8-12 擬似魂
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ヴァイン視点
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アマンダの話はヴァインにとって衝撃的なものだった。
ジニーは4年前、クィント兄妹と共に忠誠の儀を受けている。
緑の封剣守護者でありながら次代の大司祭候補と言われているフィーアと、風の魔素を精霊まで昇華出来る高い感応性を有するアンナ。
当時の忠義の儀は、二人の力を王国が認めた結果なのだとヴァインは考えていた。
ジニーのほうは勿論、それまでの功績を認められたものだろう。ヴァインは一切疑う事なくそう思い込んでいた。
だが実際は、誓約魔術を受け入れさせ枷で縛る事が目的であり、その為の隠れ蓑として忠義の儀が存在してると知り、ヴァインは言い知れぬ嫌悪感に包まれる。
「ヴァージニアさんにかけられた誓約の詳細は不明だけど、ギヴェン王国、もしくは王族への服属あたりかしら。誓約の条件は細かくしすぎれば、無意識のうちに対象が誓約を破る可能性が増えてしまう。対象が誓約を破る意図がないのに呪いが発動して死ぬなんて事は、術者側も本意じゃないわ」
「じゃぁジニーが王族に対して崇拝に近い忠誠を示すのも、王族に敵対する相手に強い憎悪を向けるのも誓約って奴のせいだって事――」
「しっ、あまり大きな声を出さないでもらえるかな?」
アマンダの言葉にヴァインは慌てて口を閉ざし俯き頷く。
その姿にアマンダは苦笑を浮かべ続ける。
「4年前、ヴァージニアさんが意識を失い倒れたのを覚えてるかしら?」
「あぁ。ジニーはしばらく学院を休んでいたし、それで俺達はすごく心配したんだ。あいつが学院に復帰した時、戦技課で快気祝いしたぐらいだ」
(俺にとってはジニーを絶対に救うと誓いを立てた日だ、忘れるはずが無い)
机の下で拳を握りしめ、ヴァインはその日の誓いを思い出す。
「あの時、ヴァージニアさんが倒れたのは誓約の呪いを受けそうになったからよ」
「え?」
「ああ、違うわね、呪いは発動していた。呪いが発動し彼女の魂と魄の間のパスを妨げた。そのせいで彼女は命の落とす所だった」
まさかあの日、そんな事が起きていようとはヴァインには思いもよらなかった。
学院に再び現れたジニーからはそんな雰囲気は微塵も感じられなかったからだ。
「彼女を救ったのはフィルツよ」
「フィルツが……」
魂と魄のパスをどうこう出来る人物なんてフィルツぐらいしか心あたりが無い。
だが、ジニーを救うのが自分ではなく叔父のフィルツであった事に、ヴァインは安堵と同じくらいに嫉妬を感じ顔を歪める。
「あの人が彼女を救ったのはそれで2度目」
「え?」
「1度目は彼女がまだ3歳の時。オド歪みという病に冒された彼女を救ったのもフィルツよ。オド歪みは簡単にいえば魂が欠損する病気。魂が欠損すれば魄を動かすのに必要なオドを魔素から転換をする機能が損なわれる。そうすればオドは欠乏し魄を維持できず、最後は命を落とす事になる」
ヴァインはジニーが生死の境を彷徨うような病を患っていたなんて初耳だった。
初めてジニーの事をヴァインが知ったのは、アイン=ファーランド主催のパーティだった。
水の封剣の影響で水魔術以外は用いれないヴァインにとって、封剣の守護自体が呪いだとしか思えなかった。そんな中、この国の王子を相手に『封剣の呪いを信じる事』を幼稚だと言い切る彼女の事を、ヴァインは煩わしくも眩しく思えた。
そして、続くベイルファーストの件でジニーに対する思いは、ヴァインの中で強く鮮明に色づく。
自分が出会う前のジニーが、死の床に伏していたなんてヴァインには想像さえ出来なかった。
「フィルツは魔導で禁忌とされる業を使って彼女を救ったわ」
「禁忌?」
「そう、禁忌。魔素の昇華を応用した魔素転換の奥義、擬似魂合成。そうして作った疑似的な魂を彼女の欠損した魂に融合させた」
「?!」
9年前、彼女と初めて邂逅したパーティーの開かれた日の夜。
王城の薔薇園で起きた奇跡の話はヴァインも耳にしていた。
ジニーが言い争うアイン王子とフォルカス王子の前で、亡きエリス皇后の魂を召還したという噂だ。ヴァインも最初は虚言か妄想の類の噂だと思っていたが、実際にその光景を目撃した者が多くいた事から、それが真実であると事を知った。
人の魂は死ぬと天に昇り精霊と成る。そして精霊は魔素と成り世界に帰る。
魔導を学ぶ時に最初に教えられる言葉。
魔導を学ぶ者は皆、最初に魔素は人の魂が世界に満たされた結果の存在であり、魔術とは自分達を残し去っていって者達の力を借りる事で成し遂げられる奇跡である事を教えられる。
魔素を凝集する事で、擬似的な精霊への昇華する事は可能だとヴァインも知っていた。何よりアンナ=クィント実際に目の前で魔素を風の精霊へと昇華したのを目撃している。
そしてそれが、魔導で禁忌とされる転換魔術の魔素転換と呼ばれる技術と、ヴァインは父ヴァイスから教えられた。そしてそれは、9年前にジニーが起こした薔薇園の奇跡もまた、魔素転換によるももであったと悟った。
世の理から外れた術という事で、転換魔術は魔導における禁忌とされている。
魔素から転換できたとしても精霊に至る事が限界だろう。ヴァインはそう考えていた。
しかし、実際は魔素から擬似的な魂を練成する事が可能だという。
アマンダの言葉はヴァインにとって衝撃的なものだった。
「そんな事をすればジニーは!」
だが、それ以上にヴァインを驚かせたのは、ジニーの欠損した魂を補う為、練成した擬似魂をまるで接木のように融合させた事だった。
「そうね。そんな無茶な術だもの、術を行えば結果として彼女が死ぬ可能性は高かった。でもフィルツが術を用いなければ彼女はその病が原因で確実に死んでいたわ。フィルツは友人でもあるウィリアム様の頼みを無碍に出来なかった。だから危険な賭けに出て禁忌とされる術をヴァージニアさんに施したわ」
フィルツの行いは蛮行と呼ばれるものだろう。人の魂を合成し合成獣のように歪な存在を作りだしたのだ。だが、ヴァインにフィルツを攻める事は出来ない。死の床に瀕した少女を救う為か、泣きすがる友人の為か、それとも己の知的好奇心を満たす魔導の研究の為か、フィルツがどういった思いで術を用いたのかは分からない。だが結果としてジニーの命は彼によって救われたのだ。
「フィルツが彼女の命を救ったのは2回。1回目がオド歪みから彼女を救った時、そして2回目がさっき話した4年前の彼女が倒れた際。誓約の呪いが彼女の魂と魄のパスを遮ろうとした。でもヴァージニアさんには彼女本来の魂と、融合されたもう一つの魂が存在している。呪いに二つの魂のどちらを選択するかなんて意思は無い。だからフィルツは彼女本来の魂と擬似魂の間の繋がりを隔て、呪いの影響を擬似魂にだけに生じるように調整しようとした――」
アマンダの話をヴァインは最初、荒唐無稽なものに感じていた。だが叔父は王国の鬼才と呼ばれる程の男。フィルツはアマンダの言うとおり実際に事を成し遂げたのだろう。ヴァインにはそう確信出来た。
「本来の魂の変わりに擬似魂を犠牲に出来てたなら、ヴァージニアさんにかけられた誓約の呪いは無効化出来ていたはずだった。実際にフィルツは彼女用いたのと同じ術を使い、幾人かの誓約を無効化しているわ」
「それって――」
ヴァインの言葉にアマンダは微笑み頷く。
「彼の手で誓約の呪いから解放された人間はヴァージニアさんを除いて5名。私と部屋の外で待機している3人。あとはフィルツ本人」
「アマンダさんやフィルツも誓約の呪いがかけられていたのか?」
「ええ。フィルツは陛下に私の助命を請う際に。その事を後から聞いた時、私が彼にどれ程、怒りをぶつけたか詳しく説明したほうがいいかしら?大切な人が自分の為に知らない間に傷つけられるなんて誰が許せるかってね」
腹立たしげに話す彼女の表情は、言葉とは裏腹にヴァインには酷く嬉しそうに見えた。
「誓約の呪いを受けた人間のうち、4名が術に耐えきれず命を落としたわ。誓約の呪いを無効化する為にフィルツが用いる工程は3つ。1つ目は疑似魂の作製と融合。さっき言った通り、魔素を転換して疑似魂を作りだし、もとの魂と融合させる。2つ目が呪いの誘導。呪いが発動すれば魂と魄のパスが遮られる。その対象となる魂を疑似魂側に誘導する。3つ目が呪いの活性化と疑似魂の消去。呪いを活性化させ、疑似魂と魄とのパスを遮らせる。その状態で疑似魂を魔素まで転化する。疑似魂が本来の魂に影響を与える前に消失させる事で発動した呪いも対象を見失う。疑似魂と本来の魂との融合が強すぎれば術は成功しない。術に耐え切れなかった人達は気が触れ暴れだした後に力尽きるか、呪いの影響を受けて息を引き取るかの2択だった。生き残った私達は運が良かっただけ。ヴァイン君が考える通り、魂の融合なんて非常に危険なものだから」
成功率5割
フィルツがジニーに行った術が、どれほど綱渡り的なものだったのかを知り、ヴァインは背中に冷たい汗を感じる。
「貴方の話で、擬似魂を犠牲にすれば誓約の呪いを無効化出来る事は理解した。でもジニーは今も、誓約に縛られている……だよな?」
「ええ。4年前のあの時、フィルツは彼女にかけられた誓約の呪いを無効化するはずだった。でも結局それは出来なかった。フィルツの術で呪いは緩和されたんだろうけど、私やフィルツのように、無効化にまでは至らなかった。きっと原因は彼女自身にある」
「ジニー本人に?」
ジニーが無意識のうちに誓約を受ける入れる事を望んでいたというのか。
ヴァインは納得できないといった顔で、ジニー自身が原因と言いきるアマンダをにらみつける。
「彼女本来の魂がフィルツの術を拒絶した。結果、術は完全に効果が及ばさず呪いを緩和させるに留まってしまった。さっき言った誓約の呪いを無効化する為の術。ヴァージニアさんの場合はオド歪みの際に行っているから1つ目は省略。2つ目を行う際、フィルツは呪いを誘導する事が出来なかった。まるで彼女の魂が疑似魂を犠牲にする事を拒むかのように誓約の呪いの誘導を拒絶した。フィルツは仕方なく呪いの影響を本来の魂と擬似魂の2つで受ける事で緩和させる方法を選択した。彼女の魂が何故、呪いの誘導を阻害したのかは分からない。もしかすると無意識の内に、自分の中のもう一つの魂が失われる事を恐れたのかもね」
自分の中に異物が存在するならば、普通なら消してしまいたいと思うだろう。
ヴァインならそう考えるし、アマンダも同意見だ。だがジニーは別だという。
「それでも彼女の魂と、擬似魂との繋がりは以前より細く薄いものに変わった。もしヴァイン君が以前のヴァージニアさんに比べて何かが変わって感じているのなら、もしかすればそうした影響が出ていたのかもしれないわね」
確かにヴァインには思いあたる節があった。
『ありが……とう……ヴァイン』
涙を流し微笑む彼女の姿を見た時、ヴァインはそれまで以上に彼女を一人の女性として意識し始めていた。
自分には無い強さを感じていた彼女が非常に脆い存在に見えはじめ、何よりも大事にしたいと考えるようになっていた。あの日から時折、ヴァインはヴァージニアの中に、年相応の女性のようなか弱さが垣間見えるような気がしていた。
これ迄、ヴァインはそれが彼女に恋慕する自分のただの思い込みなのではと考えていた。
だがもしかすれば、それ以前の彼女の中に存在した強さは、彼女の中に存在するもう一つの魂による影響だったのではないだろうか。
「ヴァージニアさんにかけられた誓約は完全には消えていない。そして誓約の呪いは彼女本来の魂にも影響し始める。彼女の魂は、もう一つの魂を救う為に誓約を無意識に受け入れ始めた」
「ジニーの王族への忠誠やアイニスへの憎悪……」
「彼女の魂は誓約の影響を受け、誓約に従うように歪み始めた。彼女が誓約の呪いを受けたのはフォルカス殿下との婚約の話があって数日後。きっと殿下との婚約に対し無意識の内にでも思う所があったのでしょう。それがきっかけで呪いは発動した。そして今は、呪いから擬似魂を守るため、彼女は無意識のうちに殿下との婚約を受け入れている。皮肉な話よね」
アマンダは肩をすくめ嘆息する。
「問題は彼女がまだ誓約の影響を受けているという事。彼女にとって今は王族の命令は絶対。だから例えそれが正しいと思えなくても王族が命じれば彼女は無意識のうちにそれに従おうとするはず」
「それって」
「彼女は王族から断罪されればその罰を受け入れてしまいかねない。結果として、彼女自身の命や尊厳が奪われる事になっても」
ヴァインは蒼白な顔でアマンダを見つめる。
彼女の言葉が真実であれば、ジニーに残された猶予はどれ程なのだろう。
「アマンダさん、俺は!」
「分かってる。ただ私達が貸せる力も限られている。ヴァイン君と同じように彼女を救いたいと私もフィルツも思っている。だから――」
焦る気持ちを必死で抑え、ヴァインは続く彼女の言葉を固唾を呑んで待つ。
「だから考えましょう。彼女を救い出す方法を」