わりがないから」
きっと誰にも認められないだろう。そんな事は当の自分が一番分かっている事だった。でも本当は――
「あの日に惹かれ、共に居続けたいと願った一人の少女が本当は誰かだなんて俺には関係がない。俺にとって目の前の君が全てだから。ジニー、俺はずっと君の事が――」
静寂に包まれた学院の図書室、真摯な少年の言葉が静かに響く。
その言葉に少女は瞳を潤ませ、恥ずかしげに少年に頷いてみせる。
少女の瞳から涙が溢れ、彼女のほうを濡らす。
その涙はその日少女が流した涙の中で、一番暖かなものだっただろう。
少年は少女の瞳から溢れ出る涙を優しげに指で拭った後、やさしく少女を抱き寄せた。